2012-01-25
「『劣悪』な文化」の導入は人々を「アホ」にするのか?
歴史の先例を見よう。
図書館こそ、印刷業界を脅かすものとして現れながら、結局はそれを大きく成長させたという意味でイノベーションの好例といえる。
18世紀当時、本を買えるのは富裕層に限られていた。1冊の本の価格は、平均的労働者の週給にほぼ等しいほど高価だった。本の価格が高かった「からこそ」、庶民は読み書きの勉強に投資をすることも出来なかったし、またその必要もなかった。19世紀の初頭では、イングランド全土で日常的に本を読んでいるのはわずか8万人にすぎなかった。
大きな転機は1741年の『パメラ(Pamela)』の出版がもたらした。お決まりの退屈な学術論文と違い、若い女性がたどる人生のきわどくおもしろい物語に大衆は魅せられた。その後『パメラ』の成功を模倣するものが大勢現れ、まったく新しいジャンルが誕生した。イギリス小説である。『パメラ』は「モル・フランダース」を生み、そして「モル」は「トム・ジョーンズ」とうように展開していった。これらの(新)古典小説はサミュエル・コーリッジ(Samuel Coleridge)のような知識人から次のような非難を浴びた。
「これらの(小説)にのめり込んだ連中に関して言えば、『読書』という言葉を使って連中の『時間つぶし』『暇つぶし』を誉めるなどという気はさらさらない。むしろそれを、ある種束の間の白昼夢と呼ぼう。その間夢見る人間の心の空白を埋めるものは、怠惰と取るに足りない感傷的な感情以外には何も無いのだ」
まるでテレビを見るのが悪いと言っているのと同じように聞こえるのだが、どうだろう。
しかし大衆は、批評家などほとんど相手にしなかった。これらの俗っぽい物語を飽くことなく求め続けた。イングランドの書店では小説や恋愛物の需要に追いつくことが出来ず、それらの本の貸し出しを始めた。これは大衆の間では貸し出し図書館と呼ばれていたが、教養ある階級からは”文学を売るゴミのような店”として批判された。それ以上に、出版社と書店からはまったく異なった理由で非難を浴びせられた。つまり、貸し出し図書館が両者の事業を衰退させるのではないかと恐れられていたのである。
「貸し出し図書館が最初に開設された時、販売店は非常に強い警戒心を抱いた。さらにその急激な成長が恐怖心をあおり、この種の図書館が本の販売を衰退させると考えてしまった」(出典/Knight, The Old Printer and the Modern Press)
ところが長期的な視点で見れば、貸し出し図書館は出版業界に大きな利益をもたらした。そのことに疑問の余地はない。安上がりの娯楽が身近にあることで、多くの人が読み方を身につけたいという気持ちになった。『過去の印刷器と現代の印刷機』(The Old Printer and the Modern Press)の著者、チャールス・ナイト(Charles Knight)によれば、1800年の8万人の読者が、1850年には500万人以上に達していた。新しく出現した本のマスマーケットに進出した出版社は繁栄し、エリートだけを相手にしていた出版社は消滅した。市場が成長するに従い、本は借りるものから買うものに変わり始めた。先の引用を続けると「しかし、経験を重ねることで本の販売は貸し出し図書館によって衰退するどころか、大いに刺激されていることがはっきりしてきた。というのは、それらの書棚から何千もの家庭に安く本が貸し出され、それによって読書の楽しみが大衆化し、最初はこれらの図書館から借りていた人たちが、読書を重ねることでそのおもしろみを認識して本を買うようになり、何千もの本が毎年売れるようになった」
この因果律を見てみよう。旧来の出版のモデルを押しつぶしたのは貸し出し図書館だが、同時にマスマーケット向けの本という新しいビジネスモデルも生み出したのだ。事業としての貸し出し図書館は1950年代までは順調に生き延びていた。しかし、その息の根を止めたのは読書への興味の欠如ではなく、大衆に文学を届けるさらに安い手段、ペーパーバックの出現だった。
エロへの飽くなき欲望がPCをお父さんに買わせたようにね!
文化が大衆化するためのインフラ
「読書」を楽しむにしても、まず「識字」が可能でなければならない。
次に、「紙」が安くなければならないが、その価格を破壊的に押し下げるのは「大量の消費」である。
さらに「印刷」も、一定の水準以上に生産されることがはっきりすれば、価格は破壊的に押し下がる。
そして、それを届ける「流通(ロジスティクス)」。常に一定以上の流通が生まれなければ、そのインフラも維持できない。
それらのインフラの成長と絡み合って、「おもしろい」本を読みたいという欲望が識字を加速させ、ある時点でそれは、それまでとは装いを変えたあたらしい「常識」となる。
その「常識」以後は、単なる「時間つぶし」であり下賎な欲望を満たすものが、「価値あるもの」として捉えられる。
それは、その「常識」が事実を変えたと言うより、それまで「下賎」だと嘲られていたその文化がもともと内包していた「価値あるもの」に光が当てられたから、と言える。
そして、その「価値あるもの」(この場合は文学作品)も、上記のインフラの発展と維持があってはじめて存在できる。
「ネットワーク経済」の法則―アトム型産業からビット型産業へ…変革期を生き抜く72の指針
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日本で娯楽の王者として「読書」が君臨したのは1960年代らしいです。
小熊 日本の歴史でいえば、昔は、物書きはいい商売だったんです。原稿料も戦前はすごく高かった。たぶん400字で3万円くらいだと思います。岩波新書一冊出せば家が建つといわれた時代ですから。
それに、1960年代は出版市場が急膨張したので、作家専業でも食べていけたんです。私は『1968』で、1968年に行われた、過去三ヶ月で経験したレジャーおよび趣味をあげてくださいという調査を引用しました。1位は読書だったんです。ちなみに、2位は国内一泊旅行。3位は手芸・裁縫。4位は自宅での飲酒。5位が映画・演劇です。
もちろん読書が趣味といっても、そんな高尚なものを読んでいたわけではないでしょう。小説を読むとか、週刊誌を読むとかだったと思います。それでも本は売れたし、小説も売れた。新築の家を買ったら平凡社の百科事典を本棚に入れるという時代だった。だけど今は、純文学の作家は大学の人文系の先生になって生計を立てている人が多い。ライトノベルの世界とかはかなりよくない労働条件のようです。
「書く側」の事情
蛇足だけれど、ビジネスの中で「下賤」は、相手との価格交渉に使える言葉なので、「下賤だから印税8%で、イラストの方と折半ね」と言うふうにも使えますよね。
小熊 単純に計算すればわかります。たとえば600円のライトノベルの本を書き下ろし、挿し絵の人と分け合いだから印税率5パーセントとすれば、一冊30 円ですから1万部売れても30万円にしかならない。年間10冊以上書かないと生活が成り立たないでしょう。だから掛け持ちでバイトをやって書いているという人も多いと聞いています。
学問がかった本を、ちょっとポップな味付けにして売って食べていこうというモデルは、バブル期だけ一時的に成立するかに見えただけで、今やるのは時代錯誤だと思います。今では数が売れない新書なんか出しても、著者に入るのは30万円くらいにしかなりません。出版界のマックジョブです。
「インフラ」としての出版流通に関しては「ライトノベル発行点数を調べてみたら、電撃がやはりヤバイ件について - 積読バベルのふもとから」様のまとめられた資料が参考になります。
2011-11-19
「社会」って、「嫌な奴」のことなんだぜ

「自分と世界を直結して『社会』が無い」ような世界観を持つ作品や、世界観そのものを「セカイ系」と呼びますが、「はてな村民」ならよく知っていること。
しかし僕にはよくわからなかった。
「自分と世界を直結して『社会』が無い」
というのはどういうことか?
それは、こういうことだ。
社会とはつまり他人のこと。
つまり、「セカイ系」とは「社会がない」世界のことで、親しいお友達しかおらず情報もその輪の外には出ないソーシャル・ネットワークは「社会」の無い「セカイ系」そのものですよ。
社会とは面倒な「他人」
他人とは、面倒を起こす人間のこと。理解不能な人間のこと。
具体的には、全体最適を貪り食って台無しにするタイプの人。
「カイジ」で例を挙げるとわかりやすいのだけれど、「利根川」「兵藤」「船井」ではなく、「安藤守」が一番近い。
ちなみに「安藤守」は、公式ガイドでも「人間として救いようのないクズ」「クズの中のクズ」「キング・オブ・クズ」と評されている。
なぜ「安藤守」が「キング・オブ・クズ」なのかというと、身を捨てて助け舟を出したカイジをあっさりと切り捨てて、なおかつその後カイジにすがりついて自分だけ助かろうとする。(→追記)
-=ヽ/- _ フフ・・・
- ヽ 恐れることはない
ノノノ.ノヽヽヽヽ あの人は生涯
( |-?=?-| ) あの状況から抜けられない
| .ノ U . .| つまりもう二度とあの人と
.人_´ ̄ ̄`_人 オレたちは顔を合わせない
/ ̄ ̄.| |  ̄ー ̄| | ̄ ̄ \ 聞くところによると、別室にいる連中の
/ |_|\_/|_.| \ この後の境遇は過酷で
|\| || ||.___ |./| 通常1年もたず廃人・・・
.|\.| ||.((.二.)).|||☆☆☆||/ | すぐ俺たちの顔も忘れるさ・・・
| | ||.====.|||☆☆ || .| フフフ・・・
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7"`"'^'"`"'ヘ ヽ / , /{ / uヽ.|\ト、 l 取り分
/=ミ、 r,==1 .l /,ィ=ミ‐' `ァ= 、ヽ | くださいよ‥‥‥!
| r〜` "=ー、 1,、|. { l「 `。lニニ{ 。´ ) }'Tn !
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彼は、「プロの被害者であり、徹底したフリーライダーであり、なおかつ生き残るためにはなんでもする」人間だ。
「社会」の一例−雇用や教育
「雇用」は社会的な機能。
縁故採用でなく能力や資格のみでの採用であれば、だけれど。
でも、その場合、能力や資格に合致すれば、こういう「キング・オブ・クズ」も雇用して、その一員にしなくてはならない。
そういうコミットをするかどうかが、「社会」であるかどうか、ということ。
また、地域だけしか入学制限がない公立学校は、まさに社会。
学級崩壊は、特定の一人の生徒が原因になっていることが多いと聞く。
だからといってその子を排除したら、そこで「社会」が終わる。
(だから「お局」も「クソ上司」もいるのが「社会」なんだよ、と言うと言い過ぎか?)
社会から「弾く人」からみた「セカイ系」
これまでの「セカイ系」の説明って、「社会から弾かれた」人からの視点で描かれていて、弾く方はあまり語られてこなかった。
弾く側から見た、その一例を示す。
「自分の加わっている小さな会社は、『自分と自分の大切な人たちを幸せにすること』が理念」
「僕の周りを見ても、起業したいといってした人は大概失敗している。アイディアとかプランとかそういうので成功するとか考えている人は失敗しますよね。逆に成功する人は会社を興す前にもう仕事になっていて、個人でまかないきれないから法人化するというパターンですよね。突飛なことをするのではなく、すでにお付き合いのある人たちとの関係を大切にする。」
(文化系トークラジオLife Part7(外伝1)「僕たちは日本を変えることができない。」2011年10月23日(日)より、社会学者の古市憲寿さんの発言。)
古市さんの発言の真意はともかく、一個人としてはこの発言は全くそのとおりだと思う。
そして、「僕には社会を良くする力とか無いので、自分と自分の大切な人を守りたい」ので、「社会を変えろという人が社会を変えればいい」というのが、弾く側から描く「セカイ系」。
弾く方って、現実には「自分と自分の大切な人の小さな関係を守りたい」普通の人。いわゆる「市民」。
ロンドンで暴動を起こした人たちの一部は、略奪した酒を飲んでべろべろになりながら「社会が悪いのら!」とインタビュアーにくだをまいていたらしいが、そういう人も一員に入れるのが、「社会」。
では「社会」を作るとして、こういうひとを「誰が」担当するのか?
それって、「優秀で財力も社会資本もふんだんにある人だ」って、大概の人は応えますよね?
つまり自分(という一介の市民)ではない、社会を任せられる人、ってことに。
それって、東大に在籍して学生で起業して社会学者としての地位も持っているひと(つまり……彼?)ではないか、と。
彼のような、優秀で財力も社会資本もふんだんにある人が、一人の個人として「大切な人を幸せにしたい」「雇用はしません」「社会を変えたい人が変えればいい」と言うと、全く正論なんだけれどモヤモヤするのは、みんなが「『他人』を受け止めて担当する人」を、暗黙のうちに彼のような人だと思っているからではないか?
そういうふうに「彼」に担い手を期待するひと、つまりあなたが「市民」で、弾く側だ。
優秀で財力も社会資本もふんだんにある人が、地道な努力の積み重ねによって成功するときに、明らかに足を引っ張る相手をガードするのは、個別の事例を語れば大概「そりゃそうだわな」としか言えない。
「幸せにしたい大切な人」を消極的に台無しにするような人達を遠ざけるのは、正論としか言いようがない。
そして、「わたしたちの雇用/権利/その他もろもろを、社会的責任のある企業・金持ちは守れ!」と言われた「市民」は、逃げるよね常考。
ところが、現実には、「声を上げる人」と「上げられる人」はどっちも「市民」であったりする。
「あなた」とか偉そうに言った僕も、「弾かれる側」だったり「弾く側」だったりする。
それに気づくと「社会」が消える。夢から覚める。
英米から30年の後追いなのか?
80年代はじめマーガレット・サッチャーは、「この世に社会なんていうものはない。あるのは国家個人と家族だけだ」と言った*1。
「キング・オブ・クズ」を入学させ、雇用し、面倒をみてくれる社会なんてものはないんだ、と
そして、英米と同じ道を30年経って歩む日本が、今そこに達している。
近代的な社会は、「ある」のではなく「作る」のだけれど、そういう共通理解ができたと同時に、それは四散する。そのようにできている。
「ソーシャル」という「セカイ」から「社会」へ
はてなブログにはトラックバックを組み込みませんでした。しかしベータ版開始以降、一度も「トラックバック機能を付けて欲しい」という要望をもらっていません。ブログから、「コミュニケーションツール」としてのニーズが消えてきている事をよく表しています。
トラックバックかけちゃうぞ、と。
さて、
ともだちだけが、社会じゃない
SNSの登場によって、インターネットに巨大なプライベート空間ができあがりました。
多くの人は、どこの誰か分からない人と議論をするよりも、ともだちとおしゃべりすることを好みます。
携帯をスマートフォンに買い換えて、facebookを始め、ともだちを作り、そこから初めてインターネットに文章を書いたり写真を投稿したりする人が増えています。インターネットに投稿する入り口はSNSになりました。
ともだちとおしゃべりしている方が敷居が低いし、頻度も高くなるのは、実社会のコミュニケーションを想像しても自然な事です。
しかし、まさにその実社会を考えれば分かるように、おしゃべりする相手はともだちだけじゃありません。それだけではあまりに退屈です。
全くそのとおりだと思います。
ただ、「退屈を紛らわす」ことと、「社会」と向き合うことは位相がずれる。
一個人としては、「キング・オブ・クズ」をシステム的に排除する仕組みは歓迎だ。
もちろんここで言う「キング・オブ・クズ」は悪罵を投げつけるモヒカンソーシャルブックマーカーのことだ。
「キング・オブ・クズ」に全てを台無しにされる「弱い市民」は、どんどんブログから去っていった。
システム的に、人が悪罵を投げつけるモヒカンソーシャルブックマーカーという「キング・オブ・クズ」にならない、いや、なれないとすれば、それは良いことなのかもしれない。
意識的に「社会」を設計しなければ、世界は弾く側と弾かれる側に固定化され、その間で情報が断絶し、社会が消えた、「セカイ系」の世界になるのだから。
重要でない情報に溢れ、けれど個々人の命運を決するような情報だけは得られない「セカイ系」の世界に。
「弾かれる側」からの「セカイ系」
最後に、「弾かれる側」から描かれた「セカイ系」を幾つか挙げます。ネタバレあるよ。
- 作者: 秋山瑞人,駒都えーじ
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「イリヤの空、UFOの夏」「最終兵器彼女」という作品では、誰も責任を取らないので、子どもが究極兵器もしくは究極兵器の操縦者として決死隊として戦場に送られ死ぬ。
大変気持ちが悪いのは、子どもたちが納得or諦めて、自分から死地に趣き死んでいくこと、その際に誰も責めないこと
(エヴァンゲリオン、ガンダムなどがモチーフになっているだろうし、結局それは「徴兵」への恐怖から来るのだろうと思う)。
これをいうと文学のエライ人に怒られるのだろうけれど、カズオ・イシグロの「わたしを離さないで」はセカイ系だった。
- 作者: カズオイシグロ
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ネタバレになるけれど、主人公たちは「社会が『社会』であるために、自分のよく知りもしない相手の責任をとって死ぬ」。
こちらの作品も同様に、自分たちが犬死することを知ってなお彼らは暴動も起こさず逃げ出しもせずただそれを受け入れる。
「セカイ系」というと、排除される側に自分が立っている、という前提で、排除するのは「ビッグブラザー」みたいな人、と仮想するので攻撃できるけれど、排除する側の人間が目の前に現れると、たいてい「自分と自分の大切な人の小さな関係を守りたい」人なんだぜ。
いつ誰に刺されるかわからない緊張感に満ちた世の中に
もちろん、なんとなく排除に賛同する人は、たいていはすごく頭の良い人の創りだす言説によって駆動された人たち、なのだけれど。
リアリティは言葉が紡ぎだす。
語られるから現実が生まれる。
「こっそり」話される言葉の大半は、テレビが/雑誌が/演説で/小説で/コミックで/ドラマで/ネットで言った言葉。本人に自覚がないだけで。
「秘密ごと」の言葉の大半は、誰かが自分の利益を最大化するために創りだした言葉で、あなたは知らないうちに「現実作成機」となって、その人にとっての最大利益をうむ「装置」になっているのですよ。
気味が悪ければ、自分の言葉の中のどのくらいが、他人がその人自身の利益を守るために紡ぎ出した言葉なのかを検証してみるといいですよ。
そうして、頭の良い人たちが自分の利益を最大化するために紡ぎ出した言葉で世界は分断され、情報は遮断され、因果律をたどることが困難になり、偶然性が社会を支配する。
「いつ誰に刺されるかわからない緊張感に満ちた世の中」の到来、です。
たとえば、いつの間にか、自分が軽犯罪を犯したことになっていて、その有無を問われることなく噂が流れ、公的な身分を失うなんてことが、常態化する、そんな世の中。
そんな世の中では、一個人は、ますます「ソーシャル・ネットワーク」の「セカイ」に閉じこもっていきますよね。
だってこわいもの。
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「キング・オブ・クズ」をあらわす、たったひとつの言葉
「安藤守」のクズさ加減について説明が足りなかったので取り急ぎ補足。
-=ヽ/- _ フフ・・・
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ノノノ.ノヽヽヽヽ あの人は生涯
( |-?=?-| ) あの状況から抜けられない
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.|\.| ||.((.二.)).|||☆☆☆||/ | すぐ俺たちの顔も忘れるさ・・・
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この男、ひとことで言えば「卑怯者」である。
「安藤守」はリスクを冒さない。でも利益だけは確保する。そのためには人を蹴落とす。
残忍ではなく鈍感なのだ。
彼にとって他人とは、機械のようなものだ。
自分を壊すか、自分に甘い蜜を吸わせてくれる、それだけの存在。
「安藤守」は、殺されかけたところを、カイジに助けられた。
カイジは、その地獄から脱するためにあらゆる手を尽くす。
危険を冒す。
リスクを取る。
そうして、地獄から脱出しようとする。
しかし「安藤守」は、カイジの旗色が良いと思えばカイジについていくだけ。
彼は何もしない。何も考えない。自分から何かをしようとはしない。
そして旗色が悪くなれば、彼はいつでも逃げ出す。
彼にとって恩人であるはずのカイジは、運命共同体ではなく、宿り木にすぎない。
一言で言えば、彼はリスクを冒さない。
カイジが我が身を捨てて「安藤守」たちを救おうと、「地獄」へ自ら堕ちた時、彼はあっさりカイジを切り捨てた。
「安藤守」以外に、カイジを救える人間はいないのに、彼はカイジを救うための「星」をあっさり金に変えた。
切り捨てて、冷静に、「彼は地獄に堕ちるんだからもう会うこともない。復讐されることもない。安全、安全」と言ってのけた。
-=ヽ/- _
- ヽ
ノノノ.ノヽヽヽヽ おらおらっ……!
( |-?=?-| ) 隠してる金も
| .ノ U . .| 全部出すんだっ……!
.人_´ ̄ ̄`_人 ケチケチしてると
/ ̄ ̄.| |  ̄ー ̄| | ̄ ̄ \ 買い損なうぞっ……!
/ |_|\_/|_.| \ てめえらの運命は
|\| || ||.___ |./| オレたちの胸三寸っ……!
.|\.| ||.((.二.)).|||☆☆☆||/ | 言っとくがあとからやっぱり
| | ||.====.|||☆☆ || .| 700あったなんて……
その後カイジが地獄から生還すると、すがりついて「自分にも分前をよこせ」とのたまわった。
彼は、「プロの被害者であり、徹底したフリーライダーであり、なおかつ生き残るためにはなんでもする」人間だ。
「キング・オブ・クズ」は、生粋の「卑怯者」なのだ。
エントリで「キング・オブ・クズ」と言及した箇所は、このような「卑怯者」を念頭においている。
も当然そう。
*1:訂正しました。id:cranehills さん、ありがとうございました。
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2011-11-18
「この犠牲だけが私の人生に意味を与えている」
悩みを聞いて欲しいけれど解決して欲しくない一例。
……「一家の柱」として苦しんでいる母親を例にとろう。家族の他の成員−夫や子供−は彼女を容赦なく搾取している。彼女は家事をすべてやり、当然ながら彼女は年中愚痴をこぼし、自分の人生は報いのない無言の苦悩と犠牲の連続だと嘆いている。しかし要点は、この「無言の犠牲」が彼女の想像的同一化だということである。それは彼女のアイデンティティに整合性を与えている。もしこの絶えることのない犠牲を彼女から取り上げたら、何も残らず、彼女は文字通り「足場を失って」しまうのだ。
これは、話し手は聞き手から自分自身のメッセージの反転した−つまり真の−意味を受け取るという……完璧な例である。母親の休みない愚痴は、実は要求である。「いつまでもわたしを搾取してちょうだい。この犠牲だけが私の人生に意味を与えているんだから」。彼女を容赦なく搾取することで、家族の他の成員は彼女自身のメッセージの真の意味を彼女に返しているのである。いいかえると、母親の嘆きの真の意味は、「すべてを諦めてもいい。すべてを犠牲にしてもいい。犠牲そのもの以外は!」である。この家庭内の奴隷状態から実際に脱出したかったら、この哀れな母親はなにをすればいいのかというと、犠牲そのものを犠牲にしさえすればいいのだ。つまり彼女に搾取される犠牲者という役どころを与えている(家族の)社会的ネットワークを、受け入れるのを−あるいは積極的に支えるのを−やめればいいのだ。
したがってこの母親の誤りは単に、搾取される犠牲者の役割に黙って耐えているというその「不活動」にあるのではなく、彼女にそのような役割を割り振っている社会的・象徴的ネットワークを積極的に支えていることにあるのだ。
(「イデオロギーの崇高な対象」スラヴォイ・ジジェク p322-333)
- 作者: スラヴォイジジェク,Slavoj Zizek,鈴木晶
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2001/01
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2011-07-15
「出版大崩壊」を読んだ(続き)
「出版大崩壊」を読んだ - reponの日記 ないわ〜 404 NotFound(暫定)の続きです。
前回は、「新しい書店の形」について考えました。
今回は、「CD、DVD、GAMEを先例としてみる」を書きます。
2011-07-14
「出版大崩壊」を読んだ
インターネットが書店を殺すのか: 304 Not Modifiedさんの記事に触発されて、3ヶ月ほど前に書いたものだけれど、転載します。
本屋さんの質って、店員(アルバイト)の力量がだいぶ影響すると思うんです。
……
本屋でバイトするって本が大好きなわけですよ。CDショップだって音楽が好きだからそこに行くわけで。そして、好きなものならば表現したいことってのがあると思うんです。自分が推したものを買ってくれるとうれしいですし、それを「良かった!」と言ってくれて、あなたのお薦めをお願いしますなんて言われたら店員冥利に尽きるじゃないですか。
以前はそうやって表現できる場所って、店舗でしかなかったと思うんですよ。
……
だから、自分の好きなものを多くの人に広めるのに、書店やCDショップで働かなくてもできるようになったんですね。
……
Amazon.co.jp が便利すぎて書店に足を運ばなくなるというものではなく、好きなことを表現する場所としてインターネットを選択することで現場で表現しようとする人が減り、現場の質が下がること。それにより、系列店の陳列を上層部で統一することで品質を保つようになり、現場で表現できなくなる。そうなると、本当に好きな人が現場に集まらなくなり、さらに店員の質が悪化し、本当に売るだけの存在になってしまう。わくわくしない店に人は集まらないよ。
一方で、目利きのできる人はネット上で自分の好きな本を紹介する。
……
だから、リアル店舗で商売をしているみなさん、もっと頑張ってください。日本の商売の衰退はあなたたちにかかっているんですよ。
(上記記事より)
これは構造的に難しいのではないか、というのが、わたしの感想です。
では、その構造とはなにか。
それを以下、読み解いていきます。
2011-07-09
人を動かす力
- 作者: ロバート・B・チャルディーニ,社会行動研究会
- 出版社/メーカー: 誠信書房
- 発売日: 2007/09/14
- メディア: 単行本
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人を動かす影響力6つ





