イラク自衛隊「戦闘記」
イラク自衛隊「戦闘記」 佐藤正久(図書館)を読む。面白い。
イラク派兵時の陸上自衛隊指揮官が往時を回顧。
佐藤正久(ヒゲの隊長・以下佐藤隊長と表記)はテレビで見た時、けっこう突っ込んだ事を言ってるなー、と記憶に残っていた。本書は基本的に陸自自画自賛だが、ところどころ面白い。
なお、俺自身は「日本政府は軍事による国際貢献をすべきではない」という考え。
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イラクでの陸自の業務は次の3つ。
・給水
・医療支援
・公共施設の復旧・整備
事前調査で外務省の参事官*1と佐藤隊長で給水について討論。
佐藤は陸自が自ら水を配って日本の貢献をアピールしようと考えていたが、奥は あくまでもサポートに徹する事を考えていた。配り方によっては不公平感が募り、自衛隊への反発を生まれると考えた為。陸自は飲料水を作り、現地の人に配ってもらうべき、と奥参事官。
陸自がずっとイラクに留まる訳ではないし、自立を促すようサポートするのがベスト*2である、と。(18頁)
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陸自イラクに来る前、現地では陸自に対し、過度の期待が高まっていた。
「アッという間に大工場ができて、2万人規模の雇用は間違いない」
「すぐに東京のようになる」
「ホテルが瞬く間に林立して、日本から観光客が押し寄せる」(35頁)
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陸自は現地の過度の要望に応えられず、希望が失望に変わる。
日本のマスコミには隠したが「自衛隊は帰れ」の声が強くなる*3。(39頁)
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当時、パウエル国務長官(当時)とラムズフェルド国防長官(当時)の方針の違いが まずあった。
パウエルは軍人出身で現場重視。十分な人員の投入で穏健な政策を主張。
ラムズフェルドは増員を不支持。やや強引で性急。
ラムズフェルドの方針が当時採用され、イラク反米感情は強まっていったと佐藤隊長は分析。(63頁)
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陸自給水車に「キャプテン翼」の絵。
外務省の人の発案。(94頁)
本書とは別ソースで、麻生太郎代議士の発案と聞いた事もある。
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イラク現地で鯉のぼりを上げた。
由来を記事にしようとして「鯉が滝に上って龍になる」旨を紹介しようとして、現地スタッフに止められる。
龍は異教の神様なので、イスラム的にはタブー。「男子の健やかな成長を願う行事」と紹介。(130頁)
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イラクの政権が英米などの連合暫定施政当局(CPA)から現地のイラク暫定政府へと移行。
陸自の扱いもCPAから多国籍軍となる。日本政府は「自衛隊多国籍軍の一員ではあるが、その指揮下には入らない」と主張し、押し通した。
多国籍軍の資金の一部はイラクの石油売上げやフセイン政権からの没収財産だが、自衛隊多国籍軍の資金を使わなかった。(209頁)
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陸自撤収のタイミングについて、佐藤隊長は高評価。
当時、発電所建設など大型案件が実現の運びとなり、自衛隊からODAに交替する時期だった、と。(191頁)
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感想リンク サミールWatchさん
合わせて読みたいリンク 「報道できなかった自衛隊イラク従軍記」
関連リンク きっこのブログさんより↓引用(ソース不明)

イラクへ派遣された自衛隊員は、2年半の間に35人も死亡してる。内わけは、陸上自衛隊員が14人、海上自衛隊員が20人、航空自衛隊員が1人だ。死因は、自殺が16人、病死が7人、原因不明が12人だ。そして、ここで問題なのは、なんで何人もの軍医が同行してたのに、死因が特定されてない「原因不明」の死亡者がこんなにたくさんいるのかってことだ。
(略)
これだけでも大変なことなのに、帰国後に重度のPTSDになり、除隊してから自殺した人の数は、この何倍にもなると言う。

*1:後にイラクで射殺される・当時は事実上の「連合暫定施政当局日本代表」。

*2:引き上げ後、陸自の給水システムは無事イラク人に引き継がれたとの事

*3:本書を読み通すと自衛隊イラクの人々は強く結ばれた、という読後感。