panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

楽園考2------何がどう似ているのか

  飛行機は小さかった。AirAsia。ローコスト何とかですね。安いが、長い足は窮屈である。ほほほ。バンコクスワンナプーム空港は白人ばかりで、愉快ではない。朝からビールを飲んでいる。だから飲めると思って、チェンマイで昼に頼んでみたのである。しかし売るな外人に。1時間でもうチェンマイ。中国系おばさんの肩越しに機体の窓を覗いて、デジャヴュというか悪い予感が走る。いつか来た道、懐かしい。まずぐね?。この世の楽園を既視感をもって眺めるのは?。懐かしい理由はすぐ分かった。なだらかな山並みがある場所そっくりなのだ。チェンマイは大きな盆地である。周囲のダラーとした山の連なりは、つまりは七飯(ななえ)そのものだったのである。
  七飯とは、函館近郊の農村地帯である。今はベッドタウンでもある。国道5号線という基幹道路を札幌にむかって進むと右に見える一帯が七飯で、函館まで飛ばせば20分くらい。なかでもトンネル一本越えるともう大沼国定公園に近いあたりに、馬や牛を放牧するなだらかな高原がある。シロタエと呼ばれていて、最近ではそこから函館と函館山の夜景を眺め返す裏夜景が人気である。チェンマイ盆地はそこのシルエットと酷似していた。、、、正直気落ちし、ホテルに着くとただちに寺巡りに出た。そして15分後、決定的に、ここが函館だと思い知らされるに至ったのである。
  初日は暑かった。というか暑い時間帯に歩くことになった。ホテルは旧市街から少し東にはずれている。メリディアンなど高いホテルが目白押しで、有名なナイトバザールは目の前。この辺がホテルのメッカなのだ。そこから旧市街に歩く。ターペー通りとロイ・クロー通りが南北の2大通りで、我輩は南のロイ・クローで行く。12、3分でお堀に着く。チェンマイはもとは要塞都市で、正方形に堀がめぐらしてある。そのお堀を見た瞬間、これは五稜郭公園のお堀だと直感した。毎夏、大学生のころはボートで一周していたあの星型の堀。既に私の知的外堀は埋められていた。郊外は七飯だと。しかし、内堀というか、まさか旧市街の端に函館の端たる五稜郭を見るとは。想像だにしなかった。
  ところで旧市街に徒歩で入るのは、大変危険である。バンコクでも、これほど無軌道に走るものが走ってくるところは珍しい。結局、2分は道を渡れない。ようやく同じく無軌道な白人の影になって、お堀に達する。死なばもろとも。特攻精神。間違っても特高ではない。その間5メートル。長い忍耐であった。もうここでヘトヘトになっていた我輩は、いまそこにある食堂を発見する。ならば入らねば。かくて前回お伝えしたハイネケン(ワタナベケンではない)・アンド・カオソーイと相成るのである。で、ふと何気なく後ろを振り返ると、3度目の愕然。そこは函館市内なのであった。有名な自由市場をはさんで向かいの新川町の小さな路地から見るのと寸分変わらない風景がそこにあったのである。、、、かくして本丸も陥落してしまった
  幼年期の記憶(七飯は我輩の避暑地であった)、大学のボートの記憶、そして最後に高校の買い食いの記憶。つまり、チェンマイを見て歩き休む。その結果、さまざまな記憶の層が、ナウシカの虫たちのように、一挙に活性化し動員されるのであった。つまり私というものを構成する歴史的な要素が、順に外、内、本丸と、すべて一つの方向をむいて指差し、つぶやくのである。大原麗子よりも小さな声でじわじわと。ここは函館なのだ、と。ああ、無情!。次回が結論である。
  ロイ・クローがぶつかるお堀とチェンマイの新川町。