付録資料に関する訳者解題

 ここには、シチュアシオニスト・インターナショナルの成立過程を知る上で不可欠なものと思われる文書のなかからいくつかを選んで翻訳した。
 1番目の「状況の構築とシチュアシオニスト・インターナショナル潮流の組織・行動条件に関する報告」は、1957年7月にイタリアのコシオ・ダローシャで開催されたシチュアシオニスト・インターナショナル設立のための会議に提出されたもので、ドゥボールによってそれ以前に書かれ、コシオ・ダローシャに参加を予定していた者たちのあいだであらかじめ読まれた。20世紀のアヴァンギャルド芸術運動の流れを、戦前のダダとシュルレアリスムから、戦後のコブラ、革命的シュルレアリスム、レトリスト、レトリスト・インターナショナルヘとたどりつつそれを総括するとともに、同時代の世界の芸術潮流──社会主義レアリスムと、先進資本主義国の「解体」派──への批判をバネにして、シチュアシオニスト・インターナショナル設立の意義を述べたこの論文は、SIの綱領として最も体系化されたものである。「体系化」された思考で、「状況の構築」の必然性という一つの方向に引っぱっていくようなこの「報告」の文体は、ドゥボールの『スペクタクルの社会』に典型的に見られる断片形式の「反乱の文体」とは異なったものだが、それは、最初から外部に発表されることを前提としないこの内部文書が、さまざまに異なる者たちをSIの結成へとまとめ上げるという明確な目的を持っていたからにほかならない。
 この「報告」は、コシオ・ダローシャに集まった<イマジニスト・バウハウスのための国際運動>のヨルン、オルモ、ピノ=ガッリツイオ、シモンド、ヴェッローネ、<レトリスト・インターナショナル>のドゥボール、ベルンシュタイン、<ロンドン心理地理学委員会>のラムネイの八名の投票によって採択され(賛成5票、反対1票、棄権2票)、3グループは組織統合をしてシチュアシオニスト・インターナショナルを設立することが決定された。
 2番目の論文都市地理学批判序説」もドゥボールの文章で、1955年9月に発行されたベルギーの雑誌『裸の唇』第6号に掲載されたものである(『裸の唇』については136ぺージの訳者解題を参照)。SIの基本的考えである「心理地理学」の概念を具体例を交えながらわかりやすく説明したこの文章で例として挙げられていることは、硬直した今日の都市計画や地理学にとっても有益なことであろう。実際、都市を物理的なモノとしてではなく心理的な環境として見ることを提案している最近の都市論がドゥボールを自らの先駆者として祭り上げたり──例えば、『都市のコスモロジー』(講談社新書)のオギュスタン・ベルク氏──、現代の都市での電子的漂流を唱える者が心理地理学的地図の製作を提唱したり──たとえば上野俊哉氏──しているが、ドゥボールがここで例示していることはとりあえずの方策であり、「状況」の「構築」へと発展するのでなければ、それらは「たわいのない」遊びにすぎない。そのことを理解できずに「敵の陣営」に回収された者は、この文章が書かれた1955年にもすでに「何百万も」いたのである。
 文体は、レトリスト・インターナショナルの時代のものということもあろうが、ドゥボールの人物がうかがえるようで、最近の文章──『イン・ジルム・イムス・ノクテ(……)』や『この悪しき評判……』など──にも見られるような独特の皮肉と不敵さの混じった精神の働きをよく表している。
 3番目の論文転用の使用法」は、ドゥボールとジル・J・ヴォルマンの共同論文で、1956年5月発行の『裸の唇』第8号に掲載された。これについての解題は、本書(第3号)の「否定としての、また予兆としての転用」の本文と訳者解題を参照してもらいたい。
 4番目の「ゴータ綱領」ならぬ「アルバ綱領」は、1956年11月2日発行の『ポトラッチ』第27号に掲載された。「コブラ」から<イマジニスト・バウハウスのための国際運動>へと運動を進めてきたアスガー・ヨルンらと、レトリスト・インターナショナルドゥボールらがシチュアシオニスト・インターナショナルヘと組織統一を果たす過程で最大の契機になった「アルバ会議」の実情がうかがえて興味深い。
 五番目の「イマジニスト・バウハウス結成のための覚書」は、アスガー・ヨルンの著書『形態のために』(60ぺージの訳者解題を参照)に収められた「機能主義に反対して」の第二章である。ヨルンが〈イマジニスト・バウハウスのための国際運動〉結成に込めた意味が、1920年代のドイツのバウハウスとの対比のなかでコンパクトにまとめられている。この文章が書かれた年代は不明だが、内容で1957年のことに触れているので、シチュアシオニスト・インターナショナル結成の前後と思われる。この段階でもまだ「芸術」について語るヨルンと、「新しい美は状況の美でしかありえない!」(「都市地理学批判」)とすでに1955年から叫んでいたドゥボールの差は歴然である。
 最後の起源と統一への道」も同じくヨルンの『形態のために』から。フランス語で編集されたこの論文集の最後に収められた論文「出口」の文字どおり最後の文章である。「これらのお話しにけりをつけて、別のことを企てるために」という副題が付けられたこの「出口」のテクストの末尾の一語は「シチュアシオニスト・インターナショナル」である。「コブラ」に至るまでのデンマークやオランダの前衛芸術運動の「特殊」な状況──とりわけ、「抽象化」を信じない「抽象芸術」という考えの出現や、「デ・ステイル」、バウハウスなど環境構築を目指した運動との関係など──は、日本ではあまり紹介されたことがないだけに、貴重な資料としての価値もある。シチュアシオニスト・インターナショナルには、こうした北欧起源の考えも流れ込んでいる。