野口雨情記念館

一条真也です。
5日の午後、全互連総会の観光コースの中で、わたしが今回最も楽しみにしていた「野口雨情記念館」を訪れました。ここは、茨城県北茨城市磯原町磯原にあります。日本を代表する童謡作家の野口雨情は、明治15年、現在の北茨城市の磯原に生まれました。雨情の作品や書、著作などが展示されています。


野口雨情記念館にやって来ました

野口雨情記念館の顕彰碑

野口雨情の銅像の前で

野口雨情記念館の入口で



わたしは、「十五夜お月さん」「七つの子」「赤い靴」「青い眼の人形」「しゃぼん玉」「こがね虫」「あの町この町」「雨降りお月さん」「証城寺の狸囃子」「うさぎのダンス」などの多くの名作を書いた雨情の大ファンなのです。特に、「月」や「うさぎ」をテーマにした歌が多く、うさぎ年で月狂いのわたしにはたまりません。



横浜を舞台にした「赤い靴」と「青い眼の人形」を聴くと、ブログ「横浜」ブログ「横浜人形の家」ブログ「横浜再訪」に書いたように娘たちと横浜の街を歩いたことを思い出します。それもいつかは、セピア色の思い出に変わるでしょう。




野口雨情記念館には売店があったので、いろいろと記念に買い求めました。書籍やポストカードの他にも、「しゃぼん玉」のオルゴール、「赤い靴」の革のストラップ、「童謡かるた」など、珍しいものを購入しました。


野口雨情記念館で購入した品の数々



ブログ「福島・北茨城の旅」にも書きましたが、雨情の童謡作品はどれも、なんだか泣きたくなるような郷愁と哀愁が強く感じられます。
それは、その歌の背景にはさまざまな現実のストーリーがあるからです。たとえば、「赤い靴」にはモデルとなった女の子がいましたが、彼女は渡米を果たさずに病気で夭折しています。「青い眼の人形」も実話に基づいて作られた歌です。



しゃぼん玉像(男の子)の前で

しゃぼん玉像(女の子)の前で



また、「しゃぼん玉」は雨情が幼くして失った長女を歌った作品だとされています。「しゃぼん玉きえた とばずに消えた 生まれてすぐに こわれて消えた」という歌詞は、雨情自身の亡き娘のことでした。彼は、自分の愛娘のはかない命を、すぐ消えてしまうしゃぼん玉に例えたのです。
そして、雨情夫婦は、この歌によってわが子を亡くした悲しみを癒したのでした。
そう、「しゃぼん玉」とはグリーフケア・ソングだったのです!
その哀しくも透明な美しさを備えたセンチメンタリズムは、雨情の友人であった小川未明の「金の輪」や「赤いろうそくと人魚」などに代表される童話の世界にも通じます。その未明もまた、幼いわが子を失うという経験を持っていました。


野口雨情生家のようす

雨情生家の玄関前で

有名な俳句ポストの前で

生家前にある略年譜の前で



つい最近、わたしは雨情のお孫さんである野口不二子さんが書かれた『郷愁と童心の詩人 野口雨情伝』(講談社)という本を読んだばかりです。その本で知ったのですが、東日本大震災野口雨情記念館は甚大な被害に遭ったそうです。根本的に「グリーフケア」の要素を持っている雨情の童謡は、東日本大震災で傷ついた多くの人々の心を癒すことができるのではないでしょうか。わたしたち日本人にとって、野口雨情の存在はますます大きくなっていく気がします。


郷愁と童心の詩人 野口雨情伝

郷愁と童心の詩人 野口雨情伝


*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2013年6月6日 一条真也