「靖国問題」について

靖国問題」について、というより日中戦争から第二次世界大戦の日本軍については少し触れたことがあったと思う。今回は私なりに「靖国問題」をまとめてみる。

満州事件よりこの二つの戦争の終結までの一連の流れにおいて日本を中心として「昭和戦争」と読売新聞が最近名付けていて色々と思うこともあるのだが

端的に言うと「靖国問題」はイデオロギーとしての問題と政治・外交としての問題が意図的に混在されているのだと考える。

まず、イデオロギーとしての問題というのは、靖国神社自体が軍国主義国家主義というイデオロギーの象徴であり、その中心といえる存在である。靖国神社のHPにもしっかりその点が言及されているので説明は不要であろう。

そのため、「靖国神社」を参拝することはそうしたイデオロギーに賛同しているという批判も一定の説得力を有していると言える。しかし、それに対する答えとしての「戦没者の方々への追悼」という点がこうしたイデオロギーとしての問題を隠しているのである。

靖国神社」は日中戦争および太平洋戦争(「靖国神社」は大東亜戦争と表記)における犠牲者の最大の追悼施設である。そのため、イデオロギーへの賛同という点を強調せず、「戦没者の方々への追悼」という参拝理由が日本国民のみならず、中・韓を中心とする参拝反対諸国以外への他国に対しても一定の説得力を有する一因となっている。

戦没者の方々への追悼」という理由について、参拝反対側自体も公式的には異論を唱えることはなく、それ故、「靖国問題」がA級戦犯の合祀という問題に矮小化しているのである。


こうした点より一般的に「靖国問題」は政治・外交問題という側面が強くなっていく。自民党総裁選におけるこの問題に対するスタンスの違いのアピールだけでなく、中国の参拝反対の姿勢に対する台湾(国民党と民進党の対立)やベトナムの批判等はその典型ともいえる。


靖国問題」は様々な要素を持ちえながら、それに乗じ流れをそれぞれの側に通すため情報・意見が乱れ飛んでいる。特にマスコミが小出しにしか情報を出さないイデオロギーとしての問題である。

上述した「戦没者の方々への追悼」は一定の説得力を有しているという点について、何故「一定」しか有さないのかという点である。

それは「靖国神社」がイデオロギーであることの根拠でもあるが、「靖国神社」に祀られている戦没者の方々は軍人・軍属、またはそれに類する方々のみであるという点である。基本的に民間人、例えば、原爆の被害に遭われた方々は含まれていないという点である。

逆に言えば、「戦没者の方々への追悼」を参拝理由に挙げ、千鳥ヶ淵戦没者墓苑や広島・長崎の平和記念式典、ましてや全国戦没者追悼式に見向きもしない方は戦没者の方々はダシに使ったイデオロギーの宣伝とも言える。

小泉首相の参拝について

上記よりの続きとなるが、小泉首相の今回の参拝に関してはこの点はクリアしているといえる。内閣総理大臣という役職ゆえ全ての追悼式典および千鳥ヶ淵戦没者墓苑にも同日参拝をしている。イデオロギーにおいても同日の全国戦没者追悼式においてこれまでの政府の公式見解を踏襲する発言を行っている。小泉首相自体が特殊な存在であるため、参拝することがイデオロギーの賛同に繋がるという批判自体が理解出来ないかもしれないが。

ただ、小泉首相が「靖国神社」を政治的・外交的に利用しているという点は抑えなければいけない。総裁選における参拝の公約や中・韓を「抵抗勢力」と同様の立場にして日本国民にアピールし支持を広げているということは計算の上であろう。