樺太の悲劇「氷雪の門」

takase222010-08-09

外で右翼の街宣車が何かどなっていて耳障りだ。ソ連の侵攻への非難だった。
おとといの朝、映画『樺太1945年夏 氷雪の門』を観た。「真岡の9人の乙女」、別名、「北のひめゆり事件」として知られるエピソードを描いたものだ。
この映画、1974年にソ連の「圧力」で上映を自粛したという「幻の映画」なのだ。
二木てるみ藤田弓子岡田可愛木内みどり栗田ひろみ丹波哲郎千秋実田村高廣南田洋子、北原早苗など大物が出演した大作で、これが「お蔵入り」になったとは驚きである。ソ連が「不快感」を示したのに対して、「モスクワわが愛」のソ連上映を控えた東宝がびびったと言われている。
映画は8月8日の樺太から始まる。主人公は真岡(まおか)という町の郵便局の女性電話交換手たち。米軍の空爆で被害が増大する内地とは違い、平穏な日々が続いていたところに、9日ソ連が宣戦布告した。ソ連が戦車を先頭に南樺太に攻め入ると、日本軍はなすすべがない。8月15日の玉音放送で衝撃を受けるが、同時に戦争が終わったのだからもうソ連軍は戦闘行為をやめるだろうとの期待で日本人たちはほっとする。だが、ソ連軍はその後も侵攻をやめず、軍事的抵抗を停止した日本軍だけでなく民間人をも攻撃し続ける。樺太は大混乱になった。子どもや女性、老人、病人ともども南へ南へと避難するなか、たくさんの悲惨な出来事があったという。南樺太は九州と同じくらいの広さがあり、逃避行での犠牲も大きかったようだ。
真岡の電話交換手たちにも他の女子と同様、避難命令が出た。だが、混乱の極にある中で、電話通信網を維持することは自分たちの使命だと、職場を守ることを選ぶ。8月20日ソ連軍が真岡を攻撃、民間人犠牲者は1000人にのぼったとされる。郵便局にソ連兵が近づくと、これが最期です、さようならという言葉を残して、12人の交換手のうち9人が自決している。17歳から24歳の若い女性たちだったという。
演技がちょっと古く、戦闘シーンが迫力に欠けると思ったが、悲劇の乙女たちは美しく描かれていた。私はかつてのアイドル、栗田ひろみが観たかったのだが出番が少なく残念。
印象的だったのは主演の「班長さん」、二木てるみ。りりしく可愛らしい大和撫子ぶりが素晴らしい。この女優には全く関心がなかったのだが、映画の中でのあまりの美しさにうっとりさせられた。

さっそく彼女のブログを見ると、なんと「クロッシング」を絶賛しているではないか。
《『クロッシング』と言う韓国映画を是非ともご覧下さい!こんなにも美しく、こんなにも悲しい現実を世界中の人々に知って欲しいと思いました。いえ・知らなくてはいけない!と》http://gree.jp/niki_terumi/blog/entry/430181570
映画の題名になった「氷雪の門」は、稚内市樺太が見える公園に立つ碑で、門の間に女性の像がある。樺太でなくなった日本人のための慰霊碑「樺太島民慰霊碑」で、そのそばに「九人の乙女の像」がある。今回、氷雪の門の製作者が彫刻家の本郷新だと知った。余計なことだが、この人は共産党員で、昔、私はこの人の家に「赤旗」を配っていた。

さて、うるさい右翼の街宣車に、うちの社員が、「あの人たちは、アメリカ大使館に原爆の抗議にはいかないんですかね」とつぶやく。きょうは長崎の原爆の日でもある。
長崎といえば、いまアフガンで拘束が続くジャーナリスト、常岡さんの故郷である。拘束からもう4ヶ月以上になる。
あさってから、イスラム圏ではラマダンがはじまる。早く無事で出てきてほしい。