計画停電…、真っ暗な町…、

キャンドルの灯のもとで感じたことをつづります。

まず思い出したのが、忌野清志郎さんの「サマータイムブルース」。
当時学生だった私は東芝EMIから発売できなかったアルバム「COVERS」に共感し、反原発の本を読みあさったものです。
そうなんです。あの頃から原発の危険性はつよく訴えられていたんです。
あのときにもっと考えられていたら…と悔やまれます。
当時、朝まで生テレビで、
原発推進派の学者や電力会社、保守系議員や電力行政のみなさんたちは、
「何重にも安全装置が施されているから大丈夫」
「日本の原発は安全です」と言われていました。
その皆さんは、この事態を「想定外」だと言い逃れることはできないでしょう。
過信があったといわざるをえません。その責任はあまりにも大きいと思います。


とはいえ、現在、事態は進行し深刻化しています。
政府や東電のみなさんは、互いに責任を転嫁するのではなく叡智を結集して、
人命を第一に考え、すみやかに必要な情報を公開し、
被害を最小限にとどめられるようがんばってください。


さて自分自身のことを考えると、
この数十年間、あたりまえのように電気を使い続けてきました。
原発の恐怖を頭では理解していても、特になにかすることなく、
気がついたときには日本の電力の30%を
原子力に負う生活に慣らされていました。


沖縄在住の越智啓子さんがメッセージを出されています。
読んでみて改めて気づかされました。
私ははっきりいって原発は嫌いですが、
考えてみれば福島第一原発の炉は40年にわたってせっせと電気を送り続けていたのです。
越智さんは「『今まで本当にありがとう!深く感謝しています』と抱きしめるイメージで原子炉をつつみましょう」と呼びかけています。
私もまずは原子炉に「ありがとう。君は十分がんばったよ」と感謝の気持ちを送りたいと思います。そして炉心には「もうあつくならないでいいんだよ。クールダウンしてゆっくりやすんでください」とよびかけたいと思います。


今日の状況をみていて、『未来少年コナン』と『風の谷のナウシカ』が頭をよぎりました。
両作品とも宮崎駿監督作品で、自然と人類との関係を考える上で示唆にとんだ作品です。
コナンでは科学都市インダストリアが地震と大津波で海に沈みます、ナウシカでは巨大なオームの群れに対して、人類の科学がつくりだした最終兵器=巨神兵は敗れさります。


そしてナウシカではシャーマン的存在の老女が「大気が怒りに満ちている」と語るシーンがありますが、ナウシカの無償の愛が、その怒りを静め、奇跡を起こします。


いま都会では品薄になった商品に我先に我先に人がむらがり、計画停電交通機関の混乱で多くの人が苛ついています。確かに情報が混乱し、政府の対策が後手後手になり…、イライラしたくなるのは当然でしょう。しかし、いま大切なのは被災地域の方々の救援です。大気を怒りで満してはなりせん。こんなときだからこそ一呼吸して、落ち着いて人のつながりを大切に行動したいものです。