痴呆(地方)でいいもん。

2006-11-16

教養経済学でもわかる貧困と市場の問題  教養の経済学でもわかる貧困と市場の問題を含むブックマーク  教養の経済学でもわかる貧困と市場の問題のブックマークコメント

47thさんといっしょに経済発展と国際経済学勉強をすることになった。大学教養部で研究会に入ったとき以来のワクワク*1。お勉強まえに、手持ちの道具でいえそうなことを整理する。

とっても短い(当社比ミクロ経済学の復習

勉強前に学部のミクロ入門か、教養経済学レベルでわかるレベルのことを整理。あるひとつの商品の完全競争市場を仮定する。

完全競争市場とは、商品の品質が均一で、売り手も買い手もやたら多い(理論的には無限大)の市場を考える。商品の品質が均一なので、買い手は売り手を区別する必要もないし、品質競争なり、買い手と売り手の間での情報の非対称性などの問題もない。また、この状況では、買い手も売り手も市場全体にくらべゴミのような購買量、販売量しかさばけないので、独占や寡占のような価格に対する支配力を一切失う。したがって、買い手も売り手も、市場で決まった価格を受け入れる、いわゆるプライス・テイカーとなる。つまり、この市場では、いかなる人も値札を貼るような行動をせず、ほとんど唯一の選択は市場できまった価格に対して何個売るか、何個買うかきめることである。

ここで、ビールの市場でのosakaecoの行動を考えよう。彼は一本めのビールはとってもうまいので、1000円の値打ちがあると考えている。二本めのビールは500円の値打ちがあると考える。3本めのビールは150円である。これは次のように言い替えられる。1本めのビールによって、うれしさが1000円分増える。2本めのビールによってうれしさが500円分増える。3本めのビールによってうれしさが150円増える。このように一個一個ごとの商品によって増える消費者のうれしさを金額であらわしたものを限界便益という。

このとき、ビールの市場価格が1000円を越えていれば、彼はビールを一本もかわない。1本めから3本めのビールの彼にとっての値打ち以上でビールが売られているからである。1000円から500円の間であれば、ビールを1本買う。この場合、ビールの市場価格は1本めのビールの彼にとっての値打ちより低く、2本め以降のビールの彼にとっての値打ちより高いからである。ビールの値段が500円と150円円の間であれば、彼はビールを2本買う。ビールの市場価格は1本めと2本めのかれにとってのビールの値打ちより低く、3本め以降のかれにとってのビールの値打ちより高いからである。

つまり、osakaecoにかぎらず、人々は一個一個ごとの商品の値打ち、つまり、限界便益が市場価格を上回っているかぎり、商品を買い、したまわっている商品は買わない。このことから、すべての消費者に関して、高い値の順に横軸を累計数、縦軸に限界便益を並べたグラフは市場価格と市場で買われる商品の個数、つまり、商品の需要量を対応づけたグラフ、つまり需要曲線となる。

売り手に関して、同様に売り手が商品一個一個ごとにうってもいいとおもう値段を低い順にならべて、供給曲線が描ける。売り手がある一つの商品をうってもいいと考えるのは、その商品を一個よけいに作るときにかかる費用がその商品の市場価格を下回っているときであるから、売ってもいいと思う値段は商品を一個よけいに作るのにかかる費用、つまり限界費用をあらわす。

市場で取り引きされる数量と市場価格は需要曲線と供給曲線の交点で決まる。したがって、市場で取り引きされている商品のうち、もっとも限界便益の低い商品ともっとも限界費用の高い商品について、限界便益と限界費用はほぼ等しい。じつはこの数量は限界便益の総計から生産に要した費用の総計を差し引いたものを最大化する数量である。もし、限界便益が限界費用をおおきく上回っていれば、それより、限界費用がすこしだけ高く、限界便益が少しだけ低い商品をつくることで、便益マイナス費用を増やすことができる。逆ならば、限界費用限界便益を上回っている部分の取り引きをやめることで便益マイナス費用を増やすことができる。増やす余地があるということは、そこは最大点ではない。

ここまでの説明がわからないひとは伊藤元重『入門経済学』、マンキュー『マンキュー経済学ミクロ編』、奥野正寛『ミクロ経済学入門』の一章(貧乏人むけ、かつ、一番短い)の関係ありそうなところを読んでください。ここの文脈と関係で私が一番のお薦め伊藤『入門経済学』か、それとほとんど同じ説明の伊藤ミクロ経済学』である。

入門 経済学

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ミクロ経済学入門  日経文庫―経済学入門シリーズ

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ミクロ経済学

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交換の利益

ビールが経済の中で生産されるのではなく、神さまが人々にめぐんでくれるとしよう。ここでもビールには市場価格がついているとしよう。神さまは気まぐれなので、ビールは必ずしもビール好きの人にビールを配ってくれるわけではない。したがって、市場価格より限界便益が低い人はビールを市場で売る。これは市場においてはビールの供給である。ビールの量が不十分で、追加的なビールの購入でビールを買える人はビールを市場から買おうとする。これはビールの需要である。この取り引きで需要量と供給量が一致する数量において、ビールを購入出来た人の買ったビールの限界便益の総計から売られたビールの限界便益の総計は最大になる。これは交換の利益といえる。

大体、新古典派経済学教科書市場経済の特徴に関する議論のほとんどはこの枠組(一つの市場しか見てないので部分均衡分析という)でもそれなりに説明できる。もちろん、全ての市場を一括して扱う一般均衡分析でないとできない議論があるのは当然だが*2、単純なモデルの強力さ、有用性は山形浩生エッセーや彼の翻訳したクルーグマンのものを読んだことのあるひとなら実感できると思う。

市場は効率的だが平等ではない

市場は便益から費用をさしひいたものを最大化する意味で効率的で、この特徴は今の一市場のみ見た分析市場は便益の意味では平等である。限界便益、あるいは便益は金持と貧乏人について不平等だからである。

同じ商品の好みを持った二人の人がいて、片方はまともな水道がないところにすんでいて、ミネラルウォーターを買わなくてはならない。もう一人は金持で、ペットの犬にはミネラルウォーターを飲ませたい。常識的には貧乏人間のほうが、ミネラルウォーターへの切実な欲求をもっているとみなせるだろう。しかし、ここでの便益とはあくまでいくらお金を支払う用意があるかということなので、金持のほうのミネラルウォーターの限界便益のほうが高いことは十分にありえる、というか、普通そうなるだろう。このとき、市場価格が貧乏人の限界便益と金持の限界便益の間にあれば、貧乏人は水が飲めずに死んでしまう。

貧困と効率性

前に書いたが、私は先進国の豊かさと発展途上国の飢餓を含む食糧問題の併存の不合理さを感じてきた。経済学をしているにもかかわらず、自分であまり整理して考えたことがなかった。多分、その不合理さを整理すると次のように説明できるだろう。

f:id:osakaeco:20061116175013j:image

このグラフは横軸に太郎さんの所得、横軸は次郎さんの所得をあらわしている。点Oは市場取り引きのない状態の点Aは市場のある状態を表している。点Aを通る曲線の内側は技術的に達成できるすべての社会状態をあらわしている。その社会状態が曲線上にあるということはA, Bいずれも同時に所得を増加させる余地がないと言う意味で効率的(パレート効率的)である。市場の導入は、曲線の内側から、太郎さんと次郎さんの所得をともに増加させながら、経済の状態を効率的な状態にする。つまり、点Oから点Aのような点へ、経済を移動させる。

ところが、太郎さんは所得がグラフの直線lより右側にないと飢餓状態になるとしよう。曲線の内側かつ、直線lの右側の領域はすべて技術的には太郎さんの飢餓を防げる領域にある。(右下すぎると次郎さんも飢餓になってしまうのだが。)

理想的なのは、効率性をみたしながら、Aさんの所得が飢餓状態以上の状態、つまり、曲線上かつ、直線lより左側にくることである。しかし、市場経済の状態をいじる政策は効率性を損なう可能性高い。たとえば、次郎さんに所得税を課して、太郎さんの所得を飢餓水準以上にしようとしたとしよう。所得税は勤労意欲をそこない、効率性はみなされなくなる。つまり、太郎さんは所得はふえるが、経済は効率性の満たされない曲線の内側にくる。しかし、これは許容すべき非効率性であると私は感じる。

経済は太郎さんと次郎さんともに飢餓水準以下か、二人とも飢餓水準以上になる領域がとても小さな状況もありうる。そのときは曲線をまず外側に広げる政策、すなわち、成長政策は支持しうるだろう。しかし、現在の先進国と発展途上国の関係はそうではない。先進国の人間が牛肉をやめて鶏肉をたべるようにするだけで、余った飼料用の大豆で少なくとも飢餓は解決できるであろう。すくなくとも生産力の問題としては食糧問題は解決済みなのである。

これはほんとうに机上の空論である。しかも、書くにはそこそこ時間を費したが(お絵書き込)考えるのには10分くらいで山形さんなら、「おおーえらいね。でもみんな知ってることよ。そんなことブログに書くひまあったら論文書け」とかいやみいわれるのことうけあいである。でもブログなんだし、そういわんかて。(といわれる前から防御の構え)

*1:そのときの科学史研究会の鬼頭秀一先生東大先生なっちゃたよー。もう偉くなっちゃって、顔がトロツキーに似ているとか(研究会の宣伝で先生はトロツキストですとハンドマイクでいって怒られた)、鬼頭ですとセールスのおばさんにいうと「亀ですかおめでたいですね」とよくいわれる(本人談)とかくだらん話ができん。

*2:個人的には、外部性の相互依存性についての議論が重要だと思う。環境問題などに関する教科書的な議論がひっくりかえる可能性がある。その観点から独占と知識の外部性をあつかったローマーの成長モデルは示唆的な業績と思う。

山形山形 2006/11/16 18:47 貴殿に論文を書いて頂きましてもワタクシの効用には影響しないので、立場的にはニュートラルです。ただおっしゃっている論点は昔からよく耳にするもので、ぼくの高校の倫理社会の先生は「アメリカ人がハンバーガーを(年か月かあたり)一個へらせばその分で飢餓はなくなる」というような言い方をしていました。

で、ぼくの認識では、いま飢餓の起きているところは純粋な食料不足や先進国がハンバーガー喰いたさに後進国を収奪しているのが原因ではなく、ほとんど内戦だの近視眼的政府の悪しき価格統制や商人いじめなんかでその国内の流通が機能していないせいで起きるのだ、というものです。だから貴殿の分析がどこまでレレレバントなのかというのがすこーし疑問です。が、それは今後整理されるものと思って期待しております。

劇場管理人のコメント劇場管理人のコメント 2006/11/16 19:12 一般人が行う経済学批判の作法
http://fromdusktildawn.g.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20061112/1163306453

? 2006/11/16 19:18 >内戦だの近視眼的政府の悪しき価格統制
>や商人いじめなんかでその国内の流通が
>機能していないせい
じゃあ、日本の経済成長も関係ないんだね。
なるほど

飢餓国民飢餓国民 2006/11/16 19:24
日本に経済成長して頂きましても、我々の国内流通には影響しないので、立場的にはニュートラルです

andalusiaandalusia 2006/11/16 23:11 先生!所得税を課した状態の点Bも、(曲線上にはないですが)パレート効率的であると思うのですが!

地方地方 2006/11/17 00:10 Dan氏が経済のパイは、これからは「大きさ」志向より「分配」志向だと書いていました。
いくらなんでもそれは難じておくべきではないかと・・・

平等な分配を達成するための努力は常に必要ですが、その完成は非現実的。分配に力を入れるよりは、パイを大きくすることに注力した方が、かえって貧乏人の厚生水準を引き上げる。

この理解は間違っているんでしょうか?

地紺地紺 2006/11/17 02:29 山形オワタw

suikyojinsuikyojin 2006/11/17 05:42 完全競争市場では、「買い手は売り手を区別する必要がない」のではなくて、「買い手は売り手を区別した行動をとらない」ではないでしょうか。「区別する必要がない」と言うと、区別した行動をとってもかまわないようにとれます。

osakaecoosakaeco 2006/11/17 13:54 地方さん。私は「分配に力を入れるよりは、パイを大きくすることに注力した方が、かえって貧乏人の厚生水準を引き上げる」というのは、理論的裏付けや実証的裏付けが必要な主張であり、国民所得の定義の理解とは独立した主張だといったつもりです。その主張が正しいか、まちがっているかは、(すでに専門家のあいだで結論がでているのかもしれませんが)私はまだ勉強中なのです。

osakaecoosakaeco 2006/11/17 14:05 suikyojinさん。私のほうからは、いやみなコメントしか投げたことないのにお越しいただいて感謝です。

suikyojinさんに新古典派になっていただく気はさらさらないので(というか、発想に関してはsuikyojinさんの議論は共感出来る部分が多いです)、理論としてのただしい、あやまりではなく、モデルのセッティングの意図としては、完全競争で置いている、商品の品質が均等である仮定は買い手、売り手の区別が無意味になる条件をつくるために置いていると思います。そして、そのもとでは買い手、売り手を区別しない行動は合理的となります。(あくまで新古典派のモデルの中でです。)もちろん、区別する行動をとるモデルは構築可能です。根拠のあまりない推測ですが、たぶん、そのモデルでも均衡はかわらないように思います。

osakaecoosakaeco 2006/11/17 14:15 andalusiaさん。パレート改善とパレート効率を混同していないでしょうか。図のBはOにくらべれ、パレート優位ですが、Bをパレート改善可能な領域が存在しているため、パレート効率的ではありません。

それとも、機会集合を技術的に達成しうる集合でなく、さまざまの政策を混みで実現可能な集合とみなしているのでしょうか。(これは技術的に機会集合を仮定するより政策的な意味ではこのましいですが、実現可能な集合をすべて列挙する必要があり、たぶん多くの分析ではつかいものになりません。)

もしくは、所得税の話をしてので、プリンシパル・エージェントなどの情報の経済学がらみセカンド・ベスト均衡あたりを念頭においているのでしょうか。

もしかしたら、私がとんでもない初歩的な勘違いをしているかもしれません。上のいずれでもなければご教示ください。

osakaecoosakaeco 2006/11/17 14:22 山形さま。私と山形さんのやりとりより、興味深い問題の指摘がありますので、?さん、飢餓国民さんがらみの議論がどのように進行するかしばらく放置させていただきます。

ただ、山形さんが上のコメントで書かれたことは、ご自身のブログ上での議論との整合性はおいておいて、山形さんの以前からされていた議論とは一貫していると感じています。

47th47th 2006/11/17 15:27 私の疑問に丁寧な形でお付き合い頂きありがとうございます。お礼を申し上げるのが遅くなり申し訳ありませんでした。
鶏肉と牛肉のお話は、「他の条件が一定なままでそれを達成できれば」そうなるが、現実にはそう簡単にいっていないという部分に、これから入っていくのではないかと思いワクワクしています。
私も勉強し始めたばかりですが、貧困の要因は非常に多元的な感じがしており、国や地域毎に異なる要因の比重は違い、単一の解決策の適用は難しいなぁという印象を持っています。
その中で、敢えて、国内の制度問題と先進国経済との交渉形態の関係を考えてみると、reasonable minimumすらが保障されないという意味での「貧困」の蔓延には国内レベルでの制度問題が大きな要因となっているものの、それを脱した後でのより豊かな生活へのキャッチアップのペースを考える上では先進国経済との絡みが重要になっているのではないか、とか、国内レベルでの制度移行がスムーズにいくか(あるいはその安定性)という観点では先進国経済との交渉のあり方がやはり重要になるのではないか、とか。
何れにせよ、教養レベル経済学の人間にも直観的に分かるような図を使った分かりやすい説明は非常にありがたいです。
この素人にも分かる形というところが、結構労力を使う部分かと思いますが、どうかご無理のない範囲でこれからもお願いいたします。
長文失礼いたしました。

通報通報 2006/11/19 11:27 来てるよ、来てるよw
http://d.hatena.ne.jp/raistlin_majere/20061118

>構想か妄想かの中にあった弾氏の一言が、
>経済成長に関しての一連の流れを作り、
>経済学を学んだものから見れば明らかな
>誤用だと言う事を非難する、経済成長と
>言う言葉の使い方論に摩り替わっていま
>すよね。

>アマルティア・センが引用されたのと同じ
>エントリーで、経済学的に正しい用法を使
>わなかった事を錦の御旗に、strawmanで弾
>氏の人格を貶すような行為をしているのを
>知ったら、センはどんな気分になるんでし
>ょう?

osakaecoosakaeco 2006/11/20 18:43 通報さま

いつも情報提供ありがとうございます。こちらのエントリもあちこちに通報していただいて大変感謝してます。トラックバックがうまくいかないとことがあるのですが、通報さんのおかげで助かっております。