12月3日(土)数学の美でも救えないものは青春の嵐


 こんにちは。午前中は寒雨ときに強し、午後に雨上がると
だんだん気温上がり夜半には15℃超えたかも。結露多し。


 中野から青梅街道を新宿まで歩く。街路樹の落ち葉が歩道
に張り付き押し葉の如し。秋色強まれり。淀橋の由来を見るに、
中野一帯を支配した金持、中野長者が鍋横あたりに財宝を
隠したときに下僕を口封じに切ったところらすい。もともと
は「姿見ず橋」だったとか。後に京の淀川にちなんで淀橋と
改名されたのは家光の頃。昭和40年代まではこの辺一帯は
でっかい浄水場だったそうな。そう言えば新宿中央公園の裏、
十二社の辺りは大きな池だったとかブラタモリがゆってたな。
こないだ行った奥多摩からは江戸時代のエネルギー、炭や薪
などが青梅街道で運ばれた。石灰も運ばれた。水は羽村から
玉川上水で運ばれたと。江戸のライフラインがこの辺に集中
してたんですね。ああ、今はむかし。で、西口で一杯やって
酔いつぶれると。この辺は僕も極めて詳しいんだ。


















 ニューシとかガッコとかシューカツとかに締め付けられて、
若者は「沈香も焚かず、屁もひらず」(特別良いことも悪さ
もしない無難な態度を揶揄したことば)になってしもたとか。
ここで思い出すのがフランス革命の闘士、数学の天才にして、
理由なき反抗の元祖@エバリスト・ガロアですねぇ。15歳に
して数学に目覚め、普通は2年かかる数学の古典をたった2日
でマスターしたという伝説もある。でも当時の最高学府エコ
ール・ポリテクニーク(今でもそーだけどね)を2回も落ち
た落第生。一芸に秀でてただけじゃ受からなかったんすねぇ。
それでも自分は数学者だと固く信じて青春の5年間を駆け抜け
て、余人の到達しあたわざる高みに上り詰めて、恋のさや当
ての決闘で果てたと。享年20歳。神に愛されし者は早逝す。


















 代数方程式の根(答)なんつう具体的なものを、抽象的な
構造物「群(ぐん)」ってのに写し取って、方程式の解は果
たしてアリやナシやっつう可解性を可解群の性質で解き明か
した前代未聞の挑戦!18歳で論文出しても当時のベスト&ブ
ライテストな数学者はだーれも理解できなかったくらいの画
期的な方法論。それが19世紀後半に花開いてグルッペン・
ペスト(群論のパンデミック)とゆわれるくらいに量子力学など
に基盤をあたえたのれすよ。生きてる内は奇抜なラディカル
だったけどね。

















 15の春から20まで、たった5年間で凡俗の500年分の
業績を挙げるって、どんだけ〜!って思うけど全ての科学の
女王としての数学が花開いた時代でもあったのです。同時期
にノルウエーの貧乏数学者アーベルも違う方法論で5次以上
の代数方程式には一般的な解がないって証明してたからね。
彼も困窮の内に若病死した享年26歳。でも彼はガロアより
も6年も長生きしたから、関数論の分野で画期的な業績を挙
げている。それで近年スエーデンのノーベル賞に対抗して、
数学分野でのノーベル賞たるアーベル賞が創設されたのだ。
ノーベルとアーベル、そんな賞とは無関係に永遠の20歳と
して今でも輝きを放ってるのはガロアくん。















 「泣くな、20歳で死ぬためにはありったけの勇気が必要
なんだから。」と駆けつけた弟を死の床で慰めたとか。親友
に宛てた決闘前夜の数学遺稿には、それまでにない新しい
数学のアイデアが沢山書かれてましたが、方々に「ジュネパ
 ルタン(もう時間がない)!」って走り書きがあったと
いうから、どんんだけ残念だったか。

















 でも、「もういいや、この世には飽きちゃったから(見る
べき程のことは見つ)。」って死ぬのと、「もっともっと時間
がほすいよ!」と言ってしむのとは、どっちがしやわせかは誰
にも分かりません。燃え尽きるか、燃える直前か?それが問題
だっ!男なんてちょと振られただけで、幸福に満ち溢れた黄金
の世界が、なんの意味も感じられない干からびた灰色の世界に
変わっちゃうんだから単純なものだ。ハアアア~~~















ドッボ~~~~~~~ン