吐息の日々 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2016-06-30

[]最低賃金引き上げの是非

昨日、本日の2日にわたり、日経新聞の「経済教室」で表題の特集が組まれました。登場されたのは昨日が日本女子大の原ひろみ先生、本日が拓殖大学の佐藤一磨先生です。

原先生の見出しは「職場外訓練、明らかに減少、技能形成機会の格差拡大」というものです。まず最低賃金引き上げの雇用への影響については「日本でも川口大司・東大教授、森悠子・流通経済大准教授、山田憲・京大准教授らの研究で実証的に明らかにされている」と保留しつつ、しかし「人的資本投資を減らすのなら、将来にわたり負の影響が持続することになる」という問題提起をされています。

その上で、ご自身の調査結果として「最低賃金労働者が相対的に多い中高卒の女性労働者」については、最低賃金を生活保護の整合性に配慮して決定するされた「改正最低賃金法成立以降(08年施行)、最低賃金の上昇率はそれ以前よりも平均的に上がり、かつ地域間で上昇率にばらつきが生じた。…改正法成立以前の06年と比べて成立後の09年に、最低賃金労働者のOff-JT受講者割合が…最低賃金上昇率の高い地域では…17ポイント、上昇率の低い地域では10ポイントそれぞれ低下した」「最低賃金が1円上昇すると、最低賃金労働者のOff-JT受講確率は統計的に有意に0.7ポイント低下する」との結果を紹介されています。さらにこれは条件をさまざまに変えてもロバストなものだったとの結果を紹介され、「最低賃金引き上げは最低賃金労働者の人的資本形成にマイナスの影響を与え、その影響は無視できない大きさ」「最低賃金引き上げには低スキル労働者と高スキル労働者のスキル形成機会の格差を拡大させる恐れがある」「最低賃金引き上げは慎重になされるべきだ。それでも引き上げるのなら、同時に格差拡大を防ぐための対策も必要」と結論づけておられます。

さて、私にはこれを読んでどうにもしっくりこない感があり、なにかというと最低賃金労働者に対するOff-JTというものがどうにもイメージしにくいということなのですね。元ネタ(http://www.rieti.go.jp/jp/publications/dp/15e075.pdf)にあたってみても具体的にどんなものだという言及はなく、この困惑は実務家であれば共有していただけると思います。最低賃金労働者に対して、業務命令で、職場を離れて、有給で研修を受けさせることがどれほどあるのでしょうか。そもそも、そこまで企業がコストをかけて人材育成するような労働者であれば、非正規であってもそれなりにリテンションを考えているはずであり、であれば最低賃金そこそこしか払わないということも考えにくいように思われます。

つまり、ここでの原先生の分析は最低賃金労働者ダイレクトではなく、それが比較的多数含まれるであろう中高卒女性労働者を対象としているので、Off-JTが実施されているのはもっぱら最低賃金を相当程度上回る賃金を受け取っている中高卒女性労働者ではないかというのが私の推測です(ウラ取りしていない推測なので違うという証拠を見せられれば恐れ入る準備はあります)。文中で「06年の中高卒女性労働者のOff-JT受講確率は34.7%だった」と紹介されていますが、この34.7%はかなりの程度賃金が高い方に偏っているのではないでしょうか。中高卒女性労働者の中にはたしかに最低賃金労働者も多いでしょうが一方でそれなりの割合で正社員が含まれているはずであり、また期間の定めなく長期にわたって就労しているパートタイマーといった人も含まれているでしょう。こうした人たちについては、たとえば貿易事務とかCADとかいったもののOff-JTを受講させる企業というのもあるだろうと思います。

もちろん、最賃を上げればこうした人たちがOff-JTを受けられる確率が低下するというのは人的資本形成上好ましくないことは間違いありませんし、トータル人件費の増加がそこにしわ寄せされるといったルートも容易に推定されるところではあります。ただ、「最低賃金引き上げは最低賃金労働者の人的資本形成にマイナスの影響を与え」ると言い切るためには賃金階層別とか正規/非正規別とかの分析がほしいようには思います。

さて本日の佐藤先生に移りますと、見出しは「離職増加・就業抑制招かず、労働移動の活発化支援を」となっています。やはりまず最低賃金の雇用に与える影響について「買い手独占市場や求職コストが大きい市場…交渉上の立場の弱い労働者の賃金は生産性以下に抑えられているため、最低賃金を上げても雇用の喪失を引き起こさない可能性もある。この場合、最低賃金引き上げは雇用を維持したまま賃金を上昇させるため、メリットは大きい。…こうした競争的ではない市場が日本で成立しているのかという点については、慶応義塾大学の大野由香子准教授と山本勲教授が…住んでいる場所の近くでしか就業できない…パートタイム労働者の賃金が低く抑えられることを明らかにした。…近年の欧米の研究では、競争的な市場であっても、…価格に転嫁され…たり、…機械化…を促進したりすることにより、雇用の喪失をもたらしていないという分析結果が増えている。以上の分析結果が示すように、最低賃金引き上げが労働市場に及ぼす影響は、正と負の両方の場合があり、先見的には明確ではない」としたうえで、わが国の実情に関するご自身による実証結果を紹介されています。

具体的には「05〜15年の慶応義塾家計パネル調査で…雇用に関する分析では、最低賃金の引き上げが離職、新規就業に及ぼす影響を検証した。その結果、最低賃金引き上げは非正規雇用で働く男女の離職行動に影響を及ぼしていないことがわかった。また、今まで仕事に就いていなかった男女の非正規雇用への就職を抑制する効果がないこともわかった」ということで、原先生と同様にこの結果がロバストなものであったことを紹介されています。

さらに「最低賃金引き上げが非正規雇用で働く男女の労働時間に及ぼす影響も検証した…結果、…影響を及ぼしていないことがわかった」こと、「賃金に関する分析では、…女性では最低賃金引き上げが非正規雇用の賃金水準を引き上げており、…正規雇用の女性の賃金に変化はみられなかった。…男性の場合、最低賃金引き上げが非正規雇用で働く低賃金層の労働者の賃金のみを引き上げていた」ことも紹介され、「最低賃金引き上げは賃金上昇を通じて労働者の就労条件を改善する一方、雇用喪失を引き起こしていないことがわかった。最低賃金をさらに引き上げることのメリットは大きいといえる」と結論づけられています。

一方で「最低賃金をさらに引き上げていく中で、雇用への悪影響が顕在化する可能性が残っている」ことを指摘され、その対策として中小企業の生産性向上策の拡充と労働移動の活発化の支援策、特に労働者の能力開発が必要だと提言されました。

こちらも若干の感想を書きますと佐藤先生が今後「悪影響が顕在化する可能性が残っている」とされたのはまことに妥当なように思われます。つまり買い手独占で賃金が生産性以下に抑えられているから雇用への悪影響がないのであれば、同じ理屈で最賃引き上げで賃金が生産性に応じた水準に達すれば悪影響が出てくるはずだからです。さらに、非正規についてはこの間リーマンショック後の一時期を除けば労働需要が旺盛で概ね人手不足基調にあり、もちろん分析ではその影響を除外してはいるとは思うのですが、しかし完全に取り除くことも難しいのではないだろうかと思うということもあります。

したがって、今後一定水準を超えて最賃を上げるのであれば労働者の生産性向上が必要であり、佐藤先生ご指摘のとおり能力開発が重要だということになるでしょう。これは非正規雇用労働者の賃金を上げる上でも非常に重要だということはかねてから指摘されているところではあります。それには勤続の長期化が効果的だということも繰り返し言われているところであり、そういう意味では労働契約法の5年上限というのはどうなのかということをまたぞろ書いて終わります。

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2016-06-27

[]Brexitとキャリアデザイン

金曜日にキャリアデザイン学会の研究会でゲンダ先生にこのお題で一本書けと言われたので書こうと思います。そういう次第でまったくの雑文になりますのでそのようにお願いします(他のエントリもそうだろうと言われれば否定はしませんがいつも以上にということで)、ということで日記タグにした。

さて離脱という結果が出たということでその背景などがあれこれ報じられているわけですが、移民の増加による失業や公的サービスの機能低下と並んで大きな要因とされているのがEUの規制です。たとえばこんなものがあるとか。

  • ゴム風船を子どもだけで膨らませてよい最低年齢は8歳
  • 吸引力の強すぎる掃除機の規制
  • ミネラルウオーターのボトルには「脱水症状を防ぎます」と書いてはならない
  • 鰹節は製造過程で発がん性物質ができる可能性があるため輸入禁止

ということで掃除機の規制が導入された際には駆け込み需要が発生したとかミラノ万博の日本館が鰹節の規制でしびれたとかいう話もあったわけですが、これはもちろんEU域内民を保護するために導入された規制であるわけですね。真偽のほどは明らかではありませんがスーパーで売るきゅうりの曲り具合とかバナナ1房の本数とかいうものまで規制があるとか。

もちろんこうした規制の善悪は簡単には決められませんが、報道などをみると英国人にとってはこうした規制を強要されることがかなり耐え難いことだったということのようです。いっぽうでEUの主要メンバーであるフランスやドイツなどでは弱者?を守るために政府が規制し保護するというのが普通の発想だということなのでしょう。

でまあこういうことを書くとまた激しく怒られるのだろうなとは思うのですが週48時間とか勤務間インターバル11時間とかいう規制もこういう人たちが決めたものだという見方もできるわけですね。これはこれでこうした規制で守られるべき人たちがいるのだということであって別に悪いわけでもなんでもありません。

ただこの規制で守られる人というのがどういう人かというと、繰り返し書いているようにジョブ型の雇用で、基本的には初職から変わることなく(勤務先は変わるとしても)、賃金もわずかな昇給があるだけで、上位クラスの仕事・待遇に上がることはまず考えられないというキャリアの人たちなのですね。長時間働いて成果を上げたり能力を高めたりしたところで昇進の可能性があるわけでもなし、だったら週48時間を超えて働くなんて嫌だ、一度仕事が終わったら11時間は働きたくない、働きすぎて健康を壊すなんてたまらん…という人たちであり、また為政者としても労働者がそのように「ほどほどに働いてワークライフバランス」で大きな不満も持たずに生きてくれる存在であることが好都合だということなのでしょう(何度でも書くがそれが悪いというつもりはない)。

これを英国人がどう思っているかは知らないのですが(英国も事情はそれほど違わず、したがって低賃金の移民に職を奪われることが恐怖なのだという声があるわけですが)、さて日本人の考えるキャリアデザインがそういうものかというと実態も含めて全く異なるわけですし、国民の太宗が大陸欧州で保護されている労働者のようなキャリアがいいと思っているかというと、まあそんなことはなかろうとも思う。

もちろん労働者の健康や労使間の力関係にかんがみて必要な人に必要な規制を適切に行っていくことは必要不可欠ですし、ブラック企業みたいなものはなくしていかなければならないわけですし、労働時間短縮はじめ労働条件の改善には労使で着実に取り組むことが望まれるわけですが、そこでEU出羽出羽とEUがきわめて素晴らしいように語ることのヤバさというのが今回のbrexitの教訓かなあと、まあそんなことを考えたわけです。

(6月28日追記)トラックバックにあるように案の定怒られたわけですが、これが主因ではないだろうというご指摘には同意です。なお一部で誤解を受けているようですが自由主義者でありビジネスマンでもある私は当然ながら今回の結果はたいへん残念なものであると思っていますので為念。いや実際かなりの実害も被っているしな(泣)

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2016-06-20

[]2016年労働政策研究会議

さる18日に開催された日本労使関係研究協会の2016年労働政策研究会議に参加してまいりましたので概要と感想など書きたいと思います。例によって午前中は自由論題、午後は総会とパネルディスカッションというタイムテーブルで、午前中は2分科会6論題の報告がありました。事前提出論文を見るとどれも興味深そうな報告で迷ったのですが、労働法・労働経済の第1分科会を聴講しました。人事管理の第2分科会も面白そう(特にJILPTの藤本先生の報告は聴講したかった)だったので残念ですが追ってJIL雑誌の特集号で勉強できるものと思います。

第1分科会の最初の報告者は東大院の車東┐気鵑如◆峇攅颪力働法制における労働者の集団的意思反映構造」と題して報告されました。

韓国の集団的労使関係は企業別組合を基軸とするという点では日本と共通するところが大きいのですが、その法制度はかなり異なります。もともと韓国では同一事業所には一労組のみという制限があり、2011年に複数労組が容認されてからも団体交渉の窓口は一労組に一本化するという制度になっていて、複数労組のすべてと交渉応諾義務のあるわが国とはかなり異なっています(米国の唯一交渉団体に似ていますが韓国の場合は当該組合員の代表にとどまる点が異なります)。これに対して勤労基準法(日本の労働基準法に該当)上の集団的関係は日本と類似しており、過半数代表者との書面協定によって法定基準を逸脱しうるとされていること、その選出プロセスや代表性に課題を有することなど日本と共通しています。

さらに韓国には勤参法(勤労者参与と協力増進に関する法律)という従業員代表制を定めた法律があり、従業員30人以上の企業では労使協議会が必置とされています。法律名にもあるように労使の協力関係を増進し産業平和を実現することが目的とされており、制度導入当時(必置規制化されたのは1980年)の韓国における争議の多発が背景にあるものと推測されます。過半数労組が存在する場合には労使協議会も過半数労組による団体交渉とほぼ一体的な運営になるようですが、労組のない事業所では労使協議会が団体交渉と類似の役割を果たすこともあるようです。労使関係に関わる多くの事項について労使協議会の決議が必要とされている(使用者は一方的に実施できない)わけですが、逆に決議事項が履行されない場合の強制力がなく、労使協議会が形骸化している実態も広く見られ、また労働者委員の選出プロセスや代表性に問題を有することも過半数代表と同様であり、労働組合との関係なども整理されていないといった課題もあるようです。

こうした現状に対しては当然ながら少数者の利益の保護が不十分、労組の権利の弱体化につながるなどの批判が強いようで、報告者も基本的にはその見解に賛同しているようですが、いっぽうで過半数代表制度の問題点や組織率の低下などを考慮すれば韓国の労使協議会は従業員代表制として相当に制度化された存在と評価できること、交渉窓口一本化についても労働協約の拡張適用を通じて米国のように労働者全員の代表として機能しうることなどを指摘し、日本の集団的労使関係法の課題にも参考となりうるとも主張されました。

韓国における労使関係の最新情報という意味でも非常に興味深い面白い報告でしたが、私としては、政策的含意としては過半数代表の代表性といった課題もさることながら、やはり日本では少数労組の権利がやや強すぎることに注目すべきではないかと思いました。ショップ制で有資格者をほぼ全員組織している労組や過半数労組と、従業員が一人が加入しただけの合同労組とに同様の権利を保障するというのは、実務経験者としてはやはり均衡を失するように思われるからです。

2人めの報告者は元厚生労働省の高原正之さんで、かつて物議をかもした大竹文雄・奥平寛子(2006)「解雇規制は雇用機会を減らし格差を拡大させる」の分析手法の検討を報告されました。この論文およびこれを所収した福井秀夫大竹文雄編『脱格差社会と雇用法制』が巻き起こした騒ぎ論争をなつかしく思い出しながら聞きました(もう10年も経つのね)。この本はかなり政治色が強く、労働弁護団などが即座に強く反発した(機関誌で批判特集が組まれた)わけですが、その後経済学者からのアカデミックな批判も提示されました(http://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2008/02-03/pdf/108-119.pdf)。高原氏の報告はここでも指摘されているデータセットと指標作成の問題点について、指標の始点と測定誤差を中心にていねいに検証し改善案を提示されたものです。あとは司会者の脇坂明先生も言われていたようにできればこのモデルにデータを入れて分析してほしいわけですがデータの制約があり、それはないものねだりということのようです。

また、やはり司会の荒木尚志先生(今回の準備委員長でもある)から、米国のように各州が地理的にも制度的にも相当程度独立している国は格別、わが国のように都道府県の独立性の低い国では大竹・奥平論文のこの手法(それ自体はスタンダードなものですが)がどこまで適当かという指摘もありました。実際、私の経験的な感想としても、各都道府県の経営者協会(旧日経連の地方組織で連合の地方組織のカウンター)の活動を見てもローカルな労働運動の動向などについては精力的に情報収集もすれば情報提供もしているわけですが各都道府県の地裁判決についてはほとんど関心を寄せておられないわけで、それが企業の立地や人材戦略に影響するという前提に無理があるとしたものでしょう。

3人めの報告者は大阪府大の野田知彦先生で、「信頼的労使関係と従業員の発言」と題して報告されました。自動車産業の企業・労組・従業員を対象とした大規模アンケートをもとに、労使の信頼関係により相互利益を得られるかを検証したということで、労使間および労働者間のコミュニケーション、労働組合の経営に対する発言と組合員への説明が強いことが、経営への信頼性・労使間の信頼が有意に高いことが示されています。また、昇給があると経営への信頼性が有意かつ相対的に大幅に高いこと、昇進が速いと経営への信頼性と発言とが有意に高いこと、非役職者であると経営への信頼性が有意に低いことなど、当然といえば当然ですが実も蓋もない結果も明確に示されていて興味深いものがあります。労働集約的で企業特殊的熟練のウェートが高い製造業という特殊性はあるものの、良好な労使関係が経営上も好ましいことの証左といえましょう。

さて午後の部はパネルディスカッションとなりましたが、今回のテーマは「労働時間をめぐる政策課題」というもので、モデレータが準備委員長の荒木先生、パネリストが早稲田の黒田祥子先生、東北大の桑村裕美子先生、ゼンセン同盟の松井健さん、ニッセイ基礎研の松浦民恵先生という豪華メンバーでした。ゼンセンの人がいるなら経団連(まあ同友会でもなんでも)の人もいないとバランスが悪いのではないかとも思いましたが、まあ労働経済、労働法、労働運動、人事管理という専門分野の組み合わせということであればこうなるかなということでだいたい納得しました。

まず桑村先生が現在継続審議となっている労基法改正法案について、特に注目されている高度プロフェッショナル制を中心にプレゼンされ、たいへんわかりやすい解説で有益でした。

ポイントとしてはまず「平均の3倍を相当程度上回る」という年収要件が収入確保のためのものとされている点で、まあ確かに現実にはこの制度を適用する際には企業としても従前の時間外労働手当に見合うような手当を設定して収入確保するだろうと思うのでそうした側面もあるかもしれませんし、過重労働対策ではないことはそのとおりだと思います。ただ、私としてはこれにはやはり「平均の3倍以上も稼得しているのであればそれなりに専門性も裁量度も高い業務に従事しているだろう」という(一種間接的な)職務要件という意味合いも持たせたいところであり、まあ今回はそもそもかなり厳格な職種限定が付されてしまったので意味がないわけではありますが、しかしそうした観点は持っておきたいとは思います。さらに下世話に言えば(まあ政策論としては良好ではありませんが)平均の3倍も賃金を払うということは企業にとって重要な戦力であるわけでそういう人が健康を害することは企業にとっても困るだろうという話でもあり、また週100時間働かせたいのであれば平均の3倍の賃金を払うより平均程度の賃金で2人雇ったほうがよほど簡単だろうという話でもあるでしょう。

健康管理時間については事業場外労働について過少に計上される恐れがあるとして、勤務間インターバルや絶対休日などの直接的な規制が選択的措置にとどまるのは健康確保措置としては不十分であるとされています。私もある程度同感するところはあり、健康確保時間の把握とそれにもとづく医療的配慮は必要としても、それに加えて出勤はしない、業務に関するコミュニケーションはしないといった意味での絶対休日規制はあってもいいのではないかと思っているということは過去何度か書いたと思います。

また、労働時間の量的上限規制やインターバル規制の不在および過半数代表者制度の運用に関する問題意識も示されており、これは多くの論者の指摘するところと同じです。前者については私も否定するものではなく適切な対象者に適切な規制を行うべきとの立場であり、特に交替制勤務に従事する労働者を対象とした勤務間インターバル規制は積極的に検討されてよいと思っています(ただし即座に法改正によるのではなく単組・単産レベルとの取り組みが先行すべきだというのも繰り返し書いているとおりです)。後者についても同様で即座に労働者代表の必置規制に短絡するのではなく、労使委員会の設置と実質的な運用に対するインセンティブを付与することでその拡大を図ることが望ましいという立場です。

次に黒田先生が長時間労働と健康、労働生産性との関係についてプレゼンされました。黒田先生といえば労働時間研究の第一人者ですが、最近はそこから発展して健康についても調べられているとのこと。

ご自身によるもの含めてさまざまな研究結果を報告されましたが、どれも非常に納得のいくもので興味深く聞きました。いくつかご紹介しますと、まず定型的な、マニュアルどおり働けばアウトプットが確実に出るような仕事であれば、成果給、歩合給を採用することによる生産性向上効果は大きいものがあるが、創造性や革新性が求められる仕事ではそうではない。たとえば、解雇が容易な国の研究者は解雇が困難な国の研究者に較べてリスク回避的(短期的に小さな成果を上げようとする)になりやすくイノベーションが起こりにくいとか、経営戦略立案などの創造性が必要でリスクが高い仕事については固定給のほうが歩合給より経営成績が高くなることなどが示されていてたいへんに納得のいくものでした(だから日亜化学の地裁判決はダメなんだともう一度書こう)。

休息についても、ノルウェーの看護師を対象とした調査で、勤務シフト間の間隔(勤務間インターバルですね)が11時間未満となる回数が多くなると健康問題が出やすいという結果が紹介され、これは上で書いたように交替制勤務に従事する労働者に対するインターバル規制の導入をサポートする結果だろうと思います。メンタル不調による休職・退職者比率の高い企業は利益率が有意に低いというのもまあそうだろうなという感じではありますが、メンタル不調を減らせば必ず利益率が上がることが示されないと動かない経営者というのも多いだろうとも思った。

仕事中の休憩についても、意図的に仕事の合間に休憩を設け、かつメールや電話に対応しない仕事に集中する時間を作った従業員の成果が13-30%高くなったという結果が紹介されていてまあこれもそうだろうなと思うわけですが注意が必要かなと思うところもあり、つまり彼ら彼女らがこうしたメリハリのついた・好都合な働き方をした結果発生する不便というものがないのかどうか、あるのであればどこにしわ寄せされたのかという問題はあるだろうと思います。そのしわよせが対照群に行っているのであれば差がつくのは当然であって。

「スラックタイム」、仕事中にいわゆる「遊び」の時間を持てるように資源配分をすることでイノベーションが起こりやすくなるというのも、まあそもそも資源投入量が多いのだから成果も多くなるだろうという話は別として(当然そこはコントロールされていると思う)、実感としてわかるところです。私の経験でも、裁量労働制を適用されると残業してもしなくても賃金は変わらないからには効率よく仕事して早く帰った方が得だからそうしようという人には滅多にお目にかかったことはなく(もちろん別途早く帰りたい事情がある日にはペースアップして働いて早く帰るわけだが)、大半の人はその逆で「残業時間のことをうるさく言われなくなったのなら、多少帰りが遅くなってもマイペースで働こう」ということで労働時間そのものは長くなりがちだというのが私の経験則です。でまあそのマイペースの中にはかなりのスラックタイムが含まれていることも想像に難くないわけで、私はこれは技術者や専門職がやりたいことをできるだけやれるようにする、少なくとも労働時間を理由に不自由を強いないという意味で、裁量労働制やホワイトカラー・エグゼンプションを支持するものだと考えています(もちろん労働条件や健康面などの対応は別途必要になります)。

ということで、高度プロフェッショナル制に対して「成果で評価することが望ましいというが、そうではない」という批判になるわけですがそのとおりです。ただ、これはホワイトカラーエグゼンプションが悪いわけではなく、「成果で評価」が悪いのだということは重要だろうと思います。それにもかかわらず、成果で評価とかいう残業代ドロボー的な発想の寝言を繰り返すのがいかんわけで、まあこのあたりは過去何回も書いたので繰り返しません。

さて黒田先生は「普段はやらないのですが」と前置きしつついくつか政策的含意を提示されたのですが、割増賃金規制と長時間労働規制については、不況期において割増賃金規制が適用除外されている労働者の労働時間が長くなりやすいというデータを提示されました。これも実務的に納得がいくところで、適用除外されているということは(法的な該当性はとりあえず別として)組織内でそれなりのポジション(将来キャリアも含め)を占めているということでしょうから、不況期のような逆風のあるときにそれにともなう負担を優先的に引き受けることはそれほど不自然なこととも思えません。もちろんそれで行き過ぎた長時間労働になることがないよう配慮は必要でしょうが、そうした限られた範囲・場面を理由に割増賃金規制の有効性がどこまで主張できるだろうかとは思います(まったく有効でないというつもりもない)。

中小企業への配慮についても、黒田先生ご指摘のとおり長時間労働のボリュームゾーンが中小企業であることを考えると、見直す時期に来ているのかもしれません。個人的には中小に配慮するのであれば労働時間規制より解雇規制ではないかとは思っており、大内伸哉先生も提案しておられたと思いますが、ある意味実態追認的に一定規模以下(ドイツだと10人)の小規模企業については一人の労働者の経営に与える影響の大きさにかんがみ解雇規制を相当程度緩和することは考えられていいように思います。

労働時間規制の適用除外について法制度がわかりにくく、法令遵守の面でも紛争の面でも問題だという指摘はまさにそのとおりと思います。労使の対等性を確保するための簡素な手続規制(たとえば特別多数労働組合との労働協約とかですね)、予見可能性の高い要件(集団的・個別的な合意や平均の2倍以上の年収要件など)に必要な保護(前述した出勤しない・業務上コミュニケーションがないという意味での絶対休日規制など)を組み合わせ、適用業務についてはホワイトカラーであれば足りるくらいにすれば保護に欠くことなく予見可能性の高い制度にできるのではないかと思っています。実はこれはかなり適用範囲が狭い制度になります(主に対等性と年収の要件による)が、保護に欠けることがないということを考えればそれでいいのではないかと思うわけです。

健康確保と労働時間規制に関しては、実は労働時間と業務満足度の関係をみるとあるところまでは労働時間が長いほど低下するが、そこをすぎるとむしろ上昇する、労働時間が長くなると満足度が上がるという調査結果を紹介され、さらに健康については自信過剰になりがちだという傾向もあわせ考えると、満足度向上のために長時間労働することを外部が介入して制限すべきとのご意見のようで、具体的にはシンプルな総量規制やインターバル規制を設けることも検討に値するとのことでした。これについては私は上でも書きましたが決して全否定するものではなく、適切な範囲に適切な規制ということに尽きると思っており、一律的な規制ではなく個別労使の集団的合意を重視するのが妥当だろうと考えています。

続いてUAゼンセンの松井健さんが、ゼンセン同盟および日本毛織の史料を紹介しながら日本の労働時間短縮闘争の歴史を振り返り、その意義と今後の課題を述べられました。

具体的な政策課題として、まず労働時間の上限規制として、特別条項の繰り返し締結の禁止、連続労働日の上限規制、連続労働時間の上限規制をあげられました。特別条項の繰り返し締結の禁止というのは、事実上特別条項の有効期限を設け、それまでに特別条項を必要としないよう労使で取り組むということでしょうか。他の2つの規制も業種・職種などによっては効果的に機能する可能性はあり、選択肢の一つでしょう。

また、地方立地の大企業製造業には労働時間の問題はほとんどなく、長時間労働は都市部・ホワイトカラー・サービス業など特定産業の問題だと繰り返し指摘されたのが印象に残りました。

最後にニッセイ基礎研の松浦民恵さんが登場され、働き方改革の最前線事例を紹介されました。

まず、現状では「働き方改革」の射程は「職場マネジメントの充実」と「働き方の柔軟化」にとどまっている例が多いと指摘されました。前者は業務の効率化、たとえば重複した業務の改廃や会議時間の短縮といったものと、そのためのITツールの導入などであり、後者はフレックスタイム制やテレワークといったものと、やはりその支援のためのITツールの導入といったものですね。

しかし、こうした施策だけでは働き方改革の進展も限定的なものであり、事業戦略や組織戦略の見直しといった経営戦略の部分や、より具体的な関連人事管理政策の見直しにまで踏み込む必要があるというのが松浦先生の趣旨であるようでした。

もちろんこれには、まずは事業戦略があり、これを大前提として組織戦略が決まり、職場マネジメントや働き方が変わり、必要であれば人事管理政策も見直すのだ、という反論があるわけですが、そうなると事業計画というのはどうしても株主・投資家などの視線を意識して、実現性が低くとも右肩上がりの絵を描かざるを得なくなる。するとその右肩上がりを達成するために長時間労働が求められてしまい、働き方改革が進まない。しかも現実にはもともと実現性の低い計画だったので達成できませんという話になりがちである。だったら働き方改革のほうを前提にして事業戦略や組織戦略を再構築するほうがむしろ好ましいのではないか、というわけです。

まあそれはそのとおりなのですが上場企業ではなかなか難しいだろうなというところはあり、結局はそれこそニッセイさんとか(笑)機関投資家や株主の理解が必須になるわけで、まあ近年理解は進んできたものとは思いますが、しかし現実には「働き方改革をやります、減収減益になります」という事業計画にはまだまだ抵抗感があるのではないでしょうか。いやもちろん政府の成長戦略においては機関投資家がスチュワードシップコードにもとづいて企業に対して非採算分野からの撤退と成長分野への進出、まさに事業戦略の変革を求め実現させるという話になっているわけで、その限りでは話は合っているともいえるわけですが、それができるなら企業は言われなくてもやるぞとも思いますが…。

その後は具体的事例の紹介になりましたが、とはいえやはり働き方改革として事業戦略の見直しまで踏み込んだ事例というのは少ないということで、それでも収益性の高い事業領域へのシフトや顧客に対する理解協力依頼にまで踏み込んだ某社(いや誰でもすぐ特定できる事例なのですが社名は出さないという約束になっているらしく)の例が紹介されました。この企業は組織の管理スパンの見直しや重点事業への人員再配置(まあ事業領域をシフトするのだから当然ですが)など組織戦略の見直しにも踏み込んでいるとのことです。人事管理政策の見直しについては他にも取り組む事例があり、たとえば早朝時間外勤務の割増率を上げたり、目標管理制度に働き方改革関係目標を必ず設定するなどの取り組みが紹介されました。

いっぽうで、働き方改革を進めることで人材育成への影響が出てくるという問題も提起されました。OJTで仕事に没頭し試行錯誤しながら人材育成を進めるという従来手法は時間がかかるため、試行錯誤を少なくすべく「最初から答を教える」ような手法を取った場合、「失敗から学ぶ」といった機会が失われるのではないか、という懸念です。これについてはまだ各社とも模索状態ということのようですが、私などはそんなことは考えもせずに働き方改革に取り組み始めた企業というのもあるのではないかと邪推することしきり。逆に言えばそれほど深刻に考えなくていい業種や企業というのもあるのかもしれません。

もうひとつ興味深かったのが「労働時間の問題発見機能」で、これ自体は生産工学の世界などでは古くからあります。たとえば10人の職場で一人退職者が出たときに、すぐに補充を入れるのではなく、退職者の仕事を残った9人に割り振って9人でやってみる。そのとき、全員がお手上げになるかというとそうでもなく、6人か7人はなんとかなるけれど、残り2人か3人がお手上げだということになることが多い。であれば、その部分を効率化する(典型的には自動化投資をする)ことで9人でやれるようにすれば1割の効率化になる、というような話です。長時間労働になるということはそこに職場の問題点があるということであり、そこに対応策を打っていけばいいというのが労働時間の問題発見機能ですが、全員が長時間労働になっているとそれが機能しない、ということは働き方改革を進めればこれが機能するようになって一層効率化が進むだろう、という話で、実際働き方改革が進んだ企業ではそうなっているのだそうです。

ということで人事管理の実情をふまえた非常に面白い報告だったのですが、人材育成についてはなかなか難しい問題だという印象は持ちました。私の個人的な意見としては、働き方改革で効率化されて浮いた時間については、他人の仕事でないかぎりは仕事に振り向けてもいいんじゃないかと思うところはあります。もちろんそれは「過剰品質をなくして効率化した時間をまた過剰品質に振り向ける」という話になりかねないわけですが、しかしその時間を社会人大学院で学んだり資格取得のための勉強に費やしたりすることは問題ない、というかむしろ奨励されるのであれば、「仕事」であっても仕事ではなく勉強だ、ととらえて社会人大学院と同様に認めてもいいのではないかと思うわけです。とりわけ実験設備や資材などを利用したい技術者などには会社の「仕事」でしかできない勉強というのもあるからです。

さてその後は参加者も交えた質疑応答と議論になり、なかなか談論風発で活発な議論になりましたが、やはり出てきたのは「日本人が長時間労働になるのはそれが高く評価されて昇進などに結び付くから」という議論で、山口浩一郎先生が来場しておられて大学での実情を愉快にお話しされて場内爆笑となったわけですが、これについては松浦先生が「大学はともかく民間企業では長時間労働ではなくそれであげた業績が評価されているのであり、長時間労働だけして業績が上がらない人が評価されることはない」と軌道修正をはかってくださったので安心しました。

また、議論の中で脇坂明先生が「長時間労働のボリュームゾーンは大企業ホワイトカラーというよりは中小サービス業ではないか」と指摘され、そこからサービス業の生産性が低い・労働時間が長いのは営業時間が長すぎるからではないかという議論に発展しました。フランスではスーパーのレジに長時間並ばされるのが当たり前であり、ドイツではそもそも日曜日には店が開いていないではないか、日本のサービス業においても営業時間規制などを導入し、消費者はそれにともなう不便を受忍すべきではないか、というわけです。これについては黒田先生が「医療や介護などで夜間・休日に就労する人が増えていく中では深夜・休日営業にも一定の必要はある」、桑村先生が「欧州でも営業時間規制・営業日規制は緩和される傾向がある」などと指摘されて必ずしも明確な結論が出たわけではありませんが、非常に重要な論点だったと思います。私としては、多くの場合消費者はまた労働者でもあるわけで、供給者と消費者の利害調整というよりは、消費者であり労働者である国民の選択かなという気はしましたが。

ということで終了後のレセプションにも参加させていただいて多くの方と旧交を暖めることもでき、たいへん有意義な研究会議でありました。上記の要約は多分に私の理解が行き届いていないところがあると思われますがご容赦いただければ幸甚です。今年もJIL雑誌の特別号が刊行されるものと思われますので改めて勉強し誤りなど正したいと考えております(このエントリまで手を入れることはないと思いますが)。

高原正之高原正之 2016/06/21 12:02 拙い発表をお聞きいただきありがとうございました。私はアカデミックではありませんが(笑)、論文はアカデミックなものです(きっぱり)。国がいわゆる解雇規制に手を付けようとするなら、その前にどのような情報を収集しなければならないかを示したものでもあります。

元労務屋@保守おやじ元労務屋@保守おやじ 2016/06/21 13:39 高原さん、コメントありがとうございました。拙い発表ではまったくなかったと思います。脇坂先生がこう言われたということは、それに値するよくできたモデルだという意味だと思いますし。大竹先生、奥平先生の一連の研究は私もわが国におけるフロンティアだと思いますが、それをもって解雇規制緩和を強くサポートするものでもないという点も同感です。

野田知彦野田知彦 2016/06/22 19:56 当日は貴重なコメントをいただき誠にありがとうございました。私の研究は、もはや歴史研究の域かもしれませんが、地道に良好な労使関係のもたらす効果を検証していきたいと考えております。今後ともご指導よろしくお願いいたします。

元労務屋@保守おやじ元労務屋@保守おやじ 2016/06/23 11:35 野田先生、コメントありがとうございました。こちらがご指導いただいている立場なのに恐縮です。労使コミュニケーション、とりわけ職場の発言の重要性をサポートする調査結果は、労使関係の現場で日々苦労している人たちを勇気づけるものだと思います。今後のお仕事にも期待申し上げております。

松浦民恵松浦民恵 2016/06/23 23:49 労務屋様
素晴らしいスピードで、盛りだくさんな内容をご紹介いただきまして誠にありがとうございます。大変恐れ入りますが、一点だけ・・・。私の発表についてご紹介いただいているなかで「働き方改革のほうを前提にして事業戦略や組織戦略を再構築するほうがむしろ好ましい」という部分は、「働き方改革から事業戦略や組織戦略を見直すというのは本末転倒であるとは承知しておりますが、働き方改革との連動の必要性や余地はあるのではないでしょうか」ぐらいな感じでもう少し遠慮がちに申し上げたつもりだったのですが、早口だったうえに、きっと態度が遠慮がちでなかったためにうまくお伝えできなかったのだと思います。私の不徳のいたすところ、謹んで修正させていただきます。今後とも引き続きのご指導をどうぞよろしくお願い申し上げます。

元労務屋@保守おやじ元労務屋@保守おやじ 2016/06/24 09:21 松浦先生、コメントありがとうございました。ご指導いただいているのはこちらですのでどうぞそのように。さて先生の本意を伝えきれておらず申し訳ありませんでした。たしかにその前提付きでお話しされていたと思います。実は私はこのお話に非常に感銘を受け、ここだけではなく随所で紹介してしまっておりますので、そちらにも水をかけておきます。ご容赦ください。

松浦民恵松浦民恵 2016/06/24 09:39 ありがとうございます!

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2016-06-16

[]同一労働同一賃金フォロー(2)

第4回検討会に提出されたワークス研究所の中村天江氏の資料を紹介したいと言って数日別の話をしていたところ第5回の資料も公表されていた件(笑)。ここにありますhttp://www.mhlw.go.jp/stf/shingi2/0000127426.html

第5回ではUAゼンセン同盟(誰がプレゼンしたかは不明)、川口大司先生、神吉知郁子先生、松浦民恵先生が資料を提出されたようで、だいぶ現実的な議論になってきた印象があります。神吉先生の資料は英国の紹介なのですが資料だけだとちょっとわかりにくいところもあるかな。

ということで第5回もご紹介したいところではあるのですがまずは手形を落とさなければ(笑)ということで第4回の中村天江氏提出資料をご紹介したいと思います。こちらになります。

http://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-11601000-Shokugyouanteikyoku-Soumuka/shiryou2.pdf

さてごらんのとおり表紙に「「非正社員の待遇改善」という観点から同一労働同一賃金の実現をとらえ直す」とあるように、基本的には非正社員の待遇改善の話が中心です。

まず非正規の賃金が低い要因が示されていますが、その中では「日本人のキャリア観」というページ(5ページ)の資料が非常に面白いのでぜひごらんいただければと思います。「仕事をする上で大切だと思うもの」上位3つを勤労者を対象に調査した結果の国際比較なのですが、他国はすべて第1位に「高い賃金・充実した福利厚生」をあげているのに対し、日本はこれが第4位に後退しており、回答率も他国が50〜80%程度なのに対して日本は39%にとどまっています。ちなみに日本の上位は1位が良好な職場の人間関係、2位が自分の希望する仕事内容、3位は適切な勤務時間・休日となっています。

中村氏をこれをもとに日本では「個人が賃金について表立って交渉することは少ない」から非正社員の待遇が低いと結論づけておられるわけですが、まあそういう面もあるだろうとは思いますが、しかしこの資料の読み方としてそれでいいのかという気はしました。

つまり、この手の「大切だと思うものをお答えください」という質問に対しては、人々は往々にして「足りないもの」を回答する傾向があるのではないか、人間は十分に持っているものより不足しているものを大切だと感じる傾向があるのではないか、と思うからです。この資料をみても、たしかに諸外国では賃金・福利厚生が1位ではありますが回答率は二極化しており、米独豪がいずれも50%台なのに対して中・韓・マレーシア・インドネシアは75%〜83%という高率になっています(インドは例外で58%)。所得水準の比較的高くない、生活水準向上への期待が大きい国ほど賃金や福利厚生を重視しているわけで、そう考えればこの結果は日本人は賃金や福利厚生については比較的充足している(まあ十分たあ言いませんが)ということの反映と考えることもできると思います。

同様に考えれば、日本では賃金以上に人間関係や仕事内容が充足されていないということになるわけで、なるほどこれはわが国労働市場の流動性の低さを反映しているのかもしれません。人間関係が悪いとか仕事が希望どおりでないとかいった問題に対して良好な転職で対処する可能性が日本では他国に較べて低いというのは、まあなんとなく感覚的にうなずける話でしょう。ただこれについては労働力の流動性が高いアメリカでも上げる人が多く、オーストラリアでも多いところを見ると、経済が成熟して学歴も高い国では働く人の仕事に対する希望もまた高いということが反映している可能性もありそうです。日本で労働時間や休日を上げる人が多いのも、韓国では日本以上に多いのも、まあそうかなという感じですね。

同一労働同一賃金とは全然関係ありませんが(笑)ほかにも面白いところがあり、たとえば中国では「明確なキャリアパス」が堂々の第2位であって50%超の支持を集めており、他国が軒並み10〜30%前後なのと比べて突出しています。将来を約束してくれ、というのはいかに将来が不透明かということの裏返しだと考えれば、まあ文化大革命を持ち出すのはともかく、かの国の歴史や国情を考えると妙に納得がいくような気がします。

「正当な評価」を求めるのは実は日本が最も多く、25.3%にのぼっています。これまた面白いのは対照的に中国が5.6%と比較国中最低になっているところで、うーんこれはなぜだろう。ちなみにその他は概ね10%前後でインドが22%、日本の高さはかなり際立っているようです。これまた正当に評価されていないと感じている人が多いということなのかどうか。

もうひとつだけあげると「会社のステイタス」という選択肢があるのですがこれを選ぶ人は少ないようで、9か国中5か国が10個の選択肢の中で最も少なく、少ない方から2番めが2か国、3番めが1か国となっており、数字も一桁から10%台にとどまっています。例外がインドで30%という突出した高率であり、10項目中堂々の4位となっています。先ほども書きましたがインドは賃金を重視する人が比較的少なく、その分ステータス重視の人が多いという感じになっていて、ステータスの高い会社であれば他のものもそろっているということなのか、それとも他のものよりステータスが大切だということなのか、このあたりはわかりません。

次のページ(6ページ)では日本では転職で賃金が上がりにくいというデータで、フルタイムについてはその相当部分を正社員が占めているでしょうからそうだろうなという感じなのですが、パートタイムでも上がりにくいのはなぜだろう。2014年に調べているようなので、日本でも時給は上がっている時期だったと思うのですが…。まああれかな、察するに諸外国に較べて日本のパートは好条件を求めて積極的に移動することをあまりしないということなのでしょうか。まあこれもわかりません。

さてここからが同一労働同一賃金というか非正規の賃金引き上げの話になるのですが、次のページ(7ページ)で「内部労働市場が発達してきた日本の実状に照らすと、最優先すべきは企業内の仕組みを整備すること」、つまり非正規についても評価をしてそれを昇給などで反映しろということで、これはスーパー大手などの例を想定しているのかなあ。もちろんそれは優れた先進事例であるわけですが、一方で非正規も多様であり、ありていに言って中には企業としては評価の手間やコストをかける必要性を感じない仕事というのもあるでしょう。まあ「最優先」というだけで全部が全部そうしろという話ではないのだろうと思いますが。

次からが各論になる(なぜかこの資料は7ページ以降がすべて7ページになっているので以下ページ数は省略します。すみません)のですが、雇用管理区分間、つまり正規と非正規の格差については「非正社員の賃金増のためには、「同一企業の複数の雇用管理区分“間”における不合理な賃金差の是正」に取り組む必要がある。雇用管理区分“内”の差は、企業の人的資源管理の範疇とみなす。」とかなり大胆な限定をしておられます。このブログで以前も書きましたが、同一労働同一賃金をやり始めると正規−非正規だけではなく正社員間の格差はどうなのよという話になるわけであり、それはなかなか手に負えないだろうと心配していたわけですが、もうそこは考えないことにしましょうよということですね。非常に現実的で好ましい考え方だと思います。

ただまあ雇用管理区分間の格差だけにフォーカスするということになるとこれはもはや限りなく「均衡」の議論であり、「均等=同一労働同一賃金」の議論じゃないよねえとはかなり思います。なるほど、「「非正社員の待遇改善」という観点から同一労働同一賃金の実現をとらえ直す」というのは、実質的には同一労働同一賃金じゃなくて非正規社員の待遇改善の議論をしましょうよという意味だったのだろうと憶測をめぐらす私。

この後は基本的に論点の提示で必ずしも結論が示されているわけではありませんのでポイントのみご紹介しますと、続く論点として集団的労使関係との整合性として、長期的には企業内労組等との集団的労使関係の中で正規・非正規の不合理でない処遇差を実現していくべきとの意見が示されています。労働運動的には非正規の組織化と正規・非正規の利害調整ということになるでしょうが、労使ともに重要かつ重く困難な課題といえそうです。

労働市場との整合性については「労働市場の需給バランスにともなう「雇用管理区分“内”の賃金差」は合理的な差と位置づける」ということできわめて妥当ではありますが同一労働同一賃金からはますます遠ざかっており、さらに同一労働同一賃金だと限定正社員の賃金が上がらなくなるという、これ自体はまことにもっともな指摘もされているのですが、もうここまで来たら同一労働同一賃金批判じゃないかと言う感じです。

あとは派遣は難しいから後回しという話と労働者への周知が必要という話が来て終わっているのですが、まあさすがリクルートというかかなり現実的な話にはなってきたと感じました。冒頭ご紹介した第5回の資料をみてもなんとか収束しそうな感じにはなってきており、だいたい昨日のエントリで書いたような内容に落ち着いていくのでしょうか。

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2016-06-15

[]同一労働同一賃金ガイドライン

ほほお来ましたか。

 同じ仕事なら非正規労働者にも正規労働者と同じ賃金を支払う「同一労働同一賃金」の実現に向け、「不当な賃金格差」の事例を示すために政府が年内にもまとめるガイドラインの概要が判明した。通勤手当や病気による休業、社内食堂の利用などは正規社員と同じ取り扱いを求める一方、職務内容に関連性が高い基本給などは、合理的な理由があれば差を認めるとしている。ただ、ガイドラインは法的根拠が乏しいため、どこまで実効性が担保されるかは不透明だ。

 政府は、パート労働法、労働契約法、労働者派遣法の3法を改正し、2019年度の施行を目指している。ガイドラインは法施行までの間、各企業への自主的な努力を促すために策定する。

 概要では、通勤手当や社内食堂の利用などは同じ職場で働く人にとって等しく必要なものとし、正規・非正規間で差を付けることを「不当」とした。…

 一方、基本給などは仕事の中身との関連性が強いため、経験や資格など合理的な理由があれば差を認める方向だ。退職金や企業年金などの取り扱いについては、勤続期間が同じであれば非正規に正規と同様の扱いを求めることも検討する。

…「ニッポン1億総活躍プラン」では、非正規労働者の賃金水準を正規の約6割から欧州並み(正規の8割程度)とすることを目指している。法改正には時間がかかるためガイドラインを策定するものの、現時点では法的な裏付けがないため、早期の実現は容易ではなさそうだ。【阿部亮介】

同一労働同一賃金ガイドラインの骨子

<合理的な理由があれば差を認める>

・職務内容に関連性が高い基本給

・勤続期間に応じた退職金、企業年金

<同様の取り扱いを求める>

・通勤手当

・社内食堂の利用

・病気休業

毎日新聞ウェブサイトhttp://mainichi.jp/articles/20160615/k00/00m/040/138000c?fm=mnmから

前々から繰り返し書いているように労働条件はパッケージなので、こうやって細分化して個別に議論するのもなかなかうまくいかない印象はあるのですが、まあガイドラインを作らなければならないとなれば「パッケージです」ではすまないというのもわかる話です。

現実のガイドラインはさらに詳細なものなのだろうとは思いますが、とりあえず記事をもとに考えてみますと、「職務内容に関連性が高い基本給」は「合理的な理由があれば差を認める」となるようです。当然ながらこれは何をもって「合理的な理由がある」ことになるかによるわけですが、従来どおり期待役割や想定キャリアの相違が考慮されるのであれば大きな混乱は避けられそうです。これも何度も書いてありますが、非正規雇用労働者の処遇を改善したいのであれば(それは望ましいことだと私は思いますが)、労働需要に応じた職業訓練とか、より直接的には最低賃金の引き上げとか、さらにはそれらのための環境整備などによるべきであって、同一労働同一賃金の理屈を利用するのは筋が悪いということであり、ここで「手ぬるい」などと批判してもあまり建設的ではなかろうと思います。

「勤続期間に応じた退職金、企業年金」というのはさらにそうした性格が強く、いずれも現行の人事管理においては多分に長期勤続奨励・報償型の制度になっているのではないでしょうか(もちろんこれらはいっぽうで企業による強制積立という性格も持っていて賃金の一部でもあるわけですが)。したがって非正規雇用であっても企業が一定の勤続(1年とか3年とか)を期待しているケースでは、年金はともかく退職金類似の制度を持っている例が多いことは以前も紹介しました。いずれにしても非正規であっても退職時になんらかの給付があることは望ましいので、勤続に応じた退職金制度は企業としてもおおいに考慮されていいのではないかと思います(もちろん強制貯蓄としての意味も持ちますので月々の賃金は相応に減少することになるでしょうが)。企業年金については、現実には退職金の一部を年金として支給するという形をとる企業が多いと思われますので、勤続がそれほど長くならない有期契約労働者については退職金が年金化するほどの金額になることは考えにくいでしょう。長期にわたって勤続するパートタイマーなどをどうするかは、退職金とあわせて上手に制度設計する必要がありそうです。

通勤手当、食堂の利用、病気休業などについては正規非正規を問わず同一にするということのようで、これって同一労働同一賃金だよねえなどと思うわけですが戯言はさておき、通勤手当については当面は非正規雇用の採用は近距離からにとどめるという対応になりそうで、これは一応通勤時間の短い仕事を望むという非正規雇用の多くの要請とも一致するものではあろうと思います。遠距離からしか人手が確保できないというのであれば、つまるところ通勤費を支給するか、しないのであれば時給を上げるかするしかないわけで、案外実務にはそれほど大きな影響はないのかもしれません。ただこれは以前も書いたように通勤手当そのものの見直しの契機になる可能性はあります。そもそも居宅をどこに構えるかは通勤時間をはじめ通勤のコストと、価格や環境など住宅のコストとを勘案して判断するわけですから、そこで企業が遠距離通勤への補助金を出すのがいいのかどうかは議論がありそうです。ワークライフバランスが重視される昨今通勤時間のコストは上昇しているはずで、少なくとも持家居住の人に対する長時間通勤奨励的な通勤手当は廃止し、転勤など会社都合によって通勤経路が変わった場合のみ補助するという方向性かもしれません。

従業員食堂については利用まで認めている例は少ないように思いますが、採算度外視の価格設定になっている(事実上の補助が発生している)例は少なくないように思われます。まあ「社員食堂の利用」ということであれば、利用が認められれば価格差までは問わないということのように思われますが…。

病気休業というのは、年次有給休暇とは別に有休の、あるいは無給でもそれ以上の不利のない病気休業の制度を持っている企業も多いので、それも同様に、ということでしょうか。ここで問題になるのは時間比例的にできるかどうかでしょうが、さすがに週2日勤務の人も週5日の人と同じ年間10日、というのも変な話なので、これは時間比例ないし日数比例ということになるように思います。

まだ情報量が限られているので何とも言えないところが多いのですが、細かい技術的なところをていねいにつぶして明らかにしておかないと紛争も増えるでしょうし実務家も困るわけで、そのあたりは労使が加わる審議会プロセスでしっかり議論されることを期待したいと思います。

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2016-06-13

[]先祖がえり

昨日(6月12日)の日経新聞の連載コラム「中外時評」に同紙論説副委員長の水野裕司氏が登場され、「正社員改革こそ本道 「一億総活躍」めざすなら」と題して所論を展開しておられますのでご紹介したいと思います。「中外時評」は毎週日曜日に論説委員の持ち回りでそれぞれに自説を述べるという趣旨のようですが、水野氏は4月にも「正社員改革」を訴えておられます。なかなかの熱意が窺われるわけですが、どうも不思議な感じのするご所論でもあります。

…長時間の残業や休日出勤の根底には正社員の働き方がある。日本の正社員は会社に長期の雇用保障をしてもらう代わり、職務の範囲が限定されず、このため構造的に仕事が増えがちになる。

 非正規社員の処遇改善も、壁になるのは正社員という雇用のあり方だ。一億総活躍プランは仕事が同じなら正規、非正規を問わず賃金を同じにする「同一労働同一賃金」の実現をめざすとした。だが正社員は職務内容が一定しない。正社員と非正規社員が「同一労働」と認められるケースはどこまであるだろうか。

 正社員の働き方の見直しは企業の実行力にかかっている。政策でできることには限界もある。安倍晋三首相は「非正規という言葉を日本国内から一掃する」と言い切ったが、そう意気込むなら一億総活躍プランで正社員改革の重要性を強調すべきだった。

 世界のなかで日本の正社員は特異な存在だ。雇用契約は一般に欧米もアジアも具体的に職務を決めて結ぶが、日本はそうではない。時間外労働や休日労働は世界の大半の国が厳しく規制している。これに対し、日本は労使協定(三六協定)によって事実上、労働時間を際限なく延ばせる。…労使協調のもと、日本企業は労働時間や賃金を柔軟に調節することで景気変動に対応してきた。高度成長期に定着したこの仕組みがいまも根を張るのは、経営者にとって使い勝手が良いためだ。

 改革の方向ははっきりしている。会社と個々の社員とが、職務や労働時間などを明確にして雇用契約を結ぶようにすることだ。政府の規制改革会議は2013年、仕事内容や労働時間などを限った「限定正社員」の普及を打ち出している。

 幹部社員などの雇用契約については先進諸国も職務を明示しない例があり、日本も従来型の正社員がなくなるとは考えにくい。要は正社員の多様化を進めるということだ。

…1人あたりの付加価値を示す労働生産性は、日本生産性本部によると日本は14年に7万2994ドル。経済協力開発機構(OECD)に加盟する34カ国中、21位と低迷している。長期の雇用保障による固定費負担の重さが生産性向上を妨げている。

 技術革新が激しく社員の身につけた技能の陳腐化が早いため、長期雇用の利点は以前より薄れている。グローバル化で増えている高度外国人材の採用では雇用期間や職務を定めた契約が当たり前だ。

…正社員改革を促す政策として解雇ルールの見直しがあるが、企業の背中を押す役割を最も期待できるのは株式市場だ。米欧企業は資本効率を示す自己資本利益率(ROE)がおおむね10%台なのに対し、日本企業は一桁にとどまる。投資家が企業に圧力をかける余地は大きい。

 市場原理がさらに働けば企業の正社員改革は本格的に動き出すだろう。社外取締役の充実など企業統治の強化が「一億総活躍」にもつながる。

(平成28年6月12日付日本経済新聞「中外時評」から、以下同じ)

いやいいこともたくさん言っておられると思うのですよ。思うのですが、要するに何を言いたいのさというのがいまひとつ腑に落ちないのですね。

たとえばまず、

 長時間の残業や休日出勤の根底には正社員の働き方がある。日本の正社員は会社に長期の雇用保障をしてもらう代わり、職務の範囲が限定されず、このため構造的に仕事が増えがちになる。

まあそれはそのとおりであり、時間外労働の増減で雇用調整するために平常時でも一定時間の残業等を前提に要員計画するというのは確かにあると思います。職務の範囲が無限定だから自分の仕事が終わっても他人の仕事を手伝わなければならないというのもそうでしょう(ただしこれは手伝ってもらう人の時間外労働を減らすわけですが)。もっとも、これが長時間労働にどの程度寄与しているのかは別問題で、こうした必要を超えて仕事が多すぎる(要員が少なすぎる)というのもあるのではないでしょうか。公務員とかIT関連技術者とかの長時間労働はそちらのほうが大きいような気がします。まあいずれにしてもここを読むかぎり一億総活躍のために長時間労働を抑制したいという話のように読めます。

続く、

 非正規社員の処遇改善も、壁になるのは正社員という雇用のあり方だ。一億総活躍プランは仕事が同じなら正規、非正規を問わず賃金を同じにする「同一労働同一賃金」の実現をめざすとした。だが正社員は職務内容が一定しない。正社員と非正規社員が「同一労働」と認められるケースはどこまであるだろうか。

…一億総活躍プランで正社員改革の重要性を強調すべきだった。

もちろん非正規社員の処遇改善も大切な課題であり、しかし同一労働同一賃金という理屈だと「正社員と非正規社員が「同一労働」と認められる」余地は乏しいというのは重要な指摘です。ただ、それがなぜ正社員改革に結び付くのかはいまひとつ定かではありません。正社員の働き方が変わっても、正社員の賃金が変動することこそあれ、非正規社員の賃金がそれで直接変動することはなさそうに思えるからです。いやまあそれで正社員の賃金が下がればそれを原資に非正規の賃上げができるとか、正社員の働き方が非正規社員と同じになってなお正社員の賃金が高ければ同一労働同一賃金非正規社員の賃金が上がるとか、そういう話なのかもしれませんが、それだと要するに正社員の賃下げをやれという話になるわけですが…。

 世界のなかで日本の正社員は特異な存在だ。雇用契約は一般に欧米もアジアも具体的に職務を決めて結ぶが、日本はそうではない。

これもやや疑問を覚えるところで、ご自身も後のほうで「幹部社員などの雇用契約については先進諸国も職務を明示しない例があり」と書いておられるとおり、別に正社員が特異というわけではありません。日本の特殊性があるとすれば、その範囲が非常に広く、また徹底しているということでしょう。

ですから、

 改革の方向ははっきりしている。会社と個々の社員とが、職務や労働時間などを明確にして雇用契約を結ぶようにすることだ。政府の規制改革会議は2013年、仕事内容や労働時間などを限った「限定正社員」の普及を打ち出している。…要は正社員の多様化を進めるということだ。

これはまったくそのとおりで、そのうえで問題になるのはどれほどの人が限定正社員を選択するのか、女性に固定されることはないのかといったことであり、また、もし(本人の意思とは別に)従来型の正社員を少数に限定しようとするのなら、その選択をどのように行うのか、ということであるわけです(これはこのブログでもさんざん書いた)。

でまあ「正社員の働き方の見直しは企業の実行力にかかっている」という一方でそれは「経営者にとって使い勝手が良い」と言っているわけで、使い勝手がいいものを企業に見直させるための外圧として…

…米欧企業は資本効率を示す自己資本利益率(ROE)がおおむね10%台なのに対し、日本企業は一桁にとどまる。投資家が企業に圧力をかける余地は大きい。

 市場原理がさらに働けば企業の正社員改革は本格的に動き出すだろう。社外取締役の充実など企業統治の強化が「一億総活躍」にもつながる。

投資家の圧力に期待しているわけです。なんだ、投資家の利益のために企業(経営者)は賃下げも首切りも断行せよという昔懐かしい路線に先祖がえりしてるじゃん。そういう失業を増やす路線が「一億総活躍」につながるのかどうかはかなり疑問のような気はしますが。

そもそも、前段では「長時間の残業や休日出勤」を担ぎ出しておきながら、後段では「1人あたりの付加価値を示す労働生産性」を持ち出すというのが不自然な話で、時短論者は「一人あたり生産性ではなく時間あたり生産性で評価せよ」と主張するわけですよ。一人あたり生産性は長時間労働になるほど上昇する(もちろん限界上昇率は逓減するでしょうが)わけですから。

非正規雇用の処遇改善も同じことで、投資家に奉仕しROEを高めるために非正規雇用の処遇を上げるのだというのは、理屈のつけようはいくつかありますが、しかしまあやはりかなり疑わしい議論ではありましょう。

ということで、どうやら本音は投資家の利益のために正社員の解雇規制緩和や雇用の多様化による賃下げをやりたいということのように私には思われ、まあ長時間労働の是正も非正規雇用の処遇改善もそれを正当化するための方便みたいだよねえと激しく邪推する私。だいぶ以前からこうした論調はあまり見かけなくなっていただけにちょっと意外でした。やれやれ。

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2016-06-10

[]山極清子『女性活躍の推進』

経団連事業サービスの讃井暢子さんから、経団連出版の最新刊、山極清子『女性活躍の推進−資生堂が実践するダイバーシティ経営と働き方改革』を頂戴しました。いつもありがとうございます。

著者の山極氏は女性労働業界では知らぬ人のない有名人です。美容部員として資生堂に高卒入社され、店舗の現場から叩き上げて、男女共同参画推進リーダーとして同社を女性が働きやすい会社ナンバーワンに押し上げ、現在はそのノウハウを生かして系列のワークライフバランスコンサルティング会社の社長を務めておられます。そのかたわら大学に進学し、さらに大学院に進んで修士号、博士号を取得するという勤勉さであり、本書はその博士論文をもとに一般書として書かれたものということです。

内容的には副題にあるように資生堂の女性活躍推進、ダイバーシティ経営の展開、その理念と実践と成果とを詳細にまとめあげたもので、著者自身が関与した部分が中心ではありますがその前史やアフターフォローにも目配りされています(たぶん論文にはなかったのではないかと思いますが例の「資生堂ショック」についても簡単に触れられています)。

ということでダイバーシティ経営に関する資料としても手引きとしても非常に有益な本であり、各社のご担当者の方にはぜひ一読して自社とベンチマークされることをおすすめしたいと思います。自社の不足する部分がなにかが明瞭になることでしょう(しかしそれがわかったところでどうするのかというのが極めて難しいわけですがそこは各社それぞれに考えるしかない、と例によって他人事モード)。

ただまあこういう固くてマジメな本もいいですが、私としては著者の波乱万丈の一代記こそを読みたいと思うわけで(いや一代記が固くないとかマジメでないとかいうつもりではないので為念)、次作はぜひそのあたりをお願いしたいと思います。なんなら私がゴーストをやってもこらこらこら、まあそのうち日経新聞の「私の履歴書」に登場されることを期待しましょうか。

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2016-06-09

[]同一労働同一賃金検討会フォロー

先日もご紹介しましたが、一億総活躍プランにおける同一労働同一賃金に関する記述はやたら威勢だけはいいものの内容的にはまずまず現実的なところに落ち着いていて、報道などを見る範囲では世間の関心も低下しているようにも思える訳ですが、この間政府の検討会では議論が進んでおり、資料や議事録なども公開されていますのでフォローアップしたいと思います。

今回このエントリを書く気になったのは、先日公開された第4回検討会の中村天江ワークス研究所主任研究員の資料がなかなか面白くぜひご紹介したいと思ったからなのですが、その前に第3回の議論の一部についてコメントしたいと思います。

第3回のメインは欧州の関連法制に関する社研の水町勇一郎先生のプレゼンで、まあこれは欧州における実態の紹介とそれを今回の議論にあてはめてみるとこんな感じですというもので、もちろん政策論としては非常に有益かつ興味深いもので、質疑応答なども活発に行われました(いっぽうで現実の現場にいる人間からしてみれば前提条件が違い過ぎて使えねえの一語に尽きるわけではありますが)。

個別の論点についてコメントしはじめると大変なことになってしまいますので(笑)それはしませんが、これは最重要のポイントの一つだろうなと思ったやりとりがありましたのでそこのみ議事録からご紹介したいと思います。

○川口委員(引用者注:川口大司東京大学大学院経済学研究科教授) 今、神吉委員から職責みたいなものが違うということが正社員と非正社員の間であるという話があって、非常に重要な指摘だと思いました。判例などを整理していくときに、軸として労働の質の話がまずあって、それは生産性ともある種言い換えられると思うのです。あとは松浦委員からも御指摘があったキャリアコースの違い、それは水町委員も重要性を認めていらっしゃるところなのですが、キャリアコースの違いがあると。

 もう1つあるのは、いわゆる補償賃金格差と呼ばれるもので、労働環境の違いですよね。例えばファーストフードのアルバイトでも、深夜労働は時給が高いということがありますので、労働環境が違えば賃金が当然変わってくると。ですので、この点は原理原則を考えるときに落としてはいけない視点で、その視点を入れたときに、突発的に発生する業務に対して残業等で対応しなければいけない責任があるものとそうでないものといったような違いが出てくるのかと思います。そういう責務をどのように判断するか、それが何割の違いまで認められるのかという、先ほど転勤に関しては8、9割みたいな調査があるというお話がありましたが、この辺はかなり難しい論点かということで、最後に裁判所に任せるとなったときに、裁判官がどのように評価していいのかというのは非常に困ることになるのではないかという印象があるので、ある程度幅広に認めていくということも必要なのではないかとも思いました。

 松浦委員から御指摘があったキャリアコースについてなのですが、これはやはり大きな違いをもたらしているのは事実で、賃金に関してもそうですし、それ以外の部分でも訓練の機会は正社員と非正社員の間で大きな格差があるということが、能力開発基本調査などでも明らかになっており、そのことが後々に格差などにつながってくると。将来期待される役割が違うということを考えると、どうしても時間軸が入ってくるわけです。時間軸が入ってくると難しい論点になってくるのは、事前と事後の違いが出てくると。事前の意味では、幹部社員になることが期待されて入っているのだけれども、事後的に見るとみんなが幹部社員になるわけではないので、事後的に見てみると、いわゆる幹部社員になることが期待されて入っている人と、そうではなくて入ってきた方が、同じパフォーマンスだったりすることもあるのですよね。そうすると、日本の雇用管理の実態みたいなものを考えると、恐らく企業は、事前の意味での期待というのが違うキャリアコースの人が2人いるのですと、それによって訓練機会の有無などに差があるのですといったような論理を展開してくる。別にこれは詭弁でも何でもなくて、実態がそうだからだと思うのですが、恐らく事前と事後の違いということも含めたところで、事前の意味での差があるといったことを許容するようなところも含めていかないと、実効的なある程度現実を踏まえたガイドラインにはならないのではないかと思いました。もしも何かコメントなどありましたらお願いします。

○水町委員 今言ったことは、正にヨーロッパでもほぼ全て議論されていることで、それがどこに対応するかがヨーロッパは分かりやすいので救済ができるということになっていますが、日本はまるっきり正社員賃金とその他賃金に分かれていて、どこがどこに当てはまるかの説明もこれまでちゃんとしてきていないし、それについて救済もしようがないという話になってきたように思います。今言ったことは非常に大切なことなので、それをまず整理して説明するのは会社です。賃金制度をどう設定して、生産性に対応している部分はこの部分で、将来への期待に対してはこういうことを上にプレミアとして付けていって、補償賃金で正規でも非正規でも、苛酷なハードな仕事をしている分にはこの保障を与えますよというのを少し整理して、このように整理できますよと。これはパートタイムの人にも、有期の人にも、正社員の人にも、全部、納得を得られるように説明しますよとまず言ってもらって説明すれば、それでもう第1段階はクリアです。そこをまずやるような方向性で、きちんと議論を整理して、それをきちんとやっていなかったり、やったとしても内容がちょっとこれは不合理だよねと思われたら、最終的に裁判官が救済の手を差し伸べるかもしれないけれども、全て最初から裁判官が白黒を付けろという話ではないので、人事管理の方向性として、今言ったようなことをきちんとやってもらわないと、今ある正規と非正規のひずみで、正規も非正規も苦しんでいるという状況が直らないのではないかという問題提起だと思っていただければと思います。

http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi2/0000125593.html

水町先生は「賃金制度をどう設定して、生産性に対応している部分はこの部分で、将来への期待に対してはこういうことを上にプレミアとして付けていって、補償賃金で正規でも非正規でも、苛酷なハードな仕事をしている分にはこの保障を与えますよというのを少し整理して、このように整理できますよと。これはパートタイムの人にも、有期の人にも、正社員の人にも、全部、納得を得られるように説明しますよとまず言ってもらって説明すれば、それでもう第1段階はクリアです」というお考えのようで、実際プレゼンにおいても賃金の構成要素を細かく分解し、それをその性格によってカテゴライズして格差の合理性をどう判断するかという(一種の・中立的な意味での)還元主義的色彩の強い議論をされています。

これに対して川口先生は「時間軸が入ってくると難しい論点になってくるのは、事前と事後の違いが出てくる」という疑問を呈されたわけです。以下は私の解釈で川口先生がそうお考えかどうかはわかりませんが、今現在はともかく、将来どんな仕事につくのか、どこで勤務するのか、どこまで昇進するのか、病気になったり技能が陳腐化してしまったりしないのか、とかいったことを全部労働契約に書ききれるわけがない。「ヨーロッパは分かりやすいので救済ができる」というのは、業務変更や勤務地変更、昇進(!)などの変化の可能性が非常に低いという事情があるからでしょう。賃金も同様であって、相当程度集団的・包括的な賃金制度があって、その中で個別的には昇進昇格とか人事考課とかによって、集団的には昇給交渉や賞与交渉とかによって決まっていくわけです。労働契約というのはどうしたって不完備契約にしかならないわけで、そこのところを川口先生はじめ経済学者の先生方は契約理論とかを使って研究しているわけです。それに対していやいや関係者が全員納得できるように書きなさいと言われても議論はかみ合わないわけで。実はこれは大内伸哉・川口大司『法と経済で読みとく雇用の世界』の主要な問題意識のひとつでもあると思われ、水町先生もよくご存知のはずなんですが…。

ついでに言わせていただければ私(も仲間に入れていただいていいと思うのだが)たち労使関係の当事者というのは、しょせん事前に全部を想定・約束できない中で、当然起こる紛争をどう解決するかといったしくみづくりや、そもそも紛争を起こさないような労使コミュニケーションに尽力してきたわけですね。その経験からも、どうにも水町先生のご所論には違和感を感じざるを得ません(まあだからダメなんだということかもしれませんが)。

というわけで「人事管理の方向性として、今言ったようなことをきちんとやってもらわないと、今ある正規と非正規のひずみで、正規も非正規も苦しんでいるという状況が直らないのではないかという問題提起」とまで言われてしまうと正直うへえという感じなのですが、もちろん企業の人事管理に反省すべき点があるというご指摘はそのとおりと思います。ただその「今ある正規と非正規のひずみで、正規も非正規も苦しんでいる」とまで言われてしまうと、実際には大半の労働者はそれほど苦しんでいないんじゃないかとは思うかなあ。いやそれはもちろん大半が楽をしているとか楽しんでいるとまでは言いませんが、それなりにはなっているのではないかと(つかそうでなければ維持できないはずだと思う)。いやもちろん中には非常に苦しんでおられる実態もあるのが事実であり対処も必要だとも思いますが、どうも水町先生は日本の労働市場や人事管理を根本的に作り直してフランス型にしたいと考えておられるのではないかと思われる節があり、まあ働き方改革とかいう話もあるのでそういう議論も悪いたあ言いませんがしかしここってそういう場でしたっけ。本筋は非正規の賃金を上げるために同一労働同一賃金という考え方をどう使うのがいいのかという議論のはずで、あまり逸脱してほしくはないと思います。非正規の賃金を上げるために正社員の働き方を変えるっていうのも変な話ですし、たしかこれで正社員の賃金は下げないってのが前提ではなかったのかとも思いますし…。ちなみに、この直後にはさすがの柳川先生も「ちょっとこれはヤバいのではないか」と思われたらしく若干牽制されるような発言をされていて微笑ましいものがありました。くわばら、くわばら*1

*1:しかしあれだな、今回の議事録は事務方は最後に次回の日程をアナウンスするところで河村室長がちょっぴり出てくるだけで全然存在感がないな。なぜだろう(笑)。

海上周也 (Shuya Unagami)海上周也 (Shuya Unagami) 2016/06/11 16:53 初めまして、いまは外資系法律事務所で人事総務の仕事をしている者です。最近、貴殿のblogを見つけ楽しく拝見させていただいております。ウェブ記載のDD委員会における水町氏のやや独り相撲に関する貴殿の所感に共感を覚えました。実は、先日6/6に水町氏のパソナ人事セミナーに参加したのですが、テーマがまさにこの委員会議事録の内容でした。水町氏は、フランスとドイツとEUの関連法規をベンチマークにしたうえで日本の労働法制をそれに近づけようというスタンスでご検討されてますね。もちろん、そのアプローチ自体は間違ってないとは思いますが、例えば(東大法学部の先輩筋にあたる)JIL濱崎氏が提起し続けている日本の「正社員」の特殊性(職務無限定のメンバーシップ契約)あたりへの言及考察抜き(十分な日本の現状認識なし)に、つまり、欧州を参照するにあたっての日欧の前提条件の違いに対する配慮抜きに一足飛びに議論するのは拙速かと思うのです。(もしよろしければ詳細については小職のblogをご覧ください)

元労務屋@保守おやじ元労務屋@保守おやじ 2016/06/13 16:52 海上周也さん、はじめまして。コメントありがとうございました。
水町先生の示されたような、あるケースの合理性判断について、複数の構成要素に還元して過去の類例を参照しつつ個別にあてはめて判断するという手法は法学ではむしろスタンダードですが、欧米での裁判例を整理して日本でもこれでやりましょうという話は、前提になる法制度や労使関係なども欧米と同じにしなければ成り立たない話だろうと思います。それはいくらなんでも無茶だというのが私の意見です。ご関心がありましたら過去のエントリでも何度か言及しておりますのでお読みいただければうれしく存じます。

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2016-06-01

[]稲葉振一郎『不平等との闘い』書評

「キャリアデザインマガジン」に掲載する書評を書きましたので、フライングですがこちらにも転載しておきます。

 2014年12月に発売されたピケティ『21世紀の資本』日本語版は、728頁5,940円という大部にもかかわらず、発売後わずか4か月で16万部を売り上げるベストセラーとなった(全世界では優に100万部超を売り上げたという)。翌1月のピケティ来日の前後には、メディアが競ってこれを報じ、解説書・入門書の類が多数刊行され、ビジネス誌が相次いで特集を組むなど、空前のブームとなったことは記憶に新しい。この本も、著者によれば「出し遅れの「便乗本」」だということだ。

 実際、『21世紀の資本』をめぐっては、わが国でも格差と不平等についてさまざまな議論が展開された。たとえば、「週刊エコノミスト」2015年2月17日号の特集記事をみても、「競争と格差があるから意欲が高まり競争力が高まる」「資本は有能な人材に集中させたほうが効率的」といった意見から、「それぞれの国でいわば“心地よい格差”を探る必要がある」「貧困者に注目すると日本は超格差社会で対策が必要」「日本では住宅保有と雇用形態・所得の格差に注目すべき」といった意見まで紹介されている。それぞれに一理ある見解であり、議論は収斂しない。

 もちろん、唯一の正解がある話ではないだろう。しかし、それにしてもこうした状況をどのように整理し、理解すればいいのか。そのためには、この問題を今現在の視点だけではなく、歴史観をもってとらえていく必要があるというのが、この本の基本的な問題意識だ。

 この本は、経済的不平等を扱う学問である経済学が、この問題にどう向き合ってきたのか、その歴史的視座のもとにこんにちの議論を整理した本だといえるだろう。経済学の、まさに書名どおりの「不平等との闘い」を、これまた副題のとおりにルソーやスミスの時代からピケティのこんにちに至るまで、『21世紀の資本』の主たる関心事項である先進資本主義国における不平等を中心に描き出した本だ。

 もちろん、その「闘い」のありようも歴史を通じて一様であったわけではない。スミスやマルクスの時代には、考え方の違いこそあれ経済学は不平等に対して重大な関心を持って対峙してきた。新古典派の時代に入るとその関心は失われていったが、技術革新を織り込んだ内生的成長モデルの導入や労働経済学、特に人的資本論の展開を通じて、1990年代にはふたたび経済学は不平等に強い関心を寄せるようになる。著者はこれを「不平等ルネサンス」と呼ぶ。その議論の高まりの中で登場したのがピケティと『21世紀の資本』だ、というわけだ。

 そうした歴史観をもとに、著者は『21世紀の資本』のエッセンスを紹介し、それを踏まえて不平等をめぐる経済学研究の現状と課題が紹介される。本書の冒頭で紹介された、ルソーやスミスの昔からある平等と成長をめぐる議論は、まだまだ決着していない。経済学の「不平等との闘い」はまだまだ続くのだ。そして最終章では、その背後にある経済思想や哲学が敷衍されてしめくくられている。

 数多くの優れた点を持ち、多くの人に広くおすすめしたい本だと思う。第一に、この本一冊を読めば、現在において不平等を論じる上で求められる経済学的な知識が概ね得られるということがあげられる。古典派経済学、マルクス経済学から新古典派経済学を経て今日の議論、『21世紀の資本』のエッセンスまで、そのポイントが的確かつ明確に指摘され、整理されている。

 第二に、ともすれば難解、晦渋になりがちな内容にもかかわらず、きわめてわかりやすく明快に記述されていることがあげられる。前半の歴史的な部分は読み物としても楽しく読めるし、「不平等ルネサンス」の部分は実はかなりの部分が理論経済学の話なのだが、それにつきまとう難解さをほとんど感じさせない。

 第三に、経済学だけではなく、法学や哲学、社会学の分野にまで幅広く目配りされていることがあげられよう。冒頭紹介したような不平等をめぐるさまざまな意見も、哲学や経済思想の系譜の中に位置づけてみるとかなりすっきりと整理することができそうだ。

 わが国では今、正規雇用労働者と非正規雇用労働者の処遇の格差に注目が集まっている。現在さかんな「働き方改革」も、さまざまな不平等と結び付いている。今日的な課題だからこそ、歴史的視座もまた重要になる。この本の応用可能性は広く、その意味で普遍的な価値のある本ではないかと思う。

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2016-05-25

[]八代尚宏『シルバー民主主義』

八代尚宏先生から、新著『シルバー民主主義−高齢者優遇をどう克服するか』をご恵投いただきました。ありがとうございます。

高年齢者数が多く、かつその投票率も高いことから「給付は多く、負担は少なく、財源は将来負担」という政策が採用されがちな「シルバー民主主義」の問題点と解決策を提示した本です。著者は高年齢者の見識には一定の信頼をおいたうえで、現状の問題点は環境変化、特に少子高齢化と経済成長の鈍化にともなう社会保障や財政などへの影響とその将来見通しが正しく理解されておらず、シルバー民主主義に迎合的な「甘い」政策が提示されがちなところにあると考えられているようです。解決策としては、徹底的な情報開示と、事実・現実に整合的な複数の政策パッケージを提示した上で高年齢者を含む国民の選択に委ねるというもののようで、投票義務化や世代別選挙区、ドメイン投票などといった施策とは一線を画しており、経済学者らしい提言といえそうです。具体的な政策についても、メインは社会保障目的税としての消費税の拡大を通じた再分配強化であり、また、育児保険や資産課税強化といった政策にまで踏み込んでいます。

最終章が労働にあてられており、まあシルバー民主主義批判の本なのでいささか従来の雇用に手厳しい感はありますが基本的にはわが国の労働市場、労使関係や人事管理の実態の正しい理解のもとに書かれていてさすが八代先生という感じです。政策提言も「正社員賃金の年功度を抑制して外部労働市場の水準に近づける」「内部労働市場で働く正社員比率を抑制して職種別労働市場で働く労働者を増やす」というもので、(手厳しい表現にもかかわらず)現実的でまあおおむね実際に行われつつあるものであると言えると思います。

なお非常に細かい話で新書にそこまで求めるのは無理な話と承知しつつ2点ほどコメントさせていただきますと、「企業内労働市場で、もっとも重要な役割を果たすべき管理職が、具体的な仕事能力と結びついた「職種」ではなく、労働者の「処遇」のためのポストと化している」(pp.164-165)という記述については、やはり「管理職クラス」と「管理職ポスト」に分けて考える必要があるだろうと思います。「クラス」についてはまあ「処遇のため」のものであると割り切れると思いますが、マネージャーとしての実態のある「管理職ポスト」については、候補者数に対してポスト数が相当程度不足しているのが多くの大企業の実態と思われます。さらに「管理職クラス」についても、短期的に見て仕事が処遇に見合ってないと思われることがあるのは、本人の問題というよりは本人の能力に見合った仕事が割り当てられない(やはり主な理由は高能力に見合う高レベルな仕事の不足)という人事管理の問題であることが多いと思われます。どうも八代先生をはじめ研究者の方が調査・取材の対象とされる人事担当者にこうした人事管理の問題に自覚的でない人が含まれているらしく、そのために現実が正確に伝わっていないのではないかと懸念しています。

もうひとつは169ページ以降の「年功賃金は事実上の賦課方式の年金制度」という議論についてで、こちらは議論自体はまったくそのとおりと思いますし、1997年の名著『日本的雇用慣行の経済学』ですでに「長期雇用慣行下の正社員は一種の株主のようなもので、企業と長期にわたる利益共同体となる」と喝破していた八代先生の慧眼には敬服するよりありません(松下電器の例をひいて若者がそれに期待していないというのは疑問ですが)。ただその賦課方式ゆえの問題点は、団塊世代が定年し、その再雇用期間も経過して退出した現在ではかなりの程度軽減されていることも事実なので、持続可能性はいくぶん回復しているとはいえると思います。実際、この間の昇給率をみると、大企業においても八代先生ご指摘のように定昇がきちんと行われているにもかかわらず(まあ大企業のやることだから当然だ)平均賃上げ率は一般的な定昇の水準である1%台後半をかなり下回る1%台前半という低率にとどまっています。これは賃金の高い団塊世代が退出し、その補充が比較的賃金の高くない若年世代でまかなわれたことの寄与がかなりあるのではないかと思います(検証したわけではないので断言はできませんが、実務家であれば実感にあう話と思います)。

[]不審な判決フォロー

いやはや八代先生には「これこそシルバー民主主義」と断罪されそうなネタではありますが(笑)、5月19日のエントリ(http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20160516#p1)で取り上げた定年後再雇用をめぐる地裁判決について、読者の方のご厚意で判決文を確認できましたので(ありがとうございます)、以下フォローしたいと思います。

さてまず第一に不審だった「「正社員と嘱託社員で職務内容や配置変更(転勤)の範囲、責任の度合いに違いがない」という判示ですが、判決文を読むと前提事実のところでこう書かれています。

工 本件有期労働契約において、勤務場所は鶴見営業所,業務は撒車乗務員とされていたが、被告が業務の都合により勤務場所及び担当業務を変更することがある旨が定められていた。なお、この点に関し、正社員就業規則13条は、業務の都合にまり配置転換又は転職を命じることがある旨を定めている。(甲1, 5の1, 甲7, 8,乙1,11,13,14)

オ 原告らは、本件有期労働契約の締結後、被告において、従前と同様に撒車の乗務員として勤務した。原告らの業務の内容は、正社員である乗務員らと同じく、撤車に乗務して指定された配達先にバラセメントを配送するというものであり、嘱託社員である原告らと正社員である乗務員らとの間において、業務の内容及び当該業務に伴う責任の程度に違いはない。(甲24,27,28,弁論の全趣旨)

ということで、ここまで前提事実として認定されてしまって争点にもなっていないのですからどうにもならんなという感はあります。判決文によれば、この会社の就業規則は

…被告の正社員就業規則8条は、「この規則は、会社に在籍する企従業員に適用する。ただし,次に掲げる者については、規則の一部を適用しないことがある。」…一部を適用しないことがある者として「嘱託者」を定めており、これを受けて、被告は、嘱託社員に適用される就業規則として「嘱託社員就業規則」を制定するとともに、嘱託社員労働契約書に具体的な労働条件を記載していたことが認められる。…

ということであったらしく、さらにやはり判決文によれば、

…被告の嘱託社員就業規則は、定年で退職する者のうち本人が継続勤務を希望し、被告が雇用を必要と認めて採用された者等を嘱託社員という旨を定めた上で(2条)、嘱託契約は期間を定めて締結すること(4条1項)、契約期間は1年以内とすること.(4条2項)、嘱託社員の給与は原則として嘱託社員労働契約に定めるところによること(12条)、嘱託社員には賞与その他の臨時的給与及び退職金を支給しないこと(13条)等を定めている…(甲4、乙4) _

…また、被告は、平成22年4月1日、嘱託社員の採用基準、賃金等の労働条件を定めた「定年後再雇用者採用条件」…を策定し、…平成26年4月1日付けで改定された再雇用者採用条件は、下記…とおり定めている。(乙25から27まで、51)…

このあと具体的な内容が続くのですが略します。基本的には賃金に関する規定と、あとは契約期間や更新などについて簡単に定められているのみのものです。

ということで、まあ判決文で書かれていない部分については依然として不明ではあるわけですが、しかし前日のエントリで推測していたような「再雇用者の就業規則が正社員の就業規則から賃金と契約期間のみを書き換えただけであとは同じものでしたとかいったずさんな実態があった」というのに近かったということではなかろうかと思います。

中でも勤務場所と職種変更については正社員と同様の規定ということで議論の余地なく寄り切られているわけですが、しかし一般的にはそうは言っても現実の運用、たとえば正社員はそれなりの頻度で勤務地変更などがあるのに対して再雇用者ではほとんど行われていませんでしたというような実態もふまえて判断するのが一般的ではないかと思いますので、やはり不審な感は残りますが、あるいは正社員であっても勤務地変更などはあまり行われていないなどの実態だったのかもしれません。

「業務の内容及び当該業務に伴う責任の程度」については「弁論の全趣旨」が出てきていますのでまったく書面上の文言のみで判断されたわけでもないようですが、前回書いたように常識的に考えて昇進可能性や後進指導の役割なとが同じということはありえないので、そういったところがていねいに検討されたのかどうか、やはり不審な感はぬぐえません。

ただまあ「弁論の全趣旨」で思ったのが、やはり先日指摘したもうひとつの不審な点、「経営状況を気にしているらしいところ」に結び付いているのかなというところはあり、判決文をみるとやはり前提事実としてこうあるわけです。

…同年5月10日の団体交渉において、…定年後再雇用者の賃金水準が定年前の70パーセント程度になることを説明した。これに対し、本件組合は、以後、繰り返し、賃金の引下げ幅を20パーセントや10パーセントにした場合の影響について試算するよう求めるとともに、再雇用条件の交渉の土台になる資料として、会社全体の売上高、運送原価、販売費及び一般管理費等の推移、バラセメント運送部門の売上高及び運送原価の推移、バラセメント運構手の平均年収の推移等といった経営資料の提示を求めたが、被告は、これらの要求に応じなかった。…以降も、被告に対して上記経営資料の提示を求めたが、被告は、現在までこれに応じていない。(甲23,乙37,61から66まで,68,77,84,88,95)

…他方において、本件組合は、…被告に対し、定年後再雇用者の年収を正社員との均衡を考慮した水準に引き上げるよう検討することを要求するとともに、再雇用者の就労と収入の実態に基づいて団体交渉を行うために、再雇用者の就労日数、歩会給の支給額、賃金総支給額、年収、残業時間等を開示するよう要求したが、被告は、いずれの要求にも応じられない旨を回答した。(甲23,乙69から71まで,95)

これはさすがにまずかったのではないかと思います。いやもちろん、会社としては定年後再雇用の労働条件は経営状況とは関係なく設定されたものだという主張でしょうしそれが正論だと私も思いますし、交渉ごとで相手の主張の土俵に乗ることもなかろうという考えであったならそれもわかりますが、しかし見るかぎりは容易に開示できる資料も多く含まれているわけで、出せるものも出せないと突っぱねたのでは説明不足、不誠実と言われても仕方ないでしょう(逆に、運送原価などはいかに団交とはいえ無責任な社外者に開示できないというのは裁判所も認めるだろうと思います)。これが判事に「不当な賃金切り下げが目的」という心証を与えたのであれば、判決がこうも経営状況などについてこだわるのもわかりますし、会社の主張は信頼できないので実態にかかわらず書面上の文言をもって判断するということになってしまった可能性もあると思います。これはこれこれの理由で出せませんが、あとは出せるだけのものは出します、でもそれとこれとは無関係だと会社は考えます、という対応はできなかったものでしょうか。

ということで、まあおおむね予想通りでこの事件特有の事情は大きく、大きく広がるかといえば私は否定的です。逆にいえば、各社ともにこの事件を他山の石として、就業規則や人事管理の点検と必要な整備に取り組むことが望ましいと思います。

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