水辺の夢

夢覚めて風に揺られん杜若  ぞうりむし

〜〜〜〜〜〜

カキツバタは、アヤメやショウブとよく似ていることで知られる。「いずれアヤメかカキツバタ」という慣用句は、甲乙つけがたい美人の様子を表わしたりするのにも用いられる。
杜若、または燕子花と書く。
緑色の鋭い葉を持ち、初夏に花を咲かせる。紫色の外側の花びらがだらりと外側に垂れているのが特徴的で、それが飛燕を思わせるために燕子花と書くようになった。

撮影地である三河八橋に、名高い歌人が訪れたことがある。

和歌は五・七・五・七・七の五句からなっているが、それぞれの句頭に、「か・き・つ・ば・た」の五文字を当てたしゃれた歌である。(これを折句という)

から衣 きつゝなれにし つましあれば はるゞゝきぬる 旅をしぞ思ふ 在原業平

この在原業平(ありわらのなりひら)の歌は、『古今集』にも収録されている。
伊勢物語』、『古今集』ともに、歌の前に長い添え書きがあるのが興味深い。そこに、歌に込められた詩心を探る手がかりがある。

問題の歌は『伊勢物語』第九段に出る。手許にある岩波文庫からその前文を引く。

‐むかし、をとこありけり。そのをとこ、身をえうなき物に思ひなして、京にはあらじ、あづまの方に住むべき國求めにとて行きけり。もとより友とする人ひとりふたりしていきけり。道知れる人もなくて、まどひいきけり。三河の國、八橋といふ所にいたりぬ。そこを八橋といひけるは、水ゆく河の蜘蛛手(くもで)*なれば、橋を八つわたせるによりてなむ八橋といひける。その澤のほとりの木の蔭に下りゐて、乾飯(かれいひ)*食ひけり。その澤にかきつばたいとおもしろく咲きたり。それを見て、ある人のいはく、「かきつばたといふ五(いつ)文字を句の上にすゑて、旅の心をよめ」といひければ、よめる。

また、この歌は『古今集』では第九巻、羈旅(きりょ)歌の部に収める(歌番号410)。その前書きは以下のとおりである。同じく岩波文庫から引く。

‐東(あづま)の方へ、友とする人ひとりふたりいざなひていきけり。三河の国八橋といふ所にいたれりけるに、その河のほとりに、かきつばたいとおもしろくさけりけるを見て、木のかげにおりゐて、かきつばたといふ五文字を句のかしらにすゑて、旅の心をよまんとてよめる。

伊勢物語』の記述で、とりわけ目を惹くのが「身をえうなき物に思ひなして」(自分を用の無い者だと思って)の部分である。
古今和歌集』に三十首もの歌を収め、六歌仙のひとりにまで数えられた男が、自らを「えうなき物」、すなわち「無用者」であると考えていたとは、いささか解しかねる話である。政治的な栄達の面から見れば、死の前年には蔵人頭に任ぜられている。
だが、ここには単に文飾の問題だけではないリアリティがある。問題の、「身をえうなき物に思ひなして」に続いて、「京にはあらじ、あづまの方に住むべき國求めて」と言っている。注意深く読んでみれば、当時の田舎である東国へ行こうというのだから、「京にはあらじ」とは言わなくともよい。わざわざ差し挟まれたこの一言には、どこか怨念のようなものさえ感じられる。しかも、「住むべき國求めて」、すなわち「京を逃れ、東国に住もう」と言っているのである。
とすれば、カキツバタの歌は、もはやただの羈旅歌、すなわち旅の抒情を認(したた)めただけの歌ではありえない。

歌の前三句「から衣着つゝなれにし妻あれば」、これは、着慣れた衣を着たままであろう都の妻を思っている。
後二句「はるゞゝ来ぬる旅をしぞ思ふ」、ずいぶん遠くまで来たこの旅のことを考える。
「旅のことを考える」とはどういうことか。言うまでもなく、「(都からすっかり離れてしまった、この)旅のことを考える」ということになるだろう。
前三句が都に残してきた妻の描写に割かれていながら、ここには妻に対する愛惜の気持ちが全くと言っていいほどこもっていない。この歌は、徹頭徹尾、都に対する悔恨の情で埋め尽くされている。「欠けたること」無き満月のような藤原氏の栄華、その陰で出世を望めない多くの人々がいたという当時の社会背景が思い起こされるが、業平もその一人であった。つまり、業平が思い焦がれる都とは、権謀術数と欲に塗れた都である。その都での栄達に、業平はなお捨てきれぬ羨望の念を抱いていた。
あらためて見ると、「身をえうなき物に思ひなして、京にはあらじ」の文言がなければ、業平の歌は、そこに込められたその詩情の大半を喪失する。またこの一言があってこそ、「旅」に込められた心情が痛切なリアリティを持つ。

ここまで読んで来ると、ならばなぜカキツバタか、という問いが生まれる。旅先の三河に偶然カキツバタが咲いていた、というだけのことではあるまい。無論、咲き誇る初夏のかきつばたに出会ったことは偶然であろう。しかし、それだけではカキツバタが業平の心をこれほど動かしたことの説明にはならない。カキツバタの五文字をわざわざ句頭に据えて詠み込むほど、歌人の心を動かしたものとは一体なんだったのか。
和歌の導入を成す『伊勢物語』と『古今集』の文章には、目を惹くべき面白い共通点がある。それが、「木の蔭におりゐて」の文言である。
無駄な部分がほとんど省かれた『古今集』の前書きにも、なお書き入れられているこの一言は、木陰の涼みでカキツバタに心を奪われている業平の様子を必然的に呼び起こす。

都を外れた三河という場所で、歌にもほとんど詠まれてこなかったカキツバタへ寄せるべき共感が、業平には確かにあった。ここには、華やかな政治の舞台で日陰者に甘んじてきた自身を重ね合わせる目が働いている。
都から離れた三河に美しく咲くカキツバタは、しかし都ではほとんど思い起こされることもない。これは、文人としては名を成しながら、なお政治の舞台では不遇をかこっていた歌人自身の俤(おもかげ)と重なる。「京にはあらじ」とまで泣き言を言わなければならなかった業平にとって、三河のような田舎で見事に色づくカキツバタは、「無用者」の旅情をこのうえなく掻き立てるものであったはずだ。
平安の三河八橋に咲くカキツバタは、業平に「無用者」の自覚を痛切に感じさせた。平成の愛知県知立(ちりゅう)に色づくカキツバタは、そこを訪れるものに何を感じさせるであろうか。

ぞうりむし
〜〜〜〜〜〜
写真一口説明
5月8日、愛知県知立市、八橋かきつばた園のかきつばたまつりにて。
快晴、撮影していたら汗ばんでくるような暖かさ。 すきっぱら


※蜘蛛手:蜘蛛の手のように八方に広がった様子。
※乾飯:かれいい。または、かれい。旅行などの際、持ち歩くことができるようにして干した飯。
※羈旅:きりょ。旅のこと。歌集や句集における羈旅歌の部は、旅について詠んだ句歌を収める。