なにげなくレノファ応援日記

レノファはどこから来たのか、レノファは何者か、レノファはどこへ行くのか

はじめまして

はじめまして。しもxxともうします。
山口からJリーグを目指してるレノファ山口FCをコソーリと応援してみる日記です。
山口県民みんなでレノファ山口FCを応援できるようになればよいなあ、と思って書き始めました。


山口県にやっとできた「オレらのクラブ」。それがレノファ山口FC
あたりを見渡せば、みんな「オレらのクラブ」を持ってます。

ここまでは大きな街のクラブですが、山口並みの県だって

これらのクラブはご近所ですので、心情的に応援したくなります。しかし残念なことに、これらのクラブは所詮「よそ様のクラブ」なわけで、「山口のオレらのクラブ」ではないのです。

永らく「山口のオレらのクラブ」がなかった中でやっとできた「オレらのクラブ」、それがレノファ山口FC
これを応援しない手はありませんよね。
レノファの試合には数万人が集まる(たとえ浦和レッズの試合があったとしてもそっちには数百人しか集まらない)、そんな郷土愛とスポーツ文化にあふれた山口県にいつの日かなることを夢見てます。


というわけで、山口県を代表して戦ってるレノファ山口FCを一緒に応援しませんかー。
という日記です。


お気軽にコメントいただけると嬉しいです。ではでは。

1999.11.28vs福岡大学(天皇杯)

レノファ山口FCが発足したのは2006年春。それまでは山口県サッカー教員団(山口KFC)を名乗っておりました。


自分が初めて山口県教員団の試合を見たのは1999年11月28日のこと。天皇杯1回戦、維新百年陸上競技場での福岡大学戦でした。当時、維新公園から徒歩5分の場所に住んでた自分は、臨月間近の妻を「ちょっと維新公園に散歩行かん?」と誘い出し、競技場の前で「あれ、サッカーの試合しよるけーちょっと見て行こーやー」とだまくらかして一緒に観戦したのでした。


で、→試合の結果はこのとおり(college-soccer.com)
8年も前なので細かいとこは忘れてましたが、そうそう、惜しい試合だったのを思い出しました。相手(福岡大)に試合は支配されつつも少ないチャンスを確実にモノにして、延長まで持ち込んだけれど、最終的には負けてしまいました。


相手の福岡大は、言わずと知れた坪井慶介のほか、吉本岳史(水戸)、吉村和紘(ホンダ)、波野成宣(北九州)、黒部光昭(千葉・市原)とすごいメンツだったんですねー、今にして思えば。


山口県教員団では今やレノファの大黒柱、石上選手が出場してました。他にはレノファの末永コーチ、妻の知り合いの松永選手が途中出場しておりました。


さすがに11月下旬の風は冷たく、一緒に観戦した身重の妻にはだいぶこたえたようで、後でこっぴどく叱られてしまいました。

2004.09.23vsFC琉球(天皇杯)

自分が山口県サッカー教員団の試合を2度目に見たのは2004年9月の天皇杯
5年ぶりの観戦でしたが、職場のサッカー好きな女性Tさん(息子さんがサッカー選手)から教員団情報をたまに仕入れておりました。例えば、安部雄大選手が教員団入りしていたことなど。


ずっと山口県教員団のことが何となしに気にかかってはいましたが、実際に試合を見に行ったのは実に5年ぶりの2004年天皇杯です。山口県代表はなぜかほぼ毎年、第1回戦を地元山口の維新公園で迎えることができてまして、山口県サッカー協会(山口県FA)の努力の賜物なのでしょうけど、教員団も2001年(vs大塚製薬、現:ヴォルティス徳島)と2003年(vs金沢SC、現:ツエーゲン金沢)と維新スタジアムで第1回戦を戦っておりました。いずれも敗北でしたけれど。


悲願の天皇杯1勝を目指す山口教員団を応援するため、5年ぶりにスタジアムへ足を向けました。会場には多々良学園高校のサッカー部100人近くが、さらにゴール裏には教員団サポが応援に駆けつけており、雰囲気は完全に教員団ムード。正直、教員団サポの存在には少し驚きました。山口のチームを応援する人たちがいるのだなあ。これは素晴らしい。


試合は開始からFC琉球が支配し、山口0-1琉球で前半終了。後半は5分ごろから山口教員団の時間帯が続いたけれど、28分にゴールを奪われると再び琉球のペースへ。山口教員団は末永、松永を投入して反撃を試みたけれど、0-3で負けてしまいました。→結果はこのとおり(スポニチ)


雨中でしたが、年配と思しき末永選手(現レノファコーチ)の鋭い出足や突破が特に印象に残ったゲームでした。

2007.04.15vs広島フジタSC(中国リーグ2007開幕戦)

山口県サッカー教員団からレノファ山口FCへ新生したのは2006年春のこと。せっかくのレノファ1年目でしたが、自分は1試合も見ずじまいでした。そんな2007年3月のある日のこと、職場で残業していると隣の女性が言うのです。
「私は旦那とたまにレノファの試合見に行ったよー」。


自分の負けず魂に火がついたのはこのときです。
「隣の女性に負けてらんねー」
さっそくレノファの公式サイトを見てみると、4/15の開幕戦でレプリカユニフォーム(18,000円くらいだったか)を販売するとのお知らせが載ってました。まず何事も形から入る自分は、妻に内緒のヘソクリでレプリカユニフォームを購入し、記念すべきレノファ応援第1試合目をかざったのでした。


試合会場は維新公園ラグビーサッカー場
レノファには既に声出しサポーターの方々が何人かおられ、勝手に混ぜてもらいました。サッカーの声出し応援なんて10数年前、横浜市民だったころにマリノスサポをやってたとき以来のことです。久々の声出しは爽快。やっぱスポーツ観戦はテレビよりも青空の下に限るね。オープンエア万歳。


で、試合は残念ながら引分に終わりましたが→詳しくはこちら(公式)、9番尾崎ヒカルの鋭いサイドアタックを中心とするレノファサッカーは魅力十分な内容であり、また見に来ようと思えるものでした。

2007.06.03vsJFE西日本サッカー部(2007年第9節)

4月の開幕戦以来、いろいろあって試合応援になかなか行けませんでしたが、第9節にしてやっと2回目の応援です。試合会場は阿知須の山口きらら博記念公園サッカーラグビー場。


前半はしばらく一進一退が続いたものの、28分に先制ゴールをあげると31分、33分と立て続けに得点し、最終的に山口5-1JFEで勝利しました→詳しくはこちら(公式)


11番のFW高杉がキレキレでハットトリックの活躍。試合後には13番の藤井ヒトシ選手がサポーターの前へやってきて「今日はみなさんの応援で勝つことができました。ありがとうございました。」とサポ一人一人と固い握手を交わす一幕もあり、これに自分は心揺さぶられてしまいました。オレが女なら抱かれてますよ、これは。試合内容の面でも、選手+サポというクラブの面でも、今後に展望が大きく開けたと思える試合でした。

2007.06.10vs日立笠戸(2007年第10節)

県立おのだサッカー交流公園で行われた試合。試合会場へ急いでいた自分は警察権力に18,000円もふんだくられてしまいました。


よーやく試合会場に着いたのは前半20分すぎ。スコアは0-0。まだ警察ショックにひしがれていると、26分にレノファが先制ゴール。そのまま45分までに大量5点をあげて前半おわり。レノファはスイッチが入るまで時間がかかるけど、スイッチ入ればすごいチームなのか?


で、後半はスイッチが入らないまま終了。結果は山口5-0日立笠戸→詳しくはこちら(公式)。日立笠戸主催のアウェイゲームでしたが、レノファのテントが立ってるなど、のんびりした好試合。自分的には18,000円の元がとれた試合でした(とでも思わなきゃやってられない)。

2007.06.17vsマツダSC(2007年第11節)

維新公園ラグビーサッカー場での一戦。レノファのホームゲームなのでしっかり勝っておきたいところ。


前半は膠着状態が続いて0-0のまま。後半に入ってから15分ごろまでレノファに点が入りそうな雰囲気がただようが、再び膠着状態におちいり、スコアレスドローにおわりました→詳しくはこちら(公式)


レノファは何となく相手に合わせてしまうサッカーをしてる感があり、この日も勝てない試合内容じゃありませんでしたが、残念ながら引分。開幕戦と同じ維新公園ラグビーサッカー場で、結果も同じく引分。これは維新公園ラグサカ場のジンクスなのでしょうか。