2012-01-29
「私小説」ならぬ「私演劇」ってこういうことかも。――もうすぐはこぶね新作、はじまります。
公演情報 | |
さてさて、2月10日からペニノの新作、『誰も知らない貴方の部屋』がはじまります。
はこぶね、という劇団アトリエ、元タニノの部屋、は現在稽古&舞台美術づくりの真っ最中です。
こんなふうに改造して、
古いエアコンもはぎとって、
塗り塗りして。
実はこれ、年末の様子。舞台美術づくりは今、佳境を迎えています。
ハイ、佳境です。連日、気の遠くなる作業がつづきましたが、いよいよ完成が近づいてきました。
お見せするのが楽しみです。幕があいた瞬間の、驚いた表情を陰からこっそり見たい!
「私演劇」のありうるかたち。
ところで、この元タニノの部屋で作業をしていて、ふと思ったんですが、これは究極の「私演劇」なんじゃないかということです。
文学の「私小説」みたいに、「私演劇」というものがあったとしたら、今回のはこぶね公演って、それの究極形じゃないかな、と。
って、「私演劇」というワードは、私のオリジナルではなくて、こちらの本で定義されています。
- 作者: 内野儀
- 出版社/メーカー: 勁草書房
- 発売日: 1996/10
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この本では、80年代演劇が「私演劇」として定義されて議論がすすむのですが、おもしろいのは、「私演劇」っていうのが言葉としてムジュンしたものだ、っていう指摘がされていることです。
小説の場合、「私」という存在と、その内面を「書く」という行為はすんなり結びつきます。でも、演劇の場合、そもそも複数人数が関わらざるをえないし、たとえ一人でぜんぶつくったとしても、「上演」のためにはどうしたって「私じゃないもの」が入り込んじゃう。だから、そもそも「私演劇」という言葉には、ムジュンがある、と。
って考えたとき、元タニノの部屋っていう、そもそも空間が「私一色」であること、おまけに、作品の中身が、当時タニノが住んでいたころの妄念から出来上がっていること、この2点がそろっている今作って、「私」とそれを媒介するものが密に結びついていて、けっこう「私演劇」を地でいってるんじゃないか、なーんて思えるのです。
家のなかでの上演、ということ自体はそう珍しいことでもないと思うのですが、ここまで「私一色」な舞台は滅多にないんじゃないんですかねー。
そういう意味での「私演劇」。この言葉と、今作の『誰も知らない貴方の部屋』というタイトルも、どこか共鳴してる! なーんて思うのでした。
ま、ともかく、とにかく舞台美術に役者さんの変態っぷりで驚かせたい! ひゃー見てよかった、って思ってもらいたい! と思って毎日やっておりますので、どうぞお楽しみに。
(吉)
2011-12-07
クドカン『11人もいる!』はマヂで日本を元気にする作品だと思うぜよ・・・!!
雑記 | |
■まずキャスティングのコンセプトがヤバい!
宮藤官九郎さん脚本のドラマ『11人もいる!』がとても面白いです。
お話の展開とか人物のキャラ作りとかはもちろんなのですが、最初にうわーおもしろいなと思ったのは「キャスティングのコンセプト」です。
って言っても、そのコンセプトはどこかに書いてあるわけではなく、私が勝手に想像しただけなんですが、そのコンセプトっていうのは、
「みんながこの人って、実際はこういう人なんだろうなー、と思ってる通りにキャスティングする」
というものです。
たぶん、キャスティングについての打ち合わせの最中にこういう話が出てきたんじゃないか、中央にペットボトルのお茶とお菓子が置いてある部屋のなかでそんな話で盛り上がったんじゃないか、ってつい思っちゃうのです。
はてさて、どういうことでしょか。
■「実際のイメージ」と「役柄」の関係がちょう楽しい!
この『11人もいる!』は、大家族もののドラマなのですが、たとえば、パパの田辺誠一さん。
田辺さんといえば、もともとはモデル出身の繊細で中性的なかっこよさのある役者さん、というイメージがあったんじゃないでしょうか。
ただ、田辺さんがtwitterを始めてから、そのイメージは結構がらっと変わりました。
こんなふうに(【画伯】俳優・田辺誠一「イラストの犬種教えて!」)まとめられているように、みんな「本当は、天然のセンスがある人だったのかー!」と思ったはず。
で、今回の作品では、見事にそんな「天然のセンス」が炸裂する貧乏大家族のパパ役(職業は隠れた天才カメラマン)を演じてるのですね。だから、見てると「田辺誠一、結構素じゃないのかこれwww」って思っちゃうのです。
あるいは、亡くなったママ役を演じる広末涼子さん。
「ヒロスエ」といえば、ポケベルのCMでブレークして以来の清純派の国民的アイドル、というイメージがあったでしょうか。
でも、実は「出来ちゃった婚」を繰り返した奔放な恋多き女だった、と。みんな「うわー、ヒロスエ、そうだったのかー!」って思ったはずです。
そして、この『11人もいる!』で演じるのは、「恋愛体質」で「酒好き」の「元ストリッパー」で「大家族のママ」。もう、「実際はこうなんだろうなー」という気持ちに見事に応えるキャスティングです。
中性的すぎて女の子みたいな少年だった、神木さん。「このコ、ゲイなんだろか・・・?」なんて思った人がたくさんいたはず。
で、『11人もいる!』の第一話から、神木さん演じる長男がいきなり「ゲイバー」で働いたりするんですね。「うおー、いいのかそれー!」って見てる方は思っちゃうのです。(ちなみに、その後長男は、バイト先のコとできちゃったりします)
あと、末っ子を演じる加藤清史郎くん。
かわいらしい「こども店長」で一気に人気者にになった清史郎くんですが、「子役で売れちゃって、実は生意気なんじゃないの?」と思ってる人も多いはず。
ドラマのなかでは、そういうみんなの気持ちをうまーく利用して、「ヒロスエのおっぱいを揉みたがる、生意気な末っ子」というキャスティングをされているのですね。だから、見ている方は「やっぱそうかー! こども店長だって、揉みたいよなー! くー!」とか興奮しちゃうわけですね。
他にも、光浦靖子さんがまんま地味で器用な新しいママを演じたり、湘南乃風のRED RICEさんがモロにヤンキーを演じたり。
とにかく、実際のイメージと役柄の関係が、見ていてものすごく面白いのです。
(って、クドカンのドラマって、わりとそういうとこ多いんでしたっけ!?)
■キャスティングのコンセプトとドラマのテーマ
では、なんでこんなキャスティングのコンセプトでやったんでしょ、って考えてみると、この、「実際この役者さんって、こんな感じだよね」っていうのが、「実際家族って、こんな感じだよね」っていうドラマのテーマとパラレルになってるんですね。
いま、さらっと「実際家族って、こんな感じだよね」っていうのがドラマのテーマだと言い切りましたが、えっと、言い切ります。「実際家族って、こんな感じだよね〜」というのがテーマです。
ドラマ内に挿入される相田みつをパロディ風の「家族なんです」の歌をとってもそうです。
助けあったり
励まし合ったり
しなくていい
それが・・・・・
家族なんです
つい、「たしかに、助け合ったり、励まし合ったり、しないよね〜w」と思ってまう。歌だから余計に歌ってしまう。実際、上の動画も、視聴者が真似したものですw
それから、この「実際家族って、こんな感じだよね〜」というテーマはドラマのメタドラマ的構造にも表れています。
この『11人もいる!』がいわゆる「大家族モノ」だって書きましたが、ドラマのなかでもみんなで「ダイナマイトパパ」っていう「大家族モノ」の番組を見てるんですね。
これ、「番組内番組」なんですが、もろに同じテレビ朝日でやっている「痛快!ビッグダディ」のパロディになっているのです。
皆川猿時さん演じるダイナマイトパパが撮影外だとすごくイヤな奴だったりして、「ドキュメンタリーチックな感動大家族もの」である「ビッグダディ」の裏側を露骨に描いていて、「やっぱり、家族がそんなわけないよな〜」って思っちゃう仕掛けになっています。
上の歌みたいに、「ビッグダディ」とちがって、「助け合ったり励まし合ったりしなくていい、それが家族なんです」、ということに本当に共感しちゃうわけです。*1
■こんな家族なら日本はマヂ元気。
では、そもそもなんで「家族もの」なのでしょか。
最近、鈴木謙介さんの「SQ “かかわり”の知能指数」を読んで、そこに書いてあったのですが、311の震災以後「家族旅行のパッケージ」がぐっと売れているそうなんですね。
- 作者: 鈴木謙介
- 出版社/メーカー: ディスカヴァー・トゥエンティワン
- 発売日: 2011/11/16
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ようは、「まずは家族の絆を大事にしよう」と考えている人が増えているそうなんです。
そういう状況の中でこの『11人もいる!』を捉えると、この作品は「絆」という言葉から想像されやすい「助け合う」「励まし合う」といった家族のあり方を巧みに牽制して、みんなが「こうだよね」って何となく思ってる「理想の家族像」を楽しく示している作品、と言えるんじゃないでしょうか。
貧乏大家族モノが「経済の土台」としての共同体の家族の役割を強調するのに対して、この『11人もいる!』の家族は、「ふっと落ち着ける場所」になっている。「家族っていいよね、でも肩肘はらずにゆるくいこうよ」、そんなメッセージになっている。
だから、ものすごく飛躍してものすごく力んで言うと、『11人もいる!』は「マヂで日本を元気にする作品」なんじゃないかと、思うのっ、ですっ! キリッ!!
えっとえっと、
それから『11人もいる!』っていう萩尾望都さんの名作をパロったタイトルも、こういうテーマをよく表していると思います。
毎回ドラマのなかで「家族会議」が開かれるのですが、おじさんだったり先生だったり家族以外の人間が平気で参加するので、家族の人数である「10人」よりもいつも多くなるんですね。
そういう家族としての境界のゆるさ、オープンさも、この311以降の日本での「楽しいサバイバル」のあり方を超明快に示している。そんな気がします。すっごくします。
はい、ようするに、
やっぱクドカンすげーよ! 毎回楽しみでしかたないよ! ていうか明日だよ!
というわけで、明日は第8話。*2 マヂでおすすめですぜ!
(吉)
*1:ちなみに、yahoo!知恵袋にはこんな質問もあがっています。「『11人もいる!』で出てくるダイナマイトパパあれってビッグダディをパロってますよね?」
*2:しまった! 焦った! 金曜日だから明後日でした!
2011-10-23
次回作のはこぶね公演のアレコレ、大枠が決まりましたYO!
お知らせ | |
みなさまいかがおすごしでしょうか。
私は最近タニノに教えてもらったミャンマーふりかけがおいしくて仕方ないです。食べるラー油の次はこれじゃーって勝手に盛り上がっています。マヂおすすめです。ふりかけの未来はミャンマーにアリです。
さてさて、そんなさなかではありますが、ペニノの次回作の詳細がいよいよ決まってきました!
『誰も知らない貴方の部屋』
作・演出:タニノクロウ
上演期間:2012年2月中旬〜
チケット発売:12月〜予定
実に4年ぶりの劇団アトリエ「はこぶね」公演です。劇団アトリエといっても、もとはマンションの一室。というか、タニノのかつての住処。そこを壁ぶち抜いて思いっきり改造してつくりあげたのがこの「はこぶね」です。
ちなみに「はこぶね」という名前は、維新派の松本雄吉さんにつけていただきました。くわしい由来は知らないんですが、マンションの一室が現代の「はこぶね」となる感覚。なんだか情報の洪水のなかを漂う「パケット」のような感じがして好きです。
■はじまりの『小さなリンボのレストラン』
このはこぶね公演、今回で三回目となるんですね。
はじめは、『小さなリンボのレストラン』。
タニノの部屋を跡形もなくぶち壊して砂やら剥製やらを大量に入れこんで青山のマンションにデタラメな異空間をつくりあげた記念すべき第一作。劇的ビフォーアフターに紹介してもらいたいぐらいの改造ぶりです。
こちらはそれを映像化したものです。毎回出演中の島田さん、瀬口さんがなんだかまだあどけなく感じちゃいます。
このときはまだ私も一観客として観ていましたが、幕が開いた瞬間の「ひゃー、よくここまで作ったね・・・」と腰がへなへなとなるような驚きや、役者さんが登場してしゃべりはじめたときの「わっ、この意味不明な台詞ならしゃべりたい!」といった素直な共感はなかなかに忘れがたいものがあります。
■海を越えた『苛々する大人の絵本』
そして二作目の『苛々する大人の絵本』。
このブログのトップの写真にもなっていますが、今やペニノの代表作のひとつといっていいかもしれません。性の妄想にとらわれた受験生が、脈絡なく豚と羊の住む不思議な家に迷い込む、「何のこっちゃオンパレード」な作品です。床下につくりこんだジオラマは、見えた瞬間思わずひゃーってなります。
この作品には島田さん瀬口さんに加えて山田伊久磨さんに参加してもらって、その変態的というか怪人的な魅力が炸裂していました。途中からはマメ山田さんにも参加してもらっています!
(以上すべて写真はPierre BORASCIさんに撮っていただきました)
ちなみに、ドイツにスイスにオランダ、ヨーロッパでも好評を博して、ドイツの新聞からは「クローネンバーグの『裸のランチ』みたい」だなんて言ってもらいました。通算の上演回数を数えたらもしかしたら100回ぐらいいってるかもしれません。今年も11月にドイツとベルギーで上演予定で、実はいま稽古の真っ最中だったりします。
■どうなるの『誰も知らない貴方の部屋』
では、次の『誰も知らない貴方の部屋』はどうなるんでしょう。*1
今回、前回の役者さんにくわえて『星影のジュニア』や前作の『エクスターズ』に出演してもらった飯田一期さんに参加してもらいます。あの小さな空間に、あの巨体。あの男らしさとぐりりとした瞳。タニノがどう演出するのかが楽しみです。きっとステキな変態になるんでしょうね。
まだまだ全貌は見えませんが、みんながどひゃーってなる空間になることでしょう。そして、今は稽古場になってるはこぶねに舞台をつくる作業がどうぇーってなるぐらい大変なんでしょう・・・。
だって今のはこぶね、こんなにまっさらなんですもの。
ひえーーーっ!! なんとなく今年のクリスマスははこぶねで作業してそうな気がして怖い!!
と、い、うわけで、もうちょい先の話です、が、皆さまどうぞお楽しみに!
(吉)
*1:10/23 22:40追記です。
タニノがタイトルの由来についてこんなこと言ってました。
2011-09-20
よく考えるとスーパーマリオの「1UPシステム」が超ヤバい件。
雑記 | |
■ヤツは人気者。
スーパーマリオというゲームがあります。超有名な横スクロールのアレです。ダッシュして、ぴょんぴょん飛んで、土管に入り込んで、海を泳いで、火の玉をよけて、亀の化け物からお騒がせプリンセスを助け出す。そんなスーパーな配管工が主人公のゲームです。
このマリオ、すごい人気者で、たくさんの人が愛情たっぷりのコンテンツをいくつもつくっています。
演劇仕立てにしてみたり。
バスのなかでやってみたり。
激ムズいぢわるゲームに改造したり。
全自動音楽ゲームに改造したり。
HTML5で無限生成されるゲームにしてみたり。
最近では、ついに紙でプレイするゲームになったり。
こんなふうにこのマリオ、とっても人気者なんですが、彼のことをぼんやりと考えていてふと思ったことがありました。
それは、「1UP」というシステムについてです。
コインを100枚ためるか、1UPキノコをとるか、もしくは10000ポイント稼ぐか。そうすると1UPして、マリオの「残数」が増える、という例のシステムです。
ん、あ、ああれ? となったわけです。
やだこれ一体どんなシステムなの、という話です。
えよく考えると、わかんないとこだらけだぞこれ。
というわけでちょっと考えてみました。
■「残数」ってなんだろう。
そもそも「残数」が増える、というのが不思議です。もしかしたら、マリオは「量産型ザク」のように、無数に存在しているロボットなのかもしれません。
ちょうど生産コストとしてコイン100枚分かかる、と。で、1UPキノコはその希少性からコイン100枚分に相当し、10000ポイントというのはちょうどパチンコの換金システムのようにコイン100枚分に相当する。そういうことかもしれません。
ただ、そう考えるとちょっとガテンがいかない部分があります。というのも、マリオが「量産型ザク」なのだとしたら、死ぬたんびに1面から始まらないと変だからです。
「量産型マリオ」、見た目は同じだけどひとつひとつ完全別もの、という発想だと、前のマリオが進めた地点から始められちゃう、というのがどうもおかしい。前の「量産型マリオ」が死んだら、次の「量産型マリオ」は「マリオいきます!」と言わんばかりの勢いで基地から出動する。そう考えたほうが自然です。
もっとも、「量産型マリオ兵団」として旅をしていて、前のヤツが死んだら、次のヤツが火縄銃の兵隊みたいにすぐさま出動する準備が整っている、とかなんとか強引に考えることもできるけどー、いややっぱりムリがありますかね。
■スーパーマリオパラレルワールド
で、むしろこういうことなんじゃないかと思うんです。
このマリオの世界では、どうやら保険としてパラレルワールドをコインで買うことができる。
そんなシステムができあがっている世界なんだ、と。
だから、Aの世界のマリオが死んでも、Bの世界のマリオ(=Aの世界のマリオが死ぬ直前まで同じ道をたどってきたマリオ)が途中の地点から始めることができる。
そんなふうに「残数」というのは、「パラレルワールドの数」を表しているんじゃないでしょか。残り「×99」だったら、「99のパラレルワールドを確保した状態」にある、というわけです。
というか、これはヤバい! いやヤバいです。
なぜって、そんなシステムができあがっていたら、クッパたちに到底勝ち目はないからです。パラレルワールドを確保している限り、失敗のリスクを限りなくゼロに抑えられる。唯一のゲームオーバーは、パラレルワールドの数がなくなってしまったとき。でも、コインがあればパラレルワールドは無数に増やすことができちゃいます。
クッパの前には無数のマリオがたちはだかります。
が、パラレルワールドにおける出来事だから、クッパからしてみればそこにいるのはたった一人のマリオでしかありません。マリオ側からみれば無数のマリオを投入しているのに、クッパ側から見るとこんなに手下を投入して、こんなに罠をかけてるのに、マリオは「一度も死ぬことなく」、無傷で自分の前に現れちゃう。マリオはそんな異常に手強くて異常に運の強い、末恐ろしいヤツなのです。
クッパにとっちゃ、もうこれ、無理ゲーじゃないでしょうかね。
■持てる者と、持たざる者。
で、もっとヤバいなーと思うのが、パラレルワールドをコインで買えてしまう、という点です。
なぜなら、これ、コインを持っているヤツがますます強くなり、持っていないヤツがどんどん弱くなるシステムだからです。持てる者と持たざる者の二極分化が徹底していきます。これは行きつくとこまで行きつきます。
そしてどう考えても、このゲームで「持てる者」はマリオです。
この(元?)配管工は、コインにモノを言わせてバンバンパラレルワールドを買いあさります。ちょっと死んでも余裕余裕。コインの力で保険をかけておいた別の世界のマリオにスイッチします。
一方の、持たざる者とは・・・そう、クッパ一味です。
彼らは「一回きりの生」しか体験しえません。
なぜなら、至極単純に、コインを100枚も持っていないからです。おまけに1枚のコインを大事に抱えたクリボーは、マリオに踏んづけられて略奪されてしまうのです。
「無数の生」を手にした「持てる者」マリオと、「一回きりの生」しか体験しえない「持たざる者たち」のクッパ一味。
こういう超不平等な図式で考えると、クッパたちがピーチ姫をさらったのは命がけの反乱だったんじゃないか。そんなふうに思えてきます。
「1の1」でマリオに向って来るクリボーは、その「一回きりの生」を投げ打って、「持てる者」に立ち向かっている。
く、くっ、クリボー!!
あ、あれ? 涙でかすんでクリボーがシルベスター・スタローンに見えてきたような・・・!?
まあでも、マリオ、好きですけどね。楽しいですもんね、マンマミーヤ!
(えー、ところどころ強引でおまけにペニノとまるで関係のないエントリーでしたが、ちなみに、ペニノの次回新作ははこぶねです。もうちょいお話しできるようになったらちゃんと書きまーす!)
(吉)
2011-08-19
ちょっと前に聞いた寺山修司の話がすごかった件。
雑記 | |
もう4年ぐらい前のことなんですが、寺山修司のすごい話を聞いたことがありました。そんなことを最近ふと思い出して、いろいろググってみたんですが特に出てこなかったので、せっかくだしここに書いておこうと思います。
まだ私が学生だったころ、天井桟敷の森崎偏陸さんにお会いする機会がありまして、これはその偏陸さんに聞いたお話です。
偏陸さんもすごかった。
偏陸さんは、天井桟敷のメンバーで作品に出演したり映画の助監督をやられたりしていた、「寺山修司の弟」とも言える方です。
(ご参考:【旬 People】森崎偏陸さん 寺山修司の弟、映画「へんりっく」主演 http://www.zakzak.co.jp/life/zakgak/news/20091008/zgk0910081620003-n2.htm)
たとえば寺山修司の映画に『ローラ』という、スクリーンにスリットがあって、映画のラストでそこから人が飛び出してくる、まるで映画の中から人が飛び出してきたかのように見える作品があるのですが、偏陸さんはその「飛び出す役」を何年もやってきたそうです。って実際この作品見たことあるんですけど、本当に最後に出てくるだけでずっとスクリーンのなかで待機していなきゃいけない役なので、「あれずっと俺やってたのよ」って聞いたときにはなんだかそのストイックさに、なんともいえない大人の渋さを感じたんでした。
どうして偏陸さんにお会いする機会があったかというと、偏陸さんが下北沢で個展を開いていたんですね。で、隣の学科に寺山修司を研究している人がいて、その人に行こうぜって誘ってもらったんでした。
ちなみにその偏陸さんの個展というのも、相当逝ってしまっていて(もちろんイイ意味で)、自分のおペニスさんをひたすら撮りまくった写真展だったのですが、たとえば「啓蟄」みたいなテーマの作品で、雪が降った日にその雪を自分の股ぐらに盛って、その雪の間からまるでフキノトウみたいにひょっこり顔をだした亀頭を撮った写真。もう見た瞬間にゲラゲラ笑うしかなかったわけです。あんなにかわいらしい亀頭は初めて見ました。
一番ヤバかったのは、齢九十にもなるお父上とのツーショット写真。もちろん、偏陸さんとお父上のペニスのツーショットです。なんだか精神分析の世界の父殺しとか去勢とかっていうワードがどうでもよくなっちゃうような地平を感じました。実の父とあんなに仲良くペニスを寄り添わせることができるなんて、ちょっと感動的ですらある光景でした。
ホバークラフトを使った劇作品って・・・!
って話がそれましたが、そのとき偏陸さんに聞いた寺山修司がオランダで上演した芝居の話がすごかったんです。ようやく本題です。
天井桟敷は何度かオランダ公演をやっているようですが、そのとき寺山修司が何をしたか。
ホバークラフトを使ったんですね。
あの浮くヤツです。それでスイスイ動くヤツです。
それで客席と舞台のユニットをいくつもつくったそうです。聞いた感じでは、下の図みたいな感じで。
この客席と舞台のひとつひとつがホバークラフトで浮いていて人が動かすことができると。それで客席の幕の部分と舞台の幕の部分を合体させて同時に開けば、「宙に浮いた劇場」ができあがってしまうというわけです。
幕が閉じるごとに、この客席と劇場のユニットをホバークラフトですいすいっと動かして組み合わせを変えていったそうで、そうすると観客は幕が変わるごとに、まったく違う舞台装置の舞台を体験することができたんですね。
で、オチとしては、最後に幕が開くと、客席のユニット同士が向き合っていて、「あらま!」となると。
ハイ、正直、すげーっていう興奮とともに「えーーーーそれいくらかかってるのーーーーっ」ってなんだか怖じ気づいちゃう感じでした。思いつくのもアレですが、それを実現しちゃうのがすごい。
劇構造としてもおもしろそうな作品。
実際に体験してないのでアレですが、これ、物語の時間を飛ぶように客席がタイムトラベルするような感覚があるんじゃないでしょうか。もしかしたら舞台装置のすごさ以上に、その体験がおもしろかったりするかもしれません。
それこそ、ドラえもんのタイムマシンみたいに、客席はタイムマシン、舞台装置は行き先、客席と舞台装置以外の空間は、この絵の時計がウニウニしたような空間。こんなような感覚があるんじゃないでしょうか。
たとえば、下の図みたいに、客席1が舞台1、舞台2、舞台3と物語の時間A、B、Cにあわせて進んでいったとします。
時系列通りに進むパターンです。でも、客席1が舞台1を見ているとき、客席2は舞台1を見ることができない。必ず別の時間の舞台を体験している。
つまり、客席1のひとは、舞台1、2、3と進んだとしても、たえず「他の客席は自分たちとは何かしら違うパターンで物語を体験している」ということを意識してしまう。そんな仕掛けになってるんじゃないかということです。
言ってしまえば偶有性というか、パラレルワールドの存在を意識してしまう。ありえたかもしれない体験をつい意識しちゃう。
なので、最後に客席同士が向かい合って終わる、というのは、パラレルワールド同士が出会う、ということにもなりそうです。
それはつまり、世界の消滅を招いてしまう。だから、上演はそこで終わる。
まあこれはけっこう勝手な妄想が入ってはいるんですが、こう考えてみるとこの作品って、単純な装置としての面白さだけじゃなく、劇の構造のあり方として、とっても面白そうな気がしますね! っていうか、体験してみたかったYO!
ってこれ有名な話なんでしょうか。大体作品名はなんていうんだろう・・・。寺山関連の本はちらほら読んだことあるぐらいなのですが、どこかに載ってるのかな。
少なくともグーグル先生からは冷たく「知らん」と言われてしまったので、ここにログとして残しておこうと思ったのでした。(ご存知の方いたらtwitterででもおしえてくださーい!)
(吉)




















