「ウィルス・プラネット」

ウイルス・プラネット (ポピュラーサイエンス)

ウイルス・プラネット (ポピュラーサイエンス)


本書は進化生物学に詳しいサイエンスライター,カール・ジンマーによるウィルスを扱った本だ.大腸菌を扱った「Microcosm」(2008)の執筆後,もっと小さなものも書きたくなったのか,3年後の2011年に原書である「A Planet of Viruses」を書いている.もっとも大腸菌ほどの話題は集めきれずに半分ほどのかわいらしい本だ.邦訳は2013年には出ていたのだが,何となく読み損ねているうちに2年以上経過してしまった.先日機会がありようやく読んだものだ.

巻頭には様々なウィルスの写真(電子顕微鏡写真に彩色したもの)が口絵として収録されていて,抽象画のギャラリーのようで小粋だ.冒頭では無人の地下の結晶洞窟の水からもすさまじい数のウィルスが検出されることが紹介される.私たちの世界はウィルスまみれなのだ.それが題名の「ウィルスの惑星」ということの意味だ.

続いてウィルスの発見物語,最初に見つかったウィルスはタバコモザイクウィルスだが,そもそもウィルスなるもの自体認識されていない時代の発見は紆余曲折をたどる.なかなか読ませどころだ.

ここから様々なウィルスの紹介が楽しく続く.

  • まずは病原体としてのウィルス.風邪を引き起こすライノウィルスについては,症状を引き起こすメカニズム,その進化,幼少期に感染することによるアレルギーやクローン病などの免疫疾患への耐性をもたらす可能性が語られる.インフルエンザウィルスについてはパンデミックを引き起こす謎*1,鳥などからの種間感染と遺伝子の組み替えが扱われている.
  • 続いてガンを引き起こすヒトパピローマウィルスHPVの物語.HPV発見の経緯*2,免疫系との関連,ガン化のメカニズム,ワクチンを巡る騒動*3が扱われている.
  • 次はバクテリオファージの物語.ここでは抗生物質ではなく,バクテリオファージによって細菌を食わせ,感染症を治療しようとするファージ療法についての解説が面白い.抗生物質が細菌の耐性獲得に対して無力なのに対して,ファージはそれ自体進化可能だからなかなか面白いかもしれない.
  • そして実は環境に普遍的に存在するウィルスの話に移る.海水を調べるとそれはウィルスに満ちている,ジンマーによると海洋微生物の生物量はそれ以外のすべての海洋生物を合わせたよりも大きいのだそうだ.そしてそれらは光合成細菌や二酸化炭素吸収作用を持つ藻類や菌類をむさぼり食っているのだ.だから地球環境はウィルス抜きには語れないのだ.
  • 私たちのような真核生物のゲノムも内在性ウィルスやウィルス由来配列に満ちている.ここでは太古の時代の内在性ウィルス配列を発見する物語が面白い.ヒトに見つかるサルなどと共有する内在性ウィルスの断片を解析し,その祖先配列を推定して合成すると見事にウィルスとして復活したのだそうだ.
  • ここからは感染症ウィルスに戻り,話題のウィルスを解説していく,取り上げられているのはHIV,ウェストナイルウィルス,SARSウィルス,エボラウィルス天然痘ウィルスだ.短い記述で簡潔に語っているところはジンマーのサイエンスライターとしての腕の見せ所だ.ここは天然痘ウィルス根絶の物語で締めくくられている.
  • 最後のエピローグでは「ウィルスは生物なのか」という話題とともに新発見のミミウィルスが紹介されている.「ウィルスは生物なのか」というのは生物の定義次第であまり面白味のない話題だが,ミミウィルスの(ほかのウィルスと比べての)巨大さは衝撃的だ.どのようにしてこのようなウィルスが起源したのか大変興味深い.


というわけで,本書はウィルスの様々な話題を紹介する一般向きの解説書としてうまくまとまっている.小粒でぴりっとしまった珠玉の小品という趣だ.進化に入れ込んでいるジンマーにしては進化医学,進化疫学的な解説がほとんどないのはやや残念だが,読んでいて大変楽しい.また邦訳版はおしゃれな装丁とイラストでいい味を出していると思う.


関連書籍

原書

A Planet of Viruses

A Planet of Viruses

同じくジンマーによる「大腸菌」.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20091229

大腸菌 〜進化のカギを握るミクロな生命体

大腸菌 〜進化のカギを握るミクロな生命体

同原書

Microcosm: E. coli and the New Science of Life

Microcosm: E. coli and the New Science of Life



 

*1:1918年のパンデミックについても何故そうなったか謎だとのみ書かれている.進化疫学的な観点からの解説(塹壕戦の中で強毒性が進化した可能性がある)がないのはちょっと物足りない

*2:ウサギに角が生える現象がきっかけになっているというのは面白い

*3:懐疑論についてやや好意的に扱っていてやや意外だ.ただしジンマーが好意的に扱っているのは「ワクチンの効果の持続時間」「ウィルス側の耐性獲得(ワクチンが対象にしている以外のウィルス変異株が有利になる)」の問題であって副作用を理由にするものではない.