panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

夕暮れを知らずに幾星霜(いくせいそう)


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  今日は電車で仕事にいったので疲れ果てた。昨日まで順調にきたのだが、今週は先週とちがって今日で急激に疲労をお迎えしてしまった。いろいろ事情はあるのだが、万歩計は帰宅したドアを開けるときに1万歩をこえていた。うーん。
  さて車で帰宅するのは夜だが、今日は夕暮れ時だった。途中で中古CDを買い、珈琲豆を買い買いしてきた。夕暮れどきの都会を歩くのは実は久しぶり。この薄暮のうっすらと急ぎ足の時間がいいものだということに初めて気づいた。
  思えば1995年1月17日の阪神大震災のときに車で刻々と事態の急変をつたえるラジオを聴きながら職場にきたのを覚えているから、明らかにあのころから車通勤だったわけだ。アメリカから戻ったのが93年で、95年である。二十年以上、我輩の車社会化はつづいているわけである。長いなあ。
  今朝届いたマランツギーゼキングの昔のドビュッシーを聴く。古い録音だが、音質が前のよりクリアなのでこのCDも聴ける。モニク・アースに頼らなくてもよさそうである。そういえばシックスティーンとシュライアーの演奏するミサ曲ロ短調(バッハ)を買ってきた。二種類ということである。今夜は聴き比べで体調の復活をねらうことにする。真夜中にはクレイジー・ジャーニーもある。
  実は8時台にもテレビは和風総本家とかケンミンショーとかいろいろあって、居間でごろんとなる誘惑は強い。テレビはここ数年、かなりためになるか、日本をよく教えてくれる番組に満ちている。黄金期ではないのか。誰も云っていないし、けなすのが普通だと思うが、決して悪くない。BSもあるので、ちょっと知性のある人間には宝物みたいなものなんだがなあ。
  写真は部族関係のもの。若人は部族社会のなんたるかについてイメージできないのである。これだよこれ。