大江健三郎@中国

大江健三郎が中国に来たということは、最初山崎行太郎氏の処*1で知った。山崎氏は『人民網』を参照している;


中国社会科学院の招きに応じ、ノーベル文学賞作家の大江健三郎氏が8日、北京に到着した。大江氏の訪中は5回目で、今回の日程は1週間。9日午後には中国語に翻訳された著書3作品の販促キャンペーンとして、北京市内の書店、西単図書大厦でサイン会を開いた。3作品は「さようなら、私の本よ!」、「憂い顔の童子」、「あいまいな日本の私」。

サイン会を前に、大江氏は自らが幼少時代に初めて魯迅作品に触れたときのエピソードを語った。さらに日本と中国の関係について続けた。「日本には初め、音声言語はあったが文字はなかった。中国から文字が伝えられ、日本人がそれを使って自分の意思を表現できるようになったときの喜びはどれほどだったことか。日本人が漢字を通じて中国人との交流を持つようになったことの意義は大きい。私たちは漢字で文を書き、自分たちの思想を表現したのです。そして今日、私の作品が今度は中国語に翻訳されている。これがどんなに有意義なことか。みなさんには本当に感謝しています」。

大江氏は本を求めて並んだ大勢の読者に、記念のサインを残した。(編集ID)

人民網日本語版」2006年9月10日
http://j.peopledaily.com.cn/2006/09/10/jp20060910_62911.html

また、

大江健三郎氏が訪中、南京大虐殺記念館も訪問

ノーベル文学賞受賞作家、大江健三郎氏が9月8日〜15日にわたり、北京、南京などの地を訪問する。7日の情報では、大江氏は今回の訪中期間中に3度の講演会(9日、10日、14日)を予定している。このほか、9日の午後2時半から北京市の書店・西単図書大厦で新作「さようなら、私の本よ!(中国名:別了、我的書!)」の出版サイン会を行う。「さようなら、私の本よ!」は2005年末の新作で、日本国外での出版は今回が始めて。「光明日報」が伝えた。

9月12日、大江氏は飛行機で北京から南京へ飛び、その日の午後に侵華日本軍南京大屠殺遇難同胞記念館(南京大虐殺記念館)を訪問、生存者との対談も行われる。(編集SN)

人民網日本語版」2006年9月8日
http://j.peopledaily.com.cn/2006/09/08/jp20060908_62876.html

陳佳「大江健三郎第五次来中国」(『東方早報』2006年9月12日)によると、上の記事にある「3度の講演会」は、それぞれ「始自於絶望的希望――諾貝爾文学奨獲得者大江健三郎的自白」、「走的人多了、也変成了路」及び「魯迅−中国−我」。また、大江氏は「我這個人的性格不是嫉妬心理的、但是、於村上春樹的小説在中国各地的暢銷和引発的熱烈研討、我到是有些嫉妬」と述べたという。また、作家の莫言は大江を「中国民間伝説中猟人海力布」に喩えている――「寧肯一辺化成石頭一辺告訴村里人山洪将来的〓*2耗」*3

*1:http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20060911/1157941488

*2:e4. 王の中に口4つ。GB5612.

*3:ヴォネガットのいう作家=カナリア説?