瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

日本の民話『紀伊の民話』(1)

 未来社『日本の民話』シリーズでは、日本の民話56『紀州の民話』が昭和50年(1975)に徳山静子 編で出ているが、当初、昭和35年(1960)に『紀伊の民話』の題で刊行されるはずであった。しかしこれは実現しなかった。
 ――瀬川拓男・松谷みよ子夫妻は未来社の『日本の民話』シリーズの初期、2019年12月20日付「日本の民話1『信濃の民話』(01)」に見た日本の民話1『信濃の民話』と、日本の民話10『秋田の民話』の2冊を担当している。
 4月28日付「飯盒池(11)」に見た『秋田の民話』の巻末に収録されている瀬川拓男「秋田の民話について/――その採集と再話のこと」を読むと、はっきりそう書いている訳ではないが、このような活動を継続するつもりであるように見える。
 実際、その計画のあったことは、2021年11月20日付「日本の民話1『信濃の民話』(14)」に取り上げた松谷みよ子・曽根喜一・水谷章三・久保進 編『戦後人形劇史の証言――太郎座の記録――に活字化されて収録されている、当時の資料にも見えているのである。
 125~131頁上段6行め「一九六〇年度の太郎座/(総会資料)」の、127頁下段20行め~130頁上段1行め「二、組織体制の強化のために」の128頁上段5行め~下段4行め「文芸部について」に、その記述が見える。

 文芸部について
 瀬川、松谷、松沢、小林、笠井。この五名は、作品を/書いて行く希望もあるので、まず、定期的に研究会をひ/らくこと。当面は、新しい人形劇の台本を合作でもよい/から作りあげること。
 つぎに、松谷、瀬川の方の仕事として、出版関係での/今年度の執筆予定は次の通りである。
 イ、「紀伊の民話」出版。「大和・伊勢の民話」の準/  備。
 ロ、民話の再創造による長編童話。
  「前がみ太郎」「たつの子太郎」「日本一の三人太郎」/  「どじ丸物語」
 ハ、坪田譲治「日本童話全集」全十二巻の編集、執筆/  協力。特に日本の伝説について。
 以上の執筆のために相当のエネルギーを必要とする/為、できれば太郎座のうけもつテレビ番組の台本につい/【128上】ては、文芸部として分担して書く様にしたい。また民話/その他の各種資料の収集、調査も分担すると共に、座の/勉強会、(民話研究、その他)について、指導的役割り/を果せるところまで高まりたいと思う。


 瀬川、松谷夫妻以外の文芸部メンバーがよく分からない。当時の資料や旧団員の記憶から入団の大体の順番で作成した名簿、308~312頁「太郎座に参加した人々」を見るに、308頁下段15行め「松沢雅彦(34―35)(美)」17行め「笠井純(34―36)(演)」20行め「小林昭子(35)(演)」らしい。尤も(美)は美術部、(演)は演技部なので齟齬するが、在籍年と姓からしてこの3人以外に考えられない。実際には文芸部では活動しなかった、と云うことであろうか。
 それはともかく、『信濃の民話』『秋田の民話』に続いて『紀伊の民話』『大和・伊勢の民話』が計画されていたことが分かる。特に『紀伊の民話』の方は、昭和35年度に「出版」が予定されていた訳で、それなりに進んでいたはずである。実際、324~331頁、松谷みよ子「瀬川拓男と太郎座の年譜」には、326頁上段16行め~下段7行め「一九五九年(S34)」条に、上段17行め「 瀬川・松谷。和歌山民話採訪。」とあって、前年に現地調査を行っていたのである。(以下続稿)

祖母の蔵書(188)吉屋信子③

 初め4月10日付(187)の「吉屋信子②」に「5月1日追加」と註記して加筆していたのだが、AJBCについて調べたりして長くなったので独立させることにした。
・『ある女人像―近代女流歌人伝―昭和四十五年十月一日 AJBC版第一刷・頒価500円・新潮社(頒布元 全日本ブッククラブ)・329頁・四六判上製本

 仏間の本棚にあって、若い古本屋が採ってくれた(まだ持ち込んでいない)中にあった。
 書影は初版のカバー表紙、AJBC版もほぼ同じだが背景の萩の花の絵が若干左にズレている。すなわち、初版は標題の「る」と「女」に花が掛かっているが、AJBC版はこの花が左にズレて標題に掛かっていない。
 全日本ブッククラブについては「新聞研究」1973年8月号(No.265・昭和四十八年八月一日発行・日本新聞協会・96頁)88~92頁「マスコミの焦点」欄、90頁3~4段め7行め~92頁「解散した全日本ブッククラブ」に詳しい。小売書店の数が多く欧米のようなブッククラブを通しての通信販売が行われて来なかった日本でブッククラブ設立の機運が高まったのは、米国タイム・ライフ社が日本の資本自由化の波に乗ってブッククラブを設立しようと動いていたことに刺激されてのことで、この外資系ブッククラブ設立は上手く行かなかったが、その防衛策として日本の出版・取次・小売の三者協力により講談社社長の野間省一(1911.4.9~1984.8.10)を社長として昭和44年(1969)12月10日に設立されたのが全日本ブッククラブである。「AJBC」は「All Japan Book Club」の頭文字。昭和45年(1970)春に営業を開始したが軌道に乗せることが出来ないまま昭和48年(1973)に入って事実上の活動停止、7月14日の臨時株主総会で正式に解散が決定、11月に清算が完了して解散している。
 祖母は年会費12000円のA会員か、年会費6000円のB会員になっていたようだ。まだ記事にしていないが寝間の本棚にも1冊、全日本ブッククラブ版があって昭和46年(1971)9月刊行の尾崎秀実『愛情はふる星のごとく』であった。これと、本書の「送信サービスで閲覧可能」の国立国会図書館デジタルコレクション、日本の古本屋に挙がっている初版の画像とを適宜比較しながら、見て行こう。
・初版(昭和四十年十二月 二 十 日印刷・昭和四十年十二月二十五日発行・定価四九〇円・新潮社・329頁・四六判上製本
 カバー裏表紙はカバー表紙と同じく萩の花が描かれているが、初版に比してAJBC版は絵が右にズレている。文字は初版には最下部右にゴシック体で「¥490」とあるのみだったが、AJBC版は同じ位置に、枠に細いゴシック体の数字[ 15―1065 ]、最下部左に横長のゴシック体「全日本ブッククラブ版 頒価 500 円」とあって「500 円」が朱文方印[邨荻]に重なっている。なおAJBC版『愛情はふる星のごとく』は、黒地のカバー裏表紙、同様に横長のゴシック体白抜きで「全日本ブッククラブ版 頒価 600 円  [ 12―1107 ]」とある。
 カバー背表紙は白地で、上部に標題、その下に小さく副題、下部に標題と同じ大きさで著者、最下部に◯に本を広げたマークはAJBCのマークであろうか。このマークはAJBC版『愛情はふる星のごとく』にも同じ位置に白抜きで入っている。
 本体表紙、初版はラベンダー色の布装であったがAJBC版はくすんだ黄緑色のエンボスの紙装で、表紙中央やや上に初版は窪ませた金文字の標題があるが、AJBC版は窪ませずに黒で入っている。丸背の背表紙は国立国会図書館デジタルコレクションでは見えないが、AJBC版はカバー背表紙と同じ文字がやや小さく入り、最下部は明朝体横並びで小さく「新 潮 社」。裏表紙は初版には何もないがAJBC版は中央にカバー背表紙最下部と同じマーク。これはAJBC版『愛情はふる星のごとく』本体裏表紙も同じ。
 表紙見返し以後は初版とAJBC版は変わりないように見える。
 全く違うのは奥付で、上部の[潮新]印を上に移動させて、その右下にここのみ横組みで「 ある女人像/―近代女流歌人伝―/頒価500円」とあり、下部の縦組み部分は初版より大きくゆったりと、まづ発行日の1行、次いで同じ高さに揃えて行間を1行弱空けて「著  者/発 行 者/発 行 所」は初版に同じだが大きく、さらに1行弱空けてもう1行「頒 布 元  全日本ブッククラブ」この左に2字下げでやや小さく以下の3行を添える。「東京都文京区本郷一―一四―三/電 話 代 表(八一四)六七二一/郵 便 番 号  一 一 三」1行弱空けて下寄せで括弧内割書「(乱丁、落丁のものは頒布元/にてお取替えいたします。)とあり縦組みの下に太線(6.9cm)、その下は横組みで「© by Nobuko Yoshiya, 1970, Printed in Japan./印刷 二光印刷株式会社  製本・神田 加藤製本所」3行めは右詰めで「[ 15―1065 ]」明朝体で細い枠、番号はカバー裏表紙右下と同じ。
 初版は奥付の裏から目録が5頁あるが、AJBC版は奥付の裏は白紙で、直ちに裏表紙見返し(遊紙)になっている。(以下続稿)