病気のつぶやき

少し前に、Twitterサブアカウントを作って、身分がばれてるアカウントでは言えない病気のことをつぶやいたので、記録のためにそれをここに転載しておく。
アカウントはいずれ削除するかもしれないし。
(ひと月ほど前なので、情報が若干古い)

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いよいよ左にもはっきりわかる変化が現れた。もう先は長くなさそうだ。

最近はシャワー浴びるのも重労働だわ…。

日本では今、三浦春馬主演のALSのドラマやってるらしいな。ちょっと見たい…けど、見るとつらくなるかもしれないので、見るのも怖い…

三浦春馬くんが周囲の人に優しいのがいい、みたいなコメントを見た。反省させられる。が、なかなかそうもいかんのよね。俺だって最初の2年くらいはなんてことなかったぞw。今でも他人には優しい(笑)。ただ最近、時々、家族には当たってしまう…。申し訳ない…

春馬「このまま僕の左手が動かなかったらどうする?」多部未華子「どうもしないよ。ずっと拓人のそばにいるだけ」…というやり取りがあるらしい(ネットって便利だね)。俺も三浦春馬みたいにかっこよかったらよかったのか(笑)

腕が動かないと何がつらいかって、もちろん全部つらい(当たり前だ)が、たとえば顔を洗う、歯を磨く、ということもつらい。そんな簡単なことがひどく疲れる。爪を切るのも難しい。腕が上に上がらないので、頭を洗うのは毎回筋トレをしているようなものだ。

腕が上がらないのをカバーする工夫として、どこかに肘をつくことでしのぐ。肘掛け椅子の肘掛けとかテーブルとか。そうやって髪にブラシをかける、とかする。顔を洗うには洗面台に肘をついて、むしろ顔の方を動かす。つまりネコみたいである(笑)

(以下別の日)

シャワー浴びた。ということはつまり重労働を終えた、ということを意味する。

しかしまだ歯を磨かなければならない。重労働が続くなあ…

ちなみに現在どうやって歯を磨いているかと言うと、右腕だけではもう支える力がないので、右手に歯ブラシを持ち手首のところを左手で支え、両手で磨く感じ。たまに左手に持ち替えて左で磨く。左だと腕一本でまだ何とかなるが、動きが不器用になってしまうので、どうしても利き腕だった右の方がよい。

身分を明かしている本アカだと病気のことが言えないので、この別アカを作ったのだが、いざ病気のことをつぶやいてみても特にどうなるというものでもないな。ただ人間は自分の過去のこともすぐに忘れてしまうので、後から振り返って、あああの頃はまだこういう症状だったかと読み返すにはいいかも。

(さらに別の日)

昨日、午前中にほんの1時間ほど掃除や片づけをしたら、それだけでもう二日間使い物にならなくなった(体が)。激しい筋トレをした後に腕がだるくてしばらく上がらないような、ああいう状態がずっと続く。

(もひとつ別の日)

2、3日前から両腕(特に左)がよく震えるようになり、上がりづらい感じも顕著になってきたなあ。足もちょっと危ない感触。歩けなくなるまでにはあと2年ぐらいは持つと思うんだけど…。

(最後の別の日)

人生は、病気になるとつまらん。

つらたん。

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転載は以上。

ALSの疑い?日記(3)

またしてもずいぶんと長い時間がたってしまった。
ログインIDとパスワードを忘れてしまいそうなのだが、よく忘れないでいられるものだ。
もともとこの話は記録用、と思って綴り始めたのだが、書いていてつまらないので、なかなか更新する気にならないのだ。
もちろん体の状態が悪いので、自然、精神も落ち込み、書く気にならないということもある。
もう大体いろんなことがどうでもよくなっている。
しかし、気分のいい時には少し雑記めいたことも書きたくなるのだが、それにしてもこの話を終わらせないとどうにもならないと思って、結局何も更新しないで終わる。
もともと面倒くさがりやだというのもあるが。
そういえば、ブログやツイッターを始めてみて、自分が、自分を表現することにあまり意欲がない、ということがよくわかった。

さて、前回の話の続きである。
もうさっさと手短に済ませてしまおう。
発症の自覚は2011年夏の終わりごろ(ただしその頃書いた記事を見るとまだほとんど気にしていなかったらしいことがうかがえる)。
初めて本格的に病院にかかったのは2012年4月。
まずこのことはきちんと記録しておこう。
病院で最初に疑われたのは、球脊髄性筋萎縮症というもので、これは遺伝子検査でわかるということだった。
このとき医者が、遺伝子検査(血液検査)をしますがいいですか、とずいぶん大きなことのように念を押して確認したので、僕はおや、と思ったのだが、あとからネットでこの病気を調べてみて合点がいった。
遺伝子に異常があるということは、つまり自分の子どもたちにもそれが受け継がれている可能性が高いということなのだ。
そのことに思い至った時に、僕はうかつにも初めて背筋がきゅっと縮むような思いを味わった。子どもたちにもこんな病気を背負わせてしまったのか、と。
遺伝子検査とは、つまりそれほど大きな、怖いことだったのだ。

結論を言えば、これについての検査結果はネガティブだった。球脊髄性筋萎縮症ではなかった。僕はそのことには正直ものすごくほっとした。
もちろんそうではないということは、僕の病気の深刻さにはまったく関係がないのだが、とにかく子供たちに遺伝子として受け継がれるものではないということは、救いだった。

しかし、そうなると僕の病気は何か、という問題がさらに残る。
結局、いろいろすっ飛ばして言うと(ちっとも手短になってないので本当に飛ばそう)、ほかに特に異常が見つからないので、ALSという診断しかない、ということになった。

ALSというのは、実は(僕も今回のことでわかったのだが)、この検査でこうなればALS、といったような「決め手」がない。
つまり、簡単に言ってしまえば、いろんな可能性を考えていろいろな検査をして、それでも原因がわからない(ありうる可能性は全部排除された)、というとき、最終的にALSと診断されるということなのだ。
まさに原因不明の難病、である。
原因がわからないのだから、そりゃあ治しようもないだろう。

つまり(こんな言い方は医学的には平たく言いすぎかもしれないが)、最終的に原因のわからない筋萎縮は全部ALSに分類する、ということのようだと、僕には理解できた。

ALSの確定診断には、だから時間がかかるらしい。
ネットの情報などを見ると、1年半ぐらいかかる、と書いてあるのもある。
僕の場合、そこまでの時間はかけていないのだから、「確定診断」には至っていない。
それに僕はまだ筋生検という検査を受けていない。
これは筋肉を採取して筋肉自体を調べるという検査で、これをやると何がわかるかと言うと、筋肉自体に病変があるのかどうかがわかる。
筋肉自体に病変がある場合、筋ジストロフィーなどの筋原性の病気だということになる。
逆に筋肉自体には異常がない場合には、筋肉を司る神経の方に異常がある、神経原性の病気だということになる。
ALSは神経原性の病気である。
したがって、ALSかどうかをしっかりと判定するためには、筋生検をやることが多いようだ。
しかし、S先生の話によれば、筋生検をやらなくても、針筋電図や血液検査などから、ほぼ同じことが大体わかるのだそうだ。筋生検はそれを確実にする程度の意味しかない(とは僕のまとめで言いすぎかもしれないが)ので、とりあえずやらなくてもいいでしょう、ということだった。

あと僕の場合、症状の進行が遅いというか症状が比較的軽い、ということもあった。
ALSというには、嚥下障害がやはり一つのポイントになるようだ。
それが僕にはまだ出てきていないのだった(これは今現在も幸いにしてそうである)。

さて、なんだかんだで、話を飛ばす(こればっかり笑)。
その後、知人でお医者さんをしている人から紹介され、某S南K倉総合病院wというところに行ったのだが、ここのK田という神経内科の医師は、これはもうお話にならないひどい医師だった。
大体、患者との予約をすっぽかすのである。そのとき、別のどこかにいたのを、事務の人が携帯か何かでつかまえてくれたのだが、もう移動できないということで、その日はキャンセルになった。それは仕方ないが、その次行ったとき、一言の詫びもなかった。

紹介してくれた人に全然悪気はなかったのだが、というか悪気があって医者を紹介する人もあるまい、僕はまあ、同僚として見る目と、患者(クライアント)から見る目とはやはりずいぶん違うものだな、と、大学教員と同じ現象があることに、興味深い知見を得たな、と思ったものだった。
大学教師も、同僚への対し方と、学生への対し方が、ずいぶん違う人がいるものなのである。

(また、同僚からの評価と学生からの評価が必ずしも同じではない、というのもよくあることだが、それはまた別の話だ。同僚として、つまり社会人として、や、研究者として、あまり評価できない人が、研究のことなどよくわからない学生からすごい人として尊敬されていたりするし、逆に同業者としてすばらしい研究者だと思える先生が、学生からは人気がなかったりする。もちろん一致している場合あるが。結局、授業で話が面白いとか、自分を大きく見せるのがうまい人などに学生は騙されやすい、ということはあろうかと思う。――話が逸れた)

とにかく、そこでは最初のT大学付属O病院と同じ検査をして、結局、わかりませんね、たぶんALSの初期症状だと思います、で終わってしまった。

とまあ、その話は実はどうでもいいのだが、とにかく某S南K倉総合病院のK田という医者の話だけはしておきたかったので、書いた。
せっかくS先生にそのために紹介状を書いてもらったのに、何か無駄に使ったような気分だった。もう別の病院に行きたいからまた書いてください、というのも言いにくい。

そのあと、要するに手詰まり状態だったから、しばらく病院からは遠ざかった。
その間、症状は少しずつ進行していった。

以上が、たぶん2012年の秋ごろの話だったと思う。

今、正確に知るために昔の予定表を確かめてみた。
S南K倉病院に行っていたのは、2012年11月と12月のことだった。
(しかし、これみてびっくりしたのは、昔の僕の予定のぎっちり詰まっていたこと笑。今は毎日何もないのでこんなに違うものかと…。こんなハードスケジュール、今の自分にはもう耐えられんのでは)

ということは、S南K倉のあと、しばらく病院通いをやめたのは、2013年の前半、ということになる。

しばらく間をおいて、しかし僕はまたT大付属O病院に戻ることになる。
どっちにしても症状は進んでいたし、海外に一時滞在するという予定が近づいていたからだ。

O病院にまた行き始めたのが、予定表を見ると2013年5月。
そこでS先生は、ALSの治療薬で、病気を治せるわけではないが、進行を遅らせる効果があると言われている薬がある、しかし値段が高い、ALSは難病指定されている病気なので、認定を受ければ、治療費の補助が受けられる、申請してみたらどうか、と言ってくださった。
あなたの場合には、もうALSと認定して差し支えない診断結果になっている、まあこれは大変な告知だから、本当にそういうことを言うのはアレなんだけども…という感じのことも付け加えながら。

ちなみにその薬はリルテックという。
1錠1000円で、朝晩飲んで2000円、1か月で6万円という薬だ。
しかしこれは、病気が治るわけでも、症状が改善するわけでもなく、「もしかしたら」進行を遅らせる「ことができるかもしれない」、程度の薬である(S先生はそうはっきりは言わなかったが、僕にはそう受け取れるくらいの説明の仕方であった)。
まあ飲まないよりは飲んだ方がまし、くらいのものだが、それで1か月6万円は高い。

こうして僕は役所から用紙をもらってS先生に診断書を書いてもらい、申請を経て、晴れて?ALSの認定患者となった。
ちなみに、申請から認定まで2か月弱くらいかかった。

しかし、実は僕はそのすぐひと月後には、仕事のために日本を離れることになっていたので、その認定医療証は、1回使っただけで、すぐ返上した。
その1回でS先生には出せるだけその錠剤を出してもらい、それをもってこちらに来たのだった。
というわけで、今の僕は医療証を持っていない。

日本を離れてからすでに半年以上が経った。
こっちに来てから、たぶんストレスやなんやらの影響があると思うのだが、急速に症状が進んできた。
この半年で一番困っているのは、ついに左腕にも症状が現れ始めたことである。
前は右手が使えなくても、左を使えばなんとかいろんなことができたのだが、それも難しくなってきた。

今、たとえばティーポットからカップにお湯を注ぐということにも苦労する。
片手では持ち上がらないので、両手を使って注ぐ。
しかしそうすると急須の蓋を押さえておくというしぐさができない。
困ったものである。

日常生活の苦労は、もちろんそれは一例であって、それにとどまらない。
それについては、またおいおい書いていきたい。記録のために。

今日はもうものすごく書いたので、ここでいったん離脱する。

ALSの疑い?日記(2)

2012年4月初め、僕はT大学付属のO病院で、S医師の診察を受けることになった。
初診で予約なしの飛び込みだから、どの先生になるかはほとんど偶然に決まったものだろう。
それが吉だったのかそうでなかったのかは、今もまだ僕にはよくわからない。
しかし、S先生はとても親切で、親身になってよくしてくれる。
診察時間も、毎回かなりの人数が待っているにも関わらず、ゆっくりと時間をとってみてくれる。そのぶん自分もまた前の患者さんたちのあいだ長く待たされるわけだが。

さて、S先生は僕の右手を見て、すぐに筋萎縮の症状を認めた。
それは、まあ目で見て明らかなのだから、当然ではある。
いろいろと器具を使ったりして、たとえば脚気の検査の時に膝のあるポイントをたたいて反射的に足が跳ね上がるようなそういう検査とか、ほかにごく細いファイバーみたいな毛先のようなものでかすかに指先を触って感触があるかどうか確かめるとか(指先の感覚には問題はなかった)、上半身を脱いで背中から全体の筋萎縮の状態を見るとか、そういったことをいろいろやった。
(手や腕だけでなく、右側は肩からして全体的に筋肉が痩せていた。それから1年半ぐらい経つ今の状態に話をちょっと先取りすると、現在、右肩はかなり痩せ細ってしまっていて、肉というより皮の下から骨が突き出しているような状態である)

その後、血液検査とMRI、そして針筋電図検査をやった。レントゲンもやったかもしれない。よく覚えていない。
針筋電図検査は痛かった。あれは何なのだろう。その後、セカンドオピニオンのために行った別の病院でも同じことをやらされたが、あれはずいぶんと痛いものだ。それをとりあえず異状のある右手だけでなく、四肢全部でやる。
その結果、右腕だけでなく、左腕や脚にもやはり若干の所見があるとのことだった。
詳しい数値のようなものは、今外国暮らしなので、手元にはない。あっても載せてもしょうがないが。
MRIは、脊髄を調べるためのものだったようだが、脊髄にはまったく異状がないとのこと。
ふつう、筋萎縮の症状は、まず脊髄に損傷があるとか、何か詰まっているみたいなそういうことが多いらしい。
いずれにせよ、筋肉をコントロールする神経がうまく働かず、伝達されていないということであることは違いないらしいのだが、僕の場合、脊髄はきれいなのだった。
MRIは、その後、造影剤を入れたり、別の病院でも撮ったりしたので、計3度受けた。

S先生が初めに疑ったのは、なんというのだったか、今はもう手元に資料がないのでわからないが(こうやって忘れてしまうので、この記録を残しておこうと思っておとといから書き始めたわけだが)、ええっと、何か遺伝子のアンドロゲンの異常によるもので、ああそうだ、球脊髄性なんとかというのだった。
これはあとでちゃんと調べて書き直そう。

ALSの疑い?日記

何から書き始めればいいのだろう。
前回の更新からずいぶんと長い月日が経ってしまった。

あれからいろいろあったが、今は1年の予定で海外で暮らしているので、日々書くべきこと、書きたいことはいっぱいあるし、そういうこまごまとした海外生活の日常を書いた方が日記として楽しげになるだろうことは間違いない。
だが、この2年ほどの間に自分の体に起きた異変について何も触れないまま、この日記を更新するのも、やはりおかしいだろうと思う。

前回更新の日付を見ると、2011年の9月23日になっている。
この時、僕にはまだかすかな自覚しかなかった。
しかし、思えばこの頃から始まっていたのだった。

本当は、書く必要などないのかもしれない。
大して書きたくもない(最近は何もかも面倒くさくなっている)。
それでもやはり記録しておくべきかもしれないという思いもずっとくすぶっている。
このまま時間が経つと忘れてしまいそうになる。
だから忘れないうちに、とにかく記録だけはしておこう、そう思って、ここにごく簡単に経緯を記すことにする。

2年前の夏ごろ、ということは2011年の夏ということになる。
そのころから、僕はどうも箸が持ちにくいという気がするようになっていた。
箸を持つ握力がないというか、どうも老化で握力が低下してきたのかな、と思っていた。
まださほど大したことはなかったし、あまり気にしていなかった。
そのうち、11月ぐらいからだろうか、洗濯物を干すたこ足(?)をベランダの鴨居のようなところにかけようとして、右腕が上がりにくいことに気づいた。
そのころから確かに、右腕がものすごく上がりにくくなっていた。
僕はいわゆる四十肩とか五十肩とかいうものかと思っていた。
それでネットで調べたりもしてみた。
症状からすると、しかし、四十肩には痛みが伴うらしいので、違うようだと思えた。
僕の肩は、もちろん上がらないものを無理やり上げようとすると痛いのだが、何もしなければ何の痛みもなかった。
症状自体もまだ大したことはなかったので、そのままあまり気にせず放っておいた。
あまり気にせず、と言ってももちろん箸が持ちにくい症状は続いているし、気にはなっていたのだが、なにもなくたって日常の生活はそれなりに忙しいものだから、病院に行くにはよほどの不便がないとなかなか思いきれない。

はっきりとこれはおかしいと気づいたのは、子供と風呂に入っていた時だった。
もう年が明けて、2月くらいになっていただろうか。
左腕は力こぶが作れるのに、右腕は硬い力こぶにならず、ふにゃふにゃだった。
あれ?と思って右腕をよく観察してみると、左に比べて筋肉量が目で見てはっきりわかるほど減っていた。
筋萎縮。
その言葉は当然すぐに頭に浮かんだ。
初めて僕は自分の体にただならぬ異変が起きていることに気づいた。

それからすぐに僕は一番近い総合病院であるOGKB病院に行った。
どこへ行ったらいいかよくわからなかったのだが、とりあえず整形外科に行ってみた。
ところが、これは失敗だった。
その日たまたまひどく込んでいたことも運が悪かったのだが、朝9時前に入ってから、診察を受けられたのが午後2時半。
お昼も食べられないまま待ち続けたわけだが、その担当医がどうにもならなかった。
おそらく向こうもあまりに忙しくてまともに診る気にもなれなかったのかもしれない。
症状を説明しても、うーんよくわかりませんね、というばかりだった。
一応X線を撮ったのだったか、もうよく覚えていないが、とにかく異状は見つからないので、まあうちではわかりませんね、というだけで終わった。
医者なのだから、もし自分の専門分野でわからなければ、こういうところを受診してみたら、ぐらいのことは言ったらどうかと思ったが、とにかく、2時半まで待たされた挙句これなのだから、さすがに頭にきた。
OGKB病院には二度と行くことはないと思う。
しかし、このとき、一つさらに発見があった。
それまでは右腕(の上腕部)にしか目が行っていなかったのだが、整形外科の医者に、「箸が持ちにくいんですよね」と言いながら、何気なく右手と左手をそろえて手の甲を差し出したとき、右手の親指と人差し指のあいだの肉が、これもまた目視でわかるほどくっきりと筋肉が痩せていることに気づいたのだ。
自分で差し出しながら、あっ、と思ったのだが、医者はそれにすら気づかなかったようだ。

それから、僕は整形外科では無理そうだと判断して、何科を受診すべきか、インターネットで調べてみた。
筋萎縮というのは、神経内科だった。
ネットで得た情報から、自分の家から比較的便利に行ける病院として、僕はT大学付属のO病院というところに行くことにした。
大きな病院というのはたいていそうだが、初診は予約ができないので、朝早くから、半日は待つ覚悟で行くしかない。
幸い(?)というかなんというか、僕はすでに朝8時半から午後2時半まで待った経験があるので、もう大抵のことには驚くまい。
そのころ、すでに3月の半ばごろになっていたか。
すぐには朝から午後まで病院でつぶせる日程が取れなかったので、実際に受診に行ったのは、もう4月の新学期に入っていたと思う。

学びへのモチベーション

教師をやっていて思うことはいろいろあるけれど、その一つは、学生の学習意欲というか学習に向かう姿勢と、学力は別物だということだ。
つまり、同じ程度の学力でも、学ぶのが好きでその結果その学力に達している人もいれば、勉強にはさして関心がなく、でも必要だと認識しているために仕方なくやったり、あるいは持ち前の頭の良さでもってその成績に達しているという人もいる。
そんなの当たり前だろ、と言われそうだが(実際、事実認識としては僕も当たり前だと分かっているのだが)、教える側にとって、これはけっこう大きな要素になる。
学生の学びへのモチベーションを読み間違えると、教え方を誤る。僕はいつもこれでわりと失敗する。
要するに、できるからといって勉強好きとは限らない、いま一つできないからといって勉強嫌いとは限らない、ということ。
(これもそれだけ書けば当たり前なんだが)
学生への教え方は、学力ではなく、むしろ学びへのモチベーションに照準した方がうまくいく、というかやりやすいと思う。
大学というのは、ある程度学力のそろった人たちが(偏差値でいわば輪切りになって)入ってくるから、それは公立の小中学校なんかよりははるかに教えやすいことは事実だが、実は学習へのモチベーションは一様ではないので、本当はそこがネックになる。
モチベーションを第一基準にして入学者を選考するっていうやり方はできないものか、とふと思うが、まあそれは無理だろうな。(現実的に無理というより、おそらく原理的、理論的に無理だ。正確なモチベーションの測り方というのが存在しないだろうから)
学力も学習意欲も両方がそろっているという人たちが集まるというのが理想的なんだろうな。
(そんな絵空事みたいなことを言っていても仕方ないが。いろいろいるから面白い、という面もあるし)

それから、大学のような、教師と学生が週1回の授業以外まったく会わず、その関係が大人同士の表面的なものである場合が多いという環境も、学生のモチベーションを見抜くのを結構難しくしている。
学生の「ふだんの顔」というのがあまり見えないことが多いからだ。
1年ぐらい教えている学生をキャンパスで偶然見かけて、友だちに囲まれているその表情がまったく違って(生き生きして)いるのに驚く、ということは、めずらしくない。

カラオケ

子ども二人がカラオケに行きたいというので、僕としてはおそらく学生時代以来20年ぶりというカラオケを体験。
(音痴なのでまずめったに行かないのだ)
子どもたちはノリノリ。

スピッツの歌はキーがあまりに高すぎて、1オクターヴ下で歌うと僕にはちょうどいいという衝撃の事実。

けれど、それだとやっぱりちょっと下すぎるというか、やっぱりサビは声張り上げて、ちょっと苦しいけど声張り上げないと出ないというぐらいの高さで歌わないと気持ちよくないので、オクターヴ下だと何か一つ盛り上がらない。

最後に「チェリー」を6度下げて歌ったら、ちょうどいい感じに気持ち良かった。

政界進出も狙う?

今朝、ネットブラウザを立ち上げたら、yahooのトップページの写真が、フランスの自宅に帰るストロスカーンだった。
多分世間では、「婦女暴行容疑で逮捕された前IMF専務理事」として知られているだろう。
結局、被害者とされる女性の証言に不審な点が多いとして、公訴棄却となった。
ニューヨークの検察当局のやり方が拙速だったのか潔いのかよくわからんが、まあ一種の「冤罪」事件ということになったわけだ。
ところで、それで記事のリンクをいくつかクリックしていくと、産経新聞の記事でこんなのが見つかった。
「「ウソをついた」検察、訴追取り下げを申請 IMF前専務理事性的暴行事件」(産経新聞 8月23日(火)9時9分配信)という見出しで、最後の段落、

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 同紙によれば、ストロスカーン被告の母国フランスでは、今回の検察側の判断をたたえる声が多いというが、女性有権者の間では、政界進出も狙うとされる同被告への信頼感が著しく低下しているという。
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驚いたのは最後の一節で、「政界進出も狙うとされる同被告」というのだが、ストロスカーンは今でこそ(というか逮捕される前まで)IMF専務理事だったが、そもそも政治家である。
社会党から出馬する大統領候補の最有力候補だったことは、すでにこの事件の報道の最初のときから周知のことだったと思うのだが、この産経の記者はそんなことも知らなかったのだろうか。(【ニューヨーク=黒沢潤】と署名がある)
(ここはまあ、あえて書くとしたら「政界復帰」だろうなあ。まあそれでも90年代の終わりにフランスにいた僕にとっては、ストロスカーンは昔も今もずうっと政治家というイメージなんであって、「復帰」すらちょっと不思議な感じがするが)

8月30日に配信された「多くの不満残したIMF前トップ事件」という見出しの記事も、【国際情勢分析】というよくわからん但し書き(コラム?)がついていて、中身は読んでみるとなんと英紙フィナンシャル・タイムズと米紙ウォールストリート・ジャーナル、さらにニューヨーク・タイムズの見方を紹介(抜き書き)するだけのものだった。こんなの、学生のレポートでも怒られるよ。
というか(仮にも)全国紙にこんな記事が載ってることが理解できない。
こういうものでお茶を濁さなければならないとは、産経って、本当にまともな記者が少ないんだろうなあ。

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朝からこりこり文章書いたので、ちょっと休憩。
(といってまた文章書いてるが)
Pleiade版って、本当に研究者限定みたいな編集方針になってない?まあそもそも一般読者こんなの買わんだろうけど、僕みたいな初級者は必要な詩がどこにあるか探すのも難しいよ。