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清水正ブログ

2017-02-18

「雑誌研究」の最終レポートより





清水正への原稿・講演依頼は  qqh576zd@salsa.ocn.ne.jp 宛にお申込みください。ドストエフスキー宮沢賢治宮崎駿今村昌平林芙美子つげ義春日野日出志などについての講演を引き受けます。

清水正が薦める動画「ドストエフスキー罪と罰』における死と復活のドラマ」

https://www.youtube.com/watch?v=MlzGm9Ikmzk

これを観ると清水正ドストエフスキー論の神髄の一端がうかがえます。日芸文芸学科の専門科目「文芸批評論」の平成二十七年度の授業より録画したものです。是非ごらんください。

平成28年度「雑誌研究」(清水正担当)最終レポートより

「日藝ライブラリー」三号所収の清水正「松原寛との運命的な邂逅」「苦悶の哲人・松原寛」を読んだ感想


雑誌研究最終レポート

飯塚舞子


 清水先生による「松原寛との運命的な邂逅−日大芸術学部創始者・松原寛の生活と哲学を巡る実存的検証―(1)」は私の興味をかき立てる様々なことが詰まっていた。この『日芸ライブラリー3』に私の原稿を載せていただいた際、松原寛の著作を読み、松原寛という人物と、その考えにはとても関心を抱いたのだが、今回、清水先生によるこの膨大な文章を読んでいると、やはり私の興味の対象となるのは松原寛よりも身近な存在である、“清水先生から見た松原寛”なのであった。清水先生の松原寛への想いは幾度となく聞かせていただく機会があり、その話からも松原寛への熱量は知っているつもりであった。しかし、これら清水先生による二つの文章を読むと、私には松原寛を通して見る清水先生と、清水先生を通して見る松原寛、どちらにも大変なおもしろさを感じたのである。

 そして今回、この『日芸ライブラリーNo.3』を読んで中でも強く心に残ったのは、清水先生のお母様とお父様の話であった。お母様のお話というのは、何度か少しだけ聞く機会があった。そして今回、清水先生の神髄である“書く”ということを通して見たお母様は、とてつもない強さを秘めていた。それとは逆に、お父様については本当に数回だけ聞いたことがあるが、お母様のお話をされている時とは異なり、この人の話をしているなんて自分でも不思議でならない、といった表情をされているのがとても印象的だった。だからこそ、先生はお母様に対するものとは違った、何か尋常ではない思いがあるのだろうと勝手に推測していたのだが、この『日芸ライブラリーNo.3』を読んで少しだけ、この思いの一部を垣間見たような気がした。そして、今回この『日芸ライブラリーNo.3』によってお母様とお父様の人間性について詳しく知ることによって、清水先生の言動などに勝手ながら、なるほどな、と納得してしまった。お母様はもちろんのこと、お父様も、その沈黙の中に秘めた強さがあったのだろう。お母様もお父様もとても“強い人”であったのだろう。だからこそ清水先生も“強い人”なのだろうと感じた。清水先生の口からも聞いたことがあるお母様と、詳しくは決して聞くことがなかったお父様について。そしてそれらが書かれた「わたしの母と父」の最後の結びを忘れることはできないと思う。

   わたしは最愛の息子の死に限りのない憤怒と悲しみに沈んだ。以来、わたしの書くものすべては祈りとなった。どんなに饒舌な思弁にも憤怒と悲しみのそこに祈りがある。わたしはこの祈りのない文学や芸術を認めない。ある時、内孫の死にまで立ち会わなければならなかった父の沈黙の重さがのしかかってきた。(1)

 私がこの雑誌研究という授業の中で最も印象深かったのは、やはり先生の息子さんのお話である。今まであんなにも詳しく、しっかりとお話を聞くことがなかっただけに、授業中は思うことが沢山あった。そして、この「わたしの母と父」と、その最後のこの文章を読んだときに、清水先生の書くものと、そしてお話と、それら全ての意味を私は少しだけれど、初めて知った気がした。そしてこの、

   どんなに饒舌な思弁にも憤怒と悲しみのそこに祈りがある。わたしはこの祈りのない文学や芸術を認めない。(2)

 この想いを私は『日芸ライブラリーNo.3』に掲載されている「日芸プライド」を書く際に読んだ、松原寛の著作である「芸術の門」の中に見た。

 私は今回、清水先生と松原寛の間に共通点という名の深いつながりをいくつか見出した。まず先述の通り“芸術”というものへの定義だ。松原寛の著書を読む限り、彼の芸術への考えというのは実に様々な箇所へ散りばめられ、大量に書かれているように見えた。それほどまでに彼は“芸術”ということについて深く、そして真剣に考えていたのだろう。その中でも、『日芸ライブラリーNo.3』の中で清水先生が引用されていた箇所の一部は、私が「日芸プライド」を書いた際にも注目した考えであった。厳密には、私が読んだのは『芸術の門』であり、清水先生が引用されたのは『現代人の芸術』であったのだが、全くと言って良いほど同じ内容だったため、見逃すわけにはいかなかった。清水先生は『現代人の芸術』の中の

   私は思う。苦悶の叫びこそ芸術ではないでしょうか。まことや如何にして生きんとするかという、苦悶の声を外にして、芸術は那辺にありませうか。(3)

という箇所を

   この本を読んで心に強く感じた箇所(4)

 

として引用されている。そして松原寛は『芸術の門』の中で、

   芸術には生命の深い流露がなければならぬ。天眞の人間性が活躍して居らねばならぬ。かくて藝術的価値は深刻に生きようとするものの姿であらふと思う。眞に生んとするならば其処に苦悩の涙がある。そこに苦悶號叫の叫びがある。この涙、この叫びを描くところにこそ眞の藝術的境地がある。即ち深刻なる人生の苦悶を感ずるでなくば、大きな作品を生むことは出来ない。(5)

と語っている。つまり、松原寛は芸術の本質は“生きる”故の苦悶であるというのだ。そして私は先にあった清水先生の言葉を思い出す。

   わたしはこの祈りのない文学や芸術を認めない。(6)

 私には、清水先生の“生きる”ことによって経験しなくてはいけない憤怒と悲しみの底の“祈り”こそ、松原寛の言う“苦悶”による涙と叫びであり、松原寛の指す“苦悶”こそ清水先生の中にある“祈り”であると、少なくともその二つには深い一種の核心的つながりがあると感じた。

 そしてもう一つ、私の興味をひき、清水先生と松原寛の共通点として注目したのは“失恋”である。今回この「苦悶の哲人・松原寛―日大芸術学部創始者・松原寛の生活と哲学を巡る実存的検証―(2)」の中で、志賀直哉と対照し、松原寛の<姦淫の罪>について、著書『宗教の門』から引用した箇所があった。

   禁断の果を食った事をまことに因果なものとも嘆いた。失恋は世にも苦しくて、苦い毒杯である。だけれども男のいこじも投げ捨てて失いし恋を呼び戻さんとするは更に苦しい事である。ただし感情の切なる要求で呼び戻そうとしても、他の物があってこれをさえぎるとしたら、その悲痛は更に甚だしいであろう。かく私は理性と感情の締木にかけられて、暗い暗い死の谷を歩かねばならなかった。(7)

 そして、更に興味をひいたのは、この松原寛の<姦淫の罪>についてに対する清水先生の考えとエピソードだ。

   父に関して、母に関して、若くして亡くなった息子に関して多くを語った松原寛であるが、<禁断の果を食った事>に関しては、ついに饒舌に語ることはなかった。しかし、<失恋>の<苦い毒杯>を飲み干した者なら、松原寛の<悲痛><理性と感情の締木><暗い暗い死の谷>を自分のものとして感じるだろう。本気で愛した女に裏切られれば、相手を殺すことも、自らの命を絶つことも考える。その暗黒の<死の谷>を煩悶し、惑い、途方に暮れて彷徨ったことのないものに松原寛の悲痛の叫びは聴こえないだろう。わたしは失恋の痛手をもドストエフスキーを読み、批評することでそれなりに乗り越えてきた。今では笑い話ですまされるが、わたしは一人の女との別離に関して、自分なりに納得するまでに十年の歳月を費やした。(8)

 清水先生の<失恋>については「松原寛との運命的な邂逅−日大芸術学部創始者・松原寛の生活と哲学を巡る実存的検証―(1)」にも興味深い箇所があった。松原寛とドストエフスキーの中で、自身の二十歳の頃を思い出しての箇所である。

   急激な体重の減少の最大の原因は恋愛の破局にあった。この時、わたしは初めて自殺を考えた。ひとりの女との出会いと破局。それは一つの恋愛が終わり、新たな恋愛の始まりというふうに考えることなどどうしてもできなかった。わたしは、死ぬことはできなかったが、破局の時点ですべてが終わりを告げたように思った。すべてのことに対して「さようなら」の五文字を当てはめた。(9)

 清水先生はもちろんのこと、松原寛の“失恋”への想いは先の引用からも、はっきりと分かる。そもそもこの二人は男性であり、私とは恋や失恋への受け止め方やイメージは違うのかもしれない。それでも、この二人の“失恋”への文章を読んだとき、男性にとっての“失恋”の大きさに驚いた。しかし、そんな大きな“失恋”こそ大きな“苦悩”のひとつである。この文章を読んでいて、“苦悩”を生む経験として人が真剣に魂を削って恋をすることの大切さを思った。恋は俗的なものと誰が決めたのか。やはり、すべては経験からである。そこから、芸術のはじまりである“苦悩”が生まれるのだ。そして、男性の失恋の傷の大きさを知り、その責任の重さを感じた。

 今回、この感想文を書くにあたって、松原寛という人間に、もう一度注目することができた。ここには書ききれなかったが、松原誕生の地、島原や松原のキリスト教への考えなど、興味深いことは他にも沢山あった。そして、清水先生の秘められた想いを知ることができた。お母様やお父様についても、そして経験の大切さも知れた。きっと今回知った多くのことを、私は日常のふとした瞬間に思い出し、忘れることはおろか、私の中から出ていくことは無いのであろうと感じた。

<注>

清水正『日芸ライブラリーNo.3』(2016年7月7日日本大学芸術学部図書館)p39

同上 p39

同上 p12

同上 p12

松原寛『藝術の門』(大正十三年六月大阪屋号書店)p31

清水正『日芸ライブラリーNo.3』(2016年7月7日日本大学芸術学部図書館)p39

同上p182

同上p182

同上p25s

2017-02-14

文芸特殊研究�の授業内で印象に残ったこと――再構築――




清水正への原稿・講演依頼は  qqh576zd@salsa.ocn.ne.jp 宛にお申込みください。ドストエフスキー宮沢賢治宮崎駿今村昌平林芙美子つげ義春日野日出志などについての講演を引き受けます。

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平成28年度「文芸特殊研究2」(清水正担当)の課題レポートより

文芸特殊研究2の授業内で印象に残ったこと――再構築――

矢上裕

 文芸特殊研究�の授業において、「再構築」はもっとも重要なキーワードのひとつであったと思う。この言葉こそが、わたしが一年間を通してこの授業を受講してきて最も印象に残ったことである。

 文芸特殊研究�は、まず最初に「『どんぐりと山猫』において、「をかしなはがき」とはどこがどのようにおかしいのか十か所あげて考察する」ところから始まった。わたしはこのとき、いままで高等学校以前に受けてきた授業とはまったく違うものを感じ、これが大学の研究授業なのかと感銘を受けた。わたしはこのときそのおかしな箇所をあまり明確に見つけることができないまま次回の授業に臨んだが、次の授業では膨大な量の発見が待っていた。「をかしなはがき」のとりわけ「をかしな」ところとは文章全体から「う」が抜けているということだが、そこからなる仕掛けがわたしたちの先入観を鋭く追及するものだとはまさか思っていなかった。わたしもこの「をかしなはがき」の文面を音読するとき、まんまと「かねたいちろ“う”さま、くがつじゅ“う”くにち」と読んでしまったのである。わたしにとってこの宮沢賢治からの謎かけはまったく盲点であった。これではわたしのもとに山ねこからの「をかしなはがき」は来ないだろうし、山ねこやどんぐりのわいわい騒ぐ声を聴くことはできないだろう。

 ただ物語に物語として接しているだけでは、その物語の神髄を知ることはできない。この一年間を通して痛感したことである。恥ずかしながらわたしはこの授業を受講するまで、宮沢賢治児童文学をおもに書いているのだと思っていた。宮沢賢治はそのたぐいまれな感性によって自然やなにか人知を超えた大きなものと対話しているのであって、それがけっして子どもを対象としてのみではないということをここで初めて知り、実感することができた。

夏季休暇中の課題として触れた『毒もみのすきな署長さん』『蜘蛛となめくぢと狸』『セロ弾きのゴーシュ』もそうである。ただの児童文学作家であるなら、このようなおそろしさを内包した物語を書くであろうか。前者の三つとおなじく『注文の多い料理店』も、「再構築」されたあとにあらためて生まれた物語は衝撃的であった。これからはただそれを受け取るだけではなく、これをふまえて自分なりの視点で物語をあちこちから眺めて「再構築」していくべきであると考えている。

物語を深く掘り下げて考察し「再構築」するほかに、この授業では演劇(朗読劇)を通して物語を見つめなおした。演劇学科の学生が多いなかで文芸学科として演技をすることは、とても刺激的であった。わたしもはじめは演技に対して消極的であった。当然のことだが、授業内で何度も演技をしても、演劇学科の学生たちの圧倒的な演技力には到底かなわなかった。いっしょうけんめい演技力を磨こうとしながら、しかし、この演技の目的は演技力の向上ではないことがだんだんとつかめてきた。いちばんはじめに演じた栗の実の役や、大勢でどんぐりの口論を演じた時には、自分がいままでいかに本気で自己表現をしてこなかったかを実感した。そして黄色いダァリヤの花を演じたときにはその自己表現におけるほどよさとはどのくらいかを学び、なにも言わず静かにほほえむ白いダァリヤの花のほほえみの表現の難しさからは、自分がいかにあこがれや尊さにほど遠いかを痛感した。つまり、宮沢賢治の作品の登場人物の気持ちや立場を理解するには、恥もなにもかもぜんぶ捨てて大きな声とおおげさな身振りでいっしょうけんめいに演技をすることがいちばんの近道だったのだ。けんめいに演技をしていると、だんだんとそれが楽しくなってくる。物語のなかで近しい役柄同士を演じ合えば、ほとんど初対面の人と触れあうこともこわくなくなってくる。わたしの演技が動画として録画されてYoutubeアップロードされ、世界じゅうの人に閲覧できる状態になっているというのもあって、わたしはいままでよりも積極的に外部に向けて自己表現をすることに苦手意識を感じなくなってきている。この自己表現をもとに登場人物の気持ちとリンクし、理解を深めて考察にへと入っていくことが、「再構築」的な考え方へとつながっていくのだろう。これはほかの物語の考察へも応用していくことができる

物語の裏に隠された意味を読み取る力がこの先必要なのは、宮沢賢治の作品に対してだけではないだろう。この授業で学んだことは、ほかのどのような文学作品・また文学の域を飛び越えてほかのどのような芸術作品を鑑賞するときにもきっと必要となるものである。わたしはこの授業内で一年間を通して学んできた「物語を奥まで様々な角度から追求し、再構築する力」をこれからの文芸研究・創作活動のなかで、また日々を過ごしていくなかで有効に活用し、糧としていきたいと考えている。

2017-02-13

「文芸特殊研究2」の課題のレポートより




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平成28年度「文芸特殊研究2」(清水正担当)の課題レポートより



「授業内で興味のあったこと・印象に残ったこと」

栗原美香

 

高校を卒業し、かねてからの志望校であった日本大学芸術学部文芸学科の入学試験を受けて丸一年が経とうとしている。無事合格通知を手にし、期待と不安に胸を膨らませ入学。履修登録など分からないことだらけの中、シラバスと照らし合わせながら講義を選んでいったのだが、まさか、軽い気持ちで選択したはずの講義の一つがこんなにも衝撃的であり、かつ自分の今までの文学観をひっくり返すようなものだとは思いもしなかった。

授業内で興味のあったこと。端的に述べるのならば清水先生の「テキストに揺さぶりをかける」という作業が非常に興味深く、私にとっては驚きと発見に満ちたものだった。

まず〈どんぐりと山猫〉の読解。宮沢賢治といえ〈銀河鉄道の夜〉をざっくりとしか読んだことのなかった私にとって、初めて読む宮沢賢治作品といってもよいだろう。一度各自で文章に目を通し、それから清水先生の批評に入った。〈どんぐりと山猫〉を最初に読んだ時の感想は、少しだけ奇妙な、けれども騒ぎ立てるどんぐりが可愛らしいというようなよくある童話であるといものであった。しかしここで〈テキストに揺さぶりをかける〉ことによってざっと表面的に目を通しただけでは全くもって見えてこなかったテキストの深層部分が顔を出してきた。

さらには〈注文の多い料理店〉へのテキスト深層部分への参入。この〈注文の多い料理店〉もタイトルだけは耳にしたことはあるがきちんと作品を読んだことはなかった。これも〈どんぐりと山猫〉と同様、滑稽な男二人組が怪しげなレストランを見つけ店に入っていき、そこで自らが調理されそうになるという、少々の怖みをもった、けれどもやはり童話的要素を強く含む作品だなという感想をもった。しかしながらこれも表面的に読んだだけでは浮かび上がってこなかった〈芯〉の部分がテキストに揺さぶりをかけることにより見えてくるのである。

会話が全くもって同じことを繰り返し確認し合っているような西洋かぶれの二人の紳士は西洋志向の日本でありまた現代に生きる日本人の自己本位の楽天性を凝縮したものであるということ。山の奥へと入っていく二人の紳士は更生、己の反省、見つめなおす機会を失い、さらには同時に母体回帰への実現も出来なかったことなど、全くもってテキストには記されてはいないが確かに記されている、というような真相が浮かび上がってくるのだ。

これには本当に驚いたし、同時に今までの自分の、書物への姿勢が浅すぎたのではないかという疑問も同時に抱くことになった。

また毒もみのすきな署長さん〉や〈蜘蛛となめくぢと狸〉について。〈毒もみのすきな署長さん〉は〈貝の火〉同様「のやうなもの」という表現に注意しなければならなかった。〈貝の火〉では黒いもじゃもじゃした鳥のやうなものとして、そして〈毒もみのすきな署長さん〉ではほそ長い沼のやうなものとして。〈のやうなもの〉がつくことにより、それ以外のものを指しても間違いではないということを学んだ。

このような、ほんのささいな一単語、表現に注意を向けそこから深層へと進むことによって作品の色が大きく変化してゆく。

〈蜘蛛となめくぢと狸〉では宮沢賢治作品における「語り手」の特異さ、また重要さが明かされることになった。物語の「語り手」が奇妙さをおびることにより、つられて読者もその特異さに引っ張られ、気づかなければならない表現や登場人物たちの行動を無視してしまうこともあるのだ。このことも非常に興味深かった。

そして何より、私が一年間、文芸特殊研究の授業を受けてきて一番衝撃を受け興味を持ち、印象に残ったことといえば、前述したように〈テキストに揺さぶりをかける〉という行為。そして宮沢賢治の作品、文学作品を実際に演じ物語の世界に入り込むということである。

正直に述べると、最初はこの演技をするということにとても驚いたし、演技コースの生徒が周りに多くいる中、文芸学科である自分が演技をするということに抵抗があった。恥ずかしながら、それを清水先生にぶつけてしまったこともある。しかし、演技をしてみると目で追うだけでは発見できなかったような作品の深層部分が顔を出すのだ。〈まなづるとダァリヤ〉ではあんなに赤いダァリヤが高飛車な雰囲気であることは想像もしていなかったし、作品中に登場する擬音に注目することもなかったであろう。演技に対し、悩んだこともあったのだが最終的には学ぶことが多くあったのだ。

間違いなく、大学に入学し一番衝撃を受けたのは清水先生の授業である。おそらくこれからもかわることはないであろう。

2017-02-12

賢治の世界から




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平成28年度「文芸特殊研究2」(清水正担当)の課題レポートより


賢治の世界から


高橋 実里


 清水正先生を知ったのは、ちょうど一年前のことだ。日芸の受験ももうすぐという一月の終わりに、毎日新聞の今週の本棚という欄で初めてその考え方に触れた。

 紙面では松原寛について、賢治の童話『やまなし』について、そしてドストエフスキーの『罪と罰』についてを解説されていた。この記事を読み、わたしはぜひ清水先生の講義をとりたいと思った。

 岩手宮沢賢治ドストエフスキーと相通ずる部分を見出し、広い視野で童話を読み込んでいくのは面白そうだった。実際、演劇学科の学生がいたことから、朗読のみならず体で童話を表現することができて、とても楽しかった。講義への期待は裏切られることはなかった。

 先生は研究の際に必要なものとして、エネルギッシュであることを挙げた。これは、創作にもおなじことが言えると思った。中途半端な気持ちで取り組むと良いものは生まれない。つまり、カラマーゾフの兄弟のように、熱く激しく、感情の爆発というものを抱えながら挑まなければならないのだ。授業のなかで先生の文学に取り組む姿勢を知ってからは、わたしも真剣に小説を書こうと、改めて気持ちを固めた。

 また、清水先生の考え方で印象に残ったものは、日本だけでなく、世界の文学・宗教などを幅広く学んだうえで、再度日本の文学を見つめる、というものだ。

 日芸に入学して、そろそろ一年が経つが、外国文学より日本文学を学ぶ機会の方が多いので少し違和感を覚える。わたしは小学生の頃から特に英米児童文学を読んでいたので、その流れで中学と高校時代は、英米純文学をよく読んでいた。

 今、文芸学科で知識を蓄えていて思うことだが、明治からの近代日本文学は外からの影響を多分に受けている。例えばドストエフスキーの場合、坂口安吾志賀直哉、評論だと小林秀雄などがそれぞれ影響を受けている。世界を知るということは、日本を知ることに変わりないのだから、もっと外国文学やその思想との関係性も合わせて、日本文学を学べたらなと思う。

 さて、宮沢賢治の童話に戻るが、童話をテキストとして学んできたなかで、わたしの創作のヒントとなったものは少なくとも二つある。

 ひとつは、ひらがなの持つ多義性を自分の小説の中でも生かすこと。もうひとつは、数字など具体的なものでメッセージを伝えるということだ。

 賢治の童話はひらがなが多く感じられるときもあれば、おなじ読みなのに漢字にされていたりと不規則で、慣れないとその意味が分からないし、一方で分かったつもりになって表層のスケーティングのみで終わることもある。

 でも、ひとつずつの表記に意味が必ずあって、二つ以上の意味を同時に持たせるのは面白いとしか言いようがない。読むときはパズルのようでドキドキするし、それを自分の小説に生かしたときは難しさに頭を悩ます。でも、ひらがなをどう使うか考えるようになったおかげで、推敲を重ねるようになり、納得のいく作品ができるようになってきた。

 二つめの、数字の活用は、先生が講義で教えてくれた数秘術的減算から学んだ。キリストが十字架にはりつけられた時間を表す三と、地上が闇に覆われた時間の六、そしてキリストが息をひきとる九の時間が、数秘術的減算では基本となり、賢治も意識していたかもしれないことを聞いた。それを受けて、意味のある数字の並びが、読み手に訴えかけるものがあることに気づいた。

 わたしはこの数字の使い方をもとに小説を書いているわけではないが、どんな数字でも、示すことによって読み手を惹きつけることができると思う。

 風景描写や心理描写のなかに、具体的なものがひとつあるだけで、物語の動きが変わると思う。それは数字に限らず、五感に直接触れるものであればなんでも良いのだ。このようなことに注目し、意識して小説を書くと、抽象的な部分とピンポイントで具体的な部分が混ざり合って、マーブル模様のようになり、メリハリがつくということに気づいた。

 文芸特殊研究兇鮗講して、読み解く力も書く力もバランスよくついた。

 最後に、先生はご病気であるにもかかわらず、講義内容が濃く、エネルギッシュであると思った。お話のなかで、体が痛いのは辛いが、感謝の気持ちが芽生えてプラスな面もあると言っていた。小説を書くとき、自分が生かされていることに気づかず、当たり前だと思って傲慢になったり、素直になれないのは良くないことだと思う。常に感謝し、感動し、賢治のように自然を尊び、そしてそれらの凄さをダイレクトにハートで感じることこそが、創るということの第一歩であると思った。たくさんの気づきを増やしてくださったことに感謝している。

2017-02-10

松原寛




清水正への原稿・講演依頼は  qqh576zd@salsa.ocn.ne.jp 宛にお申込みください。ドストエフスキー宮沢賢治宮崎駿今村昌平林芙美子つげ義春日野日出志などについての講演を引き受けます。

清水正が薦める動画「ドストエフスキー罪と罰』における死と復活のドラマ」

https://www.youtube.com/watch?v=MlzGm9Ikmzk

これを観ると清水正ドストエフスキー論の神髄の一端がうかがえます。日芸文芸学科の専門科目「文芸批評論」の平成二十七年度の授業より録画したものです。是非ごらんください。


「日藝ライブラリー」三号所収の清水正「松原寛との運命的な邂逅」「苦悶の哲人・松原寛」を読んだ感想


清水先生の松原寛に関する文章を読んだ感想

高橋寛


 私が日藝に入学した3年前、大学紛争に関することが初めて先輩から語られた場は、サークルの飲み会であった。当時私は歌舞研に入っており、そこの新歓の飲み会で既に大学紛争に付いて語られたと思う。大学紛争は日藝発祥、という様な話も聞いたことも有るが、日藝の裏では大学紛争の歴史が色濃く残っているのだという事を私は察した。他大はわからないけれども清水先生が興味を示さなかった大学紛争は大きな出来事として脈々とサークル内では語られているのだと言う事を知って、私はそっとサークルをやめた。大学紛争の事を語っているから辞めた訳ではないが、日藝出身の先生以外の授業ではあまり語られる事の無い事実を知って、私はサークルを後にした。

 私が日藝に入ったのも完全に偶然と言うのか、神様のお導きと思えるところがある。本当は、私は他の音大に入学予定だったし、日藝は受けるつもりは無かったのだが、色々なトラブルや出来事が重なって、たまたま受ける事になった。日藝にはOCに一回行った程度で、説明会には一回も言った事が無く、受験の時初めて田代先生と楊先生にこんにちはをした。しかしそこで田代先生に思う事が合ったのと、親の勧めで日藝に入学する事にしたのだが、結果的にとても良い事が沢山起こり、入ってよかったと心から思っている。

 清水先生のように江古田でなにかに掴まれた訳ではないが、日藝に何かしら運命的な縁を感じたのは同じである。

 授業で「思い込み」について話したが、私の中に「清水先生はピュアである」という思い込みがある。先生自身は『自分は変わり者だと思われている、独断と偏見に満ちている』と語っているが、私はそうは思わない。ドストエフスキー愛に忠実な、自分に正直で、自分の研究を全う出来る強さがあるだけではないかと思う。少なくとも清水先生のドストエフスキーの批評を読んだ時に思ったのは、実際の授業で生徒をいじってからかっている時の先生よりか、本に表れている先生は、とてもドストエフスキーが大好きで、自分の意見をうまく伝える事に長けていて、どんな馬鹿にでも分かる様な難しい事を優しく噛み砕いて文章にして伝える、読者への優しさや真心がある事が伝わって来た。私的には確かに意見が違う所もあるのだが、清水先生が仰っているドストエフスキー論も「確かに一理あるな」と思うので、反旗を翻すようなことはしない。「絶対に違う」とは言い切れない。今刊行されている先生のドストエフスキー全集が若い時に書かれた物なのかは分からないが、「ああ。こういう考え方もあるんだな。」と受け入れてしまうと言うか、ともかく全否定をする気にはなれない。先生と生徒・女と男・年齢の差という違う視点での考え方の相違は出てくると思うが、基本的にそんなに強く「これは違うでしょう」と言えるだけの読み方をしていないせいもあるかもしれない。先生の分厚い批評本を最初は嫌々読んでいたけれども途中から真面目に読んだ。「なるほど」と思う事が沢山あり、「ドストエフスキーは清水先生の批評を読むとより深く理解できる」という観念が私の中に形成された。清水先生は「打てば響く」感性の持ち主なのではないかとも思った。芸術家に必要な感性だ。ドストエフスキーにせよ、松原寛にせよ、池田大作にせよ、先生は心に響いた文学を素直に心に受け入れる事が出来る人であるなと、授業を受けたり、著作を読んだりして感じた。

 松原寛と私の名前は「寛」という字が被っている。名前が被っているのでどこか親近感みたいなものが湧いてくるのだが、松原寛の人生の苦労は結構自分に似ているなと思った。

 親と志が違うこと。やれば出来てしまうところ。それ故若い頃は虚栄の心に囚われていた事。懐疑心があったこと。

 「親と志が違う」のはもう現代においてどの家庭もそうかもしれない志賀直哉みたいに父親の権力と戦って勝利して自分の人生を歩めた者、敗北して親のレールに沿わなければならなくなってしまった者、どちらもいるだろう。昨今アダルトチルドレン毒親などの言葉が出て来ているが、それは現代の子供達が「親からの精神的・経済的自立」を掲げて動き出している証拠であろう。松原寛はその走りだったと言えよう。

 「やれば出来てしまうところ」というのは、小学生時代必死に勉強して国語だけでも全国の小学生のうち13位に入った事がある私は何となくわかる。小学生時代必死に勉強して、女子なのにハゲるまで勉強し、ストレスにより高校生で精神的におかしくなるまで勉強に打ち込んだ私は、松原寛の負けず嫌い精神や周囲からの確立を目指して勉強に打ち込んだ気持ちが分かる。

 「それ故虚栄の心に囚われていた」ことは、中学までは勉強していたが高校でエネルギーが失われ、精神的におかしくなって暗記がいっさい出来なくなったり、理路整然と考えながら学ぶことが出来なくなったりして成績が下がったのだが、良い学校に入ったプライドだけで虚栄心により中身の伴わない優等生を演じざるを得なかった自分を思い出す。辛かった。

 懐疑心に関して。懐疑心だらけなので私は病に罹った訳だが、懐疑心のお陰で助かった事や大学の勉強に役に立った事が結構ある。懐疑心が無ければ研究は本当の意味で出来たとは言えないと個人的に思う。また他人に懐疑心を持って接する事も、本当の相手の人格を把握する為に役に立つと思う。松原寛が日藝を造り得たのも、懐疑心のお陰であろう。

 日藝ライブラリーの後半の清水先生の松原寛に関する文章は、哲学が主な内容であった。はっきり言う。私は哲学が何なのかわかっていない。ほぼ毎日死について考えていたり、自殺する人の心情について考えていたり、身近な人の死について考えているのに、「哲学」というものがイマイチよく分かっていない。

 私の友人の愛する人が亡くなった時、友人は哲学科に入り直したそうだ。死について、もしくは何らかの事象に関して「どうして?」や「何故?」を考える人は哲学をしている様なイメージがある。

 松原寛は哲学者としてもかなりの勉強、研鑽を積んで来た事が分かったので、「哲学とはなんぞや」と言う事を、改めて考え直してみたい。

 調べてみると、哲学とは『物事の「本質」を洞察する事、その問題を解き明かす為の「考え方」を見出す営み』と出て来た。

 生死についてだけでなく、様々な事を洞察する事全てが哲学だと言えよう。

 正直私は松原寛が論じているニーチェだとかカントだとかヘーゲルだとか全く分からない。もっと清水先生流に噛み砕いて語ってもらわねば全てを把握する事が出来ない。ドストエフスキーの原作を読んだら必ず清水先生の批評本を読むのも、自力では原作が本当に意味している事を理解したり、自分なりの批評が出来たりする能力が備わっていないと思っているからだ。

 正直松原寛の本の引用文も、清水先生の解説が無ければ意味がすんなり入ってこないという、恥ずかしいがどうしようもない事態が起こってしまう。難しい。

 ただ、志賀直哉を始めとする父親と息子の「男同士の親子は母娘並に壮絶な戦いが繰り広げられるのだな」と言う事がわかったし、思春期の性の目覚めが人間には重要な要素である事は良く分かった。松原寛だけでなく清水先生など、大失恋を超えて新たな自分を構築し、その経験を活かして研究のエネルギーの元にしたり、人生のスパイスとして楽しんだりして失恋自体を昇華させる人を何人か見た事がある。そんな事を経験した事の無い私は、「ただでさえメンタルが弱いのに失恋なんぞしたらどうなる事か」と思って安心している反面、「振られて人生のどん底にまで突き落とされるくらい家族以外で愛した人がいた」経験が羨ましいとも思う。その位大切に思える人に出会えないか少し希望を持っている。

 そして最後の『煩悶し求道する哲学者・松原寛』を読んで、哲学する事とは、日藝ライブラリーの1頁目に書いてある通り、『煩悶し、求道し、創造すること』に繋がってくるのではないかと最終的に思いついた。

 ピアノで言うと、楽譜を見てフレージングや音の高さ、音楽記号などから作曲者がどんな風に歌いたかったのか、あるいは何か情景を表現したかったのか、それともただパズルの様に音列を並べてみたのかを徹底的に読み取る為に悩み、様々な弾き方を試して足掻き、教師の解釈を考え反芻して音楽とは何かを求道している。そして最終的に、様々な事を自分で解釈し、他人からアドバイスなり自分には無い解釈をもらって自分で「こういう風に作曲者は考えていたのではないのか?!」という研究発表の場として、発表会や試演会、試験を受けるのではないか。様々な人の助言を、結局は自分自身の力に変えて外に出す、発表する、それが音楽実技=藝術である。

 松原寛は本を沢山読み、自分の信じる信念に従って生きて来た人であると思う。父がなんと言おうと、教師がなんと言おうと、自分で調べて散々悩んだ挙げ句出した結論と、持ち前の直感や感覚で人生を歩んで行ったまさに日藝人、藝術家として本来有るべき姿の見本的存在として私は畏敬の念を抱く。

 天才かつ努力家という完璧なスペックの持ち主であるのに、若いうちに挫折を味わっている事も好感を持てる。私の尊敬する人が「挫折していない人の人生はつまらない」と言っていたが、人生で何度か死に目に遭うほど挫折を経験している私としてはやはり同じく挫折している人の話す言葉は説得力が有ると思う。しかし挫折しようとも、折れずに立ち直ってまた己の信念に基づき力強い未来へ向かって行く松原を尊敬する。

 私はこの学年末課題は、てっきり林芙美子浮雲に関する何かを論述させられるのかと思い、課題が出された後即座に読み、準備万端であったのだが、意外な事に急に松原寛の事に関して論述しなければならないと知り、正直な所、焦った。授業で清水先生はありがたい松原寛のお話を、文芸批評論と文芸特殊研究でもお話ししてくださった。日藝に入学した者として、松原寛の存在と、松原寛を日大人として召還した山岡萬之助達の存在は知っておかねばならないだろう。1、2年生の時、どの先生からも聞いた事が無かった松原の存在を卒業する前に知る事が出来て良かった。日藝の成立ちすら知らない日藝生は沢山いると思うが、少しでも創始者の人物像、思想に触れる機会に清水先生の授業で出会えて良かったと思う。昔の日藝のイメージだと、「もしかしたら変わった人が造ったのかもしれない、オカマとか」と少し思いもしたが、そうでは無かった事に少し安堵した。藝術学部を造った人の元は哲学に繋がるのだと知り、

よく言われる哲学と藝術の共通点を垣間見たような気がした。

 しかし、松原寛と浮雲だったら浮雲の方について論述したかった気持ちもある。男女の痴情の縺れについて述べるのは何だか楽しそうであったからだ。敗戦した日本特有の男女の恋愛事情を知るのに、浮雲は生々しく理解する事が出来た。私の近しい人が「戦中戦後の日本の男は富岡みたいなのが結構いた」と言っていた。未だ避妊の文化があまり根付いていない日本人の、戦争の最中の性事情はきっととんでもなかったであろう。

 このように色々と浮雲についても考察したかったのだが、今回は「松原寛について述べよ」という事だったので、日藝ライブラリーに目を通し、自分なりに思った事を書いてみた。個人的には松原寛の男女関係を詳しく知りたいと思った。それに、音楽学科を造った人について、音楽学科の歴史について調べてみると面白いかもしれないとも感じた。機会があれば先生に聞くなどしてリサーチしてみたいと思う。