キャンドルナイト『希望のあかり』に行ってきました
はるか上をいく演奏
夕方は、福島県主催のキャンドルナイト『希望のあかり』に行ってきました。福島県の各地で行われていますが、相双地区は原町での開催。ぴあクリニックにいらしたこともある伏見さんが原町のお住まいなので、お宅に帰る途中に連れて行ってもらいました。図々しいお願いだったのですが、伏見さん、ありがとうございました。イオンのフードコートを会場にしての演奏などが行われていたようです。
私たちが到着したときは原町第一中学校の吹奏楽部が演奏していました。
うまい・・・上手・・・びっくりしました。
それもそのはず、全国大会で金賞とっちゃったりするまさに名門だったのですね!!
こういう情報って大切だと思うんです。
被災地=かわいそう
そういう大雑把なものではなくて、
- 被災地とされる南相馬市にある原町第一中学校の吹奏楽部は全国トップレベルの演奏をする
- 原町にも浜松と同じような(規模は小さいですが)イオンモールがあって、そこに小高区から避難してきた仮設の人たちがたくさん買いに来ている
- 7月に行われる相馬野馬追というイベントは国指定の重要無形民俗文化財
・・・そんなことがらの積み重なりのなかで被災地を捉え直してみると、また違ったイメージが湧いてくるのではないかと思うのです。
キャンドルに聴く
そして、演奏などが行われたすぐ外ではキャンドルが並べられていました。
キャンドルにはこのイベントに参加された方の思いがかかれています。
みなさんの思いを聴いてください
会場となったイオンのすぐ裏に原発から20kmほどのところにある南相馬市小高区から避難してきた仮設住宅があるので、小高への思いが特に多くみられました。→最新の避難区域情報はこちらからみられます。
虹がかかりますように
せっかく仕事をお休みしてこうやって南相馬にいるのです。
訪問先の方でも、福島のこと、被災地のことを心配してくれていました。
「虹」に明るい未来への祈りをこめて、虹の家のみなさんの思いをこめて、私もキャンドルにかきました。
相馬の被災についての相馬市長の思い
ほぼ日にアップされていたので紹介しておきます。
http://www.1101.com/touhoku_chief/c1/
「あの時」
相双地域の精神保健福祉担当者となごみのアウトリーチ担当者の会議に同席をしていたときにサイレンが鳴り響きました。待ち構えてました!という感じの人はいなかったけれども、さりとて驚く人ももちろんおらず、みんなすっと立って黙祷を始めました。
2014年3月11日14時46分。
3年前も、こんなふうに日常の営みがごく普通に起こっていたのだ。
それが突然の地震、その後の津波とさらには福島第一原発事故によって、その日常がことごとく損なわれてしまったのだ・・・。
そのときその事務所には被災した方ばかりがいらしたからでしょうか。
なんというか、その14時45分と46分を分かつ大きな溝のようなものを、リアルに感じたような気がします。
サイレンは1分ほど鳴ったのでしょう。音は唐突なまでにすっと消えました。
しかし、思いや記憶は消えません。
「長いサイレンだったね」
「でも、あのときの揺れはもっと長かったよね」
「あれから数日間、うちの地域は停電で、情報が入ってこなくて・・・・」
そのあとしばらくはみなさんの「あの時」の話となりました。