田中秀臣:「SKE48」はなぜ盛り上がるのか(朝日新聞名古屋)

朝日新聞名古屋 ナゴヤカルチャー(2011年1月13日夕刊)に掲載されたものの転載ですが、文章の表記など一部に違いがあります。

SKE48」はなぜ盛り上がる
 いまや国民的アイドルになったAKB48。TV番組や雑誌などでその活躍を見ない日はない。そのAKB48の姉妹グループにSKE48がある。SKE48の「SKE」は、劇場のある名古屋市中区の栄という地名に由来する。チームS、チームKⅡ、チームEの三チームに加えて研究生もいる、総勢60名近い、10代の女性を中心としたアイドル集団だ。

 SKE48で特徴的なのは、本拠となる劇場が名古屋にあって、メンバーたちもほとんどが愛知県、三重県岐阜県など東海地方の出身であることだ。東京でも活動するが、自分たちの地元を中心に活動する、いわゆる「ローカル(ご当地)アイドル」―その頂点にいるのがSKE48だろう。

 彼女たちの拠点となる栄のSKE48劇場では、公演の開始を待って10代後半から20代の若い男性たちが長蛇の列をつくる。以前は、中高年のコアな男性ファンが中心だったが、いまは若い男性や女性、家族連れが目立つようになった。また名古屋だけでなく東京や大阪、さらに全国から公演に駈けつける熱心なファンも多い。地元のテレビやラジオでも彼女たちの活躍をみない日はないが、発売する音楽CDや写真集なども全国ランキング入りをする人気だ。

 その意味で、SKE48は、日々の公演を通じて歌や踊りのスキルを磨き、地方のアイドルが中央でのビジネスに入っていく重要なルートになりつつある。

 このようなSKE48の活躍の背後にあるのも、日本全体にみられる地方回帰の流れだろう。
 高度成長期からバブル景気までの時代、若者は常に中央志向だった。1990年代初めのバブル崩壊までは、周辺地域の若い人たちに強い東京志向があったといえるだろう。アイドルもまた東京一極に集中していた。

 しかしその状況が変化し出したのは、90年代後半からだ。日本の長期不況を背景にして、若者を最も吸収してきた東京と大阪では、若い人たちの雇用機会が大幅に縮小した。大都市に出ても十分に生活していけない。むしろ地元で生活した方が安定的かもしれない。そう考える若者が次第に増えていった。

 特に名古屋では、世紀の変わり目から最近まで、域内成長率が東京や大阪に比べて格段に高い水準を維持していた。90年代までは若い人たちが名古屋から外部に流出していたが、21世紀に入るころからは若い人たち流入が大幅に増え始めた。その背景には、名古屋経済圏の活況と雇用機会の増加があったのは疑いない。そして若い人たちの増加に伴って、その余暇の楽しみとして様々なポップカルチャーサブカルチャーが需要された。SKE48のデビュー前年の07年は名古屋経済圏の活況はピークだった年である。有効求人倍率でみると名古屋市のそれは東京の約二倍近かった。

 また地方のテレビや広告なども、東京のアイドルたちを起用するよりも、低コストですむ地元のアイドルを採用するところが増えてきた。このこともSKE48のようなローカルアイドルには有利に働いている。

 またSKE48は、地方人としてのアイデンティティを強く意識している子が多い。AKB48に対してはライバル意識を持っていて、「自分たちは名古屋を代表するメンバーである。名古屋こそスタンダードである」というプライドを持っているようだ。

 ファンも同じような意識を持つようになれば、ちょうどJリーグの地元チームを中心に地域の若い人が盛り上がるように、地方人であることにアイデンティティを持つアイドルとそのファンが結びついて、永続的な地域ビジネスが生まれてくるかもしれない。

 このローカル化の動きを閉鎖的なものとみるべきではない。しばしば日本でしか通用しない商品や考え方などを「ガラパゴス化」と評することがある。例えば昨年、日本に襲来した韓国のアイドルグループー少女時代やKaraが、肉体を極限まで酷使したダンスや歌を披露し、日本のファンに衝撃を与えた。まさにグローバル化の波がアイドル市場に押し寄せたといえる。この韓国アイドルたちに比べると、SKE48は、萌えや癒しといった日本固有のアイドルの伝統を引き継いだ「ガラパゴス」のように見えてしまうだろう。しかしこの「ガラパゴス」なかなかしぶとい。インターネットを覗けば、彼女たちの熱烈なファンが大勢、世界中に広がっていることを容易に知ることができる。ソウル、台北、パリ、モスクワなどなど。やがてSKE48は、グローバル化をローカルの中に飲み込み、全地球的に活動を広げていくことになるかもしれない。僕はそれを期待し、彼女たちに日本の可能性を見たい。

SKE48 COMPLETE BOOK 2010-2011

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ブログのコメント欄再開と注意書き

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ではよろしく

海老原嗣生『2社で迷ったらぜひ、5社に落ちたら絶対読むべき就活本』

 就職の人気ランキングや自分の先輩・知人のいっている企業「だけ」に固執して就職を始めた学生が陥る「虚無のサイクル」をどう救済するか、著者のケーススタディはよくありがちな学生の就職パターンから始まる。この人気ランキングをテレビなど様々な機会でわりと見かける企業や、生活圏でみかける企業だとかに置き換えても大差ない「虚無のサイクル」を生み出しやすい。僕自身が考える「虚無のサイクル」からの離脱方法の一例は拙著にも書いたが、もちろん他にも多様な戦略があるにちがいない。本書はそのひとつの処方箋を具体的に提示している。

 かなり普遍的で当たり前な真理なのだが、見落とされがちな事実を著者は前半で指摘している。
「半径5メートルが良好なら、多少仕事がきつくても、給料が安くても、手に職がなかんかつかなくても、会社を辞める人は非常に少ない」。
 これは誰しも思いつく真理だが、なかなか就職活動本にはでてこない視点であり貴重だ。

 本書の前半では、5つの視点から企業研究をする際のコツを提供している。これは日本型雇用システム論ともいえる内容となっていて興味深い。もちろん著者も明言しているが、僕たち就職支援やコンサルにかかわる人たちが本当に知っている企業などごくごく一部であり、その知っているという深度もさまざまである。なので、会社研究というものに完全を求めてはいけない。すべては参考事例にすぎないとの割り切りも必要である。だが、企業研究をなおざりにすれば就職活動自体は著しい苦境に陥るのも真実である。難しい問題で簡単に答えはでないと思う。

 本書は後半は銀行、MR、保険会社、メーカー、中小企業、著者自身の仕事であるコンサルタント業務など、その入社後のリアルを、やはり日本型雇用システム論的観点から丁寧に解説している。これらの記述は就職活動の参考に十分になるだろう。もちろん直観的な表現が多様されているし、厳密ではない。しかし上にも書いたが所詮、個々の企業が個々人にとってどのようなものであるかを厳密に究明するのは不可能なのだ。この点をわきまえておけば、この直観的(ただし随所に日本型雇用システム論が前提されているので客観性への担保もある)な説明は、学生や就職支援に携わる人にはかえって便利だろう。何も指針がない企業研究よりもはるかにいい。

 個人的には海老原氏の書いた本の中では最も好きな本である。

小林恭子・白井聡・塚越健司・津田大介・八田真行・浜野喬士・孫崎亨『日本人が知らないウィキリークス』

 本書は僕のようにウィキリークスについてまったく知識がない人に必要な情報を濃縮して提供してくれるとてもいい本だと思う。特に冒頭の塚越氏によるウィキリークスのいままでの活動やそのリーダージュリアン・アサンジについての来歴についての展望は、これだけ読むだけでもウィキリークスについてお腹満腹の情報を提供してくれる便利なものである。

 他の論説は正直、どこがウィキリークスに関係するのか? というものもあるのだが、新奇な話題であるだけにそれはやむをえないかもしれない。僕が塚越氏の展望以外で、じっくり読む気になったのは、八田氏のウィキリークスのリーク元の匿名性を担保する技術とそれを裏付ける思想を追った章である。これは塚越展望を補うものだ。他には津田氏の論説を読めば、この新書のウィキリークスとは何か、その今後の問題は何か、を知るには十分だと思う。

 しかしリークといえば、このブログでも何年も前から日本銀行のリーク問題が繰り返し話題にしている。この場合のリークは公益をもたらすよりも、ただ単に一部の利害を生み出し、公益を大きく損ねるものである。その点で「リーク」とは何か、本書では思想的な議論もあるにもかかわらず、その点の突き詰めはされてないように思うし、また経済関係でもこれだけ国会でもしばしば話題になる問題が完全に無視されているのは、単に著者たちの不勉強であろう。どの国でも中央銀行のリーク問題はしばしば議論され、たびたび問題として噴出している経済最重要の問題だからだ。要するに論者たちがこの問題に気が付きもしないのは、ウィキリークス問題を本当に自国の問題としてどこまで真剣に考えているのか、特に思想系の論者の感度の乏しさが気になる。

 とはいえ、これもまたないものねだりなんだろうか? 僕には正直そうは思えないのだけど、本書がいい本(少なくとも上にあげた論者たちの箇所は)であることは間違いない。

日本人が知らないウィキリークス (新書y)

日本人が知らないウィキリークス (新書y)