漢字廃止の可能性は?

今、ふと、思ったのですが、漢字が書けるかどうかを善し悪しの判定基準にするのはおかしくないかって。

今、小指と薬指がしびれているのですが、正直自分は「痺れ」という漢字は書けません。「けいれん(痙攣)」も書けません。「あいさつ(挨拶)」も書けません。ここに記述できるのは、PCが変換してくれているからです。

漢字が書けなくても、だからといって生活に支障が出るわけでもないし。むしろ、これらの漢字が書けるかどうかで頭の善し悪しを判定するなんて馬鹿げていると思っています。

一度、漢字を廃止してみたらどうなるでしょう?

実のところ自分は漢字大好き人間なので、漢字廃止論者ではありません。でも、漢字をありがたがりすぎているような気がします。

日本で漢字はかなり浸透しています。漢字は日本語だという人もいるくらいです。
日本で漢字を廃止したらどうなるか、明治時代にかなり議論になったようです。ローマ字にしてしまえという人もいればカナだけにしようという人もいました。フランス語を公用語にすべきだという過激な主張をする人もいたようです。

漢字を廃止したら不便でしょうかね? 日本語は漢字がなければ成立しないのでしょうか?

朝鮮半島の国々では漢字を基本的に廃止してしまいました。実際のところ不便じゃないんですかね?

ドイツ語辞典の背文字

ドイツ語辞典の背文字は平積みにしたとき、表紙を上にすると逆さまになってしまいます。
ドイツ語の本が全部そうなのかはわかりません。少なくとも、所有している2册のドイツ語辞典がそうなっているので、不思議に思いました。

どういう経緯でこうなっているのでしょうね?

英語の書籍は表紙を上に平積みしたら、背文字は正常な配置になりますが。

仏教の不思議

世界三大宗教といえば、キリスト教イスラム教、仏教ですかね?
少なくとも自分は勝手にそう思っています。

で、その経典といえば、キリスト教には聖書、イスラム教にはコーランがありますが、仏教には何がありましたっけ?

……

無いんです。少なくとも自分の感覚では。

正確にはどうなんでしょう?
『三蔵』ですかね、それとも『大蔵経』?

でもお坊さんのみなさん、『三蔵』も『大蔵経』も見たことがないような気がします。まして一般の仏教徒のうち一万人に一人でも『大蔵経』を通読した人はいないと思います。あくまで自分の勝手な想像ですが。

経典を誰も読んだ事がないのに、それでも宗教として存在するというのはすごいですね。

同じ観点からいえば、神道もそうかもしれません。 だって、神道の経典って何ですか? と聞かれて答えられますか?

それでも、堂々と存在し続けている。すごいですね。

もちろん、厳密な意味での宗教かどうかという議論の余地はあるかもしれませんが。

今、突然浮かんできた疑問なんですが、神主さんは信仰する宗教は神道ですよね?
で、死んだ場合、お墓はどうしているのだろう? 霊園とかに葬り、寺の墓地には埋葬されないのだろうか?

豊かな時代か?

サマセット・モームの『魔術師』(ちくま文庫)を20年近く前に購入しました。

その当時はその原書なんてとても手に入るなんて思えませんでした。もちろん不可能というわけではなかったと思います。東京の洋書専門店に注文するか、海外の書店に注文して取り寄せるかすれば、手に入れることができたのだろうと思います。でも、そんな気になることもありませんでした。

手元にその『魔術師』があったので、ネットで調べてみると、そのテキストデータも朗読のオーディオデータも入手可能でありました。

さっそくダウンロードしてみると、10分も掛からずに入手できました。

今、男性の声で朗読が流れています。

ほとんど意味がわからない英語朗読を聞きながら、しばらく、この現実が「豊か」といえるのかと考えていました。

環境は当時より良くなりました。

でも本当に「豊か」になったのでしょうか?

どんな本も翻訳が出ているのと、誰もが少なくとも英語であるならば原書で読む能力があるのと、どちらが豊かなんでしょうね?

映画『バイオハザード』の原題

映画『バイオハザード』の原題は“Resident Evil”です。もっとも、元になったゲームは「バイオハザード」が原題で、“Resident Evil”が欧米向けの名称のようです。

どういう経緯で「バイオハザード」が“Resident Evil”になったのでしょうかね?

コーヒーの漢字

コーヒーの漢字は「珈琲」と書きます。中国では“咖啡”と書きます。この違いはいつからでしょうね? 
また、カレーライスのことを中国では“咖喱饭(咖喱飯)”と書きますが、この場合“咖”の発音が[gā]ですが“咖啡”の場合は[kā]となります。これって何故なんでしょうね?
このような瑣末なことに引っかかる性質の人間(私)はいつまで経っても外国語がうまくならないようです。
でも、この無駄な好奇心がどうしても捨てきれないんですよね。