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2013-01-11 古い校舎の取り壊し問題は裁判で解決できる?

[][][]コクリコ坂からカルチェラタン取り壊し問題も裁判で解決できる??〜豊郷小学校事件 23:11 コクリコ坂からのカルチェラタン取り壊し問題も裁判で解決できる??〜豊郷小学校事件 - アニメキャラが行列を作る法律相談所withアホヲタ元法学部生の日常 を含むブックマーク コクリコ坂からのカルチェラタン取り壊し問題も裁判で解決できる??〜豊郷小学校事件 - アニメキャラが行列を作る法律相談所withアホヲタ元法学部生の日常 のブックマークコメント

コクリコ坂から [DVD]

コクリコ坂から [DVD]

1.はじめに

 「コクリコ坂から」は、高度経済成長前夜の日本を舞台に、高校生の風間俊と松崎海(メル)の間の愛を描いた良作である。


 風間俊がその「居場所」としている古い部室棟、カルチェラタン。このカルチェラタンの取り壊しを、俊はなんとか阻止しようとする。古い建物を簡単に破壊していいのか。これは、コクリコ坂からのストーリーを貫く重要なテーマの1つだ。


俊らは、演説会を開催したり、新聞を発行したり、果ては池に飛び込んで注目を浴びるパフォーマンスをしたり等と、なんとか政治解決を目指している。


 ところで、同じ古い校舎を保存しようという目的であっても、これとは全く違うアプローチで解決した事案がある。それが、豊郷小学校事件大津地決平成14年12月19日判タ1153号133頁)である。



2.豊郷小学校事件

この事案は、豊郷小学校という、いわゆるけいおん!のモデルとしても有名な小学校が舞台となった。

D

 どのような校舎なのかをパノラマで見ることがでできるアプリのPVがyoutube上にアップされているので、これを見ると概ねイメージができるのではないだろうか。


ウィリアム・メレル・ヴォーリズという大正から昭和初期にかけての有名な建築家が設計したこの建物は、昭和12年5月30日に建築されてから60年以上が経過し、老朽化が進んでいた。そこで、行政は校舎と講堂を解体して、新しい校舎等を立て直そうとした。



古くなったから壊すと言うなら、君達の頭こそ打ち砕け!

古いものを壊すことは過去の記憶を捨てることと同じじゃないのか?

人が生きて死んでいった記憶をないがしろにするということじゃないのか?

新しいものばかりに飛びついて歴史を顧みない君達に未来などあるか!

少数者の意見を聞こうとしない君達に民主主義を語る資格はない!!

コクリコ坂から」における風間俊の演説より


一部の住民がこれに反対する運動を始めた。

もちろん、俊らと同様に、政治的な運動も行っているが、反対住民が目を付けたのは法律である。


住民訴訟と仮処分に関する技術的な問題をはしょると*1、要するに、当時は公立学校を費用を支出して解体しようといった地方公共団体の執行機関又は職員による財務会計行為について違法性が認められれば、裁判所に仮処分という形で、一時的にそれを止めるよう命じてもらえるという状況であった。そこで、反対派住民は、大津地方裁判所に、仮処分を求めて訴え出たのである。


そもそも、古くなった公共の建物を取り壊して新しいものにすること自体、頻繁に行われていることである。取り壊す度に裁判所から差し止めを命じられていては、円滑な行政目的は達成できない。だから、差し止めが認められるのは、その財政支出行為(今回でいえば建て替え)が違法でなければならない。実際に校舎の取り壊しが違法として仮処分で止まったというのは、過去に例がない*2そこで争点は、歴史のある建物を取り壊すことが違法かという点に絞られた。


この事案でも、建物の老朽化に伴い耐久性が低下しており、耐震補強をしなければ地震に堪えられないと専門家からの指摘があり、耐震補強工事をして校舎を残す場合と、校舎を建て替える場合では、建て替えの方が約4億5000万円安いという見積もりがなされていた。「どうせ修理か建て替えをしないといけないなら安い方がいい。」これが建て替えの重要な理由とされていた。必要な耐震化のために、より安価な建て替えを選んだだけであり、何ら違法はない!この行政側の主張は、それだけを取り出せば、説得力がある。


しかし、 反対派住民は力説する。この建物には、文化的価値があるんだ!


そもそも、 最高裁も、

良好な景観に近接する地域内に居住し,その恵沢を日常的に享受している者は,良好な景観が有する客観的な価値の侵害に対して密接な利害関係を有するものというべきであり,これらの者が有する良好な景観の恵沢を享受する利益(以下「景観利益」という。)は,法律上保護に値するものと解するのが相当である。

 もっとも,この景観利益の内容は,景観の性質,態様等によって異なり得るものであるし,社会の変化に伴って変化する可能性のあるものでもあるところ,現時点においては,私法上の権利といい得るような明確な実体を有するものとは認められず,景観利益を超えて「景観権」という権利性を有するものを認めることはできない。

最判平成18年3月30日民集60巻3号948頁


としており、まず、周辺住民の良い景観に対する利益を法律上保護に値するとまでは認めている。


また、文化財保護法は「文化財を保存し,且つ,その活用を図り,もって国民の文化的向上に資するとともに,世界文化の進歩に貢献することを目的とし」(1条)ているし、古都における歴史的風土の保存に関する特別措置法は、我が国の歴史上意義を有する建造物、遺跡等が周囲の自然環境と一体をなして古都における伝統と文化を具現し、及び形成している土地の状況を歴史的風土といい、その保存のための措置を規定している。更に、地域における歴史的風致の維持及び向上に関する法律は地域におけるその固有の歴史及び伝統を反映した人々の活動とその活動が行われる歴史上価値の高い建造物及びその周辺の市街地とが一体となって形成してきた良好な市街地の環境を歴史的風致といい、その維持向上のための措置を規定している。


 つまり、建造物に歴史的及び文化的な価値がある場合には、法律上もこれを保護すべきものとされているのである。 そして、このような歴史のある建物で勉強することは、児童の情操教育にも良い影響を与えるであろう。


文化価値の高い小学校の建物を破壊することは、このような文化的価値を失い、児童の教育上の価値も損なわれるということになる。建物を保存し改修工事に留めるのか、それとも、既存の建物を取り壊して新しい建物を建てるのかは単に双方の工事費用だけを比較対象するのではなく、文化的価値やそれが情操教育に与える影響を考慮すべきじゃないか、それを考慮せず、単に工事費用が安いというだけで建物を取り壊すのは違法だ。これが住民の主張の要点である。


その住民の熱意に動かされたのか、裁判所は、住民の主張を受け容れた


注:債権者は住民、債務者は行政、「改築」とは、建て替えのこと。

前記認定事実によれば,豊郷小学校改築計画は,耐震上の安全性や豊郷小学校における教育環境の整備及び施設の充実を図ることを目的としたものであって,この点においては,十分合理的な根拠を有するものということができる。

 他方,前記1(1),(3)の事実及び疎明(証拠略)並びに審尋の全趣旨によれば,豊郷小学校の建造物としての文化的価値が高いこと,本件校舎の保存改修が可能で,それにより学校施設として有用となる旨の専門家の意見及び本件校舎の保存を望む町民が少なからず存すること,見積りによれば,本件校舎を改築した場合の工事費用は,改修の場合と比べ約4億5000万円高くなるとされていることが一応認められる。

 したがって,豊郷小学校改築計画の策定に際しては,検討委員会及び債務者において,上記の教育環境の整備の必要性と文化的価値のある建造物との保存の要請との調整を図るという観点から,その価値がどの程度のものなのか,そのような文化的価値を有する建造物における学習が児童に与える情操面への教育的効果等を考慮しても,なお本件校舎を解体して改築する以外に採り得る方法がないのか,改修保存によることが可能であるとすれば,具体的にどのような改修方法があるのか等について,複数の専門家の意見を聴取するなどして,改築した場合と改修保存した場合とで建物の耐用年数,安全性,必要経費,教育環境に生じる利点,欠点にどのような差異があるのかを詳細に比較検討して,計画を策定すべきところ,債務者がそのような検討をしたことはうかがえず,かえって,本件決定後に設置した建設委員会においては,債務者は,平成14年2月に実施された豊郷小学校PTAを対象としたアンケート結果では約65%の者が本件校舎の改築を希望していたとして,本件校舎の改築を前提に森野設計事務所に一部設計変更を依頼し,それに基づき,本件校舎を解体して跡地に新校舎を建築し,その左右に図書館と本件講堂を現状を残す方向での豊郷小学校改築計画を進めようとしていることが一応認められる(証拠略)。

 また,豊郷小学校改築計画の根拠の一つとされた森野設計事務所による本件耐震診断結果について,本件校舎の北側半分だけしか調査せず補正計算をしていないこと,柱の太さを実際のものより細く入力して計算していること等の具体的な問題点を指摘する専門家の意見が提出されたところ(証拠略),森野設計事務所から,上記各問題点を事実として認めた上で,構造耐震指標値を再計算した結果,なお,補強を必要とする旨の本件耐震診断結果は正しいものであるとの説明資料(証拠略)が提出されたが,債務者あるいは建設委員会において,本件耐震診断結果又は同資料において算出された構造耐震指標値や森野設計事務所の見解の正確性,信用性について,他の専門機関や公的機関の意見を聴取するなどの措置を執ったことはうかがわれず,上記問題点解明のための議論,検討が十分尽くされたことの疎明はない。

 以上によれば,債務者は,本件校舎の文化的価値,保存改修の可否,保存改修する場合の必要経費,耐震性の程度等を十分に調査せず,真に実現可能な改修案があるか否かを十分な検討しないまま,豊郷小学校改築計画を決定し,本件校舎の解体工事を行おうとしているといえるのであって,このことは,債務者に広範な行政裁量が認められていることや本件講堂を保存する方向で豊郷小学校改築計画を一部変更したことを考慮しても,債務者が豊郷町長として負っている町の財産の管理方法や効率的な運用方法として,なお,適切さを欠くものといわざるを得ず,地方財政法8条に違反するものと認められる。

大津地決平成14年12月19日判タ1153号133頁


 裁判所は、このように判示して、建て替えの一時差止を認めたのである。


 もちろん、司法の判断が出ればこれで終わりではない。その後、行政に保存を決定させるまでは、一筋縄ではいかない経緯があったが、最終的には、司法の判断が出たことが1つの大きな理由となって保存が決まり、豊郷小学校の建物は、国の登録文化財になることも決まっている


まとめ

コクリコ坂から」では、俊ら反対派生徒が、演説会を開催したり、広報誌を刷ったりすることで政治的解決を試みていた。これは1つの解決である*3

しかし、同じような古くからの建物を保存するためであっても、豊郷小学校事件のように、法的な措置をとり、裁判により建て替え差止を勝ち取った事案もある。

 裁判所がいうように、建物の文化的価値を無視した取り壊し判断は、単に政治的におかしいだけではなく、少なくとも行政の所有する建物であれば、「違法」なのだ。

参考:コクリコ坂関連エントリ

コクリコ坂で学ぶ家族法〜婚姻障害とその除去 - アニメキャラが行列を作る法律相談所withアホヲタ元法学部生の日常

コクリコ坂の時代背景を教えてくれる「蛇足」審判〜「判例史学」という新たな地平 - アニメキャラが行列を作る法律相談所withアホヲタ元法学部生の日常

コクリコ坂からのカルチェラタン取り壊し問題も裁判で解決できる??〜豊郷小学校事件 - アニメキャラが行列を作る法律相談所withアホヲタ元法学部生の日常

*1:実務上は非常に重要なのですけどね...。

*2:実は、横田基地と関係する訴訟で、浦和地裁が取り壊しを差し止めた仮処分を東京高裁がひっくり返した東京高判昭和52年11月16日判タ365号267頁がある。

*3:また、私立学校では、本件のような住民訴訟を前提とした戦略は使えず、少なくとも「管理権濫用」が必要だろう。例えば、私立高校の体育館改築工事差止を高校生が求めて認められなかった事案(大阪地判昭和57年8月27日判例時報1057号96頁)では「申請人らがいずれも本高校への入学を認められて入学し、定の納付金を納入しているものである以上、その対価として、本高校に就学し本高校の施設を利用しうるという在学契約の一方当事者としての法的地位を有しているのであるから、他方当事者である被申請人がその管理権を濫用して、合理的な理由もなく従来の教育条件及び教育環境を甚だしく改変し、その結果申請人らを含む布校生が本高校において教育を受けることを著しく困難にするような場合には、これに対する司法的救済を受け得る立場にある」としたことが参考になるだろう。

2011-09-03 蛇足審判に秘められた時代背景と裁判官の肉声

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コクリコ坂から(ロマンアルバム)

コクリコ坂から(ロマンアルバム)

*本エントリには、コクリコ坂からのネタバレを含んでいます。ご注意下さい。


1.コクリコ坂の時代背景?

  コクリコ坂からについては、もはや多言を要しないだろう。

既に、このblogでも、コクリコ坂家族法というエントリをアップしている。

コクリコ坂で学ぶ家族法〜婚姻障害とその除去 - アニメキャラが行列を作る法律相談所withアホヲタ元法学部生の日常


この作品を見て、当時の時代背景を知りたくなった

どうするか。


普通は、歴史書や歴史研究者論文を読むだろう。例えば、

『コクリコ坂から』 忘れ去られたモデルとなった事件 :映画のブログ

は、石丸安蔵氏の歴史研究を引いて、LSTの犠牲について調査したエントリを書かれている。



 しかし、「法律ヲタク」は違う。判例集を読むのだ。各判決には、事実認定といって、証拠から裁判所が存在したと判断した事実を認定している項目がある。この中には、その事案の解決のためだけのスペシフィックな事柄もあるが、その事案を適切にとらえるための背景となる歴史経緯等を厚く認定しているものもある*1。もちろん、その認定の背景をよりよく理解するために歴史書もひも解く必要はあるが、このように、裁判例で認定されてきた事実の中から歴史を研究する学問を「判例史学」と呼ぶこともできるかもしれない。


2.名古屋家審昭和47年3月1日の事案

名古屋家審昭和47年3月1日判例時報679号52頁という家裁の審判がある。これを以下、「本件審判」と呼ぼう。

本件審判は、戦後27年が経過する昭和47年に行われた。「コクリコ坂から」の約10年後であり、東京オリンピックもとっくに終わっている。「時代が違うじゃないか」と思わずに、もう少し付き合っていただきたい。


  戦時色が濃くなる昭和12年、ある男女が恋愛「結婚」した。しかし、両家はいわば名家であり、恋愛結婚は簡単には許されない。婚姻届を出せないまま、妻は妊娠した。妻は出産のため実家に戻ったが、実家は夫との連絡を禁じ、夫は妻の状況がわからないまま軍隊に応召された。各地を転戦するうち、たまたま広州で親友である申立人の英比八郎さん*2に出会った。いつ死ぬかも分からない、まさに死と隣り合わせの時代。夫は、英比さんに、「八郎、お前が生きて帰った時、妻が無事子供を出産していたら、その子の出生届を俺の代わりに出してくれ」と依頼した。

  夫はガダルカナル島で戦死したが、申立人の英比さんはやっとの思いで内地に引き揚げた。

  引き揚げ後、英比さんは、死んだ親友の妻と再会し、女児が無事生まれたことを知った。しかし、女児「無戸籍」だった。


 親友の依頼をどう実現すればいいのか分からないまま、種々の話し合いがなされたものの、その手続が不明であったこともあって、まさに「中ぶらりん」の状況が続いた。四半世紀以上も

その後、妻において、たまたま知り合った弁護士の畠山国重先生に事情を話したところ、先生が、「委託又ハ郵便ニヨル戸籍届出ニ関スル件」(昭和十五年法律第四号)のことを教えてくれた。


  要するに、当時は父親がバタバタ戦死するので、父親の死後でも、父親からの委託を受けた友達等が出生を届け出ることができるという規則があり、戦後も、戦時中に委託されたものに限っては有効とみなされていた*3。そして、このような第三者への委託事例では、事実関係が不明になることが多いので、届け出があった場合、家庭裁判所が審判で確認することになっていた*4


 英比さんは、畠山先生に依頼して、大阪家裁に申し立てた。名古屋家裁の天野正義裁判官は、申立人の申し立てを認め、女児(当時はすでに一児の母となっていた)の戸籍を作成できるようにした


 父親の戦死等により、戸籍がなくなり、または、戸籍が違った形になる。まさにこれは、コクリコ坂ではないか

 そう、当時は、無数の「コクリコ坂から」があったのだ。


3.蛇足判決

 コクリコ坂からの事案でも、この「委託又ハ郵便ニヨル戸籍届出ニ関スル件」制度を利用することができれば、澤村雄一郎は、「委託を受けた者」として、俊の戸籍を正しく届け出ることもでき、これによって無戸籍を回避しながら、かつ、海との婚姻障害を除去できた*5

 しかし、実際に「委託又ハ郵便ニヨル戸籍届出ニ関スル件」制度を活用することは、当時の実情としては、極めて難しかった。


 本件審判が特筆すべきことは、当時の実情を、法的判断の部分の2倍以上の紙幅を使って述べていることである。これは、一種の「蛇足」であり、本来判決書に書く必要のないものといわれればそのとおりである。裁判官が判決に蛇足を書くことを批判する向きもあることも十分に承知している。しかし、本来書くべきではない蛇足をあえて書くところに、その裁判官の、蛇足部分にかける熱い思いや、人間性が表出されているのではないか。

戦争時代の実情や、「委託又ハ郵便ニヨル戸籍届出ニ関スル件」制度について、天野裁判官がその率直な心情を吐露した本件審判の「蛇足」を読んでいただきたい。

第三、本件についての当裁判所の所感

一、ところで、一般論としては、本来、裁判書にはいわゆる蛇足を付け加えるべきではあるまい。すなわち、蛇足は、文字どおり蛇足なのであって、これあるがために、その審判書は、かえって或いは理由齟齬を招き、ときとしては、その真意が誤解されることさえも生じ得ないとはいえないからである。しかし、本件においては、当裁判所は、この警しめは、これを充分に熟知しながらも、あえて以下に特にいわゆる蛇足を付加せざるを得なかった。よって、以下に文字どおりの蛇足ながら、当裁判所の本件についての所感の一端を披瀝しよう。

(中略)

なるほど、戦後のわが国の経済復興は、実にめざましいものがあった。その限りでは、(注:戦後25年以上が経過した審判日時点では)まさに戦後は終ったということも可能であろう。

 しかし、ここに注目したいことは、その背後には、そのかげには、声を大にして叫ばれこそはしないが、またそれ故に多くの耳目に触れることもないままに、いまなお、ひっそりと歌われ、しめやかに奏でられている戦争悲歌があるという事実である。

(中略)

これらの戦争は、彼を平和な小市民としておくことを許さなかった。すなわち、当時のわが国は、戦斗要員としての彼をまず必要としたのであった。かくて、彼は、恐らくはみずからは必ずしも好まざるところではあったろうが、右国家の求めにより、生木をさかれるように、その愛する者と別れて、軍務に就くことを余儀なくされ、まさに後ろ髪をひかれる思いにかられながら、各地を転戦した。この間には、愛児の誕生をみたものの、子の父として、彼には、これを慈しみ愛護するという当然の機会さえも全く与えられないままに、諸々に辛酸をなめながら、遂に南冥のガダルカナル島(Guadal Canal以下にガ島と略称する)の陣中において戦没するにいたった。

(中略)

しからば、一方、同じく戦陣にあった申立人と銃後に残された者はどうであったか。当裁判所は、粛然と襟を正して本件の審理を重ねながら、本件にあっては、まず、これに直接間接に関与した多くの関係人のすべてが、まことにいずれも善良にしてそして誠実な人達ばかりであったことに着目した。

(中略)

  本件は、右のような多くの善意の人の手によって事が推移し、しかも、これらの人々が、いずれも当時としては殆んど最高に近い教育を受け、相応の常識と教養を積んでいたにもかかわらず、戦後四分の一世紀を経た今日にいたって本件が漸くここに陽の目をみるにいたったのは何故であろうかということである。なるほど、法令としては、旧戸籍法の特例として、「委託又ハ郵便ニヨル戸籍届出ニ関スル件」(昭和十五年法律第四号)がある。しかし、それでは、国民のうち、一体何人がこの法令の趣旨を熟知しているか。しかも、本件の関係者は、そのいずれもがいわば戦争の犠牲者であるといえよう。国家は、よし悪意はなかったとしても、結果としては、彼らにこのような深刻な犠牲を一方的に強いたのである。まことに戦争の傷跡は、本件において殊に大きく深かった。罪なくして生れた前記和美は、いまはすでに婚姻し、家庭の人となったのみか、その夫との間に一子さえある。しかも、その戸籍はなくして、今日にいたるまで個人の身分関係を公証する戸籍の上では、全く無籍のままに推移した。まさしくかつての靖国の遺児として、国家から相応の好待遇をこそ受けるにふさわしい者が、戸籍上は、かえって結果において右のような取扱しか受け得られなかった。その原因は、制度はあっても、一にかかって関係者が過失なくして右法令を充分に熟知しなかったことにあろう。

十四、しかしながら、当裁判所は、ここに再度重ねてあえて言おう。一体、何人が右の法令を正しく熟知し得よう。問題は、何人が現にこれを正確に熟知しているかということである。

(中略)

戸籍の事務処理に当る諸機関に国の充分な配慮が与えられ、その広報活動がより活発になされるならば、本件のように、関係者の善意にもかかわらず、今日に及んで漸くその解決をみるという事態は、ここに全く避け得られることになろう。

十六、当裁判所は、本件の処理に当り、まさに襟を正すの思いで、国の適切なしかも可急的速かな一連の諸施策がこれら不幸な事案に優先的に与えられることこそ、国の責務であることを再びここに断じ、その速かな実現を心から念願するとともに、これを深く期待しつつ、筆を擱きたい。

名古屋家審昭和47年3月1日判例時報679号52頁

注:末尾に審判書全文を掲載したので、興味のある方はぜひ、詳細をお読みいただきたい。


 本件審判が力説するように、 多くの市民が戦争の犠牲になり、特に父親の死亡による戸籍届け出の困難があった。

そのための戸籍届け出の便法が認められてはいたものの、このようなフル活用されるべき情報が一般市民には全然周知されていなかった


この結果が、本件審判のような、昭和47年になってはじめて戸籍が出来る女児の存在や、愛するメルと結婚できなくなりそうになった俊の存在なのである。


天野裁判官は大正14年9月30日生まれ。20歳で終戦を迎え、4期司法修習生として昭和27年に法曹となり、昭和31年に裁判官に任官した。まさに「昭和」を生きた方であり、英比さんや死んだ夫、そして妻(女児の母)と同世代を生きる方である。一人の人間として「蛇足」を書かざるを得なかったのだろう*6

 この審判は、判例時報誌の評者によって、

事件の背景には、本審判があえて蛇足として付加したように、多くの感懐が秘められている。一つの事例として紹介するに値しよう。

判例時報679号52頁

と評価されている。


そう、コクリコ坂も、本件審判も、このような時代背景に基づく「感懐」の一断面なのだ。


まとめ

判決をたくさん読むと、「蛇足」といった形で時々垣間見える裁判官の肉声。

そこには、「人間」がいる。

同じ時代を共有し、悩みに悩んで判決する人間が。

こういう判決・審判を見ると、司法に問題がたくさんあっても、上を向いて歩こう、きっと明日は今日より一歩良くなるはずだから。こう思えるのだ。


参考:コクリコ坂関連エントリ

コクリコ坂で学ぶ家族法〜婚姻障害とその除去 - アニメキャラが行列を作る法律相談所withアホヲタ元法学部生の日常

コクリコ坂の時代背景を教えてくれる「蛇足」審判〜「判例史学」という新たな地平 - アニメキャラが行列を作る法律相談所withアホヲタ元法学部生の日常

コクリコ坂からのカルチェラタン取り壊し問題も裁判で解決できる??〜豊郷小学校事件 - アニメキャラが行列を作る法律相談所withアホヲタ元法学部生の日常


参考:本件審判書全文

戸籍届出の委託確認審判申立事件

名古屋家裁昭四六(家)二七九八号

昭47・3・1審判

申立人 英比八郎

右代理人弁護士 畠山国重

事件本人亡 甲野和郎


       主   文

申立人が、昭和十六年十二月四日、広洲省虎門附近において、事件本人から、現住所横浜市○○区○○○××番地乙山和美につき、同人が事件本人を父とし、本籍広島市○○○町×丁目××××番地の××乙山花子(大正五年九月一日生)を母として、右両名間の庶子女として昭和十三年十二月十四日広島県○○郡○○○町××番地において出生した旨の出生の戸籍届出の委託を受けたことを確認する。


       理   由

(申立の趣旨ならびに申立の実情)

 申立代理人は、主文同旨の審判を求め、その実情として、次のとおり述べた。

一、主文に表示された乙山花子と事件本人は、いずれも昭和十二年頃、ともに当時の東京市牛込区若松町にあった○○アパート内に寄宿し、花子は、同所から洋裁修得のため虎の門富士ビル内の伊東茂平洋裁研究所に通学し、事件本人は、また早稲田大学専門部商学科の学生として、同アパートから右大学に通学していたが、やがて相思の仲となり、同年十一月三日、申立人を含む友人五名の出席を得て、同アパート内で結婚披露をなし、直ちに同所において同棲した。

二、しかし、この結婚は、右当事者双方がいずれも若年の学生であることと、いわゆる恋愛結婚を双方の父兄がともに不道徳視していたことが主たる原因となって、同棲はなされたものの、結局、双方の実家の同意を得られないままに推移した。

三、すなわち、事件本人は、同十三年三月、同大学専門部を卒業したので、花子とともに相携えて事件本人の郷里名古屋に赴き、名古屋市○区○町に新たに花子と新世帯をもち、この間、右結婚に対する実家の同意を得べく、同人は勿論、親友である申立人等においても、事件本人等の生活を援助するとともに、種々奔走したが、これも遂に実家の同意を得られず、結局、その効を修め得なかった。

四、ところで、乙山花子は、事件本人と前記のアパートに同棲中、すでに妊娠していたので、前記のように、いったんは事件本人とともに右名古屋にあったが、同年六月、その実家で出産すべく、事件本人と別れて、単身、主文表示の○○○町××番地に赴き、一方、その後、同女の親友である広田松子において、事件本人の生家の同意を得べく、名古屋に赴いたこともあったが、これも遂に効を奏しないまま、同年十二月十四日、同所で女児を出産した。

五、この間、事件本人は、右花子との間になんらの連絡がとれないまま、同十三年十二月、応召入営のうえ、軍務に服するにいたったので、母たる花子は、その生家の監視を受けて事件本人との連絡が全くとれないままに、右女児の名として、事件本人の和郎の「和」と花子の父乙山美夫の「美」の一字をとって、同児に対し、「和美」と名づけた。

六、一方、事件本人は、その後、各地を転戦し、同十六年十二月にいたったところ、同月四日、たまたま応召して同様軍務に服していた親友の申立人と広洲省虎門附近で偶然再会し、ここに、申立人は、同所において、事件本人から、主文記載の趣旨の子の出生の届出を委託されるにいたった。

七、かくて、事件本人は、この頃、いわゆる香港攻略戦に参加し、以後も、終始、軍人として、野戦の事に従事して、ソロモン群島ガダルカナル島(Guadal Canal)に転じたが、遂に同十七年十二月十一日、同地での戦斗で戦死するにいたった。

八、よって、申立人は、委託の趣旨を実現するため、ここに主文同旨の審判を求める次第である。

(当裁判所の判断)

第一、当裁判所の認定した事実

一、まず、《証拠略》、ならびに以上の資料によって認定される申立人主張の事実を各綜合し、これに本件の全趣旨を併せると、更に次のような事実を認定するに充分である。

二、すなわち、

(一) 申立人と事件本人は、ともに名古屋の出身で、双方の父親がいずれも相応の素封家でまたともに裁判所の調停委員などに選任されていたため、すでに両名が旧制実業学校に在学中から相互に熟知の間柄にあったものであるが、右学校を卒業後は、両名ともに早稲田大学専門部に進学したことから、更に一層親密の度を重ね、相共に当時の東京市牛込区若松町所在の○○アパートに寄宿するようになり、昭和十二年当時は、両名そろって同所から同大学に通学するほどの間柄であった。

(二) ところで、当時、このアパートには、同じく広島から洋裁等の修得のために上京していた乙山花子、広田松子らが居住していたが、事件本人らは、ここでその止宿先を共にする同女らと親しくなり、申立人主張のとおりの経過を経て、やがて殊に相思相愛の仲となった事件本人と右花子は、遂に同アパートにおいて同棲するにいたった。

(三) しかし、申立人がその主張の二の項に述べたように、事件本人等において、申立人を含む双方の友人に対しては、事件本人と花子は右のような関係にあって近い将来正式に婚姻をする旨のことが同年十一月三日披露されはしたが、双方の実家の承諾は、遂に得られることなく、かくて、事件本人は、同十三年三月、右大学の専門部を卒業し、申立人主張の三ないし五の各項に記載された経緯を経た。

(四) かくて、乙山花子は、女児を出産したものの、その生家は、事件本人との関係を極度に嫌い、同女と事件本人との連絡を絶つよう同女の行動を絶えず監視したため、花子は、結局、事件本人との間にはなんらの連絡がとれないままに、母子の生活を維持するため、和美とともに、同十七年頃京城に渡り、同地において、洋裁店を経営したが、やがて今次戦争の終戦を迎え、同二十年十二月、和美を連れて郷里広島に引き揚げるにいたった。

(五) 一方、事件本人も、花子の安否を深く心に気にかけながらも、これまた花子との間になんらの連絡をとる暇もなく、同十三年十二月、現役兵として歩兵第六連隊に入営し、以後、各地を転戦し、同十六年十二月にいたった。

(六) また、申立人自身も、この間、同十五年、同連隊に入営し、やがて陸軍経理部甲種幹部候補生となり、陸軍少尉に任官のうえ、広洲省虎門において軍務に服していたところ、同十六年十二月四日、たまたま香港攻略戦に参加するため、兵科下士官として同地を行軍してきた事件本人と偶然再会し、ここに申立人は、事件本人から、主文記載の趣旨の子の出生の届出を委託されるにいたった。

(七) しかして、事件本人は、その後、申立人がその主張の七の項において述べたような経過を経て、遂に同十七年十二月十一日、前記ガダルカナル島砲台西南側沖川河合分流点附近において戦死するにいたった。

(八) 一方、前記のように、京城から引き揚げた乙山花子は、その後、諸々に伝手を求めて当時広島方面に駐留中の英豪軍基地内で洋裁店を始め、以後二十数年にわたり、終始、和美とその生活を共にし、これを愛育して、現在は、広島県呉市横浜市等において、手広く洋裁店、喫茶店等を経営し、今日にいたっている。

(九) また、右和美は、結局、無籍のままで今日にいたったが、この間、東京の○○高等女学院等を卒業のうえ、○○屋洋裁部門の専属主任デザイナー等を勤め、またこの間、○○航空にエンジニアーとして勤める丙川一夫と婚姻し、すでに右両名の間には、同四十六年十月に生れた長女春子がある。

(十) ところで、申立人がさきに戦死した事件本人から受託された本件の戸籍届出については、戦後再会した申立人、乙山花子、前記広田松子等との間で、種々の話合がなされたものの、その手続が不詳であったこともあって、申立は延引したが、花子において、たまたま知り合った本件代理人に事情を話したところ、改めて同代理人からの手続教示があり、これにもとづいて、申立人から本件申立をなすにいたった。

 以上の事実が認められるのである。

第二、法令の適用

一、しかして、以上の事実によれば、右事実は、戸籍法第百三十八条第二第三項、旧委託又ハ郵便ニ依ル戸籍届出ニ関スル件(昭和十五年法律第四号)第一条に該当することまた明らかというべきである。

二,ところで、記録に編綴されている本件申立書によれば、その申立の趣旨欄に、申立人が、事件本人から、乙山和美が、事件本人を父とし、主文表示の乙山花子を母として、その間の「女」として出生した旨の戸籍届出の委託を受けたことを確認する旨の申立の記載があるが、申立人が本件委託を受けた当時施行されていた旧戸籍法(大正三年法律第二十六号)第八十三条の規定するところによると、当時は、父が「庶子」出生の届出をしたときはその届出は認知届出の効力を有する旨が規定されているから、昭和十七年二月十八日民甲第九〇号通達をもって、私生子なる用語が戸籍の届書上使用されなくなった以前の事に属する本件においては、申立の趣旨を右のように善解し、なお、主文のように表示し、これを認知届出の委託を受けたものと同視するのを相当とする。 

三、よって、本件申立は、その理由があるものとして、これを認容すべきである。

第三、本件についての当裁判所の所感

一、ところで、一般論としては、本来、裁判書にはいわゆる蛇足を付け加えるべきではあるまい。すなわち、蛇足は、文字どおり蛇足なのであって、これあるがために、その審判書は、かえって或いは理由齟齬を招き、ときとしては、その真意が誤解されることさえも生じ得ないとはいえないからである。しかし、本件においては、当裁判所は、この警しめは、これを充分に熟知しながらも、あえて以下に特にいわゆる蛇足を付加せざるを得なかった。よって、以下に文字どおりの蛇足ながら、当裁判所の本件についての所感の一端を披瀝しよう。

二、今次大戦の終戦から十年を閲した昭和三十年頃、巷間に、戦後は終ったなる言葉が流布され、国民一般も、その大部分は、さほどの抵抗を覚えないままにこの言葉を受容したことがあった。しかしながら、果して真に然りといえるであろうか。当裁判所は、本件の審理を閉じて、いまこの審判書を起案しつつあるが、国民の一部については、右終戦の日から実に四分の一世紀を経た今日にいたるも、いまなお、この言葉は、全く妥当するものではないことをしみじみと感じつつある。なるほど、戦後のわが国の経済復興は、実にめざましいものがあった。その限りでは、まさに戦後は終ったということも可能であろう。

 しかし、ここに注目したいことは、その背後には、そのかげには、声を大にして叫ばれこそはしないが、またそれ故に多くの耳目に触れることもないままに、いまなお、ひっそりと歌われ、しめやかに奏でられている戦争悲歌があるという事実である。

三、本件についてふりかえってみよう。まず、昭和十二年に当時日支事変と呼ばれた不幸な戦闘が華北の一角に起きたということ、これが事変の拡大化とともにやがて支那事変と呼ばれるようになり、遂に同十六年には、大東亜戦争なる公式呼称をもって呼ばれる今次大戦に発展してしまったということは、そのすべてが、全く彼自身の関知したところではなかった。彼は、当時としては恵まれた中京地方の素封家の家に生れ、これらの子弟として一般に受ける相応の教育を授けられ、更に東京に遊学して、この頃、若い頃にありがちな平凡なしかしむしろ微笑ましい恋愛問題をひき起こし、これに関連して、その身辺に、当時としては所々にみられた生家との間にありふれた些末な葛藤を起しながらも、愛する人との生活を享受しながら、平凡ではあるが、善良な一般小市民として、まことにささやかな幸福感に酔っていたであろう。彼、すなわち本件の事件本人たる甲野和郎である。

四、しかるに、これらの戦争は、彼を平和な小市民としておくことを許さなかった。すなわち、当時のわが国は、戦斗要員としての彼をまず必要としたのであった。かくて、彼は、恐らくはみずからは必ずしも好まざるところではあったろうが、右国家の求めにより、生木をさかれるように、その愛する者と別れて、軍務に就くことを余儀なくされ、まさに後ろ髪をひかれる思いにかられながら、各地を転戦した。この間には、愛児の誕生をみたものの、子の父として、彼には、これを慈しみ愛護するという当然の機会さえも全く与えられないままに、諸々に辛酸をなめながら、遂に南冥のガダルカナル島(Guadal Canal以下にガ島と略称する)の陣中において戦没するにいたった。

五、当時のガ島の戦場は、故国からする物資の補給は、僅かに潜水艦等を主体とする海軍の小艦艇によってなされたのみで、戦陣のわが将兵は、常に耐えざる慢性的な甚しい飢餓感に苛まれ、餓死寸前の状況を彷徨し、加えて故国からの便りは遂には全く途絶し、しかも、この間を縫っての筆舌に尽しがたい激烈な戦斗で、多くの若い兵は、本来春秋に富む身であるのに、故国をひたすらに偲びながら、否、故国に残した愛する人の上にひたむきに想いをはせながら、空しく同島の土となったものであって、これらの事は、いずれもすでに当裁判所に顕著な事実である。これらの空しく陣没した年若い無名の兵が、表面の上では、かつて仮に「天皇のために」死の道を選ぶと述べたとしても、これは必ずしもその真意を伝える言葉ではない。その真意は、これこそまさしくその言葉の代りに、わが「愛する父母のために」、「愛する妻子のために」、そしてまた「愛する人のために」という言葉でもってこそその言葉は置きかえられるべく、然らざれば、その真意に反しよう。然り、彼らが、みずからは、かつて見たことさえもない、その限りでは彼らにとって甚だ抽象的な存在でしかなかった「天皇」個人のためにのみ死ねるわけはない。すなわち、彼らは、まことにその各々が、実にその「愛する者のために」、「愛する者」が生き残るであろう祖国を守るために、そのためにこそあえて異国の戦場において死の道を選んだのである。戦塵を浴びてその戎衣は汚れていたろう。しかし、汚れて画一化された戎衣を身にまとっていても、その下には若々しい情念が溢れていたことでもあろう。なるほど、前述したように、わが国の戦後の経済成長には、まさにわれわれの目を見張らせるものがあろう。しかしながら、このように解するのでなければ、同様に戦陣に在った者には、耳をそばだてなくても、経済成長という声の背後から聴えてくる啾啾たる彼らの鬼哭の声を慰める術はない。然らずんば、無数の彼らの尊い鮮血を吸ったガ島の生命なき石も叫ぼう、無心の草木も彼らのために慟哭しよう。

六、彼、甲野とても、もとよりその例外ではなかった。自己の運命に忠実に従って終始野戦に在った彼にとって、故国に残した乙山花子、そして彼とその間に生れた和美のことは、後事を申立人に託しはしたものの、恐らくは、死の瞬間にいたるまで、夢寝の間にあっても、その脳中を絶えず去来し続けたことであろう。

七、しからば、一方、同じく戦陣にあった申立人と銃後に残された者はどうであったか。当裁判所は、粛然と襟を正して本件の審理を重ねながら、本件にあっては、まず、これに直接間接に関与した多くの関係人のすべてが、まことにいずれも善良にしてそして誠実な人達ばかりであったことに着目した。

八、まず、本件の申立人である。彼は、右甲野の竹馬の友として、これと学業を共にし、亡友と右花子との新婚生活(本件ではその婚姻がいわゆる法律婚事実婚かということは全く問題にしないでおこう)の継続を陰に陽に助け、同じく花子の親友であった広田松子とともに、相携えてその双方の実家の誤解を解くべく奔走し、みずからも召集を受けてからは、前認定のように昭和十六年末のいわゆる香港攻略に際して亡友から前認定の委託を受け、記録によって明らかなように、戦後はまた戦争未亡人たる右花子の行方を探し当て、その良き友として、右松子とともに花子に絶えざる暖かい援助を与え今日にいたったものであって、これらの人の暖かな好意がなかったならば、本件は、遂に陽の目をみることも或いはなかったかもしれないことを考え併せると、当裁判所としても、これらの人々に心から感謝したい心情である。

九、戦争未亡人たる乙山花子については、前認定の事実によって明らかなように、もとより最早多くを語るを要しまい。亡夫甲野の応召後、日かげの身ながら、ひたすらに愛児の愛護養育に励み、その今日を築いたことを顧みるならば、同女に対して、当裁判所は、その積年の労苦に心からなる同情の念を抱くとともに、改めて深く敬意を表したい。

十、ところで、ここでは、すでに鬼籍に入った両家の家長のことにも言及しよう。家族制度が牢固として国民の間に定着していた当時にあって、しかも、名古屋なり広島なりの地方においてそれぞれ素封家の立場におかれていた両家の家長が、両家の人の全く関与しないところで結ばれたいわば学生同志の婚姻にたやすく直ちに同意を与えなかったとしても、これ又当時としては、まことに無理からぬところであって、当時の婚姻に対する国民一般の観念がいわゆる家族制度を抜きにしては語れなかった事実に想到するならば、両家の家長のとったこれらの措置にとかくの批判を加えることはできない。子を思わぬ親はないという一般的な観念は、特段の事情のない限り、概ね妥当するところである。しかして、本件においても、これらの家長は、それぞれに、将来は、右婚姻を黙示的にしろ、いずれは許そうとの考えでいたであろうことは、本件の全趣旨に徴して、またこれを認めるに足りる。ところが、戦争は、彼らにこれらの時間を全く与えなかった。ここに甲野が軍務に服してから右戦死にいたるまで四年の空白ができてしまった。本件の不幸は、ここに生じ、しかして、これは、やはり彼らの意図を超えたものであった。

十一、しからば、筆を今一度右甲野と花子のことに戻そう。彼らが東京に遊学中互いに相知り、相互に憎からずといった恋愛感情を抱いたこと、そして、これがやがて彼らの同棲となり、相共に将来を誓う仲となって愛児の出産といった事態にたちいたったこと、以上の事実を辿ったこれら一連の推移は、これまた、まさしく自然のなりゆきというべく、第三者が一層慎重な配慮が望ましかったと言うのは容易ではあるが、それでは一体、誰が真にこれを責め得よう。当裁判所は、本件を契機として、右両家が今や血肉を分けた親類としての親密な交際関係を維持するよう、これのみを今後に期待することにしよう。

十二、以上のように考えるならば、さきにも一言したとおり、本件は、それ自身がひとつの戦争悲歌ではあるが、これに登場するすべての人々は、そのいずれもが、誠実な善意の人々であった事実を知るに充分であり、それ故にこそ、本件には、また大きな救がある。

十三、ところで、ここで、特に注意したいことは、本件は、右のような多くの善意の人の手によって事が推移し、しかも、これらの人々が、いずれも当時としては殆んど最高に近い教育を受け、相応の常識と教養を積んでいたにもかかわらず、戦後四分の一世紀を経た今日にいたって本件が漸くここに陽の目をみるにいたったのは何故であろうかということである。なるほど、法令としては、旧戸籍法の特例として、「委託又ハ郵便ニヨル戸籍届出ニ関スル件」(昭和十五年法律第四号)がある。しかし、それでは、国民のうち、一体何人がこの法令の趣旨を熟知しているか。しかも、本件の関係者は、そのいずれもがいわば戦争の犠牲者であるといえよう。国家は、よし悪意はなかったとしても、結果としては、彼らにこのような深刻な犠牲を一方的に強いたのである。まことに戦争の傷跡は、本件において殊に大きく深かった。罪なくして生れた前記和美は、いまはすでに婚姻し、家庭の人となったのみか、その夫との間に一子さえある。しかも、その戸籍はなくして、今日にいたるまで個人の身分関係を公証する戸籍の上では、全く無籍のままに推移した。まさしくかつての靖国の遺児として、国家から相応の好待遇をこそ受けるにふさわしい者が、戸籍上は、かえって結果において右のような取扱しか受け得られなかった。その原因は、制度はあっても、一にかかって関係者が過失なくして右法令を充分に熟知しなかったことにあろう。

十四、しかしながら、当裁判所は、ここに再度重ねてあえて言おう。一体、何人が右の法令を正しく熟知し得よう。問題は、何人が現にこれを正確に熟知しているかということである。当裁判所に顕著なように、全国の家庭裁判所においては、法令上に明確にその根拠を持たないにもかかわらず、したがってまた、何らの予算措置も講じられないままに、自然発生的に関係職員のいわば奉仕の手によって、いわゆる家事相談が現に行なわれている。人的物的設備の点でいまなお必ずしも十全とはいえない家庭裁判所において、このような措置があえてとられているその原因は、一体何であろうか。いまその詳細をここに論述することはできないが、その原因は、また、一にかかって、民間になお残されている本件のような潜在的なしかし関係者にとっては切実な問題を採り上げることによって、平和で円満な家庭の建設が可能であるという理念に根ざしているものといえよう。しかるに、その必要はこのように充分に認識はされながらも、未だにその法制化はなお困難のようである。

しかし、本件の審理を通じて、当裁判所は、右法制化の速かな実現を図るとともに、広く家庭裁判所の門戸をより国民に開放する必要を一層深く認識した。何故ならば、右のような立場に在る本件の人達でさえも、善意はあっても、法律的には殆んど知るところがないままに、本件においては、前記のような事態を迎えてしまった事実に着目したからである。すなわち、本件の関係者にして、右の家事相談を速かに利用していさえすれば、否、利用し得る機会を与えられていれば、本件の解決は、もっと早かったであろうことに留意したからである。当裁判所は、再言しよう。すなわち、家事相談の速かな法制化が図られ、これが制度として実現され、本件のような事案も含めて、多くの潜在的な家庭内の諸問題の解決が完全に図られてこそ、ここに始めて家事審判法第一条の精神が国民の間に完全に定着することになろうということを。この意味で、本件に関連して、ここに戸籍事件の処理に当る家庭裁判所の人的物的のより一層の充実強化が重ねて望まれる次第である。

十五、かくして、当裁判所は、まず制度の問題として、その一例を家事相談にとってはみたが、同様のことは、戸籍事務を直接に管掌する法務局、市町村長の戸籍事務に関する広報活動についてもいいえよう。これら戸籍の事務処理に当る諸機関に国の充分な配慮が与えられ、その広報活動がより活発になされるならば、本件のように、関係者の善意にもかかわらず、今日に及んで漸くその解決をみるという事態は、ここに全く避け得られることになろう。

十六、当裁判所は、本件の処理に当り、まさに襟を正すの思いで、国の適切なしかも可急的速かな一連の諸施策がこれら不幸な事案に優先的に与えられることこそ、国の責務であることを再びここに断じ、その速かな実現を心から念願するとともに、これを深く期待しつつ、筆を擱きたい。

 以上により、当裁判所は、主文のとおり審判した。

(家事審判官 天野正義)

*1:一番有名なのは、その解釈の適否はともかく、日本の戦争責任を追及する原告らの損害賠償請求を棄却する上で、明朝成立以降、ムガル帝国滅亡、第二次世界大戦、キューバ危機までの日本を中心とした世界近現代史に関する裁判所(当該裁判体)の歴史認識を詳細に判示した東京地判平成11年9月22日判タ1028号92頁だろう。

*2判例時報があえて名前を仮名にしていないので、判例時報の表記にならわせていただく。

*3:戸籍法138条2項

*4:戸籍法138条3項

*5:上記blogでは、俊の出生は1945年と想像する。

*6:日本民主法律家協会「全裁判官経歴総覧」34頁参照。なお、同年4月1日付で退官されており、言いたいことが言いやすかったのかもしれない。

2011-08-20 ありとあらゆる法的手段を講じて、俊と海を結婚させる!?

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コクリコ坂から (単行本コミックス)

コクリコ坂から (単行本コミックス)

*いつもいつもですが、本エントリは、映画「コクリコ坂から」の重度のネタバレが含まれています。映画をこれからご覧になられる方は十分にご留意下さい。

1.「コクリコ坂から」とは

 「コクリコ坂から」とは、高橋千鶴原作の、ジブリ映画である*1。昭和30年代の日本の雰囲気の中で、高校生の少女の恋*2を描く。


 さて、「コクリコ坂から」は、法学クラスタにとっては、家族法と称して差し支えないだろう。高校生松崎海と、風間俊の間の結婚にはどんな障害が立ちふさがっているのか!?



警告:以下ネタバレにつき、諸君注意されよ!(カルチェラタンの貼り紙風)


2.近親婚の禁止

民法は、愛し合う男女であれば誰でも結婚していいとしているのではない。

民法734条 直系血族又は3親等以内の傍系血族の間では、婚姻をすることができない(後略)

 家族法の用語が突然出てきたが、親等*3というのは、本人からどのくらい近いかを示すもので、共通の祖先に遡る。

自分→親→兄弟姉妹*4

 兄弟姉妹だと、親を一度経由するので、2本矢印がある。これが二親等ということだ。


 「傍系血族」というのは、「直系血族」と比較して理解しよう。親族関係のうち、曽祖父母→祖父母→父母→自分→子→孫→ひ孫という形に直線的に連なる関係を「直系血族」という。

 これに対し、兄弟姉妹のような「脇に分かれて行く」関係を傍系血族という。

 直系血族間では、優生学の観点から結婚は絶対禁止である。これに対し、傍系血族間の結婚は、遺伝的必要性を考えてもどんな遠い関係でも絶対に禁止すべきとまでは言い切れないので、社会的要請に鑑みて禁止すべき範囲を区切るべきである。法は、例えば兄弟姉妹間では、「家族外の結婚を強制し、社会的混交と淘汰の文化過程を増進し社会的役割の遂行を促すため」*5に、結婚を禁止した。結婚が禁止される「3親等」という範囲はこのようにして決められた。


 ところで、戸籍をみると、俊は、風間家の養子になっているが、実親は、澤村雄一郎であり、海と同じである。そうすると、二人の関係は二親等の傍系血族である。


養子縁組をしても、実親子関係*6は存続する*7。そこで、民法734条1項により、このままでは海は俊と結婚できない


 なお、実親子関係を無くする養子縁組が、昭和63年に導入された。それが特別養子縁組(民法817条の9)である。しかし、特別養子縁組をしても婚姻障害を除去することはできない。民法734条2項は「民法817条の9の規定によって親族関係が終了した後も前項と同様とする」として、実妹と結婚したいあまりに隣の家の特別養子になってもらうといった脱法を防いでいるのである*8


3.嫡出否認? 親子関係不存在確認?

 ここで、親子関係がないのに戸籍上親子関係があるという場合には、これを是正する必要がある。法は、嫡出否認の訴え(民法774条)と親子関係不存在確認の訴え(人事訴訟法2条2項)という2つの制度を設けた。

 ここでポイントは嫡出否認の訴えには夫が子の出生を知ってから1年という期間制限がある(民法777条)ということである。澤村雄一郎が出生を知ったのは朝鮮戦争停戦(昭和28年)以前である。今は昭和38年5月*9。要するに、嫡出否認の訴えしか使えないとすると、今更俊は澤村の子ではないとは言えないのだ。


この2つを分けるのが「推定される嫡出子」であるかというポイントである。分かりにくいが、まずは、「嫡出子」であるというのは婚姻関係ある夫婦の間の子ということである。そして、推定については、民法772条1項と2項で「婚姻成立の日から200日後に生まれた子は、婚姻中に懐胎した子と推定され、婚姻中に懐胎した子は夫の子と推定する」と定める。要するに、こういう夫婦の間で生まれた子は、事実上も社会的にも実子の可能性が高いので、

これを後で争われないようにして、夫婦親子関係の安定化を図ったものである。

 俊の出生時期はまだ良子お母さんはメルを妊娠中のようであるが、戸籍上、澤村夫妻の結婚後200日以降の日に俊が出生したと記録されている場合は十分にあり得る。


 そうすると、俊は戸籍に従って、「婚姻成立の日から200日後に生まれた子」として、澤村夫妻の結婚後に懐胎した子と推定され、推定される嫡出子として、嫡出否認の訴えしか適用されなくなる・・・のか?


そのような形式解釈によって、俊と海の結婚を妨げることは許されない。俊と澤村夫妻のように、実際の親子関係がないのに親子だとして届け出るのを「藁の上の養子」という。これが実は意外と多く事例があって、人間国宝や作家等の有名人にもそのような事例がある*10。判例は、このような場合について、「届け出が上告人(注:子)の意思に関係無く、被上告人(注:親として届け出た者)側の意思のみによってなされたものであり」「これ等の事実によって嫡出子関係が創設される謂れはなく」*11親子関係不存在確認の訴えによって親子関係を争えるとする。

  そもそもが無効な行為なのだから、嫡出否認の訴えの1年という提訴期間に拘束されず、親子関係不存在確認の訴えでいつでも争えるとしたのだ(大判昭和11年11月4日民集15巻1946頁以降一貫した確定判例)。実際、出生届け出の40数年後の、親が死んだ後に親子関係不存在確認の訴えが起こされ、これが適法とされた事案もある*12


 もっとも、長い間実子だと思って過ごして来たといった事情があるのに、ある日突然、藁の上からの養子ということで親子関係が否定されるのは法的安定性を欠き、出生届け提出に責任を負わない子に対し酷な結果を生むことになりかねない。最高裁は、このような要請に鑑みて、不存在確定が著しく不合理な結果をもたらす場合には、不存在確認を求めることが権利濫用となるとする(平成18年7月7日民集60巻6号2307頁)。


 本件では、俊は「藁の上からの養子」後、すぐに風間家に養子に出されており、俊が長期間澤村家の実子同様に過ごした訳ではない。そこで、不存在確定が著しく不合理な結果をもたらす場合にはならず、親子関係不存在確認の訴えを起こすことができる


 管轄は住所地を管轄する家庭裁判所(人事訴訟法4条1項)であり、横浜家庭裁判所である。非財産上の訴えなので訴額160万円(民訴費用法4条2項)、印紙額は1万3000円である(民訴費用法別表1)*13

 本来被告は澤村雄一郎だが(人事訴訟法12条1項)、既に朝鮮戦争で死亡したので、検察官を被告とする(人事訴訟法12条3項)。検察官は刑事ばかりやってる訳ではないのだ。

 裁判所は、藁の上からの養子であること(嫡出否認の訴えを使うべき場合でないこと)を前提に、法律上の実親子関係がなく、また、戸籍訂正が必要である場合に親子関係不存在を確認する*14

  本件では、既に養子縁組済みで、澤村雄一郎も死んでいるが、メルとの結婚のためであれば、戸籍訂正の必要性(訴えの利益)は認められる。後は、

実親子関係がないこと、つまり、立花洋の子であることを立証する。今ならDNA鑑定、当時なら小野寺船長や 松崎良子ママの証言によるのだろう*15

まとめ

学部レベルの家族法で「映画終了時までに判明した事実関係を前提に両名の婚姻障害を除去するための法的手続とその要件を説明せよ。なお、養子縁組の形態が特別養子縁組か、普通養子縁組かによって違いはあるか。」という問題が出てもおかしくない。

 一応、自分なりに回答を考えてみたが、想像以上に論点が多く、コクリコ坂家族法という思いを強くした。家族法に興味のある学部生、ロースクール生は、家族法研究の材料として、映画館に赴いてはどうだろうか。



参考:「コクリコ坂と法学」エントリ

コクリコ坂で学ぶ家族法〜婚姻障害とその除去 - アニメキャラが行列を作る法律相談所withアホヲタ元法学部生の日常

コクリコ坂の時代背景を教えてくれる「蛇足」審判〜「判例史学」という新たな地平 - アニメキャラが行列を作る法律相談所withアホヲタ元法学部生の日常

コクリコ坂からのカルチェラタン取り壊し問題も裁判で解決できる??〜豊郷小学校事件 - アニメキャラが行列を作る法律相談所withアホヲタ元法学部生の日常

*1:原作未読のため、以下は映画版前提です。

*2:映画では北斗さんは女性なので初恋でいいのかなぁ。

*3:頭身ではない

*4:法クラは「ケイテイシマイ」と読む。http://twitter.com/#!/Demistone_Jpn/status/104797149555986432参照。

*5:青山道夫ほか編「注釈民法21巻」213頁

*6:私はこれを「じっしんしかんけい」と読んで来ましたが、少数派でしょうか?

*7:例えば内田貴「民法IV」268頁

*8:立法論としてどうよという問題はある。なお、ロースクールレベルであれば、原則として特別養子縁組をした場合に親子関係不存在確認の訴えの訴えの利益がないとする最判平成7年7月14日民集49巻7号2674頁に触れておきたい。

*9:のはず

*10:本山敦「藁の上からの養子に対する親子関係不存在確認請求と権利濫用」判例タイムズ1312号56頁

*11:最判昭和25年12月28日民集4巻13号701頁

*12:最判平成10年8月31日判タ986号176頁

*13:当時はもっと安かったです。1万3000円って、コロッケ何個分だろう・・・。

*14:岡口基一「要件事実マニュアル5巻」366頁

*15:なお、検察官は人事訴訟に対しては公益の代表者として秋霜烈日、厳正に対処するし、裁判所も職権探知により事実を調査する。養親である風間夫妻の話を前提とするとかなり澤村雄一郎父親説も有力なので、松崎・風間間の「喫茶店謀議」を主張され、「小野寺証言は俄に措信できない」として、不存在確認が否定される可能性もあるが、想像したくないところである。

fanofalcotfanofalcot 2011/08/21 23:09 はじめまして!突然のコメントをすることをお許しください。先日、私も同映画を鑑賞いたしまして、同じ疑問に捉われました。知人の司法書士の先生によれば、コクリコ坂のように、「戸籍上と実際の血縁関係が違う」という事態が戦前、特に戦後多くあったようです。DNA鑑定による判別が容易である今日であれば戸籍の更正はできましょうが、ご検討のとおり、極めて困難であったことでしょう。よって、実務面ではどのように処理されるかは分かりませんが、市役所の職員の瑕疵を願うか、内縁関係による婚姻が一番妥当なのでしょうか。海の家は資産家であり、かつ兄弟など共同相続人が存在していることからも、相続問題含め、将来的な問題な山積みであり、いい法学入門の題材になりそうですね。

ronnorronnor 2011/08/22 01:02 コメントありがとうございます。当時の事情は私もあまり詳しくはないですが、そういう「藁の上の養子」が多々あったようですね。
DNA鑑定もない中では、適切かつ妥当な結果になるような解決は、さぞ大変だったろうと思います。ご指摘のとおり、内縁関係は可能ですね(なお、最判平成19年3月8日。)。法学入門の素材という意味でも、良い映画を観ることができました。