手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

法雷

稲垣瑞劔
【略 歴】
明治18年 兵庫県姫路市に生まれる
明治38年 徴兵のため関西学院高等科退学
明治43年 関西学院中学部教諭に就任
大正15年 神戸森高等女学校教諭に就任。
       この頃より碩学桂利劔師に就き仏教、特に真宗学の専門的研究をなす。
       仏教月刊誌『法雷』を発刊し主幹となる(昭和19年まで20年間続く)。
昭和9年  神戸成徳高等女学校教諭に就任。
昭和20年 浄土真宗本願寺派において得度。同年成徳高等学校校長に就任。
昭和28年 新興宗教勃興に際し、本願寺派より特命布教使に任ぜられ、
       全国各教区を巡回して新興宗教の批判につき講演。
昭和37年 藍綬褒章を受章。
昭和40年 勲五等双光旭日章を受章。
昭和42年 学校法人成徳学園理事に就任。
昭和43年 宗教法人「法雷会館」設立。
昭和52年 月刊誌『法雷』を発刊(後継者によって現在も続刊中)。
昭和55年 西本願寺門主の伝灯奉告法要に際し、表彰を受ける。
昭和56年 逝去、ご染筆にて院号「護城院」を下附される。
親鸞に出遇った人びと5  同朋舎  P106より】

信心

 「弥陀たのむ」とは、如来様が、ただで助けて下さるということである。ただで助けて下さる阿弥陀如来の大誓願力を忝(かたじけ)なしと仰ぐことである。「信心を自分が取った」「いただいた」「いただきたい」と思うのは、信心を固定した品物のように扱うておるのである。また自分が信じたのが信心と思っているのである。
覚如上人は、
 「信心をば、まことのこころとよむ上は、凡夫の迷心にあらず、全く佛心なり。」(最要鈔)
と仰せられた。念佛でも、信心でも、自分がこれを独占しようと思うところに、自力が混って往生を仕損ずるのである。


 如来様が「助けて下さる」から「助かる」のである。阿弥陀様が「よんで下さる」から「参られる」のである。そのことを忘れて、「信心」「信心」と、いくら云うたところで、何の役にも立たぬ。
 信心は、「信心」という言葉さえ忘れて、ひとえに「如来様の大悲の本願力あればこそ」、「南無阿弥陀佛」のよびごえがあればこそ」「親様なればこそ」と、向う様の方にばかり眼をつけて、自分の方には三文の値打も認めないのが、真実の信心というものである。
 自分の力、自分の智慧、自分の考え、自分の思いを少しも混ぜず、自分の方を見たら、いつでも妄念の凡夫、煩悩具足の凡夫であって、「どうしても佛にはなれぬ身である」と、本願の月に照らされて、そのことが分かると同時に、「不可思議の如来の願力なればこそ」と、願力の方に眼をつけたのが信心である。
【法雷10 1997 第250号 P6〜P8 稲垣瑞劔 より】



先日、願教寺(盛岡市)に行った時、「法雷」という冊子に目が留まりました。
勧められていた「法雷」12冊(1冊100円)を求めてきました。
「信心」について分かり易く教えておられます。