若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

モネ展

きのう『モネ展』に行きました。

 

中の島美術館で開催という予告を見たときから行きたいと思ってました。

一昨日、そろそろ行こうかなと思って美術館のホームページを見たらなんと5月6日まで。

あわてて行ってきました。

 

代表的作品のほかに人物画とか印象派以前の絵が出品されているというのでそれを楽しみにしてました。

 

中の島美術館に入ってびっくり。

すごい人。

画集とかを買う人かなと思って係員に切符売り場はどこかと聞いたら「ここが当日券お求めの最後尾です」と言うのでまたびっくり。

どれくらいかかるのか聞いたら「40分」と言うので帰ろうかと思いました。

しかたなくならんだんですが、ズラズラグルグルズラグルでなかなか進まない。

切符を買うのにイヤに時間がかかるなと思ってたんですがだいぶ進んでから自動販売機が3台ならんでるのが見えた。

 

これは時間がかかるはずだ。

3台は少ないし客の平均年齢は70歳前後だからどうしても時間がかかる。

若い客ばかりだったら待ち時間は10分ほどですよ。

 

自動販売機のほうを見ると離れた列から首を伸ばして販売機を見てる人が何人もいる。

操作方法を見てるんです。

心配で。

高齢者にとって自動販売機は心配ですよ。

私は平気。

病院の料金支払いで各種支払機になれてます。

 

自動販売機のところに係員がいて叫んでる。

「お客様!お釣りをお忘れです!」

「お客様!切符をお忘れです!」

 

行列にならんでると見終わって帰る人がどんどん出てくる。

回転はよさそうである。

 

自販機慣れした私はさっさとすませて入場待ちの列にならんだ。

やっとのことで会場に入ったんですが私が期待したような絵は1枚もなかった。

画集でおなじみのぼ~っとしたモネの絵ばかりです。

連作かなんか知らんけどよくこれだけ同じような絵が描けるなと感心してた「積みわら」シリーズもありました。

じ~っと見入るような絵じゃないから狭い会場もそれほど込み合わない。

 

私は10分かからなかったと思う。

私にとっては何の値打ちもない展覧会でした。

 

それはいいけど腹立つのは入場券。

入場券自動販売機から出てきたのはこれです。



これ、入場券か?

これが「モネ 連作の情景」の入場券だというのか!

スーパーの駐車券じゃないの?

「再入場不可」

誰が入るか!

もういっぺん入る奴なんかいてるんか!

 

美術展の入場券と言えばこういうもんでしょ。

私は美術展の入場券をしおり代わりに使ってます。

「こんな展覧会に行ったなあ」「あの美術館に行ったなあ」

 

腹立つのを通り越して情けない。

 

野球少年

小学生のころ一番の遊びは野球でした。

とってた雑誌も『野球少年』で、父にねだって『ベースボールマガジン』とか『野球界』というような大人の雑誌も買ってもらった。

「投球フォーム」や「打撃フォーム」の分解写真を見て研究した。

甲子園球場大阪球場西宮球場日生球場に父が連れて行ってくれた。

 

「私は野球少年」という意識があります。

 

きのう、自治会のパトロールを終えて公園に戻ったら、あきらくんが友達と二人で遊んでた。

プラスチックのバットとゴムボールで打撃練習みたいなことをしてた。

 

久しぶりで打ってみよう!と思ったらパトロール隊員の80代女性Aさんが「打たせて」と言ってバットを持った。

 

バットを構えたAさんを見てびっくりした。

様になってるんです。

あきらくんの友達がボールを投げてAさんがバトを振ったらぽ~んと飛んだのでまたびっくり。

二球目、三球目、ヒットです。

 

よっしゃ!

交代!

 

バットを構えて思い出した。

この公園で息子とキャッチボールしたことがある。

 

30年ほど前のことを思い出しながら一球目空振り。

二球目空振り。

三球目空振り。

 

や~めたやめた!

 

あきらくんが笑って「おじいちゃん、野球したことあるん?」

 

私が「Aさんに負けた」と言ったら70代女性隊員Bさんが「体重がちがうやん」。

Aさんがむっとして「体重関係あれへん!」

 

十年以上前ですが高校時代の友達三人と飲んでて「子供の頃よく野球した」という話になった。

私が「もう一度野球をしたい」と言ったら三人が口をそろえて「やめとけ」と言った。

三人とも「もう一度」という思いでやったけど打てないしフライも取れなかったというんです。

三人は、ラグビー部、サッカー部、バレーボール部。

美術部の私にできるわけないと言った。

 

う~ん、Aさん、恐るべし!

 

 

 

 

 

心房細動対白内障

散髪に行きました。

 

白内障の話になった。

私は6月に手術ですが主人は同じ眼科医院で10年ほど前に手術してる。

 

私の担当は若先生ですが主人は大先生(おおせんせい)にしてもらった。

大先生は腕はいいけど口が悪くてこわいので有名です。

 

「いつまで生きるつもりだ」「これから嫁に行くのでもあるまいに」などと言われて悔し涙を流した高齢女性患者は多い。

 

そんな話を聞いてたので若先生に当たってほっとしました。

 

さて、散髪屋の主人の話です。

主人は「心房細動」の持病がある。

心臓が止まるそうです。

4秒くらいだと平気。

7秒止まると気絶する。

気絶するときは床に体がめり込んでいくような感じだそうです。

 

白内障の手術の時、そのことは伝えてあった。

看護婦さんがそばについて心臓の様子をチェックしてくれた。

 

1回目は無事に済んだ。

聞いていた通り20分ほどの手術だった。

 

2回目。

手術が始まってまもなく、看護婦さんの声が聞こえた。

 

「せ、先生!心臓が止まってます!」

 

「えっ!」

 

ちゃっちゃかちゃっちゃっちゃ~!

 

手術は10分もかからず終わった。

さすがの大先生もここで死なれたら一大事と思ったんでしょうね。

 

さすがの大先生、目はだいじょうぶでした。

 

『アブラハム・リンカーン』

リンカーンの伝記を読み始めました。

 

アイゼンハワーの伝記を読み終えて次も大統領で行こうと思ったんです。

で、リンカーンを思いついた。

で、アマゾンで調べた。

 

リンカーン伝はたくさん出てます。

その中からロード・チャーンウッド著『アブラハム・リンカーン』を選んだ。

決め手はいつものことながら値段です。

 

168円。

 

これは私の読書欲を大いに刺激するお値段である。

なんでこんなに安いのか。

1916年出版で著作権が切れてて誰かが勝手に電子書籍にしたんだと思います。

 

もう一つ私を刺激したのは著者がイギリス人ということです。

100年前のイギリス人が書いた「リンカーン伝」ってどんなもんじゃ。

 

著者が初めに断ってます。

「イギリス人がアメリカのことを理解するのは難しい。誤解もあると思います」

 

で、アメリカがどういう国かということから書き始めてる。

なかなかリンカーンの話にならない。

アメリカやイギリスの奴隷制の話も出てくる。

 

偉人伝はどうしても話が広く大きく深くなる。

第4代アメリ最高裁長官ジョン・マーシャルが書いた『ジョージ・ワシントン伝』は全5巻のうちはじめの3巻はアメリカ植民地の歴史だそうです。

 

私の伝記を書く人がいるとしたらマッカーサーから始めるかもしれない。

始めないかもしれない。

書く人はないからそんな心配はいらん。

 

なかなかリンカーンの話にならないんですが突如「1848年の冬、カリフォルニアで金が発見された」という話になる。

1849年になると世界中から金を求めて男たちが殺到した。

無茶苦茶殺到した。

 

粗野粗暴金欠不潔臭い飲んだくれの男たちのとんでもない行状は歌や小説で腐るほど描かれた。

 

信じられないことに、その男たちが、早くも1949年に、「カリフォルニア憲法」制定のため集まった、と書いてあるんですが信じられん。

そしてカリフォルニア憲法の条文として満場一致で「奴隷制禁止」が採択された。

 

これにはアメリカ中がびっくりしたと書いてあるけどびっくりするほどのことじゃないと思います。

 

金を求めて殺到した男たちは奴隷を使えるような身分ではなかったというだけの話ではなかろうか。

 

 

 

美術史家

しょうちゃん(小5)、みいちゃん(小2)、てっちゃん(1歳7ヶ月)がママと来ました。

 

てっちゃんは神棚の下に置いてある張り子の虎に突進。

しっぽをつかんで居間に持ってきました。

振り回してたら首が取れました。

しばらく虎とたわむれてましたがあきたようでまたしっぽをつかむとすたすたと神棚の下に行ってもとあった所に置きました。

電車や積み木は放りっぱなしなのに虎の張り子の特別の取り扱いはえらいと思いました。

 

2階に上がりました。

しょうちゃんとてっちゃんは電車で遊んでました。

 

みいちゃんが本棚の前にすわって「これ読んでいい?」と聞くので「いいよ」と言ったらたまたま引っ張り出したのがヤン・ファン・アイクの画集でした。

今ウチに残ってる美術書は安物ばかりです。

英文の豪華美術書は数年前まとめて東京芸大図書館に寄付しました。

 

みいちゃんが引っ張り出したのは東京芸大図書館では置いてくれないだろうと思えるペーパーバックの白黒の英文画集。

みいちゃんはそれを広げてじ~と見てました。

ページを繰って真剣に見てます。

 

しばらくするとまた1冊引っ張り出した。

今度はロヒール・ファンデル・ウェイデン。

カラーだけどやはり英文ペーパーバックです。

 

これも真剣に見入ってました。

 

小学2年生にしてヤン・ファン・アイクとロヒール・ファンデル・ウェイデンの英文画集に見入る少女。

美術史家誕生を確信いたしました。

 

感心してたら電車で遊んでたてっちゃんが突如すっくと立ちあがった。

どうしたのかと思って顔を見たら不安な表情が浮かんでる。

 

ははあ、何かに感づきましたね。

この不安感は何だ!?

 

ママがいない!

 

電車を握りしめたまま急ぎ足で部屋を出て階段へ向かった。

そのまま階段を降りそうな勢いなのであわてて抱っこして降りました。

 

 

 

 

 

下駄

「ゲタ」です。

「下駄」という漢字、私は書いたことないと思う。

 

朝日新聞で「下駄」を取り上げてました。

最盛期は1960年代と書いてあった。

ウイキペディアでは昭和30年代と書いてある。

 

私は中学生になって下駄をはかなくなったと思うんですが記憶はいい加減です。

1960年ごろから下駄をはく人が減って来たのではなかろうか。

特に子供や若者ははかなくなったと思う。

地域によってもちがうだろうし世代によってもちがう。

 

父は仕事から帰ると和服に着替えてたし母も夏以外は家では和服だった。

父や母が家でも洋装になったのはいつごろでしょうか。

そのころから大人用の下駄も減ってきたはずです。

 

減ってきたとはいえ絶滅ではなかった。

大学生の夏、高校美術部でいっしょだったS君が我が家に泊まったことがあって母が白い浴衣と新しい下駄を出したことがあります。

S君が「なんか坊主になったみたいな気分やなあ」と言ったのをおぼえてます。

1960年代の後の方でもどの家にも下駄が常備されていたのではなかろうか。

 

日本人がいつごろから下駄をはかなくなったのかは日本と日本人を考えるうえで大きな問題かもしれないしどうでもいいことかもしれない。

 

どうでもいいに一票。

 

 

 

 

大谷選手

昼のNHKTVのニュースで毎日毎日大谷選手を取り上げてるんですけど・・・。

 

今日は3安打とアナウンサーが言ってました。

 

毎日毎日桜でうんざりしてたら今度は大谷選手。

 

桜に罪はないし大谷選手にも罪はない、とわかっているけど桜に反感を持った余勢をかって大谷選手にも反感を持ってしまうのは困ったもんである。