疑いを懐きながら論じること。
懐疑派の意見のこと。
肯定も否定もできずに、疑い続けていること。
世界というのは本当は私たちが経験しているのは全く違ったものなんじゃないか、つまり、私たちが経験しているのは実は世界についての完全なる幻覚なんじゃないか、と疑うこと。あるいはその姿勢。また、他人には実は心なんてなくて、実はゾンビようなものなのかもしれない、つまり心はこの自分にか存在しないんじゃないか、と疑う姿勢に関しては、それ自体に「独我論」という名前が付いている。本気で疑っているわけではなく、我々が日常的に信じている前提を正当化するのに使っている理屈や概念のほうを問い直すことが目的。
<参考>
→「他我問題」
→「逆転スペクトル」