「オーケストラ!」

一条真也です。

映画「オーケストラ!」を観ました。
これも「クロッシング」と同じく上映劇場が非常に限られています。
東京は銀座の「シネスイッチ銀座」で観たのですが、九州では上映館がゼロです。
いわゆる単館系の名画が地方で見られないところが、日本の貧しさの一つです。
それはともかく、「オーケストラ!」は素晴らしい作品でした。



舞台はロシアです。ボリショイ交響楽団です。
主人公の中年男アンドレは元・天才指揮者として知られた人物ですが、現在は劇場の清掃員として働いています。
共産主義時代のブレジネフ政権が「ユダヤ主義者と人民の敵」と称してユダヤ系の演奏家たち全員を排斥しようとしたのを拒否したため、彼は指揮者としての名声が絶頂の時に失脚したのです。
しかし、ある日、清掃中に1枚のFAXを目にしたことから彼の運命は急転回します。
FAXの内容は、演奏を取りやめたサンフランシスコ交響楽団の代わりに、パリのシャトレ座に出演可能なオーケストラを2週間以内に見つけたいというものでした。
アンドレは、それを見て、とんでもないことを思いつきます。
それは、昔の仲間とオーケストラを再結成し、ボリショイ交響楽団の代表と偽ってパリの一流劇場に乗り込むことでした。
この映画はコメディでありながら、泣かせるヒューマン・ドラマでもあり、さらには政治的な風刺も込められているという非常に盛り沢山でありながら、全体の調和が見事に取れた、まるで一流のオーケストラそのもののような仕上がりになっています。



オーケストラというのは、メンバー各人がそれぞれの楽器、それぞれの個性を持ち寄りながら、一つの作品を作りあげるという共同作業です。
メンバー各人は、天才もいれば、怠け者もいれば、いいかげんな者もいる。
でも、みんなの「こころ」を一つにしなければオーケストラは成立しない。
日常においては、他人同士の「こころ」が一つになるという状況はほとんどありません。
いわば、「こころの共同体」は非現実的なのです。
しかし限られた時間とはいえ、コンサートにおけるオーケストラでは、その「こころの共同体」が生まれている。思えば、なんと奇跡的なことでしょうか!
わたしは、限られた時間内にスタッフが「こころ」を一つにするという意味では、結婚式や葬儀も同じであると思いました。



そういえば、ピーター・ドラッカーに「理想の会社組織とは、オーケストラのような組織である」といった発言があることを思い出しました。
つまるところ、マネジメントの真髄も、各人の個性を尊重しながら「こころ」を一つにすることにあるのでしょう。
そして、わたしはドラッカーユダヤ人であったことを思い起こしました。
それが、この映画のメッセージと重なって、なんだか胸が熱くなりました。
前日の「クロッシング」では孔子を思い、今日の「オーケストラ!」ではドラッカーを思う。
どこまでいっても、わたしの心身には孔子ドラッカーが流れているようです。



最後に、映画「オーケストラ!」のもう一人の主役は、クラシック音楽です。
作品の中には、モーツアルト、バッハ、ロッシーニシューマンドビュッシーパガニーニハチャトゥリアンマーラー、リムスキー=コルサロフ、ラロ、メンデルスゾーンらの名曲が続々と登場します。
そして、ラストで演奏されるチャイコフスキー「ヴァイオリン協奏曲」の素晴らしいこと!
わたしの魂は音楽に鷲掴みにされ一気に天上まで引き上げられました。
わたしは「のだめカンタービレ」は知りませんが、この「オーケストラ!」を観ることができて本当に良かったです。



ちなみに、この作品はフランス映画ですが、やっぱりオシャレですねぇ。
昨日の「クロッシング」は韓国映画ですが、フランスにしろ韓国にしろ、たまにはハリウッド以外の映画を観ないと世界は理解できないと痛感しました。
「オーケストラ!」は、あの「マイケル・ジャクソン THIS IS IT」を抑えて、パリでオープニングNo.1を記録したそうです。
上映もままならない日本とのこの格差!
クロッシング」にしても、アカデミー賞外国語映画賞ノミネート作品でありながら、日本での上映館は渋谷「ユーロスペース」のみ。
事業仕分も結構ですが、世界の名画ぐらいきちんと観れる文化環境を確保しないと、日本人が阿呆になるのではないかと心配です。
いくら鳩山首相が国民の幸福度を測っても、その対象が阿呆の集まりではねぇ。
ぜひ、民主党サンにはそのへんのところも考えてほしいですな。
そういえば、まったく異質の作品同士である「クロッシング」と「オーケストラ!」に共通するのは、政党というものが本質的に持つ愚かさを描いているところでした。


2010年4月28日 一条真也