建築家っておもしろい 古谷誠章 ☆☆

アンパンマン(古谷さん)のポケット(ってドラえもんじゃないんだけど)を見せてもらえる読みやすい一冊。学部一年時のレクチャーがよみがえる。
早稲田では教授をさん付けで呼ぶ。石山さん、入江さん、しかり。本書では古谷研の面々がカタカナで登場。ひとの呼び方は建築への取り組み方と連関があるように思う。

前評判どおりヤギさんのコラムが効いている。古谷さんの語り口調は、本ではあまり好感がもてない。あの独特の滑らかさに隠された強引さが凄いんだがなぁ。あと、アンパンマンぽい見た目も。

世界の美しさをひとつでも多く見つけたい 石井光太 ☆☆

教科書のような一面的な擁護や非難はたやすい。一行から削ぎ落とされる多面的な現実には、計り知れない物語の連鎖がある。現実のままを伝えんとする著者の姿勢がストレートにわかる一冊。「現場を背負う責任」のひとことに集約される覚悟が凄まじい。「物乞う仏陀」はぜひとも読みたい。
(140828/2013ポプラ社)

弱さの思想〜たそがれを抱きしめる(辻信一+高橋源一郎、大月書店)

「女性と建築」をテーマに、大学で表現におけるマイノリティの研究にとりくんだ。成人白人男性か否か、欧米/日本、作家/職人という二極に図式化するのは容易だが、修士論文では、大正時代の女性と建築の数奇な結節点を描いた。(主婦という新階層、カリスマ主婦羽仁もと子、建築家ライト、日本の建築界のダイナミックな関係)
本書は、様々な社会的弱者を中心としたコミュニティを多く紹介している。「世話する―世話される」構図ではない、有機的な関係が築かれいることに驚く。
私たちは生まれたその日から社会の競争に晒され、階級分けされた環境で育つ。わが家は自営業だったが、級友の父親たちには自営業も公務員もいなかった。典型的な4人の核家族ばかりで、不幸にして片親を早くになくすと「かわいそうな子」になるのだった。その感覚は私に染みついていた。社会に出て知り合った友達が、父親を亡くしているとあるとき言った。私は気付かないうちに「かわいそうに」という顔をしていたようだ。「そんな顔しないでいいよ」とけろっと言われたことが忘れられない。私たちの多くは、多様な在り方を知らずに育ち、敗退への恐怖におののき、負けるその日まで走り続ける。
土着の建築は美しい。そこにある土と太陽がつくる家。木陰につるされたハンモック。勝ちでもない、負けでもない。そういう建築と、マイノリティの有機的共同体はどこかで繋がっている。

ジプシー・フラメンコ ☆☆☆☆

伝説のフラメンコ・ダンサー、カルメン・アマジャ生誕100年を記念して制作されたドキュメンタリー。(母も私も彼女を知りませんでした。)彼女を大叔母に持つカリメを中心に、歌い手、ギター弾き、そしてカリメの母がステージをつくる。響きあう彼らの魂。(ステージシーンはわずかで残念。)

途中に挿入されるファニートの物語が雰囲気を和まず。生活のちょっとした動きもすべてフラメンコのリズムと振り。少しおっさんぽくも、愛嬌のある顔つき。彼の周りには「よくわからない」人がたくさんいる。鶏に色をほどこす父親はテキヤ?闘鶏屋?この唄のおじさんたちは近所の人?親戚?といった具合。血縁、地縁の強い生き方をみる。

今やフラメンコは芸術、ご婦人の趣味になってしまったが、その原型<共同体そのものであり、生活にあるフラメンコ>をみた。

作品の焦点はフラメンコだけではない。母娘・父子の物語でもある。踊り手としての母を理解し、踊り手として娘の成長をみてとるふたり。ファニートと父親の会話は率直で少し気まま。立派に男同士の間柄だ。初めてのフラメンコシューズをつくりに行く一幕では、赤がいい、白がいいと、移り気なところも微笑ましい。
人対人として向き合う親子を日本ではあまり見ない。独特の甘えの構造ー親はひとりの人間である以前に親であり、子はいつまでも子だ。母の隣で私は少し恥ずかしい思いがした。自立を漸く意識し始めた今、歳も経験も母に追いつけるわけではないが、母との会話は有難くとても楽しい。
ユーロスペース/140823)

わたしはマララ マララ・ユスフザイ ☆☆☆☆☆

故郷の山、客人が溢れる家の風景、人々に這いいる脅威と恐怖、無力と矛盾の国がある。弟や親友と喧嘩をし、背が伸びてもっといいスピーチがしたいと願う。ひとりの少女の眼をかり、自らの心でみる。宗教や国のいかんを問わず全ての隣人へ深い感謝を持てますように。「まずはじめに教育を。」世の中への疑問、そして感謝への出発点はそこにある。(編集者の筆がだいぶ入っているとは思いますがぜひ読んでください。)
(2013,学研)

「全身○活」時代 大内裕和+竹信三恵子 ☆☆

就活、婚活、保活からみる社会論―バブル以前/以降の「世代間断層」。アベノミクスは、高度経済成長時代を忘れられない世代のための「夢よ、もう一度」にほかならない。まったく同感です。
いち女性ワーカー、いち土建屋として、昨今の潜在的な女性労働力、外国人労働者の利用問題を注視しています。結局、安価な労働力が、企業の利潤の唯一のソース。在るべき姿のものづくり、サービスは顧みられません。そういう青臭い話は飲み会での愚痴にしかなりえないのでしょうか?
ところで本書に書かれていない○活に朝活があります。仕事の前にカフェで勉強会をしたり、習い事をしたり、価値観を共有する仲間が、SNSではなく生身で交流する活動に期待しています。(まだ流行っているのでしょうか?)こういう場であれば「世代間断層」の向こう側に振り回されずに、青臭い議論も草の根の活動もできそうです。(私はなにもできておらず、もどかしいのですが)
(2014/青土社/140815読了)