日帰り奈良サイクル

piedra-blanca2009-11-12


彼は、友人と二人で奈良へ行った。


自転車で。


目的は、謎。
と言うより、自転車で奈良へ行って帰ってくること自体が自転車で奈良へ行くことの目的だったというのが正しいかもしれない。



彼は、09:00に出町柳周辺の家を出た友人と09:30頃に合流し、R24をひたすら南下。


10:35には城陽市に入り、サンクス城陽観音堂店にてストレッチ。
自転車に乗るといつも尻と膝が痛くなるのだが、今回彼は尻にタオルを敷いているので懸案事項は膝のみである。
負担をかけないように意識しながら走るものの、やはり少しずつ痛くなる。


加えて、どう考えても自転車や歩行者のことを考えていない“歩道なしの道”に戦く


12:00に、途中で自動車道になってしまうR24から左へ向かうR754へ道を変更。
それほど高くはないが負担の大きい山を登り続け、12:10には奈良市へ突入。
山を越えた12:23にR369へ入り、転害門や奈良県庁を通り抜ける。



せっかく奈良に来たので、現在興福寺で公開されている阿修羅像でも見ようかと思い、12:40に興福寺に到着。

しかし、まさかの拝観料1500円に彼らの阿修羅への意欲は半減し、さらに衝撃の180分待ちという事実に彼らのの心は九十九折りの如く折れた。


そうなっては、さっきまで行きたいと思っていた興福寺に対しても「金の亡者め!そんなもの見るものか!」と怒りさえ感じる始末で、「ここまで来ておきながら敢えて見ないというのが我々にとって正しい選択なのではないか」というすり替えの思考にまで至るほどに。


そもそも今回の目的は“自転車でなんとなく奈良へ行く”という漠然としたものだったということを思いだし、彼らはそこに意義を見出すべく、東向き商店街のマクドナルドへ入った。
しかし、やはり自転車を3時間漕ぎ続けるということは予想以上に大変なもので、膝が痛くなってしまったのは言うまでもなく、疲れてしまった彼らは少し仮眠をとった。



15:00頃、マクドナルドを出た彼らが再び興福寺の前を通ったときには阿修羅増を見るための列は90分待ちにまで短くなっていた。
彼らの心はぐらぐらと揺れたが、きっぱりと決別し東大寺へ向かった。
東大寺では修学旅行生たちが鹿の餌食となっていたり、小さい子が鹿せんべいをまとめて奪われたりしていたが、彼らは鹿を蹴散らしながらずんずんと進んだ。
途中、何故か鎖をはんでいる鹿がいてかわいかった。


東大寺の大仏殿に到着した彼らであったが、大仏殿に入るために500円もかかることにまたもや憤慨し、踵を返す。

帰り道では、子鹿が僧の人に「あっちへ行きなさいよ」と諭されていてかわいらしかった。


16:00頃、彼らが帰ろうと博物館の前を通ったとき、正倉院展が料観覧日であることを知った。
彼らのテンションは最高潮に達し、すぐさま博物館に飛び込んだものの、勢い余ってあまり展示物をしっかり見ずに通り抜けてしまった感が否めない。



その後、来たのとは違う道で帰ろうと彼らは西へ向かい、平城宮跡で警備員に怪しまれながら少し遊んだ。

平城宮を後にして、本格的に帰路についたのは17:50頃である。
知らない道で、ましてや夜道を走るというのは彼らにとって非常に恐ろしいものであった。


しかし、帰るためには走らねばならぬ。
R751から平城1号線を北上し、奈良大学や研究都市精華台などを通り過ぎながら、


「ぼくらの知らないところにもたくさんの命が生活してるんやなぁ」

「ぼくらの知らんところにも世界は広がってるんやなぁ」


などと、おかしな感慨に浸ったりしたが、彼の膝は悲鳴を上げ、彼の友人の尻は限界を迎えていた。


しかし、22号を北上し、19:19に同志社京田辺キャンパス通過したころには二人とも痛みを通り越し、楽しくなっているという末期状態に。

その後も時折迷いながら、木津川や宇治川を渡り、21:20には1号線沿いのラーメン藤平に入って今回の旅を振り返った。


そして23:25に、市内某所にて解散した。


彼らが出した結論は、

1,こんなことは社会人になってからはできない!

2,奈良に自転車で行くことはこんなに大変だということがわかったので、二度としないし人にも勧めない!

3,自分たちはよくがんばった!!

4,そして、中学時代から8年も乗っている自転車よ、よくがんばった!!

というものであった。

この感慨は、本人たちにしかわからないものであろう。


そしてその感慨は、今後2〜3日の筋肉痛や関節痛によって若干の後悔に変わることになるのだが、それもそのうち忘れて、また同じようなことをやろうと思い立ってしまうのであるが、阿呆なので仕方がない。