フクロウよ、安らかに・・・・・・

一条真也です。
2月28日、東京出張から帰ったわたしに、妻が言いました。
「あのフクロウが、さっきまで家にいたのよ」と。


電柱に止まっているフクロウ



3日ほど前から、我が家の近くにフクロウが現れて、近所でもかなりの評判になっていました。その後、姿が見えなくなったのでどこかに飛んで行ったのかと思いましたが、じつはそのまま我が家の敷地内にいたようです。
3日前の夕方に妻が目撃したときは、フクロウは電柱に止まっていました。


夜、目を光らせて木に止まっているフクロウ



夜は木に止まっており、フクロウの目は光っていたそうです。フクロウを見るのは珍しいので、どこかの家のペットかなと思っていました。一昨日から北九州には暴風雨が吹き荒れ、フクロウの姿は見えなくなりました。それが今日になって、わが家のベランダにうずくまっており、それを見た妻は最初は猫かと思って非常に驚いたそうです。でも、よく見ると、フクロウでした。


我が家のベランダに座り込むフクロウ



フクロウはたいそう弱っているようで、目をつぶったままでした。妻はベランダにストーブを2台出して暖めてあげたそうです。スマホの動画を再生すると、妻はフクロウの頭を優しく撫でてあげていました。鳥インフルエンザなどの可能性も考えて、マスクにゴム手袋で撫でていました。妻は、「フクロウちゃん、よしよし、かわいそうにねえ、寒かったでしょう」と話しかけていました。
ずっと目をつぶっていたフクロウですが、頭を撫でられて気持ちが良かったのか、スマホの画面の中で目を開いていました。丸い可愛い目をしていました。


妻がストーブで暖めてあげました



また、フクロウは肉食だということで、鶏肉をあげたりもしましたが、まったく口をつけなかったそうです。このままでは生命に関わると判断した妻は、北九州市動物愛護センターの方に連絡して引き取ってもらいました。なんでも、このフクロウは野生の種で、勝手に飼うことはできないそうです。動物愛護センターの方は「メジロと同じで、保護されているんですよ」と言われたとか。
もし、誰かが飼っていたペットのフクロウだったら、引き取り手が現れない場合は殺処分されるそうです。それを聞いた妻は「自分で飼う」ことも考えてみたそうですが、結局は保護鳥であることが判明し、その選択肢は消えました。愛護センターの人も「フクロウは初めてです」と非常に驚かれていたとか。




フクロウが引き取られた後に、わたしが出張から帰ってきました。
わたしは、妻からフクロウの写真を見せられ、驚きました。
すると、17時過ぎに動物愛護センターから連絡があり、「16時頃、息を引き取りました」との報告がありました。獣医さんが診断したところ、フクロウの口の中はひどく化膿しており、とても食物を食べられる状態ではなかったそうです。そのために栄養失調となり、衰弱死したとのことでした。せめて、最後に暖かい思いをして、妻に撫でられて幸せだったのではないでしょうか。


最期は何を想っていたのだろう?



わたしたち夫婦は、亡きフクロウのために祈りました。
死の間際に我が家を訪れたわけで、まるで妻に会いに来たかのようです。
古代インドの輪廻思想では、人間もあらゆる動物に生まれ変ります。
フクロウは、もしかすると、妻の先祖だったのかもしれません。それとも、妻がかつて縁のあった動物の生まれ変わりだったのかもしれません。
わたしは、フクロウの前世は今は亡き愛犬ハリーのような気がしました。



わたしは『慈経 自由訳』(三五館)を上梓したばかりですが、ブッダの「慈しみ」は人間だけでなく、すべての生きとし生けるものに注がれます。「いのち」という点では、人間にもフクロウにも差はありません。何の縁か、死の間際に我が家に迷い込んできたフクロウ。どうか、安らかに眠ってほしいと思います。


フクロウよ、安らかに・・・・・・



古代ギリシャでは、フクロウは「知恵」のシンボルでした。
ということは、我が家に「知恵」がもたらされたのでしょうか。
いずれにしろ、本当に不思議で、考えさせられる出来事でした。
すべての生きとし生けるものが、幸せであれ、平穏であれ、安らかであれ。



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2014年3月1日 一条真也