装丁家・大貫伸樹の装丁挿絵探検隊

2017-02-26 「禁じられた遊び」のポスターを描いた野口久光を知ってますか?

【第三の男など洋画を中心に1000点を超える映画ポスターを描いたデザイナー(画家)を知っていますか?】

 映画のテーマソング「第三の男」や「禁じられた遊び」を聞いたことがある人は多いと思う。これらの映画を見た人も多いのではないだろうか。しかし、この映画のポスターを描いたデザイナーを知っている人は少ないだろう。そういう私も、昨日ある本の色校正をやっていて初めて知った。

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野口久光:画、「第三の男』(日本公開1952年)


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野口久光:画、「禁じられた遊び」(日本公開1953年)



 1933年、東京美術学校(現・東京藝術大学)工芸部図案科卒業制作で描いた『制服の処女』や『ALL TALKIE NEWS』など7点が美校買い上げとなったという。

 1951年、東和映画株式会社宣伝部に入社。『天井桟敷の人々』『第三の男』『禁じられた遊び』『大人は判ってくれない』など戦後の欧州映画の傑作映画ポスターを数多く描く。

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野口久光:画、監督:フランソワ・トリュフォー大人は判ってくれない.」((日本公開1960年)

特に1960年の日本公開の際描かれた『大人は判ってくれない』のポスターは監督のフランソワ・トリュフォーが絶賛し、久光に「素晴しいポスターを描いてくれてありがとう!」とお礼を寄せ、感謝の意を伝えた。その後来日したトリュフォーと対面した久光が、『大人は判ってくれない』のポスターの原画を贈呈すると感激したトリュフォーは、1962年制作のオムニバス映画『二十歳の恋』の中の「アントワーヌとコレット」の中の印象的な小道具としてこの野口のポスターを登場させる。

 このような数々の武勇伝を持つ野口久光だが、私はこれらのポスターの絵が見事なこともあるが、使われている文字が、小さな文字まで全て手書きでか勝てていることに感動した。

 感動が冷めないうちにと思い『ヨーロッパ名画座―野口久光映画ポスター集成』(朝日ソノラマ、1984年)を購入してしまった。

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2017-02-21 ロングセラーって、何年売れ続ければそうよばれるのか?

【ロングセラーって、何年売れ続ければそうよばれるのか?】

「ロングセラーとは、長い期間にわたって持続的に多数売れ続ける書籍をいう。聖書はその代表的な例である。同一の著作が何度も版を重ねたり、単行本から文庫本などに版をかえて刊行されることがある。日本では、夏目漱石(そうせき)や森鴎外(おうがい)の作品、あるいは刊行以来版を重ねている『新明解国語辞典』『広辞苑(こうじえん)』などがこれらに該当する。」[川井良介]

 とあるように、ロングセラーというのは、はっきりした定義はなく、それぞれの出版社の自己申告のようだ。10年以上とか、50年以上とか数字ではっきり示してもらいたいと思ったが、そうもいかない事情があるのだろう。辞書などのように一部改訂すれば内容があまり大きく変わらないものはロングセラーになりやすい。一方、文芸書や話題性のある有名人の著書などはベストセラーにはなりやすいが、ロングセラーにはなりにくい。実用書は、ベストセラーとかロングセラーなどの肩書きがついてしまうと、すぐに柳の下のドジョウを狙った類書が出てしまうので、出版社としてはそっとしておいて欲しいという。つまり、ジャンルによってロングセラーの意味が違うということだ。

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 今回、改訂版のデザインを担当させていただいた若山芳三郎『学生のためのExcel BVA第2版』(東京電機大学出版局、2016年)は2003年に初版が刊行されているので、もう13年も売れ続けている。これはもうロングセラーと呼んでもいいのではないか?

 山芳三郎『学生のための情報リテラシーoffice2016』(東京電機大学出版局、2016年)は2005年に「officeXP版」のデザインを担当させていただき、刊行されて以来、今日まで11年間も売れ続けている。漱石本や広辞苑には及ばないとしても、一部改定をしながらとはいえこちらもそろそろロングセラーと呼んでも良いのではないだろうかと思う。

2017-02-18 取り壊しが決まった古民家

【♪しん散歩♪】……取り壊しが決まった新町の古民家に行ってきました。

 「江戸末期の古民家にさようなら」という「スマイルタウン通信」の見出しに動かされ、西東京市新町5の3の5

「和のいえ櫻井・にわとくら」に行ってきました。

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 迂闊にも市内にこんな素晴らしい場所があったなんて、知りませんでした。初めて足を踏み入れてみました。大きなイチョウの木やケヤキの木に囲まれた広い庭がある江戸末期の古民家。この落ち着きのある雰囲気は150年の経年による積み重ねでしか作り出すことはできない存在感を感じ、感無量でした。今更ながら、もっと足繁く通ってみたかった、と後悔しきり。

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樹上ハウスは、同じ敷地内にあるだけで、古民家とは関係ありません。私の好奇心が惹かれただけです。

 事情はいろいろあるのだろうが、古民家の保全をなんとかならないものだろうか。

2017-02-15 挿絵集、束芋『悪人』が届いた

ネットで購入した挿絵集、束芋(たばいも)『悪人』(朝日新聞出版、2010年)が届いた。カバーを拡大してみるといたるところにシュールな世界が展開されているのが刺激的だ。

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束芋『悪人』(朝日新聞出版、2010年)カバー

 この本については「現代社会の断片的風景を独特の感性で切り取る現代美術家束芋。彼女が初めて新聞連載小説の挿絵を担当した吉田修一の代表作『悪人』に描き下ろした作品群を一挙に収録。指、髪の毛、内臓などをモチーフとする独自の作風が、小説のテクストと化学反応することで新たな深化を遂げる。横浜と大阪で開催の大規模な展覧会「断面の世代」で公開されたモノクロの原画を連載時のカラーで再現。」(商品説明より)

とあるように、新聞連載された作品が単行本、吉田修一『悪人』(朝日新聞社、2006年)になった時には挿絵が掲載されなかったので、挿絵だけをまとめ挿絵集として出版されたものだ。単行本は総ページ数420ページの分厚い本なので、挿絵を一緒に掲載できなかったということもあったのだろう。

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吉田修一『悪人』(朝日新聞社、2006年)

 このように挿絵だけで単行本になるのは極めて稀なケースで、それだけに束芋の挿絵の評価が高かったことがわかる。

 現在もまた、朝日新聞朝刊に束芋吉田修一のコンビで「国宝」が連載されており、束芋の挿絵は「悪人」にも増して冴え渡っている。タイトル文字「国宝」を見ただけでも、挿絵への期待は膨らむばかりだ。人を食ったようなこの文字は「玉玉」かと思ってしまった。

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束芋:画、吉田修一「国宝」第8話(朝日新聞朝刊、2017年1月)

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束芋:画、吉田修一「国宝」(朝日新聞朝刊、2017年)


 新聞切り抜きを始めたが、「悪人」では250話も続いたので、途中で断念してしまった。今回もまた単行本になるのを期待しての中断になってしまいそうだ。

2017-02-14 駄菓子屋さんで公開オブジェ作り

【駄菓子屋さんで公開オブジェ作り】

 朝から道具などの準備をして、昼食後、みぞれの中を柳沢商店街の駄菓子屋・ヤギサワベースへ行き、公開オブジェ作りをやってきました。

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 今日はハッポー・スチロールの人形に和紙を貼り付ける作業をやりました。2時間ほどでノリが乾かず作業はストップ。それでもだいぶ完成形が見えてきました。

 小学生からエールのチョコをプレゼントされたり、昔のお嬢様たちからは来月のランチ会に誘われたりと、楽しく製作することができました。

 この続きは2月15日(水)、16日(木)14:00〜16:00に行います。


きつねの完成です。これで水彩画のモチーフが揃いました。さて、どんな画面構成にするか?

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2017-02-13 素敵な空間が誕生!

空前絶後のォォ〜〜、超絶怒涛のぉぉ〜〜、ヤギサワバルに行ってきました〜。

 茨城県鹿島の農家から運んできたクラフトビールを東京でのめるのはここヤギサワバルだけ、というキャッチ・フレーズに魅かれて町の小さなビール屋さんを覗いてみました。

 昨夜は、駄菓子屋・ヤギサワベースさんが企画した駄菓子ナイト?が催されており、西東京市在住の落語家・瀧川鯉んさんのカウンターの上での落語を目と鼻の先で聞く事ができました。

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中村さん夫妻が被っているのはフェルトを使った造形作家の方が持ってきたもの。

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総勢15〜20人ほどですが、写真に映った顔を見ればわかるように、初めて顔を合わす人たちもまるで古くからの知り合いのようにお互い和気藹々と楽しそうで、柳沢商店街にまた一つ素敵な空間が誕生したようでした。

 私もまた地元の友達が増えて、近々訪問しようかと思っています。

2017-02-07 ヤギサワべースに大貫伸樹コーナ誕生!

【ヤギサワべースに大貫伸樹コーナ誕生! 実演もやります】

 西東京市柳沢商店街の駄菓子屋さん「ヤギサワべース」の一角に私の水彩画やオブジェのコーナーを作っていただきました。

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 水彩画は月刊誌の表紙とその原画及びモチーフなどを飾り、毎月取り替えます。今作っている狐(写真下)は4月号の表紙のモチーフになる予定です。なかなか好みのモチーフが見つからなかったので、自分で作ってしまおうか、ということで、絵を描く前にモチーフを作っています。

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 この狐はヤギサワベースで場所をお借りして、製作を続けることになりました。とりあえずは9日(木)13:00頃から2時間ほど、やっています。

 この狐をモチーフにした水彩画もヤギサワベースで描いてみようかなと思っています。

 毎週1〜2回くらい製作実演をやってみようと思っていますので、興味ある方は是非遊びに来て、駄菓子を食べながらご覧ください。

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2017-01-23 消えた旧早稲田通りの名称

【♪シン散歩♪…消えた旧早稲田通りの名称】

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 写真1.中央(高橋正雄氏所蔵)の白黒写真は、1964(昭和39)年頃に撮影された西武池袋線の保谷駅構内を通る旧早稲田通りと踏切です。この構内の旧早稲田通りは、1964年(昭和39年)に構内踏切が廃止され、橋上駅舎を使用し始めホームが延長された時に、なくなってしまいました。

3点合成写真の上=保谷駅によって寸断された旧早稲田通り。保谷駅北側

3点合成写真の下=都道233号線の交差点から見た寸断された旧早稲田通りと保谷駅南側

 現在は.写真2のようにホームが延長され、旧早稲田通りはホームの下になってしまいました。

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 このことが名称が消えた理由なのかどうかはわかりませんが、現在はほとんどの地図上から、富士街道・石神井台5丁目の交差点、保谷駅を経由して、終点の新座市・栗原交差点までの「旧早稲田通り」という表記が消えてしまいました。

 しかし、今でも保谷駅北側の下保谷の路上には旧早稲田通りであることを示す、起点からの距離18.8kmを示す距離標(写真3)(18.8km)が残されています

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 そもそも早稲田通りとは、「田安門〜保谷街道交点(※栗原交差点)」という道路でした。しかし、1984年(昭和59年)に「田安門〜井草八幡前」に改正され現在の形になりました。この改正によって指定から外れた「杉並区・本天沼二丁目〜保谷街道交点」の区間は、「旧早稲田通り」と呼ばれるようになりました。

 それがいつの間にか富士街道から栗原交差点までは、旧早稲田通りと表記されなくなってしまいました。

 その理由としては、保谷駅によって分断されてしまった道は、旧早稲田通りとしての機能を果たしていないということなのではないでしょうか。そう私は推察しています。

2017-01-14 『妖精の女王』の書評に装丁にも言及が…

私が40年間でデザインした本の中でも最も.豪華な本として9月30日に紹介した、スペンサー作、福田昇八訳『妖精の女王』(九州大学出版会、2016.10)の新聞に掲載された書評が出版社から送られてきた。

 書評の主な内容は、アレゴリー詩であっても七五調の韻文訳で読みやすく大部の書物でも楽に最後まで読めてしまう。というようなものだ。

 書評で装丁まで言及するのは珍しいが、今回は「…造本が洋書風の美しい豪華本になっているのも特筆すべきだ。実に贅沢な凝った造りで、いわゆる愛書家なら垂涎数尺にたえぬだろう。」(渡辺京二、『熊本日日新聞』平成29.1.8)とあり、ちょっと嬉しくなって、ブログにアップしてしまいました。

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2017-01-11 竹久夢二の手描文字…セノオ楽譜の表紙タイトル

竹久夢二の手描文字…セノオ楽譜の表紙タイトル】

 竹久夢二(1884〜 1934年)が描く楽譜の表紙タイトルはほとんどが手描きだが、中でも興味を惹かれるのはキネマ文字との関連だ。文字をデザインすること、いわゆる創作文字とか図案文字に興味を持ち始めたのも同じ頃ではないかな、という仮説を時間をかけても立証していきたいと思っています。


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竹久夢二装丁「順禮の合唱歌劇タンホイゼル」(セノオ楽譜、大正12年)

竹久夢二装丁「世の態」セノオ楽譜、大正12年)


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竹久夢二装丁「古歌の思出」(セノオ楽譜、大正13年)

竹久夢二装丁「独唱ラルゴー」(セノオ楽譜、大正13年)


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竹久夢二装丁「死と少女」(セノオ楽譜、大正13年)

竹久夢二装丁「夕映」(セノオ楽譜、大正13年)


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竹久夢二装丁「やまと少女の歌」(セノオ楽譜、大正13年)

竹久夢二装丁「西班牙小夜曲 ロリタ」(セノオ楽譜、大正14年)


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竹久夢二装丁「たそがれの歌」(セノオ楽譜、大正15年)

竹久夢二装丁「ジョセランの子守唄」(セノオ楽譜、大正15年)



今回掲載した数点ではわかるはずもないが、大正13年頃の作品にはそれらしい雰囲気がある。大正12年以前の作品になると微妙に違うかな? という感じがする。

 一方、昭和4年以降にはキネマ文字は使われていないように思える。キネマ文字にははっきりした定義や描き方のルールなどがないので、キネマ文字かどうかをきっちりと判断するのは難しい。

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新聞に掲載されたキネマ文字の映画広告(『朝日新聞』昭和2年4月20日)

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キネマ文字の映画広告で埋められた新聞(『朝日新聞』昭和2年4月8日)

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キネマ文字の映画広告で埋められた新聞(『朝日新聞』昭和2年4月21日)

この1面だけでも様々な書体が使われている。このような映画広告に使われた書体全てをひっくるめてをキネマ文字と呼んでいる。




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竹久夢二装丁「オリエンタル・ローマンス」(セノオ楽譜、昭和2年)

竹久夢二装丁「忍路高島」(セノオ楽譜、昭和2年)


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竹久夢二装丁「中山晋平民謡曲 第14編 旅人の唄」(山野楽器店、昭和3年)

竹久夢二装丁「中山晋平民謡曲 第1編 青い芒」(山野楽器店、昭和3年)


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竹久夢二装丁「中山晋平民謡曲VI マノン・レスコオの唄」(山野楽器店、昭和3年)

竹久夢二装丁「中山晋平新民謡曲 V スキーぶし 雪よふれふれ」(山野楽


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竹久夢二装丁「オリエンタル・ローマンス」(セノオ楽譜、昭和2年)

竹久夢二装丁「忍路高島」(セノオ楽譜、昭和2年)


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竹久夢二装丁「中山晋平民謡曲 第14編 旅人の唄」(山野楽器店、昭和3年)

竹久夢二装丁「中山晋平民謡曲 第1編 青い芒」(山野楽器店、昭和3年)


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竹久夢二装丁「中山晋平民謡曲VI マノン・レスコオの唄」(山野楽器店、昭和3年)

竹久夢二装丁「中山晋平新民謡曲 V スキーぶし 雪よふれふれ」(山野楽器店、昭和3年)


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竹久夢二装丁「.緊縮小唄 ビクター民謡曲II」(ビクター出版社、昭和4年)

竹久夢二装丁「中山晋平民謡曲 第17編 龍峽小唄 」(山野楽器店、昭和4年)



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竹久夢二装丁「鉾ををさめて」(山野楽器店、昭和4年)

竹久夢二装丁「中山晋平民謡曲 XXII 琵琶湖シャンソン」(山野楽器店、昭和5年)



 つまり大正13年〜昭和3年頃にキネマ文字風の手描き文字を使っていたのではないかと推察することができる。この期間の装丁のタイトルなども含めた作品をもう少したくさん集めれば、この仮説を確かなものになるはずだ。そして、キネマ文字を初めて手がけたのは誰なのかということもわかってくるはずだ。