2007-06-18
クイズダービー (1)
土曜日、仏検1級合格者の会(ALFI)主催の講演会/懇親会に行ってきました。
懇親会の後半では、私の真正面にお座り頂きました。
面白かった話の一つが、整体の話。
2分間。120まで。
途中で周りの人たちの会話に聞き入ることもあるのですが、ちゃんと数は数え続けている。
これがドイツ語だったりフランス語だったりすると、会話に引き込まれた次の瞬間、数を数えるのを止めてしまっているのだそうです。
と聞いたところ
「違うよ。日本語は意識しなくても数えられるように身についちゃっているんだよ」
というやや当たり前のお答え。
これが例えば周りの会話がドイツ語だったら、会話に引き込まれてもドイツ語で数え続けられることが出来るなどと言ったら、すごいことだったのでしょうが。
クイズダービー (2)
私のイタリア語の恩師の西本晃二教授に、「君の外国語は言葉ではない。記号だよ」と言われたこともあり、篠沢教授に質問しました。
「文化背景も知らずにビジネスだけの外国語をやるというのはどうでしょう」
それに対する答は以下のようなものでした。
(引用開始)
外国語は状況だよ。
いつも僕は言っているんだ。「外国語は状況だ」ってね。
Novaのコマーシャルを覚えている?外人さんが倒れたジャングルジムの下敷きになっているのに、通りかかった女の子は英語ができないので助けてあげられず、Novaのレッスンで英語ができるようになってから助けに来たやつ。
そんなはずはないんだよ。
状況を見れば困っているのは分かるのだから、助けてあげられるんだよ。
(ここまで)
実はもうちょっと質問したかったのですが、次の話題に移ってしまいました。
国際語となった英語と比べて、フランス語はまだまだフランス文化の影響下の地域で使われており、結果として、英語と比べると(ビジネス関連であっても)文化的背景に根ざした表現が多用されるのではないかというようなことをうかがってみたかったです。
次回のお楽しみ。
藤森建築と路上観察
だいぶ前に行ったのですが、感想が書けずにいます。
勧めてくれたkaiokoさんがブログでしっかり書いてくださいましたので、そちらをご覧ください。
それにしても、音楽批評や美術評論や、言語表現でないものについて言葉でコメントするというのは難しいものです。
同じ展覧会に行っても、私は「面白かったです」としか書けず、kaiokoさんはいつもしっかり書いていらっしゃいます。
以前読んだ福田和也「ひと月百冊読み、三百枚書く私の方法 2」の中で、次のように書いていました。
(引用開始)
文章の上達法として、書評を書くことがよく挙げられます。私も、書評を書くという試みは、本を読み込むと言うことにおいても、非常に大事だと思いますし、いい修行になると思うのですが、書評をあえて採用しないのは、書物以外の分野にも広い興味をもって欲しいということだけでなく、「再現」が難しいジャンルにも挑んで欲しいということもあるのです
(ここまで) (51ページ)
外国語と日本語の間で通訳・翻訳ができるといっても、所詮はおなじ文字表現です。
芸術評論なんて、どうやって訓練するのでしょうねぇ。