大神社展

年をとると何故か神社に惹かれるようになるようです。
(私は決して年寄りではありません(キッパリ
年齢を重ねるにつれ、自身の中で時間の流れが緩やかに感じられるようになり、日常生活からちょっと距離を置く余裕のようなものが生まれてくるのかもしれません。

ちょっと遠出をして人気の少ない神社を見つけると、ふらふらと境内に入っていくことがあります。
裏手に回るともう山道になっていて、ほとんど人の目に付かないところにも鳥居があったりします。

神道はもともと山と海に囲まれた自然の中に暮らす日本人が山や海あるいは岩等を対象とした自然信仰から生まれたものですから、建造物は神社の一部であり、むしろその背景にある自然物に惹かれるのは日本人として自然な感覚なのかもしれません。

上野の東京国立博物館で開催されている、大神社展に行ってきました。
私は庭園や展示会などを訪れるときは、なるべく人の少ない平日の午前中を選んで出かけるのですが、パワースポットブームのせいかどうか、今回も平日の午前中でしたがそこそこの人がいて、私が帰る昼前にはツアー風の方々も含め、結構ぞろぞろと入場していました。

展示物は、日本の神々に関する文化財で、国宝や重要文化財も多数展示されています。

別に斜に構えているわけではありませんが、これらの奉納物がガラスのケースに収まってぞろぞろと人の目に晒されているの状況は、どうも落ち着かない気持ちになります。

それと、神像も多く展示されていましたが、神仏習合というのは元々の神道(と言うか日本の自然宗教民族宗教)にとってどのような影響を与えたのかを考えさせられました。
もし、神道が仏教の影響を受けなかったら神像などは概念すら生まれなかった?...逆に、神道と仏教の争いが激化?...いや、そもそも神道八百万の神を祀っているわけで、仏教の一つや二つ増えても...でも、仏教は仏様で神様じゃないし...(以下妄想はつづく)。

展示物の中で目に付いたのは、古事記等の写本(書写)でした。
びっくりしたのは、それは14世紀頃のものだそうですが、今でも文字がはっきりと読めるほどの保存状態であることです。
墨は煤と膠でできているのでそれこそ何千年あるいは何万年も変化はしないのでしょうが、台紙となる和紙とともに保存されて始めて書物としての存在価値があるわけで、これまでの何百年もの間大切に保存してきた人々の真摯な心やその文化的な背景に心が動かされます。

神道と日本人 魂とこころの源を探して現代語古事記: 決定版
こんなことをつらつら考えたのは、最近、神道古事記(もちろん現代語訳)を読んでいたからかもしれません。

学校ではほとんど学ばなかった神道記紀について、今になって興味を持つようになったのは、やはり、ある程度年をとったからかもしれません。
(私は決して年寄りではありません(キッ、キッパリ...