温かい目で。

 なんだか子ども(子連れ)に対する大人の態度が冷たいように思う。
 そもそも存在自体ハタ迷惑なのが子ども。私も子ども大嫌いなクチだから、迷惑がられるのはよ〜く分かる。子どもって、理不尽なんだもん。自分が子育て中でも、やっぱり私は子どもが苦手。TPOをわきまえないし、理屈も通じない。私は我が子と遊ぶのも得意とは言えないし、それが他の子ならはっきり苦手と言える。話しかけられてもどう対応していいのか未だに分からない。多分一生子どもは嫌いだと思う。
 例えば公共の場で、どこかの子どもが泣き叫んでいたとする。やかましくてイライラする。オイ親、何とかしろよ、と思う。優しくなだめていたりすると、もっとちゃんと悪いことは悪いと叱ってしつけろ、と思う。逆にきつく怒っていたりしたら、今度は親の怒っている声に対してイライラする。オマエがやかましくてどうすんねん、と思う。でも、じゃあ子連れは迷惑だから外出せずに家の中で引きこもっておけ、というのもちょっと違う気がする。もちろん、子どもが行くと迷惑になるような、ちゃんとしたレストランとかコンサートとかには連れていくべきではない。そんな分かりやすいものならいいけど、じゃあ、図書館は?電車は?デパートは?こういうものまで子連れで迷惑だから来るな、と言われてしまうと、もはや子連れに人権ナシ。電車で子どもが泣いたら降りろ、という人もいるかもしれない。実際ひどく癇癪を起している場合には子どものためにも降りるべきだろうと思う。けれど、「迷惑!」と顔をしかめる側も、もう少し寛大に構えてくれてもいいんじゃないかと思う。子どもには、大人の論理は通じない。親に対しては、親なんだからじゃあ通じるだろう、とか思ってみても無駄である。その親も、相手にしているのは論理の通らない子どもなのだから。
 いずれは日本の未来を背負って立つ子どもたちなんだから、とか、そんな大きいことは言わない。でも、少なくとも自分だって子どもで、マトモで理性的な社会からめちゃくちゃ迷惑な存在として疎まれていた時期があったということは、心のどこかで持っていたいと思う。
 子育て中の私でさえ他の子が泣き出したら迷惑だと感じるのだから、自分に子どもがいない大人たちや、子育てが終わった大人たちは、もっともっと迷惑に感じる人が多いに違いない。でも、迷惑、と断罪する前に、少しだけ「そもそも子どもは迷惑な存在で、誰もに迷惑な子ども時代があった」と考えてみてもらいたい。そうすれば、子どもや子連れにとっても少しだけ生きやすい社会になるかもしれない。
 だが一方で、子どもを育てていることが偉い、という態度を取る親がいるのも事実。子どもが迷惑なのは当たり前、というところまでは私も認識が一致しているが、だから騒いで何が悪い、と開き直っている。これもまた、自分が子育て以前の時期があったことを思い出すべきだと思う。めちゃくちゃ迷惑に感じる場面もあったはず。
 もうちょっと、自分とは境遇のちがう者に対して皆が思いやれないものか、と思うことが多い。苦情を言ったり、ルールとして明文化しなくても、みんながすこしずつお互いを思いやれば自分自身も嫌な思いをすることも少なくなるんじゃないかなぁ。
 というのが、あなたに対する私の回答です。

本。

 最近マトモな本を読んでいないので、単におもしろかった本について。しかも、「最近」と言っても、なかなかすごい!と思う本もないので、ここ5年くらいのハナシ。
 「マトモな本」とか書いたけど、私にとっては「マトモな本」の中に文芸作品は入らない。なぜならどんな作品も、私には同列に、単に楽しむためのエンターテイメントだから。谷崎も、ドストエフスキーも、東野圭吾も、ハリーポッターも、なんでも扱いは同列。アマゾンの「あなたへのおすすめ」に、ブルデューと「子どもと楽しむ切り紙」が並べられている私なんだから、頭の中ではドストエフスキーハリーポッターくらいは平気で並べてしまっても平気なのだ。そりゃあやっぱり読了後の感慨は違うけれど、やっぱりどちらもあ〜面白かった、で終わってしまう。だから、この人のこの作品からこんな影響を受けました、とかいう人をみると、めちゃくちゃうらやましく思う。私も色々読んだのに、どうしてそんな人生観が変わるような衝撃を受けることができないのか。鈍いのか、読みが甘いのか、真面目に読んでいないのか。
 とにかく、この間友達から、最近面白かった本を何冊かピックアップして貸して、と言われて、考えた。小説ね、という条件もついている。難しいのは無理、とも言われている。よしもとばななが好きだとも。
 しかし難しい小説、ってどんなのだろう、と思ってはたと立ち止る。多分、古典よりも現代小説のほうが分かりやすいだろうし、海外のものよりは日本のもののほうが分かりやすいんだろう。ブンガクよりもミステリーとかのほうが分かりやすいのかもしれないけれど、芥川賞を取る作品と直木賞を取る作品の境界が私にははっきり分からない。ということは、まぁ、別にブンガクと評されているものだから難しい、というわけではないんじゃないの、と思い至りながらも…う〜ん…めっちゃ難しい…
 色々考えても分からないので、とりあえず自分が面白かったのを何冊か貸すことにした。別に本人が「難しい」と思えば読むのやめればいいだけの話だもんね。買わすわけじゃなく貸すんだからタダだし。
 で、とりあえず町田康の『告白』を入れた。これが一番ここ数年で「すごい」と思った本。後は、『食堂かたつむり』あたり?それから、『シンセミア』と川上弘美恩田陸伊坂幸太郎あたりを何冊か。多分、彼女はこれらを読むのに半年くらいかかるだろうと思う。古典は一切入れなかった。『細雪』、絶対おすすめするんだけど、タニザキとか勧めたらちょっとインテリぶってると思われても嫌だし、そもそもタニザキとか知らないかもしれないし。恩田陸伊坂幸太郎の間にタニザキを入れても、あんまり本を読みなれない人にとっては拍子抜けするかもしれない。何事も相手を見て、空気を読まなきゃやっていけない。「空気を読む」という表現、嫌いだけど。
 例によって、これらの本がどう評価されているか、私は全然知らない。『食堂かたつむり』が映画化された(される?)ということは知っているけれど。どうなんでしょうね。町田康川上弘美は天才だと思ったけれど、私は恩田陸のファンタジーも好きだし。
 数年前に、現代小説を読みだした。それまで頑なに拒んでいたのに。だけど、やっぱり自分でも偏屈だと思うんだけど、どうしても手をつけられないでいる、正確にはあえて手をつけずにいる本も結構ある。
 夫から伝え聞いて面白いだろうな〜と思いながら、読んだときに期待を裏切って面白くなかったら怖いから読まずにいる本もあるし、作者が嫌い、あるいは読者層が嫌いなので、めちゃくちゃ興味あるにもかかわらず手をつけずにいる本もある。村上春樹なんて、な〜んか好きじゃなくて、つい最近まで全然読まなかった。もう諦めて読んだけど。面白く読ませていただきました。よしもとばななは未だ読んでいない。それから、奥の手みたいに、絶対面白いだろうから、読まずに大切にとってあるような本もある。
 まあ、遊んでばかりいないでいい加減自分にとって「マトモ」な本を読むべきなんだろうけれど、もーちょっと休憩。長い休憩だけど。
 
 昨夜、夫と「私は今まで読んだ現代小説で一番すごいって思ったのは町田康の『告白』やな〜オノマトペに感激した」とか話していると、「オレが今まで影響受けたのは、フーコー漱石、某先生やな」と言う。わぉ、そんなビッグネームと並べちゃう!?と思ったが、私だって平気で漱石とペギー・スーを並べるんだから、面白いものは面白い、影響受けたもんは受けたもん、と開き直ったもん勝ち。よっしゃ勝った。(!?)