日本ゲーム盛返史1991 ー 2018(その1)

※以下の文章は、おっさんの個人的な思い出語りであり、多くの事実誤認が含まれている場合がございます。


星のカービィ 夢の泉の物語

 ファミコンの時代、私にとってゲームはクリアするものではなく、雰囲気を楽しむものであった。その一例が「アフターバーナー」で、私はこのゲームの飛び立つ瞬間が好きで、クリアできないくせに無駄にくるくる回りながら敵機をロックオンしまくるのが好きだった。とはいえ、スタート地点を1991年に設定したので、それは別の機会に譲る。

 そんなわけで思い出を語ろうにも、ファミコン時代はクリアできたものも、ちゃんと攻略できたものもないので、具体的に書けるものがない。そんな私にとって一番思い入れ深いのが、「星のカービィ夢の泉の物語」だ。私にとってこの作品は数少ないエンディングまで迎えられたファミコンゲームで、なおかつやりこんだゲームでもある。

 個人的にはスーパーマリオよりも今作の方がいいゲームだと思っているのだが、なぜ、今作は話題に上がりづらいのか?……それは発売されたのが1993年で、すでにスーパーファミコンの時代だからである。そのため、今作のノリはアーケードゲームパソコンゲームではなく、スーパーファミコンという後継機の文化に近い。THE家庭用ゲームというわけだ。

 「カービィ」は基本的に攻撃に必要なボタンは「B]、逃げる事に必要なボタンが「A」と割り振られているため直感的に遊びやすい。だから初心者向けと捉えられる事も多いが、私が夢の泉を評価するのは上級者には上級者の楽しみ方が用意されているという点である。 カービィといったら吸い込みアクションだが、「コピー能力」というものが与えられたのは今作からだ。クラッコをハイジャンプ(後のシリーズでは消えた)で追い詰めていくシーンなど、コピー能力を使えばスタイリッシュに戦えるという同じステージ、ボスであっても、色んなパターンでの戦い方ができる。

 風景の美しさにも注目すべきだ。上下左右ではなく、扉には奥行きというものが存在し、扉の前で「十字キー上」を押すと別フロアへ移動できるのだが、滝の裏や月で上を押すと隠しフロアへ行けるというお楽しみ要素も現代の3Dゲームに通ずるものがある。そらを飛ぶ事が可能であるため、マップの形も2Dでありながら表現豊かだ。幅広なマップから縦長なマップに至るまで、この手のゲームにありがちな横スクロールに限らず、縦スクロールになったり戻ったりできるなど、バリエーション豊かでありながら、操作は同じであるため難易度は上がらないという考えられたデザインだ。

 キャラクターの立ち位置も魅力的だ。無敵アイテムをくれる敵か味方かわからないメタナイト。悪人に見えたデデデ大王が実は……という単純な勧善懲悪ではないというシナリオも今だといろいろと考えさせられる。ボス戦の焦燥感を煽るメロディにラテンっぽいコミカルなリズムという、このシリアスとコミカルのバランスの良さも気持ちいい。

 スーパーファミコンの時代に制約だらけのファミコンで出し、それでも世の中に通用する作品。夢の泉の物語こそ、ゲームに必要最低限な心臓部分の集大成と言えるだろう。