男たち、野獣の輝き

旧映画ブログです。

Beauty Devaisethのファイナル・ファンタジー14新生エオルゼア奮闘記

マッハ ! プレミアム・エディション [DVD]★★

カンフー映画ジャッキー・チェンの映画、そしてドニー・イエンの映画などなど、「映画」と銘打ってはいるが、楽しむためのチャンネルを切り替える必要のある映画は多い(つくづく映画って言うのは表現手段であってジャンルじゃないんだなあと思います)。

この「マッハ!!!!!!!!」は古式ムエタイというタイの武術を堪能する映画です。

タイと言う国への偏見を抜きにして「DTS-ES」「ドルデジEX」で収録されていたりして力の入り方が伺えますが、それほどサラウンドが動き回ったり効果的だったりはしません。ただ、サウンド・デザインとしては両肘で(間違いなく本気で)打ち下ろされた衝撃音が鈍く表現されていて痛そうでした。

ただ、ムエタイをみせる映画としては若干疑問の残る部分も多く(個人的には根本的にダルいつくりに眠くなるのですが)、一番の問題はジャッキー・チェンの映画のように「色んな場所を飛び越えたりする追っかけ」が随所に(無駄に)挿入される点です。主人公を演じるトニー・チャーは当然ジャッキーではないのでアクションにユーモアを感じさせることは出来ていないし、アクション・コーディネーターの笑いのセンスも個人的には受け入れられないのが残念でした。

ムエタイを楽しむ」映画としてはもっと燃えさせる展開が必要で、例えば「燃えよドラゴン」でブルース・リーが妹の敵であるオハラと戦うくだりは、戦う以前にオハラを見るだけで顔つきが変わるブルース・リーに燃えている訳であり、その後にくる「コマに殆ど写らない速さでオハラの手を払ってのパンチ」や、「オハラを殴るたびに怒りが制御できなくなりつつハンを睨むリーの顔」や、「足をつかまれてもなお繰り出されるサマーソルトキック」や、「倒れたオハラの周りを威嚇するようにステップするリー」等などはソレを踏まえているから「燃え」が倍増している訳です。

勿論、観客の多くは(特に中学生)はその「」の部分で十分に燃えられるのですが、「妹の敵を公然とボコる」と言う前振り(ご丁寧にリー本人は見てもいない妹の自殺シーンがフラッシュバックしたりする←映画文法的にはおかしくても観客にとっては全然おかしくないマジック)が重要なのです。これがあるとないとでは絶対に違ってくる訳です。

その点「マッハ!」は、村の大事な仏像の頭をとられたから取り返しに行くという発端も素晴らしい動機だし、男がボコられても無視しているが女性が殴られると怒るという起爆も素晴らしい。ただし、それは主人公の直接的な衝動に繋がっていかない(観客=この場合ボク=が納得できない)。

そしてもう一つは、ムエタイ・アクション・シークエンスにおける編集のテンポの悪さがボクには問題で、イマイチ乗れない。具体的に言えばスローモーションを多用しすぎる点と、それとノーマル・スピードととの配分の仕方や編集点のつなぎ方がストレートすぎる事など。前も書いたようにアクションの編集と言うのは生理を削る事が重要で、そこで観客の先読みを操作して燃えさせる。

もっとも、こう書いておいてなんですが、「ムエタイをみせる映画」としてはスローの多様も引きの画の多様も実は十分すぎるほど効果を上げているので欠点ではないのかも。あくまでもボクの好みとの問題です。それぐらムエタイが凄いってことは眠気が吹っ飛ぶほど分かりました。(だからなおのこと余計な追っかけとかは要らないんじゃないかと)

あ、あと音楽が燃えません。これが一番重要なのかもしれないです。

動機について。

先日「ジェダイの復讐」のDVDの音声解説を聞いて(字幕を読んで)いたときに考えたこと。

スター・ウォーズ」の旧三部作にはライトセーバーの闘いが一作に一度必ずあり、1作目は老人と機械人間の戦いなのでのんびりしたムード、「帝国の逆襲」では未熟なルークと圧倒的な力の差で迫るダースベイダーとの鬼気迫る闘い、「ジェダイの復讐」では妹の悪口を言われてキれたルーク(結局未熟)がダースベイダーとの力の差を見せ付けて迫る。と言う風に分けられます。

そんな中、「ジェダイの復讐」の闘いだけは特別にエモーショナルで盛り上がるなあと常々感じていたのです。すると、音声解説で

ライトセーバーの闘いではサーベルの音(あの独特のハウリング音)が音楽のような役割をしているので劇伴をつけていないが、この闘いだけは音楽をつけている」*1

と言っていました。

ジェダイの復讐」の闘いは、殺陣自体にはこれといって特別なことがあるわけではないです。ただ、一方的にルークがダースベイダーを斬りつけて、腕に何度もセーバーを叩き付けるだけ。*2

が、

「だけ」と書いては見たが、この場面の燃え方は尋常ではなくて、その前に散々皇帝に怒れ怒れと焦らされても、グっと絶え続けた上での怒りの爆発がバックにあるからだと思うのです。ジェダイは怒りにとらわれてはいけないと言う教えゆえに、オビ・ワンの闘いも、「帝国の逆襲」のルークも怒りに囚われていません。なんつうか、「共和国の平和のため」的な大義名分のもとに戦っている。逆にダースベイダーはダークサイドに陥っているので遠慮なく怒りブチまけて襲ってくるのでそっちのほうが燃える。ところが、「ジェダイの復讐」ではその「怒り」のエモーションが画面からバーンと炸裂していて、その表現の一つとして荘厳なコーラスが使われているところが燃えるわけですね。

こう考えてくると、「燃え」の起爆として一番有効に機能するのは「怒り」ではないかと思えます。ブルース・リーも意味不明にいっつも怒っているし。*3

「マッハ!」に戻ると、一緒に行動を共にしてきた同郷の友がせっかく死ぬんだから、それを起爆に怒れと思うんですよね。そうすればもっと盛り上がるのに。

ランボー」と「ランボー怒りの脱出」では怒りの質が違っていて、「ランボー」は自分が嫌がらせされた怒りに対して、「怒りの脱出」のソレは命の恩人でキスまでした美人が目の前でアサルトライフルで撃ち殺されるわけで、後者のほうが観客の共感をより得られることはいうまでもありません。

勿論「燃え」の演出や作劇法はそれだけに拠っているわけではないのですが、「動機」の点では重要な事に間違いないと思います。

そう考えると「ロッキー」は何で燃えるのかなあと考えると、トレーニングがあるからなのかあと考えています。あれはなんか「精神の高揚」的な部分で、「怒り」とは全く別の種類の「燃え」じゃないかと。観客はあのトレーニングで一緒に燃えているので、試合でもそりゃ燃えるよなあという。そういう意味ではそれまでの生活描写などなども全部重要になってきますね。
「ロッキー4炎の友情」はアポロが殺された恨みを返すための闘いだから純粋に「怒り」が動機ですよね。

「みんな分かり合えるんだ!!」

ってラストの矛盾が笑えますな。うそこけっての。

*1:ちなみにこの場面の素晴らしく盛り上がるコーラス音楽は最初のサントラに収録されていなくて、ボクも落胆したものですが音声解説でも「最初のサントラには入っていなかった」と言っています。

*2:とはいえ、シルエット処理された映像や、やたらと強大なセーバーの光学処理、マーク・ハミルの怒り演技など、演出の部分では「帝国の逆襲」の闘いに引けをとらない。

*3:そういう意味でも「死亡遊戯」は異色ですよね。あのリーは全然怒ってない。むしろ楽しんでいる。それでも燃えるのは音楽とかヌンチャクとかそういう部分が燃えさせる訳で、そっちもやっぱり重要だと言うことがよく分かります。

弓を引くように。

アクション・シークエンスの演出について。

アクション・シークエンスの組み立て方は大体以下のとおりだとします。

○プロット(大雑把にシナリオの段階)

○映像の中でのアクション(カメラ・ワークと画面に写っているものの動き)

○編集(ポスト・プロダクション→音楽もここに含めます)

ボクが好きなアクションは全体的に

「弓をいっぱいに引いて放つ」

と言う力学に似ているものです。

それは上記の三つの部分にそれぞれ当てはまるのですが*1、「編集」についてあれこれ考えている事を書いてみます。

例えば、ドニー・イエンは自分を「ブルース・リーの正当な後継者」であると自認していますが、これが伊達じゃないことは監督作である「ドラゴン危機一髪97」で証明しています。

つまり、編集の段階でアクションのモーションの前に「ため」(=弓を引く)を随所に取り入れている点です。

これはいわゆる「サンドウィッチ演出」と俗に称される


殴る!

顔!

蹴る!

顔!!

と言う感じで、アクションの合間にドニーの「決め顔」が挿入される演出法です。

勿論ドニーもリーもナルシストという点で共通なのもありますが、アクション演出でも重要な効果を上げているのです。

つまり、蹴る前に「顔」を挿入することで、編集に「タメ」が生まれるわけです。

ただ、殴る蹴るだけでは観客の生理をなぞるだけで、それでは試合を見ているだけです。勿論現実のボクシングの試合などは単純に燃えるわけですが、映画は「作り物」なのでそこにプラスアルファを加えなければいけないと思うのです。刺身は綺麗に切らないと料理にならないのと同じ。

それが編集でありシナリオであったりする訳ですが、この「顔」に限らず「タメ」を入れ込むアクション演出が好きです。

例えばセルジオ・レオーネの顔面のアップや手のアップなどを何度も繰り返しながらドンドン「アップ」になっていく編集などは最たるもので、「弓が切れちゃうんじゃないか?」と心配になるほどタメますよね。

例えばガンダムのアクションで「ビーム・サーベルを抜く」と言うアクションがあります。これは「バックパックからサーベルを引き抜くアップ」が入るから盛り上がるんです。ただサーベルを抜くだけじゃ盛り上がらないわけです。(もっと具体的に言うと、突然アップを挿入することで観客の視線を強制的に注視状態にする事です。これが緩急を生み出す。)

ジョン・ウーが全盛期に見せた銃撃戦はスローがそのタメとして機能していたんですね(全部スローになってからは駄目)。銃撃戦で大事なのは連射する際のリズムとその前のタメです。ブラックハイマー作品なんかの銃撃戦がただ撃ちまくるだけで全然盛り上がらないのはこの「タメ」がないからだと思います。(具体的に言うと突然スローを挿入する事で、生理のリズムを狂わせて、ノーマルスピードに戻ったときのリズムを早く錯覚させる事です。)

天空の城ラピュタ」のフラップター・アクションもドーラが気絶して垂直落下する機体の中で、必死に操縦桿を引くパズーのショットと近づいてくる水面の「タメ」があるからこそ、水柱を立てて機体が持ち直してからの怒涛のような引き画が盛り上がる訳です。(具体的に言うと対象に寄り添っていたカメラのカットバックが、突然ロングに切り替わることで観客に開放感を一瞬与えることです。←アップの使い方の逆。)

どれもこれも観客の生理を興奮状態に導くテクニックが使われているから燃えるわけです。勿論プロットも燃えるからなのは言うまでもないんですがそれをより良くするために演出があり、頭一つ飛びぬけるアクションはそういうテクニックが駆使されていると思うのです。

スピルバーグなんかは全盛期にこういったスキルが非常に高かったので、燃える演出が巧かった訳ですね。(望遠レンズと広角レンズの効果の違いを知り尽くしているからこそ「激突!」や「ジョーズ」の演出が成功しているんだと思います)


最近そういう事で燃えるアクションがあんまりないなあというボヤキです。

*1:「プロット」だと何でアクションするのかという動機やそこへ持って行くまでの焦らし方などなど。