前回の続きで古書市での買い物4冊目は復刻本だが、与謝野鉄幹『紫』。この本は、与謝野晶子『みだれ髪』が三六判という当時としてはまだ奇抜な判型で刊行されたが、雑誌の予告では、この『紫』と同様の体裁で刊行される予定だったという事で興味があった。しかし、本物は3〜4万円もするので手が出せず、今回500円で購入できたので、これで満足することにして、本物の購入はあきらめた。



与謝野鉄幹『紫』(東京新詩社、明治34年)復刻版。
『明星』第13号に記載された『みだれ髪』刊行の予告では、
「女史の『みだれ髪』は本月二十日を以て発行いたすべく候。体裁は小生の『紫』と同一の体裁に成り、それに藤島氏の挿画を得て、桃色のリボンを以て綴ぢ申すべく候。」
とあり、掲載した写真の本『紫』と同じ体裁の桃色のリボンの体裁での刊行を予定していたことが分る。



与謝野鉄幹『紫』(東京新詩社、明治34年)復刻版本文。
本文は、菊半截判だが、表紙がかなり大きくほぼ四六判ほどある。この造本様式が鉄幹のこだわりで、『明星』第13号の広告には「特に欧米の『珍本』を参酌して、奇抜なる製本の体裁、先ず人目を一新せしむ」と、意気揚々と書いている鉄幹得意の造本だった。


それが、いざ発行されたときには、ご存知のように下記の写真のような体裁になっていた。



藤島武二:装丁、与謝野晶子『みだれ髪』(東京新詩社/伊藤文友館、明治34年


体裁の変更については、明治34年8月発行の『明星』第14号に
「鳳晶子女史の詩集『みだれ髪』は、印刷製本の都合上聊(*いささ)か予定の発行日を変更致し候処、既に印刷の全部を終り候間、製本の上来る十日を以て本社より発行し、文友館及び東京堂をして売捌かしめ申すべく候。製本の体裁も亦意匠を変更致し候ため、小生の『紫』などの遠く及ばざるものと相成り候は、出版物の一進歩と存ぜられ候。」
と、「『紫』などの遠く及ばざる」アール・ヌーボー様式を取り入れた藤島武二の挿画でかざられた三六判変形の華やかな『みだれ髪』が誕生した。『みだれ髪』での晶子と藤島の共同作業は、美術と文学とが手を携えて1冊の本を作るという、新たな書物の作り方のスタイルがここに完成したといえる。


『みだれ髪』は、与謝野晶子藤島武二の画文集とも言える作りで、本文中に「恋愛」「現代の小説」「白百合」「春」「夏」「秋」「冬」の7点の挿絵が挿入されている。
藤島武二がこれらの絵を描いたときに参考にしたと思われる元絵についての話が、木股知史『画文共鳴』(岩波書店、2008年)記載されているので紹介しよう。



木股知史『画文共鳴』(岩波書店、2008年)より転載


『みだれ髪』挿絵「恋愛」
目隠しした少年として描かれているグピドは、「時も場も選ばぬ恋の矢に射られた者は、人目も掟もはばからぬ恋の虜となるという愛の盲目性を示すものである」(小池寿子『マカーブル逍遥』、青弓社、1995年)という。このグピドが放った矢が表紙のハートを射止めた絵にへと繋がっている。




木股知史『画文共鳴』(岩波書店、2008年)より転載



『みだれ髪』挿絵「現代の小説」
この絵についても木股知史さんは
「悪魔が束髪で袴姿の女学生に小説を読むことをすすめている『現代の小説』(図17)は、西洋的な画題を換骨脱胎したもので、藤島の機知が感じとれる作品である。この挿画の背後には、二つの西洋的な画題を想定することができる。


一つは、中世ヨーロッパで聖堂や墓地の壁画に描かれた『死の舞踏(ダンス・マカーブル)』という画(図18)である。死は富者から貧者まで階層や性別を問わずあらゆる人々に平等に訪れるということを主題としている。さまざまな人々とともに死を示す骸骨が描かれた。死と遠いはずの若い女性が死にとらわれるというところが刺激的なので、若い女性の場合は、『死と乙女』という画題に独立して描かれる場合もある。


もう一つは、悪魔の性的な誘惑を受ける女性の画である。こちらは性的欲望に弱い人間への風刺がこめられている。構図は、女性の隣や背後に骸骨、あるいは悪魔がよりそうというものである。藤島は、こうした画題を踏まえて、女学生を誘惑する悪魔を描き出したのである。……明治期には小説は子女に害毒を与えるものと考えられていた。当時の教育雑誌は繰り返し、小説を攻撃している。だから、小説は、悪魔の誘惑の道具にふさわしいのである。


……挿画『現代の小説』は、小説を『みだれ髪』に見立てることによって、『みだれ髪』の価値を理解できない世間を間接的に風刺しているのである。」(前掲『画文共鳴』)と、解説している。




木股知史『画文共鳴』(岩波書店、2008年)より転載



『みだれ髪』挿絵「白百合」




『みだれ髪』挿絵「春」



『みだれ髪』挿絵「夏」



『みだれ髪』挿絵「秋」



『みだれ髪』挿絵「冬」


これらの挿絵が縦長サイズであることについては、「挿画の縦に細長い画面構成は、西欧のジャポニスムの絵画でさかんに用いられている。さきに『みだれ髪』の判型と、柱絵という細長い画面の浮世絵の影響を受けたウィーン分離派のカタログやポスターの相似についてふれたが、細長い画面へのこだわりはジャポニスム全般の流れの中に見いだす事ができる。縦に細長い画面構成は、日本の浮世絵版画の掛け物、柱絵という形式に源流を持っている。浮世絵に起源を持つ縦に細長い画面構成に興味を示したのはエドゥアール・ヴュイヤール、ピエール・ボナール、モリス・ドニといったナビ派の画家たちであった。」(木股知史『画文共鳴』、岩波書店、2008年)
という。浮世絵の影響を受けた西欧のジャポニズムの画家たち。そしてまた、そのジャポニズムの影響を受け入れた日本の画家たちと、一度西欧化した日本の絵画が回帰して新たな日本の文化を作りだしていったことを見て取れる。



木股知史『画文共鳴』(岩波書店、2008年)より転載