大正式散歩のススメ

西田幾多郎は、京都東山の道(哲学の道)を散歩しながら思索した。ヘーゲルも、ハイデルベルグの川べり(哲学者の道)を散歩しながら思索した。古代ギリシャヒポクラテスは「歩くとと頭が良くなる」といった。


このような例を紹介しつつ、小泉(2004)は、散歩の達人でもある植草勘一氏の「大正式散歩」を紹介している。植草氏の散歩はいとも気楽なもので、散歩の間にネタ探しの目を光らせていたわけではない。ぶらぶら歩きながら古本屋に入る。そこで手に入れた本をもって喫茶店に入る。コーヒーを飲み終わったらもうひと歩きする、というように、散歩は手段ではなく気ままなヒマつぶしであったという。


大正式散歩は、いつも街中である。本屋、喫茶店、文具屋、切手屋などをぶらぶら歩く。まるで子供がオモチャ売り場を物色するように散策する。そうすることで、植草氏は、自ずと街に映りでた時代の流れをとらえていたという。つまり、小泉が勧める「大正式散歩」は、ごく気ままに散策し、ふんわりした素直な目でものを見る散歩である。獲物を求めずに歩き、批評眼なしにものをみようとする足と目にこそ、粉飾のない真実がとらえられるのだという。