神話型コンテンツの可能性

N次創作としての神話

ゆらぎの神話 ポータル
魔王14歳の幸福な電波 - ネオエクスデス化する元ネタとしての神話的データベース (1)
魔王14歳の幸福な電波 - ネオエクスデス化する元ネタとしての神話的データベース (2)
魔王14歳の幸福な電波 - ネオエクスデス化する元ネタとしての神話的データベース (3)

ここで神話は、創作に対する「元ネタ」としてのデータベースであるとみなすことができます。

要は、「原作」という概念が存在せず、著作権的なあれこれに気を遣わなくて済み、なおかつ多数の人が参加できるシステムを用意してあげればいいのです。

たとえばWeb全体で共有するスタンダードな世界観としての神話的データベースを想定してみるのはどうかなー、という提案


太古の神話と現代の二次創作は実は同じネオエクスデス構造(またはピカソのように矛盾した平面が一枚の絵になる構造)を有すると捉えて、ならばWeb2.0的な集合知を創作にも生かせないか、設定や世界観を共有することはできないか、という提唱ですね。それが「ゆらぎの神話」などの試みとして実践されているわけです。二次創作を口頭伝承の先祖帰りと見る視点は興味深いです。

神話型コンテンツとしてのAA

こういうネットでの(Erlkonig氏が言うような)神話型コンテンツで、いま最も普及しているのは、AAのSS(AASS)でしょうか。元々はそれ以前からありますが、有名なのは2ちゃんねるアスキーアートでしょう。特に最近では、VIPの内藤ホライゾンジョルジュ長岡のようなキャラのイラストやAASSが、毎日大量に生産されています。AAというネット特有のメディアが生きた形です。またコピペという複製技術も発展には重要でしょう。


一昔前のインターネット・マルチメディア論というのは、将来的には光ファイバーをひいて動画・音声をジャカジャカ流すと世界が変わる、というようなものでした。しかし、2ちゃんねるやブログやGoogleWikipediaSNSSBMRSSは基本的に文字が中心です。その中にあってAAは、文字で擬似的に絵を見せるという、曲芸的な方法が一般化しているのが面白い。モダンダンスにタップダンスがありますが、似ているかもしれない。文字は容量が少ないですから優秀なメディアです。Ajaxもそうですが、制約が工夫に転じる例です。

便利なものは流行るだろう原則

AAはネット独自のものだから成功しているけれども、それでも「神話」と呼ぶほどの体系的な世界観にはまだなっていませんし(「民話」という方が合ってますね)、元ネタは既存のアニメであるAAも多いです。クトゥルフ神話のように現代で神話に匹敵するデータベースが出てくる可能性はあるでしょうか。要するに、神話型コンテンツはどうすれば流行るでしょうか。これは難しい問題ですがあえて単純化すれば、便利なものは流行るだろう原則が適応できるのではないかと考えます。どういうことか。


例えば、絵や音楽やフォントの素材サイトやソフト・ライブラリ・プラグインの配布サイトは、既にたくさんあってよく利用されています。同じように「物語素材」として広く利用されるためには、オリジナルで考えるよりも創作の労力が低く済む必要があります。またAASSのように独自なものでなければ、(二次創作を許可・黙認している企業を含む)既存の設定と競争する場面もあるでしょう。では労力が低くなるような設定というのはどういうものか。そこが今回の核心になります。つまり、「著作権フリー」にプラスして「便利」なら流行る、それにはどうするかと。

データ型とルール型

ここで、物語素材をデータベース=辞書型とルール=手順型の二種類に大別します。または前者を設定素材、後者を物語素材という風に分けてもいいでしょう。人名や地図・年表などは静的なデータですが、それと物語を動的に生成するルールは別にしたいのです。ちなみに、データとルールというのは、プロパティとメソッドのように呼んでも構いません。


具体的に言うと、「ツンデレ」「素直シュール」のようなものです。「太郎」のような人名はキャラの行動に制約を課すことはありませんが、「ツンデレ」の場合はただデレデレしているものはそう呼ばないのです。この複雑性の縮減が、労力を減らすことに繋がるのです。ただし、「太郎」は長男であるというような暗黙の規則があって、データとルールは完全に分離することはできないでしょう。javascriptのメソッドも結局は呼び出し可能なプロパティに過ぎません。それでも区別すること自体は有効です。

オブジェクト指向としてのキャラクター

一例として、あまりに浸透して常識化してるために、もはや神話的なものとしては意識されない「幽霊」というオブジェクトを考えてみましょう。白い装束を着ているとか竜宮レナのように手を垂れているのはプロパティに相当します。このプロパティもデフォルト化していることでどんな服を着せようどんなポーズをさせようという労力を省きます。しかし、継続する物語の中ではメソッドとして使うパターンが多いです。


例えば幽霊には「物理攻撃無効」「不死」「浮遊・飛行」「消滅」などの属性があります。これに状況(引数)を与えて呼び出すと結果(戻り値)を返します。「剣を振り下ろした→効かない」とかです。つまり、「document.write」と「幽霊.飛行」を同一視しているわけです。幽霊キャラ(クラス)から生成した登場人物(インスタンス)は、飛行メソッドを継承しています。ただし、ギャグシーンでは幽霊にタンコブができるというようにオーバーロードもできるし、この幽霊は太っているので空を飛べないというようにオーバーライドもできます。

神話型コンテンツの可能性

便利なものは流行るだろう原則によって、創作の労力を減らせれば、既存の素材サイトのように物語素材・設定素材も流行ると思います(神話型コンテンツはもう少し高尚な印象はありますが)。ではどうすれば労力が減るかといえば、ルール・メソッドによる、不確実性の縮減によって成立します。


だから例えば「○○の剣」という設定を考えたときに、その剣の名前とか形状とか由来とか伝承だけでなく、「血を吸うので敵を倒すほど強くなる」とか「全く斬れない剣で何に使うのか謎だったが、幽霊のように実体を持たない敵を斬れる」のような規則があるといいわけです。この規則がいわゆる構造主義的な構造です。


ただし、「最強の矛」「最強の盾」のような規則を作ってしまうと、文字通り「矛盾」が出るわけです。さっきの話で言えば物理攻撃無敵の幽霊とその幽霊を倒す剣です。こういう例外処理が増えると穴が出てきます。これがゲームのプログラムなら(仕様の)バグで、整合性を取る必要が出てきます。


ただ、そのような矛盾を生かすのが「ゆらぎの神話」だったので、振り出しに戻っているように思えます。しかし、ユーザーがモジュール的に組合わせるということを考えれば、このジレンマは解消するかもしれません。(もっとも私的には、バグ取りのような面倒くさい作業と、ある程度のコーディング規約がどうしても必要だと思っています)


時間がなかったので長文になりましたが、現時点での私の考えはこんなところです。