官邸に出した意見その1
イラク問題に対する日本政府の対応について疑問がありますので書かせていただきます。
現在、アメリカによるイラクに対する攻撃が現実のものとなりつつありますが、報道等によりますと、国連による新たな決議がない場合でもアメリカの行動を支持する予定と聞いています。それはどういう論理に基づいてのものなのでしょう?
アメリカは、イラクによりテロ組織に大量破壊兵器がわたり、それによってアメリカの安全が脅かされることに対する自衛のための先制攻撃といっていますが、いまだ曖昧な状況証拠以上のものは明らかになっていません。またこのような一方的な先制攻撃が許されるとしたら、仮に北朝鮮が自衛を理由に暴挙にうってでたとしても、それを誰も非難することができなくなってしまいます。
政府の要人たちは、日本がアメリカを支持することを、北朝鮮の問題とからめていっていますが、アメリカが北朝鮮問題に積極的に取り組まず、結果的に危機を煽っているのは火を見るよりあきらかです。ある程度の危機的状況を作り出しだしておいたほうが、自らの軍事的プレゼンスを高めることができますし、それが結果的に、日本がアメリカを全面的に支持するという状況に結びついていることからも、ある程度戦略的なものであるのは自明だと思われます。
またイラク攻撃は、テロリストがアメリカおよびそれを支援する国々に対する攻撃をするための格好の錦の御旗を与えることになります。テロリストは大量破壊兵器など必要としません。簡単な爆弾でパニックをひきおこせます。
結果的にイラク攻撃後の世界はいまよりとても危険な不安定なものになると考えられます。それにもかかわらず、諸手をあげて米国を支持しようとする理由をぜひ首相ご自身の口から国民に向けて語っていただきたいと思います。
官邸に出した意見その2
イラク問題に関する首相のインタビューを拝聴しました。ようやく公に発言されたこと自体は評価しますが、内容については深い失望を禁じえません。欺瞞といって悪ければ、的確でない表現が数々ありました。まず、「日本としては、今まで国際協調の下に平和的解決を目指し、独自の外交努力を続けてまいりました」という表現ですが、努力はその通りですが、それは平和解決のためではなく、米国の武力行使に対する支持をとりつけるための努力でした。米国の意図が査察の遂行による平和的解決にはなく武力行使そのものが目的だというのは、ブッシュ大統領がイラクに対する最終要求が、本来の目的であるはずの武装解除ではなく、フセイン大統領の亡命だったことからも明らかだと思われます。
また、武力行使がが国連憲章に違反しないという論拠に国連決議1441等を持ち出されていますが、4項、11項には違反があった場合は安保理に報告すると書かれていますし、13項の「(安保理が)義務違反が続けば同国は重大な結果に直面するであろうと、再三警告してきたことを想起する」というのはあくまで安保理の警告であり、その意思を無視する形で、米国が武力行使するのは許されないと考えます。
報道によれば北朝鮮情勢を背景とした安全保障上の配慮のため、米国を支持すると伝えられていますが、それならそれで、そのことをきちんと国民に説明すべきだと思います。そうすればその決定に対する議論が可能になるでしょうが、上記のような子供だましの詭弁を述べられているようでは、議論は一向に進まず、理解も得られようはずがありません。ぜひご一考をお願いします。
小泉首相の支持表明について
正当性を語る部分は、一応いっておかなければというおまけ(おまけつきお菓子でいうとお菓子)なので無視して構わないと思う。
ポイントは支持を通じて日米同盟を維持・強化することが国益につながるので支持をしたという論理だ。
ほんとうにそうだろうか?
まずは、「国益」という思考ストップワードの中身を検証しなければならない。誰にとってのどういう利益・不利益なのか。支持をした場合に得られるかもしれない利益・不利益、支持を留保した場合の利益・不利益。攻撃により国際社会が大きく不安定化するという不利益がすっかり抜け落ちている気がする。利益の方の、アメリカの北朝鮮に対する抑止効果も疑問で、現状では明らかに必要な努力を怠っているし、アメリカが今回のイラク問題のときに行った外交努力の悲惨な失敗をみれば、外交的な解決をする能力がないのではないかと疑わざるを得ない。期待できるのは武力を使わなければならないときくらいだろう。
さらには国益がすべてに優先するわけではない。倫理的・論理的に許されない国益を追求しようとしてはいけないはずだ。フセインが独裁者なのは認めるが、だからといって国際法を無視して、イラク国民に甚大な被害を与えた上で、武力で解決することが許されるのだろうか。
とイラク問題についていろいろ書いてきたが、直接的な戦争反対というより、日本政府のあまりの情けない対応に腹がたってそちらばかりを攻撃してしまった感がある。まあ、糠に釘、無意味でした。日本の国民も世論調査では若干戦争反対の人のほうが多いようだが、結果として戦争に賛成しているわけです。
最後に、損得や論理じゃなく、何が何でも戦争反対!いやなものはとにかくいやなのだ。
彼がここにいる理由
反戦なんてかっこ悪いと思ってたよ。甲高いシュプレヒコールをあげながら練り歩くなんて、ほんとたまんないね。それより、渋く低い声で、戦争は必要だ、とニヒルに笑うのがおれのスタイルだった。
0911のときも、恐怖や不安を口にする連中を尻目に、ブッシュすげぇとただただ礼賛。馬鹿どもを支配するには、まず恐怖と不安にどっぷりつけてから、自分が救世主として登場する。ブッシュはそのことをわかっている。頭のいいものがこの世の中を支配するんだ。
今回のイラク攻撃も当然、大賛成。今回はどんな手段で、誰も彼もが否応もなくイラク攻撃に賛成せざるを得ないシナリオを作るのかと楽しみにしていた。
ところが、結果は世界中の反感をあびての戦争突入。あれ?まずここで一度おかしいと思ったが、戦争が始まってしまえばこっちのもの。じゃんじゃん大量破壊兵器を捏造して、ばらまいて見せつければ、国際世論なんてあとからついてくるさ、とまだ楽観的だった。だが、何日たっても大量破壊兵器がみつからないどころか、あさっての方向にミサイルをとばすわ、仲間を打ち落とすわ…。
ここで、おれははたと気がついた。彼らはスマートな殺し屋なんかじゃない。ばかげた信念を信奉するだけの底なしの間抜けだった。やばい。このままじゃ世界が壊されちまう。
おれは走った。何日も飲まず食わずでとにかく走った。そんでもって、ここにたどりついたというわけさ。
too much
昼休みに食堂でテレビがついていて、イラク戦争の特集(TBS系の「ベストタイム」という番組)が流れていた。バグダッドには恐ろしい敵が待ち構えているとか、フセインがいかに恐ろしい独裁者かとか(これはその通りではあるのだが)、すべてが米英軍からの視点に基づいたものだった。一応イラク軍も国を守るために戦っているわけだし、その大義名分を与えたのはほかならぬ米英軍だというのに…。戦争は既定事実で、あとはテレビや新聞でたれ流される、正義の味方の米英軍が、悪の枢軸の一角イラクを倒すという陳腐なストーリーを見守るだけ。
もうそんなものは無視して、ただ数字を眺め続けることにした。決して減ることのない増えるだけの数字。http://www.iraqbodycount.net/bodycount.htmによれば日本時間25日現在のイラクの民間人の死者は199〜278人(もちろんこれ以外に両軍に多数の犠牲が出ている)。もうすでに多すぎる。こんなばかげたことのために死ぬのは一人でも多すぎる。
1984
ジョージ・オーウェルに『1984』という小説がある。第二次大戦後の1949年に書かれた小説で、当時から見てかなり未来にあたる1984年の状況を予言的に描いている。各家庭には双方向のテレビがおかれ、人々は常にその言動・行動・思考(表情から読み取ることができる)を監視されている。世界は絶え間ない戦争状態であり、テレビに流されるのはB.B(Big Brother)という名の国家元首の語るプロパガンダばかりだ。従来の英語をさらに簡素化したニュースピークという言語が公用語(というよりそれ以外を話すことは許されていない)であり、その中には政府を批判するような語彙が含まれていないので、頭の中に反政府的な考えを浮かべることもできない。主人公ウィンストン・スミスは真理省という過去の歴史を書きかえることを職務とする省庁に勤めている中流階級に属する市民だが、あるきっかけから反政府運動のグループの存在を知ってしまう…
(懐かしい)ユーリズミックスが主題歌を歌って映画化されたりもしたので、知っている人も多いかもしれない。
1984年当時には、荒唐無稽な絵空事だとせせら笑っていたが、ふと考えてみると、今のアメリカはこれにかなり似てきている。おおっぴらに検閲される電話・通信。制限される言論の自由(自由はポテトフライの名前にしかない)。G.Bという指導者によるプロパガンダ。絶え間ない戦争。
唯一の違いは、1984では、B.Bは何年たっても歳をとらず、架空の存在(今の言葉で言うとCG)らしいのだが、G.Bは一応現実の存在だ。マイケル・ムーアによれば、架空の選挙で選ばれた架空の大統領なんだけどね。
まとめ1
おそらくほとんどの日本の人にとって、イラクで人が何人死のうがどうでもいいことなんだろうと思います。戦争に賛成か反対かどうか尋ねられれば、どちらかといえば反対かな、と答えるだけのもので。いえ、決してそのことを責めているわけではないです。ぼくも本質的には同じです。現に、今までぼくの生きている間には世界中で何度も戦争があったわけですが、表立って反対しようと思ったことは一度もないです。
それなのに今回、毎日しつこいくらい戦争のことを書いているのはなぜなのか、今日はそのことをできるだけきちんと書いてみたいと思います。「きちんと」と書いたわけは、これまで書いてきたことはみなぼくの思っていることではあるのですが、扇情的だったり、受けをねらっていたりと、正しく何かを伝えるという目的には適してないからです。
理由をひとことでいうと、戦争に巻き込まれてしまったからです。もちろん、武器を手にとって戦ってもいないし、空爆も受けてないわけですが、戦争をとても身近なものとして感じています、というより感じさせられてしまってます。矛盾や不条理は数々あれど、なんとかバランスを保っているよう見えたまわりの世界がぐらぐら揺れだすのを感じました。それは横揺れと縦揺れの二つがあわさったものでした。
横揺れは、真実をいっても受け入れられない、嘘や誤りがまかり通ってしまうという、論理と倫理の揺れです。アメリカは当初フセイン政権とアルカイダの結びつきを理由にイラクを攻撃しようとしていましたが、その論理に説得力がないのがわかると、一転して大量破壊兵器のことを持ち出しました。そのために提出した証拠はすべてあいまいな状況証拠ばかりで、しかも核開発の証拠として提出した文書が稚拙な偽造と判明するなど、理由はあとづけでイラクの政権崩壊が目的であるのは明白でした。ブッシュ大統領の最終通告でつきつけた要求が、受け入れられるはずのないフセイン大統領の亡命だったことで、むしろ戦争が目的なのではないかという疑いをもつにいたりました(これはあくまで疑いの域をでません)。
というようにアメリカの行動が明らかに論理的・倫理的に破綻しているにもかかわらず、米国民は一貫してブッシュ大統領を支持し続け、日本政府もそれをただ支持するだけでなく、他国の支持を得るために積極的に働きかけまで行いました(無残な失敗に終わりましたが)。米国民には同時多発テロの恐怖があり、日本には北朝鮮の脅威があります。全国民または同盟国(同盟というよりは主従関係ですが)が一体となって行動するには、共通の敵がいる状況はとても都合がいいです。北朝鮮問題については、ブッシュ政権は積極的に問題解決に向けて動こうとしたことはほとんどなく、傍観をきめこんでいます。同時多発テロが自作自演であった証拠は何もありませんが、ただ、事前に情報があったにもかかわらず有効な手段を講じることができなかったということと、ブッシュ政権に近い人たちが同時テロの状況を憂うだけでなく利用する可能性を見出していたのは間違いないことのようです(このあたりの情報はhttp://tanakanews.com/d0305iraq.htmによっています)。
縦揺れは、イラクだけでなく世界中に戦争が拡散されることに対する恐怖です。まず間違いなくいえるのは、テロリストを志願する人たちが増えるだろうということです。同時多発テロで明らかなようにテロには大量破壊兵器は必須ではなく、小型の爆弾を体にくくりつけての自爆テロでも、大きな動揺を与えることができます。アメリカだけでなく日本も標的にされる恐れがあります。またイラクの周辺の国々が不安定化し、一帯を巻き込んだ大戦争に発展する危険性もあります。インド、パキスタン、北朝鮮の問題もありますし、その場合、日本が無傷でいられる保障は何もありません。
ブッシュ政権のほんとうの狙いが何なのかははっきりいってわかりません。虐げれたイラク国民の解放なのか、武装解除なのか、石油の利権なのか、イスラエルの保護なのか…。また、彼らがどういう人間たちなのかもわかりません。冷徹に計算された戦略に基づいて行動しているのか、単なる狂信者なのか…。ただひとついえるのは、今回の戦争は彼らが言っているようなよい効果をあげないということです。暴力はただ際限ない暴力の連鎖を生みます。そしてそれに全世界の人間が否応なしに巻き込まれます。
そういう論理や倫理が通じず暴力だけが正義という状況を拒否するのに小さな声をあげたいと思いました。また、何といってもまず真っ先に戦争に巻き込まれて傷つけられるイラクの人々の存在が、ぼくに勇気と粘り強さを与えてくれました。
ほんとうに小さな声です。多分どこにも届かないでしょう。でも、何もしないよりはいいと思ってます。ここまで読んでくれてありがとう。(小さな声で)戦争反対。
まとめ2
昨日は、なぜ毎日戦争について書き続けているのかというところまで書きました。今日はその続きで、本題の自省に入りたいと思います。
いまぼくが立っている、反戦・反アメリカ・反ブッシュという立場が100%何の疑いもなく正しいものかといわれれば、そんなことはないと思います。フセイン政権はイラク国民のためにならない悪い政権ですし、仮に何の犠牲もなく彼らを追放できるならばそれに越したことはないでしょう。ひょっとすると現実的にそのための手段は戦争しかないという可能性もあります。戦争賛成の人たちが、戦争反対の意見にまったく耳を貸そうとしないように、ぼくもまた、戦争賛成を唱える意見から目をそむけてしまい、自分に都合のいい意見ばかり聞いているのは確かです。それは、自分の信じるものを信じ続けたいという人間の根本的な性質からくるもので、誰も逃れようがありません。そういう意味で、ぼく自身、無根拠なことを信じ込んでいたりする可能性は大いにあります(昨日書いた同時多発テロ自作自演説はこのカテゴリーに入る可能性が高いです)。
そういう偏見をすべて取り除いて、曇りのない目で、今回の一連の出来事を見ること。それはとても難しいことです。
難しい理由のひとつはアメリカとブッシュが(フセイン同様)悪であるということがあまりにもわかりやすすぎるからです。何が何でも戦争を求めたり、劣化ウラン弾を使ったり、他人の意見に耳を貸さず常に自分の意見を押し通そうとしたり、論理のすり替えをしたり、偽物の証拠を提示したり…。普通こういうことは悪とみなされる人たちのやることです。歴代のアメリカ政権も同じようなことをしてきたのは間違いないところですが、ブッシュ政権は、あまりに露骨というかわかりやすすぎます。これで、正義の味方だったらあっと驚くどんでん返しで、江戸川乱歩賞をあげたくなります。
単純なぼくは、ついブッシュ大統領に悪の烙印を押してあげたくなります。こういうようになんでも善と悪に分けるのは、ブッシュ大統領のお得意で、実はとてもいけないことだとわかっているのですが、まんまと術中にはまっています。
実は反アメリカと叫ぶことはアメリカ万歳と叫ぶことと同じことなのかもしれません。できれば、ただアメリカは無視していたいです。ぼくの目の届かないところにいってほしいです。さよならアメリカ(by はっぴいえんど)。
プロジェクト
この戦争、そして次におきる戦争をどうすれば止められのか。できることはほんとうに限られている。ブッシュ政権の政策を変えさせる(というより政権の座から引きずり下ろす)ことが求められるが、そのためにはアメリカの世論を変えなければならない。いくら反戦運動をしてみても、彼らは聴く耳をもたないだろう。自分で自分を洗脳しているようなものなので、敵対する意見には反発するだけだ。洗脳から解放するときに使うような、相手のふところに入って徐々に徐々にゆさぶりをかけてゆく、そんな巧妙な手段が必要だ。
それより簡単なのは弁解のできないようなブッシュ政権の悪事の証拠を見つけることだ。白血病解析プロジェクトといって、各人のPCの空き時間を利用して、白血病の進行を促進するタンパク質を見つけ出そうというプロジェクトがあったが、それと同様に、たとえば、ブッシュ政権の悪事を膨大な資料の中から見つけ出すプロジェクトはないだろうか。それなら喜んでぼくのPCの全資源を提供するし、参加してくれる人もたくさん募れそうだ。だが、その前に悪事発見プログラムを騙るウイルスが流れそうだ。流すのはCIAだろうか。
工場
センジョウというのはいわばシタイを生産するための工場だ。生きて動いているニンゲンをベルトコンベヤーに乗せ、いくつかの工程を経て最終的にぴくりとも動かないシタイを作り上げる。
この工場にもたくさんの人たちが働き、自分の役割を果たしている。入口のところで人をベルトコンベヤーに乗せるのはセイジカの仕事。巧みな弁舌にときには脅しを交えて、通りかかる人をベルトコンベヤーに乗せるように仕向ける。最後に待ち構えるのはシュウキョウカ。彼らの仕事はシタイのまわりで涙を流す人々に諦めと、「テキ」というものに対する憎しみを教えることだ。それがセイジカの仕事に役立つ。
そして、「テキ」と呼ばれる人々は、実際にニンゲンをシタイに変えるという最も重要な工程をまかされていることになっている。だが彼らの姿を見たものはまだ誰もいない。