そうだ京都、行くのよそう。

証文の出し遅れ火の大文字京の絵まきは高だか?と燃え  

来週の火曜日8月16日は大文字五山送り火の日だ。祇園祭と並んで京都の夏の一大絵巻だ。京都の人たちにとっては霊魂を送る大切な行事。そんなところに、何で陸前高田なんて蝦夷(えみし)の住んでる遠い場所の人間の霊魂を一緒に送る必要があるんだ。それも放射能に汚染されているかもしれない薪を使って。なんて思っているのでしょうね、京都の人は。
ほんの数十人の電話で、これ幸いとばかりに中止してしまって。陸前高田人たちが心を込めて書いた薪から放射能は全く検出されていないのに。
そして、全国的に非難の嵐が吹き荒れると、さっさと、心込めて書いた薪そのものではないが、薪だけは燃やすと宗旨変更。でも、その薪はすでに迎え火として8月8日に地元で燃やされている。証文の出し遅れもこれだけ行けば、ただただ口を開けたまま見ているだけだ。本当に人間のやることなのかと。それも宗教行事に関わっている。
五山といえば仏教の中心となったお寺のはず。やはり、日本の仏教は権力者の味方なのだろうか。津波の被害にあった地方のお寺では、ニュースで見る限り、そんなことはなく、宗教家としていかに被害者の心を癒すかを、真剣になって考え行動していたように見えます。
さらに今度は、燃やすことになった薪から放射能が検出されると、京都市がすぐに中止を決定してしまった。近畿大学京都大学の環境解析学放射線生物学の先生が、そのぐらいの放射能なら全く問題ないと言っているのに。
放射能が検出されたというだけで、もうビビりまくって、その影響がどのくらいあるのか調べもせずに、慌てて中止してしまったのでしょう。東北地方の風評被害について全く考慮もせず、自分たちだけはほんの僅かでも犠牲にならないように、と。
まあ、京都らしいといえば京都らしいのでしょう。いかにもこれが京都、なのでしょうか。
もしかすると京都では、東北地方の沿岸部に住んでいた人たちが京都に来るときは、3.11以前に着用していた服や持ち物を持ち込んではいけない。3.11以後に他の地方で買い揃えたもの以外は持ち込み禁止。なんてことも考えているんじゃないかと勘繰りたくなる。
『そうだ京都、行くのよそう。』
でも、京都のすぐ近く、福井県には13基の原発があり、危なそうなのもある。放射ノーでも、持ち込ませないのに、放射濃にでもなったら、京都の町は空っぽになってしまうのでしょうね。