今年も終わりだ。まだ元気だぞ

呼吸器の専門医に宣告された余命期間はあと10日余り。元気に年を越せそうだ。久しぶりにブログを書いてみようという気になった。

11月某日大日山金剛院を訪ねる。おばば様の怒りを聞く。
40年来の山友イノサン夫婦と金剛院を訪ね、おばば様のご機嫌伺いに出かけた。山を荒廃に導いた林野行政に対するおばば様の怒りを1時間ほど伺って退散。山に住むおばば様の危機感が伝わってきた。
増えた猪や鹿が喰ってしまうので、来春の山菜は送れないかもしれないという。



金剛院の玄関に飾られた遅れ咲きの石楠花。庭には石楠花畑があり、何輪かはこの寒空に花を咲かせていた。





秋の台風で山は大荒れになったという。本堂に倒れるのを防ぐため杉の大木が切られていた。


11月下旬、川越へ
11月下旬、帯津三敬病院へ入院。特に容態が悪くなったわけではない。名古屋のガン拠点病院Dr・の余命告知期限を1ヵ月後に控えて、こちら側の体制を整えようとしたわけでもない。6月に退院した時から決めていた予定入院だ。9日間滞在して気功とか太極拳にいそしんだ。



前回は病室から広い田圃が見渡せたが今回は反対側。
病室の下は保育園。昼間は賑やかな音楽と黄色い声が聞こえる。

空いた時間にお決まりの如く散歩に出る。
6月の時には青々とした田圃も今は荒涼としている。
畦道に咲く草も花もない。ときめくものがない。




と思いつつ、垣根道の外れに来たらいきなり富士山が。胸がときめいた。



右の方を見れば川越の町並み越しに三角の山が目立つ。
近くの人が武甲山だと教えてくれた。



或る日、隣の病室の人が亡くなった。看護婦が大きな声で名前を呼んでいたと思ったら、1時間後にはもう病室から運び出されていた。
昼間はあまり気にならないが、夜になるとモニターのピッ、ピッ、ピッという音が廊下に響き渡り、病室にも聞こえてくる。あの音が途絶えた時が一人の命の終わりだ。
夜、4階の多目的ホールから街の灯を眺めながらよく話し合った。ガンについて、西洋医学について、代替医療について。みんな深刻な病状を抱えている。
遠くから来ている人もいる。北海道から九州から。地元のガン拠点病院での治療を諦めて、この川越まで来る間にどれほどの迷いと逡巡と決断があったことだろう。
「カトウさん、元気だよ。今年中に死ぬと言われた人に見えない」。そうさ、なんとなく近々死ぬ気はしないよ。でもジタバタはしないようにするつもりだ。
週末、浦和に住む新ちゃんの好意で外泊。喜多院から川越の蔵作りの町並みを歩いた。線香は喜多院本堂前。うまく火がつかないのでろうそくに一生懸命かざしていたら、煙が出る前に多くの部分が燃えてしまった。

時の鐘を見て、菓子屋横丁でニッキ飴を買って、
浦和の新ちゃん宅でささやかな忘年会。
わずかな沖縄焼酎が五臓六腑に染み渡った。



頻尿で夜何回か起こされながらなんとか睡眠を確保して、
翌朝、勧められた方向目指して朝の散歩。
7.8分歩くと桜並木が続く小さな川に出た。
ランナーのお姉さんが会釈して追い抜いていく。


9日間の入院生活が終わった。
川越のおもちゃやで買った竹とんぼと、
川越名物の芋菓子をガラガラに詰め込んで病院を後にする。
病院運営の送迎バスに乗り込んだ御婦人は今から札幌まで帰るとのことだった。


12月某日4040三重のポタに参加
4040SNSの掲示板にポタの案内が出た。60km未満、獲得標高わずか。食指をそそる内容だ。ポタと言ったって4040の皆さんのスピードは速い。ついていけるかな、足を引っ張っちゃいかんし。逡巡していたがよく見るとコースはひょうたん型をしている。瓢箪の半分なら走れるだろうと「参加する」をポチッと押した。

朝起きられず2時間遅れで現地着。
コースを逆走すれば合流できるかもしれない。ほとんど諦めて四日市港辺りを走っていたら前方から自転車の一団。
ラッキーなことに無事合流できた。
久しぶりの集団走行。
すぐ後につけば風も避けられて楽チンだ。
マグロ会館の海鮮丼の豪華さに目を回し、無事30km弱を走りきった。
集団走行はやはり楽しい。




12月某日、冬の接待熊野古道再訪

8年前に継続して歩いた熊野古道のうち
馬越峠を歩くことにした。
石畳は美しく距離も短いので
今の自分にはちょうどよい。



一部、林が切り払われて
タラの木が栽培されたりしていたが。
雰囲気は昔と変わりない。


峠の尾鷲側で登って来る高齢者と出会った。
この上の天狗倉(てんぐら)山522mに毎日かかさず2回登っているという。
もう10年以上続けているから登頂は7000回を超えている。
ギネスブックに確実に載るよ、と笑っていた。


尾鷲側に降りる。
名残の紅葉の向こうに尾鷲湾が、
その向こうに八鬼山越えの山々が見える。
いつか再びあの山越えができる体力を、と思う。

尾鷲側の記念碑の前でパチリ。
このあと尾鷲駅前の鬼瓦食堂に入る。
先日高山駅前の食堂で
千数百円したランチが驚くほど貧しかったので、
1500円の幕の内弁当を注文した。
これが大変な御馳走で喰いきれない。
パックをもらい、
残りを詰めて持ち帰り
その日の晩酌の肴にした。
おしまい。