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清水正ブログ

2016-05-19

『清水正・宮沢賢治論全集』第二巻として今年中に刊行する予定

今年は宮沢賢治生誕百二十周年にあたる。今まで単行本に収録していない千五百枚強の賢治童話論

を刊行することにした。『清水正宮沢賢治論全集』第二巻として今年中に刊行する予定で準備に入った。


清水正が薦める動画「ドストエフスキー罪と罰』における死と復活のドラマ」

https://www.youtube.com/watch?v=MlzGm9Ikmzk

清水正の講義・対談・鼎談・講演がユーチューブ清水正チャンネル】https://www.youtube.com/results?search_query=%E6%B8%85%E6%B0%B4%E6%AD%A3%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%93%E3%81%AD%E3%82%8Bで見れます。是非ご覧ください。

京都造形芸術大学マンガ学科特別講義(2012年6月24日公開)

ドラえもん」とつげ義春の「チーコ」を講義

https://www.youtube.com/watch?v=1GaA-9vEkPg

清水正ドストエフスキー論全集』第八巻が刊行されました。

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清水正への原稿・講演依頼は  qqh576zd@salsa.ocn.ne.jp 宛にお申込みください。ドストエフスキー宮沢賢治宮崎駿今村昌平林芙美子つげ義春日野日出志などについての講演を引き受けます。

清水正『世界文学の中のドラえもん』『日野日出志を読む』は電子書籍イーブックジャパンで読むことができます。ここをクリックしてください。http://www.ebookjapan.jp/ebj/title/190266.html


ここをクリックしてください。清水正研究室http://shimi-masa.com/

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四六判並製160頁 定価1200円+税

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ここをクリックしてください エデンの南 

2016-05-18

 漫画家・根本敬氏が手塚能理子さんと一緒に日藝図書館長室へ

昨日(五月十七日)の「文芸特殊研究機廚涼甘は手塚能理子先生。ゲストに根本敬さん。講義後四時半頃、日藝図書館長室で休憩していただいた。図書館刊行の『日本のマンガ家 日野日出志

』『日本のマンガ家 つげ義春』『◎型ロボット漫画』や私の編著した『日野日出志』研究などをさしあげた。 

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今年は宮沢賢治生誕百二十周年にあたる。今まで単行本に収録していない千五百枚強の賢治童話論

を刊行することにした。『清水正宮沢賢治論全集』第二巻として今年中に刊行する予定で準備に入った。現在、校正中。

清水正が薦める動画「ドストエフスキー罪と罰』における死と復活のドラマ」

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ドラえもん」とつげ義春の「チーコ」を講義

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平成二十八年度「文芸研究」機D名痢崟郷紂ドストエフスキーゼミ」一年生と記念撮影。

平成28年度、清水・ドストエフスキーゼミ課題レポートより(連載2)

今年は宮沢賢治生誕百二十周年にあたる。今まで単行本に収録していない千五百枚強の賢治童話論

を刊行することにした。『清水正宮沢賢治論全集』第二巻として今年中に刊行する予定で準備に入った。現在、校正中。

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京都造形芸術大学マンガ学科特別講義(2012年6月24日公開)

ドラえもん」とつげ義春の「チーコ」を講義

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清水正ドストエフスキー論全集』第八巻が刊行されました。

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ソーニャについて

  河野 優樹


平成28年度、清水・ドストエフスキーゼミ課題レポートより






セミョーン・ザハールイチ・マルメラードフの娘ソフィヤ愛称ソーニャ、彼女が登場したのは彼女の父マルメラードフが酒場で酔って、主人公のロージャに語りかけている話の中での登場だった。彼女が登場したとき、私はひとまず続きを読むのを中断してどんな人物なのかを想像した。父親がかなりのろくでなしの人間であるので、その影響をかなり受けている。そう考えるとソーニャは父親のようにひねくれて、家庭の現状から目をそらしているなど、いいイメージは沸かなかった。数分後ある程度考え終えたので、いよいよ本をよむのを再開した。罪と罰を読んでいくとソーニャに対しての私の想像はいい意味で裏切られた。彼女は人が世間で言ういい人を具現化したかのような人物だ。いや、あのレ ベルの性格はいい人という言葉のさらに上の言葉に当てはまる人だ。これほどの性格の人物はこの世に生まれてくることは無いだろうと思う。人が目指すべき人格。こんな性格になりたいという人々の願望を表すなら彼女ではないかと思う。それほどに彼女はなんと言い表さなくてはいけないのか、分からないほどの人物です。きっと彼女のような崇高な人物は、この世にいないです。回りの人たちがあの人は優しいと思っている人も、心の中では何を考えているか分かりません。助けている人を見下したり、嫌々やっているでしょう。彼女も神様を信じていなければ、あのような人格ではなかったと思います。神様を信仰しているこその行動、思想、言動でしょう。しかし現代の人類に本当に神様を信じている人は どれだけいるのでしょうか。彼女みたいに信じられる人など世界に二桁くらいしかいないのではとまで私は考えます。今の日本の寺にいるお坊さんに、神を本当に信じているもの人がいるのでしょうか。テレビで神様はいるといっている場面をみると吐き気がします。昔の時代にはソーニャのような人物がいたのかもしれません。昔ではお告げというのがあったので皆神様を信じていたのでしょう。ソーニャは今の現代に対しての皮肉のようにも感じました。あれほどに神様を信じられるのが尊敬でき、羨ましいです。しかし彼女は素晴らしいのにも関わらず、なぜあの父親なのか。本当に親子なのかと思うほどの差です。親であれば子供に迷惑をかけたくないと考えるはずです。酒がやめられなくて家庭を崩壊させ 、子供に迷惑をかけるなんてとても親と思えないです。母親も病気で発狂寸前であるという状況。それに母親には連れ子がいます。親たちがこれでは生活費は収入源も無く食べていくことができません。親たちは私はどうなろうとかまわないと思ったのですが彼女は違います。彼女は、家族たちをみんな養っていきます。この家庭は彼女が頑張ることでしか生きていきません。しかしもう少し親たちがまともだったら、ソーニャはあそこまでしなくてもよかった、裕福とまではいかないけど少しの幸せがある家庭になっていたのかもしれない。ソーニャのような人物がいたら回りにいい影響を当たえるはずだと思います。もしかしたら親の性格も良くなっていたかもしれない。しかし親は変わらなかった、だからあん な事故に出会ってしまった。あんな別れをしてしまった。どうにかならなかったのかと悔しい気持ちがあります。この親科の関係は、彼女の父親をあえて酷い人物に書くことによって、ソーニャの人格の良さを引き立たせるいい関係だと思いました。そしてソーニャを駄目な親の子供なのにまるで正反対の性格をしている健気な人物のように書いています。これを読んだ読者は、彼女に同情する人が多いと思います。駄目な親じゃなければ、もっと生活ができたのに。家族を救うために娼婦になったなんてかわいそう。もっともっといろんなことを感じたり、思ったりするでしょう。私も彼女に同情の感情を強く抱きました。そして大勢の人はあんなにも苦しいのに回りのためにがんばっている姿を見て、彼女は聖母 のような人物だと思う人もいるはずです。ソーニャドストエフスキーが皮肉の感情をこめて作った人物だと感じました。あんなにも清らかな人はいない、存在しないのだと。他にも詳しく読めば彼女は聖母のような人物じゃないというのも分かってきます。その完璧じゃない部分もあるからロージャと結ばれていくのだと感じました。

2016-05-17

平成28年度、清水・ドストエフスキーゼミ課題レポートより(連載1)

今年は宮沢賢治生誕百二十周年にあたる。今まで単行本に収録していない千五百枚強の賢治童話論

を刊行することにした。『清水正宮沢賢治論全集』第二巻として今年中に刊行する予定で準備に入った。現在、校正中。

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京都造形芸術大学マンガ学科特別講義(2012年6月24日公開)

ドラえもん」とつげ義春の「チーコ」を講義

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清水正ドストエフスキー論全集』第八巻が刊行されました。

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四六判並製160頁 定価1200円+税

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ソーニャについて

  霞由利菜


平成28年度、清水・ドストエフスキーゼミ課題レポートより



 ソーニャは家族のために自分の身体を売って生きている。そしてその穏やかとはいえない生活にも、それを催促した周囲の人間にも、ソーニャは怒りや憎しみを露わにすることなく、それどころか寛容な態度を示している。このことについては、罪と罰におけるドストエフスキーの、ソーニャに対する絶対的な人物像を位置づけるためのものだと推測することができる。つまりソーニャは、自身の身体が穢れていてもその心は以前無垢であり、少女という言葉が当てはめられるほどに純真なのだ。ソーニャはこの物語において、周囲にあたたかな白い光を灯す役割を担っているのだと思う。

 わたしは、そんなソーニャが羨ましかった。彼女は本来、羨ましがられるような境遇に生きてはいないが、わたしは頭を抱えたくなるほどの羨望を彼女に向けていたと思う。わたしは、恵まれた日常に「こわい」と感じる。帰ることのできるあたたかい家があって、生活に困らない程度にはお金があって、親や周りの人間がわたしの幸せを見つめてくれている。ありがたいことだということは自覚している。しかし、だからこそ辛い時があるのだ。見つめていられるのが苦痛でたまらない時がある。わたしのことなど放っておいてほしい、そうでなければわたしから全てを放ってしまいたいと思う時が。だったら初めから恵まれた日常に身を置かずに、劣悪な環境で生きていたいと考えてしまうのだ。こんなわたしはいっそのこと、親に捨てられたかった、ろくな教育を受けたくなかった、幼いうちに不運な事故にでも合いたかった。こんなにも、愛されるべきではなかった。わたしは家族や、あるいは他の誰かのために身体や心や、他のなにか大切なものを売って生きるくらいが丁度いいのかもしれない。何故だかは自分でもまだ分からないが、わたしは自分がいたって普通に安定した場所で生きていると常に息苦しさを覚えるし、幸福を感じた時にはほとんど同時に罪悪感、罪の意識が沸き起こるのだ。

しかし、この考えはただ自己犠牲なんてキレイなものではなく、「逃げ」だということもわたしは知っている。つまり、わたしは言い訳がほしいのだ。きちんとした人生の過程の中で、それなのにきちんと生きられない自分に、逃げ道があったらどんなに気が楽だろうと。それならば仕方がない、とわたしの無力さを見逃してくれる何かに期待してしまう暗愚な思考がよく分かる。この考えは、実際にそういった家庭環境や事故に合われた方に対して非常に失礼にあたるということも分かっている。けれど、それでもわたしは上に述べてきたような考えをいまだに変えることなく持っている。

ソーニャは周囲の人間からみたら望まれない、恥ずかしむべき環境の中で生きているにも関わらず、その顔に苦悶の表情を露わにしたり、誰かに冷たく当たったりすることもない。まさにけなげで可哀そうな女性である。わたしソーニャの姿を思い浮かべると、白い花が連想される。ソーニャ自身は穢れてしまっていても、その内面は彼女が本来持つ純真さがうかがえるからだ。もしくは、そうでなければわたしと同じで、自分が恵まれない境遇にいて可哀そうな人間だということに安心感を覚えているのだろうか。少なくとも罪と罰の本文からはそこまで彼女の深いところまで考察することができない。彼女もまた、自分を大切に出来ない女の子なのだろうか。いずれにせよ、いつか彼女は耐えられなくなる時が来ると思う。ふと我に返って、思い返して、もううんざりだ、わたしわたしに生きさせてほしいと思うだろう。

 また、ソーニャの父親であるマルメラードフは、働きもせずに酒に飲んだくれる堕落した男である。マルメラードフは自分がろくにお金を稼いでいないために自身の身体を売っている娘を見て、どう思っただろうか。いや、自分の娘を見るということは、自分がどれだけひどい状況を生み出しているのかということを真っ向から見ることであるために、マルメラードフはソーニャを見ていなかったかもしれない。ソーニャがいつ全てを投げ出し、自分の家庭が今度こそ崩壊することにおびえながら、けれど現実を映した被写体である娘を直視できなかっただろう。ソーニャが弱音や愚痴を吐かずに働き続ける様は、周囲に不満をまき散らし泣きわめくよりも効果的にマルメラードフの精神に罪悪感を呼び起こしたかもしれない。

 この物語におけるソーニャの健気なキャラクター性は、読者の心に悲哀や道徳心を催促させたかもしれない。もしソーニャが別の家の子供として生まれ生きていたら、彼女は今と同様に優しくひたむきに、悲しみを隠して生きていただろうか。今よりも、より一層幸せに笑って生きていただろうか。それともこのように彼女が儚く輝いて見えるのは、この恵まれない環境ありきなのかもしれない。いずれにせよソーニャは、周囲にたくさんいる罪や罰を背負った人間のその罪の深さ、罰の重さを一層際立たせていると思った。

2016-05-16

「畑中純の世界」展を観て(連載31)

今年は宮沢賢治生誕百二十周年にあたる。今まで単行本に収録していない千五百枚強の賢治童話論

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畑中純の世界」展を見て

 秋山聖太



畑中純の世界観について

私は畑中純という人物を雑誌研究の授業で扱うまで知らなかった。今回畑中純の世界展を観て感じた女性像について述べる。

畑中純Wikipediaだと漫画家、または版画家と書かれている。世界観では版画の作品も多く展示されていた。そこには宮沢賢治の作品もモチーフにした版画作品があった。オッペルと象、風の又三郎注文の多い料理店銀河鉄道の夜、どんぐりと山猫等。それぞれが畑中純の世界観で宮沢賢治を表現されていた。中でも気に入ったのはオッペルと象、本来はオツベルと象だが、何故オッペルなのかは不明。白い象が泣いているのだが、何かと哀愁漂い惹かれた。

版画においては芸術作品と言える素晴らしいものだ。だが畑中純の漫画作品は女性の裸を描くような「まんだら屋の良太」が主流に思える。私は単に畑中純は成人男性が読むようなアダルト作品を描いていると思ったのだが、作品を観てそのような考えは変わった。

畑中純の描く女性は、女性の魅力を最大限に引き出している。ただ脱げば魅力的、というわけでなく、姿勢や服の着方で魅力を表している。それと身体のライン、とても綺麗に描かれて絵からセクシーが伝わる。特に脚の膝から下に特徴がある。ふくらはぎは丸み帯び、足首を伸ばしていて角ばった箇所をなくすことにより、女性らしさを効果的に出している。それと身体の露出をあまりしてない絵も多いのは、露出部分に意識がいくようにしているのであろう。胸が出てしまえばそちらのほうに目がいってしまうが、脚の一部分だけが露出していることにより、その部分に強烈な美を感じる。

顔や胸をリアルに描かないのは、漫画で女性の身体をリアルに近い形で表現すると、美しさから離れ、絵からは醜さしか残らないからではないだろうか。人間の顔というのは、絵で描くのと実際で見るのでは受ける印象が違ってくる。表情をつくる細かい筋肉を描くことが難しいのだ。絵の表情から感情を読み取るのは難しい。そこに嫌悪感を抱いてしまう。だからこそ、顔はフィクションで済ませることにより、醜さを出さないようにしたのではないだろうか。胸にも同様なことが言える。胸が魅力的に思えるのは、実際に目の前で存在するからだ。膨らみを感じることができる場合のみである。絵は平坦だ。胸の膨らみを表現しようとすると、物足りず微妙に感じてしまう。畑中純は現実の女性と絵の中の女性は別のものとして捉えているからこそ、うまく表現できるのだ。

現代の女性というのは、スタイルが良かったり背が高いというのが魅力的と言われる。メディアで取り上げられる美しい女性というのは、皆細身である。それぞれ好みはあるだろうが、世間ではそうなっている。しかし、私は女性の美しさの真髄には、必ず母性が関係してくると確信している。

人が生まれて初めて愛する女性は母親だ。誰しもが母親の愛情を欲しがり、また愛情を返すだろう。これは後の恋愛の感情となる最初のスタート、原点である。この原点なくして女性を愛することはない。そして母親からの母性をダイレクトに感じるのは授乳、乳房だ。寛容な温かさ、柔らぎに人は愛情を感じる。人が女性に魅力を感じるのは豊満。つまり丸みだ。細身ではない。それが好みだったとしても、本能に訴えかけるのは丸みだ。畑中純にはそれがわかる。畑中純は本能をくすぶる絵を描くのだ。

畑中純の女性関係がどの程度のものなのかわからないが、きっと素敵な女性と関係をもっていたのだろう。そうでなければ、あの絵は描けるはずがない。描くには自らが体験して意識することが必要だろう。

もし畑中純が生存していたならば、きっと私と意識が合い、美味しいお酒が飲めたであろう。



2016-05-15

「畑中純の世界」展を観て(連載30)

今年は宮沢賢治生誕百二十周年にあたる。今まで単行本に収録していない千五百枚強の賢治童話論

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清水正『世界文学の中のドラえもん』『日野日出志を読む』は電子書籍イーブックジャパンで読むことができます。ここをクリックしてください。http://www.ebookjapan.jp/ebj/title/190266.html


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畑中純の世界」展を見て

 松義邦


畑中純の世界」展をみて私は、平和について考えました。畑中純の描く「まんだら屋の良太」世界では、男も女も、子どもも大人も、堅気もヤクザも、さらに民族、思想、宗教までも大きく包容し存在し、その彼ら人間が産まれたままの姿で一緒にお湯に浸かっている。そこでは差別や争いはない。 共に同じ空間になんの違和感もなく存在をしているのである。世界中では今なお戦争が行われ、日本でも集団的自衛権の強行採決によるデモ運動、価値観の違うもの同士の争いは留まる気配はない。平和とは一体なんなのか。集団的自衛権は国民の平和を守る法案だと安倍首相は言っているが、日本国民の大半はそれを理解する前に強行採決され、日本は明らかに平和とは程遠い方向に進んでいると思える。戦争は別々の国がまたは同じ国でも地域間による、互いが互いを侵略するために、相手を武力によって制圧しようとする。 それによって勝った国が得るものは一体なんなのだろうか。それは平和と呼べるのだろうか。私たちは常に周りの人間を意識してしまっている。人間に優劣をつけ、すぐに争いを持ちかける。互いを受け入れようとせずに、自分の考えを相手に押し付けることで、自分の存在を確立させ、相手を抑圧しようとする。安倍首相含め、私たちは日常生活の中で常にそういった行いをしてしまっている。仮にもし、集団的自衛権が廃案になった場合、日本国民の求めている平和とは憲法9条を守ってきた戦後70年の延長にあるのか。私はそれも疑問に思う。自衛権が廃案になっても、日常的な争いは続けられる。 互いを受け入れようとしない自分勝手な生活は続けられ、私たちは安倍首相と同じような存在であり続ける。 平和に答えはないが、私が今考える平和は、互いに受け入れながら共存し、均衡が保たれている状態を平和と呼ぶのだと思う。相手を受け入れるのは相当容易なことではない。 共存するには相手の良いところを認め、溶け合う必要がある。そしてその均衡を保つことは受け入れ共存することよりもさらに難しい。かの有名なガンジーは平和な世界を作るために非暴力非服従を唱え、争いが起き均衡が崩れると、自ら断食を行いまた均衡を取り保とうとした。取り戻した均衡もすぐに崩れまた争いは行われる。 ガンジーはその度に断食を行い、平和な国を目指したがその夢は叶うことなくこの世を去った。ガンジーにできなかったことを今の私たちにできるのだろうか。 ガンジーは一人しかいなかった。だから私たちはできるだけ多くの人間がガンジーにならなくてはいけない。断食をするのではない。自分なりに均衡を保とうとするべきなのだ。それは小さなところからでよい。自分の周りとの人間関係から少しずつ意識して均衡を保とうとするのだ。その数が増えればきっと日本は、ましてや世界が平和に近付くのではないだろうか。そうなっていく世界は遠い遠い未来かもしれないし、もしかしたら来ないのかもしれない。私たち一人一人が真の平和について考える日は来るのだろうか。

畑中純の描く湯の中は、平和、というのが実によく表されていると思う。様々な人種、価値観の持った人たちの産まれたままの姿には普通だったら誰しも抵抗のあることだと思う。しかし彼の描く世界では、それは簡単に受け入れられ、なんの恥ずかしみも感じられない。その均衡は崩されることなく、絵の中に閉じ込められている。絵の中で起きているその世界は、その世界外で起きている争いから完全に切り離されたように思える。絵の中にある平和の形、永遠にその均衡は守られたまま、現在も、そして未来も存在し続ける。彼らの逞しい姿にも、現代を生きる私たちとは少し違った世界であり、閉塞的な現代とは明らかに違った印象を受け取ることができる。あくまでこれはファンタジーの世界であり、現実ではなく、理想郷である。その理想郷は理想のままで訪れることはないのかもしれない。現代で実際に「まんだら屋の良太」の世界があったとすれば、受け入れることはかなり難しいかもしれないが、絵の中であれば、それは永遠に私たちの中の理想郷的な世界で存在し続けると私は思う。この日本が少しでも理想郷に近づけるように私たちは、受け入れ、共存し、均衡を保たねばならない。そう思います。