手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

大きな不安(人生の根底に死がある)

とくに現代人は、自分が死ぬということが人間の大問題だということになかなか気づかないで生きています。ところが、死ぬということは、生きている人は今まで一度も経験していないことなんですから、これは大問題ですね。死は今晩来るかもしれない、明日かもしれない。そうすると、どんなに忘れているつもりでも、この大きな不安はあらゆる生き物の心の底にいつもあるはずです。まあ、木や花などの植物にはそれがあるかどうか、これは凡夫にはわかりません。しかし、仏様の智慧から見たら、一切の有情、人間以外の動物や植物でもまだ仏ではないわけですから、死の不安をすっかり超えた本当の安心の中に生きてはいないわけです。かりに植物にはないとしても動物になったら死への怖れははっきりします。馬でも牛でも自分が殺されると分かったらやっぱり逃げようとします。これは人間の場合の死の不安というものとはすこしちがうかもしれませんが、何かよくないこと、危険なことが起こるらしいということがわかるから逃げるんでしょうね。これに対して、人間は元気で生きている時でも心の底にいつも死の不安を持っているわけです。自分が死ななければならないという漠然とした思いが、死の不安というものです。つまり、人間はすべての生きものの在り方を代表していると言えます。そうしますと、生きとし生けるもの、一切の衆生の一番の大きな問題は要するに、この死の不安を本当に超えて、死ぬことの心配のない平和な命のあり方になりたいという願いをかなえることであります。この生命そのものの願いが、あらゆる衆生の心のいちばん深いところにひそんでいるわけです。
【『歎異抄』第十三条 宿業と自由 大峯 顕 百華苑 P10~P12より】



いま・ここで・わたしが生きていることに、ふと、不思議さを感じることがあります。
当たり前のように生きていますが、実は、生かされて生きているのでした。この(私の)生命の不思議に気付かされることは非常に大事なことだと思います。私は死ぬ、という大問題に真正面からみつめていきたいものです。
おかげさまで 今日も 南無阿弥陀仏



不安(イメージ)