埼玉都民とレッズ人気

 先日、浦和レッズセパハンとのACL決勝第一戦を引き分けました。埼玉スタジアムのパブリック・ビューイングにはイランまで応援に行けなかったレッズ・サポーターが5000人も集まった、と新聞地元版が報じていました。なぜかくもレッズは人気なのでしょうか。
 こうしたレッズ人気、とりわけ浦和における熱狂的な支持に関して、ぶぎん地域経済研究所の松本博之研究員が11個の要因を指摘しています(「浦和レッズはなぜ成功しているのか?」2005年4月 http://www.bugin-eri.co.jp/repo.htm)。その中で注目したいのが「埼玉都民」という要因です。
 レッズ人気の要因を「埼玉都民」説に求める発想は、基本的にナショナリズムの近代派的解釈と同様のものです。近代派によれば、ナショナリズムは近代化にともなう流動性の上昇をある種の仕方で整序するものとして成立した、と理解されます。要するに、「想像の共同体」であり、「伝統の発明」であるわけです。前掲レポートもまた、大意、浦和の郊外化に伴って増加したアイデンティティの定まらない「埼玉都民」を「着地」させる装置としてレッズが機能している、と分析しています。
 2000年時点でいわゆる「埼玉都民」(県内に在住しながら都内へ通勤・数学する人たち)は約107万人で、この数は神奈川県や千葉県よりも多いそうです。レポートは、彼/女らは地元の埼玉県よりも東京都のことにより興味を持って生活している、と述べています。彼/女らも顔の見える範囲のミクロなコミュニティには愛着はあるでしょう。またオリンピックやワールドカップなどで日本代表の試合に一喜一憂する程度にナショナルなアイデンティティもあるでしょう。けれども、県や市といったメゾ・レベルの地域共同体となると「埼玉都民」がどこに帰属感をもっているのかあいまいです。浦和にはそうした「都民」が県内最多の10万人も住んでいます。大宮は新幹線駅ができたことでターミナル・鉄道の街としての意識をより強化することができました。これに対して浦和は、従前からの京浜東北線に加えて、新幹線と伴に開通した埼京線によって、継続的に増加する「浦和都民」の抱えることになりました。1975年から2000年にかけての浦和市の人口は約33.1万人から約48.4万人に増えています。同時期の日本の人口の増加率が約13.4%なのに対して、浦和のそれは約49.1%です。レッズの人気はこうした浦和の郊外性、住民の流動性の高さによって説明される、というのが「埼玉都民」説です。
 もちろんこれだけで浦和におけるレッズ人気を完全に説明できる、と言うわけではありません。この近代派の立場では、実際には柏や千葉などの郊外都市よりも、新潟や大分、大阪などの地方都市の方がずっと観客動員が多いことが説明できません。前掲レポートも指摘しているように、高校サッカーの伝統や県庁所在地としての比較優位、独特のサポーターズ・クラブ制度など、「埼玉都民」以外の要因も見逃せません。このように、レッズ人気に関しても、ナショナリズム研究と同じように近代派と歴史派の双方の立場から理解するのが適当なのでしょう。
 いずれにしても、こうした話題に関心をもったのには、この地で子育てをしていることと関係があるような気がします。両親がともに「埼玉都民」であること、また父親が「単身赴任」していたこと、こうした家庭の事情があって、子どもにとって存在論的な保障となりうるものとしてサッカーやレッズを発見したのではないか、と反省したわけです。