- 歌人の与謝野鉄幹(本名・寛、1873〜1935)が文芸誌「明星」を創刊した1900(明治33)年から8年後の廃刊までの間に、詩人の薄田泣菫(すすきだ・きゅうきん)(1877〜1945)=岡山県倉敷市出身=に宛てた未発表の書簡類35点が見つかった。泣菫の遺品を分析していた研究者が確認した。泣菫への執筆依頼から始まり、経営不振で廃刊を決めたことを打ち明けるに至った経緯がつづられ、2人の親交がうかがえる。研究者は「日本近代文学史を研究する上で貴重な資料」と評価している。
- 泣菫の遺族が倉敷市に寄贈した資料約1700点の中にあった。
- 書簡類は倉敷市が今月発刊した「倉敷市蔵 薄田泣菫宛書簡集 詩歌人篇」(八木書店)に収められている。石川啄木や北原白秋、島崎藤村、与謝野晶子、柳原白蓮ら詩・歌人30人から泣菫に送られた書簡類187通を収録し、うち未発表が161通。鉄幹からの書簡が最も多い。【小林一彦】
<明星> 与謝野鉄幹が主宰する「新詩社」機関誌として、和歌の革新を掲げて1900年に創刊。詩歌を中心とする総合的文芸誌で、森鴎外や上田敏、薄田泣菫らも支援。妻の晶子や高村光太郎、石川啄木、北原白秋ら優れた才能を輩出した。大正期と戦後に復刊した。
(2015-03-28 毎日新聞)
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