『羽生』(保坂和志/知恵の森文庫)

羽生―「最善手」を見つけ出す思考法 (知恵の森文庫)

羽生―「最善手」を見つけ出す思考法 (知恵の森文庫)

今日の将棋NHK杯:羽生vs中川戦が大逆転だった件(黒い天使のブログ)
将棋の海外伝播などについてのブログ: 驚異の大逆転よりも人々の反応の多さに驚いた
加藤一二三伝説
 私もこの10月14日放送のNHK将棋トーナメント羽生善治二冠対中川大輔七段戦(解説:加藤一二三九段)はリアルタイムで観ていました。中盤で難しい折衝はあったものの、終盤は完全に後手番の中川七段の勝勢でずーっと指し継がれてました。羽生二冠は投げっぷりがそんなに悪い方ではありませんが、粘るときは粘ります。それはそうなのですが、「この将棋を粘っても幸せになれるとは思えないけどなぁ……」と思っていたら、まさかまさか、急転直下の大逆転劇です。あまりに驚きすぎて眠気が完全に吹っ飛びました。この驚きのすさまじさを表現する言葉を私は持ち合わせていません。どんな言葉にしても嘘っぽくなってしまいそうなのですが、これは本当に起きた出来事なのです。ってか、この将棋を勝っちゃダメだろ……。
 確かに、桂馬を取って自玉を一手だけ安全にし、手にした桂馬で相手玉に迫るという筋自体は私にも見えていました。しかし、桂馬だけでは全然足りません。本局でも銀二枚と歩三枚、それから一瞬の間隙を突いて打たれた攻防の▲9八角と、これだけの条件が揃わないと勝てないのです。従いまして、羽生二冠としてはこうした局面像を描いた上で、それを実現させるために粘りの手を指しながら狙っていたということになります。私だったら王手馬取り(しかもそれを受けるために中空に銀を打たなくてはならない)をかけられた時点で心が折れて首を差し出しちゃいますけどね。こうなってしまうと、あのときあーしてれば良かった、こーしてれば良かった、と中川七段としたら後悔しきりでしょう。とりあえず154手目(こんなに長引いたこと自体が驚異)で飛車を取らずに△3九金から王手で追っておくか、あるいは角を取るなりしてれば勝ちだったはずです。ただ、一方的に優勢な時間があんなに長くなっちゃうと、まさか自玉の心配をする必要があるとはなかなか考えられませんよね。
 かつて羽生は「終盤は誰が指しても同じ」という趣旨の発言をして物議を醸したことがあります。詰みがある局面では詰ます手を指すしかないし指して当然という意味で納得できます。しかしながらこうした将棋を観てしまいますと、「誰が指しても同じ」とはとてもじゃないですが言えません。この終盤はまさに”羽生の終盤”です。
 常にギリギリの最善手を追い求める指し方は自らに厳しくも立派な姿勢だと思いますが、そればかりだと形勢が一方的になってしまったときのモチベーション維持が困難です。そんな中で、どうやってこれだけの勝負術を発揮することができるのか。プロ中のプロである羽生二冠の思考を私のようなヘボアマが真に感得することなど一生ないでしょう。ただ、その一端でも窺い知るための、”羽生の考え”を考えるための参考になる本として、本書『羽生』をとりあえず挙げておきたいと思います。
 本書は1997年に単行本で刊行されました。羽生善治のインタビューと自戦記などを参考に、芥川賞作家である保坂和志が羽生の将棋についての思考に迫っています。私は、将棋とは素晴らしく面白いゲームだと思ってます。しかし、残念ながらその競技者は日本国内にほぼ限定されてまして、世界的な広がりには乏しいと言わざるを得ません。そうした国際的な広がりを持たない現状にあって、それでもなお将棋というものを開いていくためにはどうしたらよいか。その答えの一つが本書にはあります。すなわち、定跡書のような技術論でも、あるいは将棋を人生に例える人生論でもなく、”筋”や”大局観”といった将棋言語を一般の言語に近づけることで将棋を開いていくという方法です。こうすることで、プロの将棋の見方というものを一般の人に少しでも興味を抱いてもらい、理解してもらうことが期待できるでしょう。また、昨今『ボナンザ』というコンピュータ将棋ソフトの活躍が話題を呼びましたが、『ボナンザ』の開発者である保木邦仁は将棋に関してほぼ素人であることを告白しています。こうした事柄を説明するためにも「プロの思考の言語化」((c)片上大輔五段)はますます必要とされることでしょう。
 人間vsコンピュータという図式は、世界性を持たない将棋界からすれば外へアピールするための格好の材料ではありますが、そこで行なわれている戦いは正確には人間の作ったコンピュータvs人間であって、どっちが勝っても別に人間の敗北ではありません。仮に人間にコンピュータが勝ったとき、その場合に追求されるべきなのはコンピュータにどのような思考方法をプログラムしたかという”考え方”の問題でしょう。そうした問題に迫るためにも、「プロの思考の言語化」は事あるごとに試みられるべきだと考えます。だって、この将棋の凄さとか驚きとか残酷さとかを、少しでも多くの方に分かってもらいたいじゃないですか。それにしても、この将棋はホントに凄かった……。
〔追記〕日本語のおかしい箇所があったので、ちょっとだけ直しました。
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