支援3日目<石巻市立女子高校での診療、引き継ぎへ>(2011/04/14)

支援3日目<石巻市立女子高校での診療、引き継ぎへ>
再び南三陸町である。前日に続き、本日は看護師さんたちを連れてきた。五十嵐先生からぜひ見ておいたほうがいいというアドバイスがあった。写真の左奥には、旧林野庁気仙沼営林署戸倉森林事務所がある。私の実父のかつての職場だった。母によれば、後任者は3/11勤務中に被災し亡くなったとのことだった。


どこまでも平らな更地が続いている。かつては田畑や家屋が存在する典型的な田舎の風景だった。


志津川病院を撮影した。正面玄関にはGSの鉄骨が激突し、スクラップ化した車が玄関前で側転している。


志津川病院の向かい側にあるサンポート。ここは最上階まで津波をかぶったようだ。屋上から養殖イカダの網とブイがぶら下がっている。


志津川病院の玄関に激突した鉄骨の持ち主だと思われる。壁という壁はまったくない。


チリ地震津波のときには2.8mまで到達したようだが、今回はそれをはるかに上回っていることは間違いない。


最終日の集合写真。撮影者は上越チームの薬剤師さん。


「私のカメラで撮って!」「私のケータイでも撮って!」と次から次へと差し出され、撮影者もタジタジであった。


撮影終了後、それぞれの目的地へ向かう。上越チームは住吉小へ。下越チームは市女高へ。五十嵐先生と水澤先生は、兵庫県医師会との打合せがあり石巻中へ。


市女高で受付開始前に、往診に向かう。


9:30に受付を開始したが、しばらく誰も来ないので記念撮影。この直後、受診希望者が続々と押し寄せ、支援中の最大数となった。


後任者への引き継ぎを待っている。
初日に我々は、予定よりも早く到着したため前任者の到着を待って引き継ぎを受けた。後任者には同じ思いをさせないようにと早めに赤十字病院へ戻ったが、後任者のオリエンテーションが終わるのを待つことになった。


五十嵐院長より概況報告を行い、各部門ごとに申し送りをした。後任者は我々よりも大所帯だったので、もてあますのではないか?と心配になった。