新体制、発足す
危惧していた通り、どうじょう内閣は首相本人ではなく閣僚から
問題が噴出し始めた。
鉢呂経産相の被災地についての発言ばかりが取り上げられているようだが、
口先番長・前原氏がPKO派遣の自衛隊に武器を携帯させる発言はどこへ
言った?
ワシントンでの英語での演説も耳を覆いたくなるようなカタカナ英語だった。
まさか、本当にカタカナ書きの原稿を読んでたんじゃないだろうな。
以前の普天間基地移転関連の発言といい、どうもアメリカ政府を喜ばせたくて
仕方ないようだ。どうせならアメリカ人になっちゃえばいいのに。ブツブツ。
『ローマ人の物語35 最後の努力[上]』(塩野七生 新潮文庫)読了。
「インペラトール」はローマ軍の兵士が皇帝を称える呼称。それは、皇帝が
ローマ軍の最高指揮官だからだ。そして、市民からの皇帝への呼称は
「プリンチェプス」。それは、有権者である元老院とローマ市民から帝国の
統治を委託された「ローマ市民中の第一人者」だから。
だから、ローマ皇帝は呼び名は「皇帝」であってもオリエントの専制君主とは
違う。頭上に頂く冠も、月桂樹で編んだ「市民冠」であり、金銀宝石を散りばめ
た豪華絢爛たる王冠ではない。
そんなローマ皇帝の在りようが、3世紀の危機を乗り越えたディオクレティアヌス
帝から変わって行く。
3頭政治ならカエサルも行った。しかし、ディオクレティアヌスが行ったのは
「4頭政」である。帝国を東西に分け、それぞれに正帝と副帝が存在する。
それぞれの皇帝が子飼いの軍団を持ち、受け持ち地域の首都に皇宮を
築き、本国イタリアの首都であるローマへは凱旋式の為のみに帰るだけ。
しかも、ミリタリーとシビリアンを完全に分離したことで皇帝のチェック機構
であった元老院はないがしろにされる。
そして、軍団兵の倍増と、カラカラ帝が行ったローマ市民権の大盤振る舞い
が財政を圧迫し、初代皇帝アウグストゥスから続いた税制の抜本的改革の
必要に迫られる。
ローマの再興はなったが、それはもう「在りし日のローマ」ではなくなっていた。
以前の体制が「元首政」であるならば、ディオクレティアヌス帝の治世からは
「君主制」なったローマ帝子が始まる。