14章15−26節
15 「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。
16 わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。
17 この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。
18 わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る。
19 しばらくすると、世はもうわたしを見なくなるが、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きているので、あなたがたも生きることになる。
20 かの日には、わたしが父の内におり、あなたがたがわたしの内におり、わたしもあなたがたの内にいることが、あなたがたに分かる。
21 わたしの掟を受け入れ、それを守る人は、わたしを愛する者である。わたしを愛する人は、わたしの父に愛される。わたしもその人を愛して、その人にわたし自身を現す。」
22 イスカリオテでない方のユダが、「主よ、わたしたちには御自分を現そうとなさるのに、世にはそうなさらないのは、なぜでしょうか」と言った。
23 イエスはこう答えて言われた。「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。
24 わたしを愛さない者は、わたしの言葉を守らない。あなたがたが聞いている言葉はわたしのものではなく、わたしをお遣わしになった父のものである。
25 わたしは、あなたがたといたときに、これらのことを話した。
26 しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。
はじめに
本日はペンテコステ「聖霊降臨日」の記念礼拝です。聖霊降臨とは聖霊が私達人間の間に降ることです。今から約2000年前のユダヤ教の五旬節という祭りの日に、エルサレムで弟子達の間に降りました。この時の様子が使徒言行録2章に記されています。弟子達をはじめ、イエス様を信じる人々が集まって祈っていた朝、突然激しい風が吹いてくるような音が天から聞こえ、家中に響き、炎のような舌が一人ひとりの上にとどまり、弟子達は聖霊に満たされて、エルサレムに来ていた大勢の人々に、彼らの出身地の言葉で、神様の偉大なわざについて語り出しました。この日、弟子達の言葉を聞いて信じてバプテスマを受けた人々が3千人にのぼり、このペンテコステが教会の誕生日といわれています。
応答としての信仰
ヨハネの手紙に、「私達が神を愛したのではなく、神が私達を愛して、私達の罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。愛する者達、神がこのように私達を愛されたのですから私達も互いに愛し合うべきです。」(4:10−)とあります。信仰とは、神様の呼びかけに応答することです。私が神様を求める以前に、神様がすでに私達を見いだし、愛し、私達に呼びかけておられます。又、信仰とは、神様を信じ、イエス・キリストを信じることです。しかし、聖霊の働きなくしては、誰も「イエス様は私の救い主です」と告白できません(一コリント12:3)。それゆえ、イエス様は私の救い主である、と信じることができたならば、そこに聖霊の働きがあったことを知り、感謝して受けましょう。